四条﨑ストーカー殺人事件09
悠吏が病室を出て間もなくして、再び病室の戸が開かれた。今度は誰だと起き上がると、見覚えのある顔に戸惑う。
「悠吏に何か言われたか? 珍しく怒鳴り声が聞こえたから驚いたよ」
「いえ、ちょっとカッとなっただけです。それよりなんで、先生がここに」
「お前は知らなかっただけで三ヶ月前からいたぞ? もっと色んな怪異を診る事が出来るようにってうちの院長から研修を言い渡されてな」
「そう……なんですか」
出来過ぎた偶然だと疑うも、これ程心強い味方はいない。緋那城僚は両親を喪い心身共に深く傷付いたあの頃からずっと世話になっている担当医だ。おそらく悠吏の言う用心棒の一人とは彼のことだろう。僚は退魔師ではないが、それに近い特殊な力を持っている。
「さて、まずは怪我の程度についてだが。残念ながらその左腕はしばらく動かないだろう。骨が折れてる。無理して動かそうとしないように。あと、頭の方。どこかにぶつけたか? 背中もそうだがいくつか擦り傷があるね。縫わないといけないような傷ではなかったのが幸いだ」
「通りで左腕が動かせないわけですね。右手はあまり慣れてないので困るんですけど」
「そう言うな。左利きの苦労はよく分かるが我慢しろ」
「じゃあやっぱり、家には帰れないですよね」
「そうだな。入院するのは嫌か?」
「ごめんなさい。まだ病院は苦手で……」
「そう言うと思ったよ。でも駄目だ。大体、ここの方が安全だと思うぞ」
僚の言うことはもっともだ。それでも躊躇ったが、僚も同じ病室についていてくれると聞きそれならばと安堵する。しかしそれと同時に仮にもこの病院に勤務する医者が一人の患者に付きっきりで大丈夫なのだろうか。尋ねれば元々僚は怪異及び怪異に襲われた人間のケアをする為に一時的に籍を置いている立場なので、むしろ湊を診るのは当然のことなのだと言う。
病院――というよりはこの閉鎖的な病室という空間、それに関係するものには思い出したくもないような嫌な思い出があるが、自分をよく知る僚がついていてくれるのならば下手に他の医師や警察が近くにいるより安心出来る。
渋々ではあるが入院する旨を伝えると、下に車を手配してあるので一度自宅に戻り荷物をとってくるよう指示される。言われて気付いたが、携帯も財布も何もかも自宅に置きっぱなしなのだ。いくら鍵を閉めていても手元にないのは不安で仕方がない。
案内された裏口を出ると、黒のセダンの前で煙草をふかす見慣れた男の姿があった。
「やあ、また会ったね」
「……悠吏さん、仕事は?」
「これも仕事なんだよな。まあ、乗って乗って。行き先同じだからついでってやつよ」
「助かりますけどいいんですか? 仮にも俺容疑者でしょ。こんなに容疑者に肩入れして」
「肩入れっていうかまあ、きみの部屋調べるのも捜査の内だし。ついでに指紋も取らせてくれるとお兄さんは嬉しいなあ」
指紋については怪訝な表情を浮かべると冗談だと笑い飛ばされた。どこまで本気だったのかは分からないが、自宅マンションまでの短い道のりは何の会話もなく進む。
マンションについて、悠吏は荷物をまもてとめ終えるか、何かあれば式神を通じて声をかけてくれればいいと「緋」と書かれた覆面をした猫の姿をした式神を預け悠吏はどこかへと行ってしまった。
昨日同様、昼を過ぎ一層強くなる陽射しに目を細めながら湊は正面玄関を通りエレベーターが降りてくるのを待つ。犯行現場から程近い裏口側の駐車場は封鎖されていて、いつものマンションは昨夜の惨状を受けて普段よりも静かだ。
いつもならばこの短い待ち時間を携帯を見たり腕時計の秒針を眺めたりして待つのだが、今日は生憎とそのどちらも所持していない。仕方なく向けた視線は時計へと向く。時刻は午後二時を回ろうとしている。随外あれから時間は随分と経っていたようだ。
そうして次に外の景色に向けられた視線は、黄色のテープを辿り自然と犯行現場となったごみ捨て場側へと向いていた。
――昨夜、あそこで真壁啓二は殺された。
遺体をこの目で確認したというのに、未だに信じられずにいた。
あの性格だ。きっと自分以外にも恨みを持つ人間はたくさんいる。誰か思い当たる人物はいないかと思案している内にエレベーターの戸が開くベルの音がした。
ホッとして足を踏み出そうとしたその瞬間、目の前から小さな悲鳴が聞こえた。顔を上げると、上の階から降りてきた住人が恐怖に顔を引きつらせていた。驚かせてしまったのかと謝るも、住人は湊と目も合わさぬよう小走りに去っていく。すれ違いざま、小さく「人殺し」と聞こえた気がした。
ボタンを押し、エレベーターが動き出すと同時に全身の力が抜け、膝をつく。
「そうか……そうだよな」
考えれば分かることだ。昨夜、同じ階に住んでいる住人たちならあの時の口論を耳にしているはず。口の早い主婦たちのことだ。自分がわざときかせるようにまくし立てていたせいもあり、湊が啓二を殺したのではないかという噂は今朝の内にマンション中に広まっていることだろう。
知らない人にまで自分が疑われている。どう転んでも容疑者の枠から出られないような気がして、唇を噛み締める。
犯人は自分に罪を着せようとしている、あの獣の怪異を操る人物。それは紛れもない事実だ。なのにそれを証明してくれる人もいなければ物もない。逆に言えば湊が犯人だという証拠もないのだが、夢の中でもお前のせいだと言われ、刑事からも疑惑の目を向けられ、マンションの住人からも人殺しと言われるとさすがに堪えるというものだ。
「本当に真壁を殺してなんて、いないのに。誰も信じてくれないんだな……」
『おい、さっきの威勢の良さはどこに行った。お前は真壁啓二を殺したのか? そうではないのなら堂々としていろ。奴らに付け入る隙を与えるだけだぞ』
独り言のようにポツリと呟いた言葉はどうやら式神を通じて悠吏にも聞こえていたらしい。そんな悠吏の励ましに便乗してか、肩に飛び乗った式神に頬を叩かれ、立ち上がる。
ふらふらと部屋を目指す足取りはまるで自分のものとは思えない程に重く、長い道のりだった。
歩いているだけでどこからともなく視線を感じて足が止まる。まるで各部屋の玄関から、窓から見られているような気さえしてきて嫌な汗が止まらない。
いつも以上の時間をかけて玄関の前まで辿り着いて、ジーンズのベルトに下げた鍵を引っ張り出し鍵穴に挿し込む。
「あれ……? え? あの、悠吏さん聞こえますか」
『うん。どうした?』
「あの、鍵が開いてて」
『鍵? 昨日ちゃんとかけた?』
「はい……。最近色々物がなくなるから、家を出る時は絶対鍵をかけてました」
確かに鍵を回した手応えがなかったのだ。現にガチャ、とするはずの音もなく気を付けてはいたものの家の鍵を閉めずに出てきてしまったのかと青ざめる。
しかし、身の回りの物が消える事件が起き始めてから人一倍用心して少し外に出るだけでも鍵を閉めていたはずだ。記憶を掘り返しても一度ゴミ袋を床に下ろしてしっかりと施錠確認をしている。ならば一体、誰が鍵を開けたというのだろうか。
『分かった。すぐに行くから部屋には入らないで』
悠吏の声がしてから程なくして、エレベーターが下に降りていく。そうしてまた四階へと戻ってきたそこから悠吏が険しい表情を浮かべこちらへと駆けてきた。
「大丈夫? 僕が先に入るから、湊は僕の後ろに」
声のトーンを落とした悠吏が携帯している拳銃に手を伸ばす。
「対怪異用だがいざという時はきみを守るくらいは出来るだろうからね。こういうのは使わない方が良いに限るけど……」
銃弾の入っていない拳銃でも見た目ではそれが対怪異用に作られた退魔師の持つ霊力を弾として用いる代物か、本物の銃弾の入った拳銃であるかなど分かるはずもない。使わない方が良いに越したことはないが、もし万一にも真犯人が湊の住む部屋に侵入していたとしたら。
物音を立てないよう慎重に玄関を開けた悠吏に促され後に続く。万一にも悠吏を振り切り、侵入者が玄関から逃走したとして襲われる心配を考慮した結果だ。
「……物音が聞こえるな。誰かいる」
言われて耳を澄ませるとリビングから微かな物音が聞こえた。
フローリングの床を歩く足音、どこかを漁っているのか、ビニールの擦れる音やカチャカチャと何か硬いものがぶつかり合う音もする。
「扉を開けたらその影に隠れて、そこなら死角になるから。取り押さえたら合図をする。それまでは大人しくしてるんだよ」
薄く戸を開けて室内を覗く。音が奥から聞こえている通り、戸の付近には侵入者の形跡は見当たらない。それでも慎重に開かれた戸の向こうへと身を滑らせた悠吏の指示に従い身を潜ませる。
室内では悠吏が侵入者――青年の後ろ姿を確認し、ほんの僅かに眉を寄せ、そしてニヤリと笑った。
「動くな、警察だ」
大きく息を吸い、声を張り上げると悠吏が背後にいることに気付いていない侵入者の青年が情けない声をあげてこちらを振り向き、その拍子に尻もちをついた。
「ち、ちが、違います違います! 俺は友人の家に……え? あれ? 悠吏さん?」
最初こそ悠吏がいきなり大声をあげたことに驚き身を縮こまらせていた湊だが、どうにもリビングの様子がおかしいことに気付き戸の影からそのやりとりを窺う。
そして尻もちをついた青年と目が合い息を呑んだ。
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