四条﨑ストーカー殺人事件03
着替えを済ませ弁当を温めていると、玄関の呼び鈴が鳴った。インターホンの液晶画面もろくに確認せずに慌てて通話ボタンを押す。
「湊、ちょっといいか?」
応えるよりも先に受話器を置いた。よくもまあ何食わぬ顔で自宅までこれたものだと、ふつふつと湧き上がる怒りに任せ壁を殴る。拳を伝う痛みに少しだけ冷静になるが、何度も押されるインターホンや戸を叩く音、自分を呼ぶ声が耳障りで仕方ない。
とにかく落ち着こうとよく冷えた麦茶を湯呑みにそそぎ一気に飲み干す。
ひとまず、鳴り続けるインターホンをどうにかしなくてはならない。その為には再度受話器を取り自分の考えていることをぶちまけて通話を切ってしまえばいい。あまりにしつこいようなら警察を呼ぶとでも言えばいいのだ。
頭の中で一通りシミュレートし、再び受話器をとる。一瞬、受話器をとるのを躊躇ったが、通話口に向かって自分なりに冷静に告げる。
「お前にとって俺は友達でもなんでもなかったんだろう? お前と話す事なんてない。帰ってくれ」
「待ってくれ湊。誤解なんだ。あれはお前のことじゃなくて――」
「じゃあ誰の事なんだよ! 才能もない上手くもない。ちょっと特殊な絵を描くからって俺より下手なくせに調子に乗って人のものに口出しばかりする。それも評論家気取りでうざい。上から目線でうざい。上島を殺したのは俺だって、俺で遊ぶのにも飽きてきたからそう言わせたかったんだろう?」
自分でも何故はっきりと覚えていられたのか不思議だった。自分への罵倒だったからなのか、あるいは友だと思っていた人物からの罵倒だったからなのだろうか。思わぬ反撃を食らった啓二は驚愕の表情を浮かべている。
「それは……」
「それに俺の絵に絵の具ぶちまけたのも、画材を盗んだのもお前の仕業だったんだってな。全部……聞いたよ」
言い淀む啓二に追い打ちをかければ、液晶の向こうの友であった者は驚き、呆然としていた。その姿がおかしくて間抜けで、わざと近隣にも聞こえるようにチェーンをかけたままドアを開け啓二の悪行を暴露するかのように今までされてきた悪戯の数々を並べていく。それこそ、声が枯れるくらいに。
最終的に言葉を切ったのは徐々に掠れだした自分の声に気付いてからだ。最後に一言、もう顔も見たくないと吐き捨てリビングへと戻る。するとどうだ、途端に咳が出て止まる気配がない。まだ外で喚き続けていたがそれどころではなかった。
呼吸を整え水を飲み、ようやく落ち着いた頃。廊下の喧騒はおそらく隣人であろう男の怒号を最後に途絶えた。
「やっと帰ったか……」
一応確認の為にと薄く玄関を開き外を確認する。そこには啓二の姿はなく、安堵の息を吐き出す。
「あの……大丈夫?」
啓二の去ったエレベーター側の廊下ばかりに気を取られていたあまり、反対側に人がいたことに気付けず小さな悲鳴が漏れた。
「あっ、あ、驚かせちゃった? ごめんなさい……」
「あ、いや……」
申し訳なさそうに眉根を寄せる少女は
「さっき真壁君の声が聞こえたからその……」
「……大丈夫。ごめん、近所迷惑になるような事しちゃって」
「ううん、この時間だとまだ帰って来てない人も多いし、そんなに迷惑にはなってないと思う」
「だといいな」
力なく溜め息をつき、部屋に戻ろうとする湊に祐子はためらいがちに声をかける。
「湊くん、ほんとに辞めちゃうの?」
どうやら退学の話は学校が休みだというのに、その日の内に広く知れ渡っているようだ。それも本人がいないのをいいことに、上島七枝を殺したことがバレそうになったから逃げる為に退学届を出したのだという根も葉もない尾ひれまでついている始末だ。
「……篠田にも言われたけどさ、もう続ける気はないから。それなのに学校にいたって意味がないだろう?」
「そんなこと……」
「それにさ、家族に、帰ってこいって言われたんだ。だから、その、地元に帰るからさ……」
もちろん嘘だ。家族は九年前に亡くなっていて連絡の取れる相手は保護者である男のみ。大学を辞めたことはまだ彼にだって話しておらず、事情を話せば確かに戻ってこいとは言うだろうが自ら無理を言って地元を離れこの四条﨑へと通わせてくれたというのに自分勝手な理由で辞めたなど言えるはずもなかった。
きっと彼女はこうでも言わなければおそらく湊をなんとかして引き留めようとしたことだろう。しかし今の湊には彼女の話を冷静に聞けるだけの精神力と体力は持ち合わせていない。勢いに任せて彼女を傷つけるような失言をしない為にも、ぎこちない笑みを浮かべて会話を打ち切り玄関を閉めた。
「はあ……」
溜め息と共に訪れた頭痛に湊は頭を抱える。不穏な言葉を残した浩樹とは違い、彼女には悪いことをしてしまった。今までそれなりに仲良くしていただけに、彼女の顔を見ていると自分がとんでもない過ちを犯してしまったのではないかという気にさえなるのだ。
「これは本当に、引っ越す必用がありそうだ……」
何気なしにテレビの電源を入れ、チャンネルを回しながらぼやく。地元へ戻ると言ってしまった以上、同じマンションに住み続けては嘘がバレてしまうし居心地も良くない。ならばいっそのこと、本当に九ノ宮へと帰るべきかと考える。だが帰ったところで居場所があるのだろうか。
冷めた弁当をつつきながら携帯を開き、電話帳から大学関係者の名前を消していく。と、もう一年以上も顔を合わせていない幼馴染の名が目に入った。
――きっと彼なら、愚痴も何もかも聞いてくれるのだろう。
思わず電話をかけそうになったが、とある事件をきっかけにこちらから一方的に着信拒否をして繋がりを断ち切っておいてこんな時だけ電話をかけるなんて虫がよすぎる。
このまま彼の名前も消してしまえばもう何も考えなくていいのだろうか。どうせこれから先、自分から連絡を取ることはないだろうし、どこかで顔を合わせない限り会話をする機会もないだろう。
けれども、表示される電話番号を前に、削除ボタンを押すだけが出来ない。
「あ、わ、やば」
そうしてためらいがちに指を彷徨わせている間に、間違えて通話ボタンを押してしまったようだ。慌てて携帯の電源を落とす。
ワンコールでも相手にかかったかは怪しいが、心臓はバクバクと鳴り響いて落ち着かない。
「……もう、嫌だ……」
言い表すことの出来ない喪失感が、両親を亡くした時までとはいかないものの重くのしかかってくる。
思えば最初から啓二の言動には時折不審な点があった。それに不信感も抱いていた。だからこそ七枝に真実を告げられた時にさっさと逃げて入ればよかった。それでも啓二を信じてしまった自分が悪い。
たった数年で人を知った気になって本性を見抜けなかった自分に落ち度はあるが、誰だって好意の眼差しを向けられれば嬉しいものだ。たとえそれが偽りのものであろうとも、偽りだと知らなければ。
深く、大きな溜め息を吐き出す。
半分以上も箸を進めてはいなかったが、これ以上の食欲は沸かない。片付けもせずにテレビと電気を消し、寝室の戸を静かに閉めた。
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