四条﨑ストーカー殺人事件10

「……いくらお前でも不法侵入は良くないぞ」

「不法侵入って……俺は湊から貰った合鍵でここに来たわけですから合法ですよ、合法」

「なーにが合法だよまったく。人選間違えたかなあ」

 少しふてくされたような表情を浮かべながら悪態をつく彼は、九ノ宮に住んでいた時から何一つ変わっていない。

 湊の幼馴染にして唯一無二の理解者とも呼べる親友、嵯峨原出雲さがはらいずも。昨晩、誤って電話をかけようとしてしまった親友が今目の前にいる。それはすぐに信じられるものではなかった。だが偽物なはずもない。

 嬉しくもあり、複雑な再会にどう顔を出していいのか分からなかった。

 悶々と考え込んでいると、何かふわふわしたものが手に触れたかと思うといきなりそれは左腕のギプスに噛み付いてきた。

「ひゃあっ」

 情けない悲鳴が漏れて慌ててリビングへと駆け込む。

「湊、お前」

「な、な、なんで、ここに」

「なんでって、悠吏さんに呼ばれて。第一、湊が電話してきたんだろ」

 やはり昨日の電話は彼のもとに着信が残っていたようだ。すぐだから大丈夫だろうと思ったのに。恥ずかしさについ溜め息がこぼれた。

「まあ……見ず知らずの退魔師つけるよりはよっぽど信頼出来るだろう?」

「そう、ですけど……」

 言いよどみ、俯いた視線が足元に寝転がる小さな狐を捉える。

 まるで猫のようにころんころんと転がる様は湊に撫でてくれと訴えているようだ。現に何か訴えるような目で湊の顔をじいと見つめていた。

「で、出雲は俺の家ガサゴソ漁って何してたの」

「ああ、それなんだけど」

 聞けば昨夜、出雲の職場に悠吏から朝一で湊のマンションまで来て欲しいとの電話があったのだという。その少し前、夕方頃にコール音には気付かなかったが湊から着信が入っていたこともあり、何か良くないことが起きているのだろうと察して朝一番に車を飛ばしてここまで駆け付けた。

 いざ戸を叩いてみれば中からの反応はなく、仕方なく以前もらっていた合鍵で部屋に入ったところリビングには財布と携帯が放置されており当の家主は不在だった。不安になって悠吏へと連絡をとろうとしたところで、机の上にあった新聞が目に入った。そこで初めて昨夜このマンションで殺人事件が起き、湊がその第一発見者であり被害者の一人であったことを知ったのだ。

 なんとかして湊に連絡をとるか、悠吏と連絡をとるかと思案していたところで式神が「妙な気配」に気付き部屋を荒らし始めたらしい。

「いきなりテレビの裏に入ったり色んなものを蹴散らすもんだから驚いたよ……。でもおかげで、これが発見出来た」

 そう言って出雲が見せたのはコンセントタップと寝室の窓際に置いていた観葉植物の鉢だ。

「これが何か?」

 その意味が分からずに首を傾げる湊とは裏腹に悠吏の表情が露骨に歪む。

「まさかとは思うがそれは盗聴器とマイクか何かか仕込まれてるのか?」

「はい。盗聴器の方は素人判断なのでよく分からないですけど、マイクというかカメラですね。観葉植物の茎の間にほら、これ」

 密集した観葉植物の葉を傷つけないように優しくかき分けると、その隙間に小さなレンズが見えた。確かに誰かに見られているような気配は感じていた。でもそれは疲弊した精神状態が誰かに見られている、監視されていると、そう認識しているからなのだと思っていた。

「参ったな。何か出てくればと思ったがこんなものが出てくるとなると……情報の整理が追いつかん。まあ、盗聴に関しては前の住人に向けたものの可能性もあるから今の段階じゃ何も言えないか」

「多分、俺の行動を監視したかったんじゃないですかね」

 前の住人に向けたものだ、そう断言してしまえば自分でも気が楽だっただろうに口をついて出たのは肯定だった。

「その判断を下すには早計だな。ひとまずこれは調べてもらうとするよ」

「頼みます」

「ああそうだ出雲。ちょっと合鍵見せて」

「あ、まだ疑って」

「違うわバカ者。鍵がどんなのか見たいんだよ」

 身構える出雲から合鍵をひったくり刻印を見つめる。三桁の数字が刻印されたそれは紛う事なき合鍵だ。あまり摩耗していないことからそう頻繁に使用していたわけではなさそうだ。

「へえ、ディンプルキーじゃないんだな。なら合鍵は作れない事はない……か。湊はいつもマスターキーを持ち歩いてる? それとも合鍵?」

「さあ……これですけど、合鍵かどうかまではちょっと分からないです」

「ああ、うん。出雲のと同じ。合鍵だね。簡単な鍵ってわけではないけど、機械がちゃんと整備されてて腕の立つ人ならちゃちゃっと合鍵作れちゃうんだよね、これ。湊っていつも鍵どうしてる? 今みたいに持ち歩いてる?」

「基本は持ち歩いてます。でもたまに、大学から外に出る時は落とすと怖いから鞄に入れて、出先のロッカーに預けて管理していました」

「じゃあ、湊が絵を描く事に集中している間にロッカーの鍵を盗み出して、家の鍵も盗み出して合鍵を作りに行く事は可能なわけだ」

 悠吏いわく、この鍵であれば専門店でなくともキーマシンさえあれば合鍵を作ることは可能なのだと言う。それも一本ならば早ければ十分程で作れてしまうのだと。

 例えば複合商業施設であれば、合鍵作成を行っている店はテナントとして入っている場合もあるし、ホームセンターでも作ることは出来る。この近隣であれば、二駅離れた駅の近くにホームセンターが一つ。そこからもう一駅離れれば大型ショッピングモールがある。合鍵の作成はおろか、犯行に使われたもの全てを揃えることも容易に出来ることだろう。

「ショッピングモールなら湊と同じような服も揃えられるわけだ」

「それもそう……ですね」

「家に忍び込みさえすればタンスでも漁って服のサイズもブランドも知ることが出来るもんね。そうやって湊に罪を着せる事はいくらでも出来るわけだよ。特に最近湊の周りで物がなくなる事件が相次いでいるというのだから、それに乗じて鍵を盗む事だって出来るわけだし。着替えを持っていくついでだ、なくなっている服がないか見ていくといい」

 出雲の存在と悠吏の話を聞いている内にすっかりと当初の目的を忘れていた。慌ててタンスの中身を確かめながら適当に着替え一式を掴んで出雲に手伝ってもらいながらリュックに押し込めていく。もし途中で何か足りないものがあれば出雲に買ってきてもらえばいいし、それが駄目なら出雲についてきてもらって買い物に出ればいい。病院には売店もあるし近くには衣料品を扱うチェーン店もある。事件が解決するまでの間くらいはなんとかなりそうだ。

 準備を終えてリビングに戻ると、悠吏はまだ何かを調べたいようで出雲の持っていた合鍵を渡し、出雲と二人で病院へ戻ることとなった。

「じゃあ、次に会う時はきみの無実を証明出来る時になる事を願うよ」

 悠吏と別れ気まずい雰囲気のまま出雲の車に荷物を積み込み病院へと向かう。

 慣れない町で運転に集中しているのか、信号待ちの度にカーナビを操作する出雲の手元をじっと見つめる。湊の手元では式神の狐が丸くなりすやすやと眠っていた。

「……積もる話も多いが、細かい事は九ノ宮に帰ってからにしよう。今はお前の身の安全の確保が最優先だな」

「……うん」

「でもまあ、なんだ。お前から電話があった時は、ちょっと嬉しかったよ。また俺を頼ってくれるのかなって期待した」

「……馬鹿じゃないの? だってお前、俺のせいで死にかけたじゃないか。夢諦めなきゃならなくなるくらいの大怪我して、下手したら死んでたのに。なんでそんな事言えるんだよ」

 あの日怪異から自分を庇った出雲は死の淵を彷徨う大怪我をした。むしろ今生きて、こうして会話をしているのが不思議なくらいの怪我だった。一目で死んでしまうと思える程の怪我だったのに。自分のせいで彼が死んでしまうと怖くなって逃げ出したのに。

 逃げて、程なくして共通の友人から彼が警察官を辞めたと聞いて更に怖くなった。自分が彼の夢を、父親のような刑事になりたいと幼い頃からずっと語っていた夢を奪ってしまったのだと。震えが止まらなくなってまた逃げて、彼との連絡手段の一切を断ったはずなのに。

「まあ、死にかけたのは事実だけども。そのおかげで俺は退魔師としての力を手に入れたわけだし。お前を守るのは同じ時代に生まれた嵯峨原家の人間として当然の事だし。それに何より……俺の初恋の人との約束なんだ。絶対に、何があっても、私の代わりに湊を守ってやってくれって」

 そう言ってやけに嬉しそうに、照れくさそうに笑うのだから何も言えなかった。

 彼の初恋相手とは? 何故その初恋相手か自分を守って欲しいと頼むのか? そんな間柄の女性が身近にいただろうか?

 膨れ上がった疑問は欠けた記憶のどこかに置いてきたのだろうと思うことにして膝の上で丸くなる式神に視線を落とす。今はそんな心配よりも、自分の身の安全と身の潔白の証明が必要なのだ。それ以外のことを考える余裕はどこにもなかった。

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