終幕02

「それじゃあ湊、道中気を付けて。出雲も安全運転で頼むよ」

「え……悠吏さんは?」

「僕はほら、まだ仕事があるから」

「そうなんですか……」

 少し残念そうに眉を寄せる湊が気にかけているのは逃げた篠田が二人の時を狙って来ないかなのだろう。

 かつて、そうして二人でいる時に二人は怪異に遭遇し、出雲と距離を置くきっかけとなった事件は起きた。あの時とはもう事情も違うし、出雲は退魔師として覚醒もしている。とは言え、何が起きても問題ないとは言い切れない。

「大丈夫。奴ならしばらくはきみに手出しをする気は起きないと思うよ」

 ニコニコと笑う悠吏からは嘘の気配は見えない。無条件で信用出来るほどの信頼関係は築いてはいないが、それでも何度も助けてくれた彼のことだ。本当に万一の危機があるのなら最優先次項として九ノ宮までの護衛を引き受けることだろう。

 何があったのかまでは聞かないことにして、改めて遠坂に頭を下げ礼を言い、出雲と共に帰路につく。

 四条﨑から九ノ宮までは車で一時間ほど。三連休の真っ只中と考え、もう少し見積もったとしても夕方までには到着時しそうだ。

「昼は食べられそう? どこか寄ろうか」

「いや、いい……そんな気分じゃない」

「とはいえ少しくらいは腹に入れておかないとまた倒れるぞ」

「俺より出雲の方が大丈夫なの?」

「ああ……思いの外朝食のボリュームがな……」

 悠吏と共に口にしたモーニングセットは大いに満腹感を与えてくれた。なのでお腹が空くかと言えばそうではない。

 結局、道中の腹の空き具合や店を見て決めようということになり車は九ノ宮へ向けて走り出した。それを同じくして小雨も次第に強さを増す。

「結局本降りになっちゃったな……」

「うん……」

「眠い?」

「少し」

「いいよ、着いたら起こすから少し寝なよ。後ろに毛布がある」

「用意がいいなあ」

 仕事の都合上車中泊も多いからだと教えてくれた。今回の出張も、湊の警護がなければ車中泊をしながら捜査をするつもりであったらしい。慣れない右手で座席を倒し、手繰り寄せた毛布をかぶると冷えていた指先がじわじわと温まりまぶたが降りてくる。完全に横になるとまではいかなくとも、座席に背を預けている内に疲れた体はまどろみの中に落ちていった。

 間もなくして聞こえてきた静かな寝息に出雲はようやく安堵の息をついた。昨夜もそうであったが彼は眠りについてもすぐ悪夢にうなされ目が覚めているようだった。満足に睡眠もとれていないので余計に苛立っていたようでもある。これで少しは落ち着いてくれるといいが、早めに九ノ宮へと帰り征久に預けるのが一番の薬になるだろう。

 出雲は当初予定したルートを外れ、高速に乗る。ラジオでは夕方過ぎには雷雨へと変わるようで、注意を促している。

「さて……どうなる事やら」

 遠くの空が光ったような気がして、大きく溜め息をついた。


    ✤


「あれ……ここ、どこ?」

「おはよう。最寄りのサービスエリアだな」

「高速?」

「ああ、雷雨が酷くなるって言ってたから急い打方がいいなと思って。まあ、もう近くまで来たから後少しなんだけど」

 缶コーヒーに口をつけ出雲は呟く。外を見れば確かに雨はひどくなっており、遠くの空が光り遅れて小さな雷鳴が聞こえた。

「一服したら出るからちょっと待ってな」

「いいよ、ゆっくりでも。疲れるでしょ」

「まあ、これくらい気にならないさ。適当に軽くつまめるもの、そこにかけてあるから好きなの持ってきな」

「ありがとう」

 食欲はなかったが喉は乾いていたのでありがたく袋の中から缶コーヒーを取り出すが、片手でどうやってプルタブを開ければいいのかと考える。

「あっ……ごめん、忘れてた」

 寝起きで働かない頭で動きを止めていると横殻手が伸びてきてカコンと軽い音と共に再び缶が戻される。

「あ、いや、ごめん。ありがと」

 受け取ったコーヒーに口をつけ、息を吐く。ラジオでは高速の混雑状況が流れていたが、三連休のど真ん中。それも雨の降る昼過ぎということもあり大きな事故もなく渋滞も少ないようだ。

「そういえば、出雲、仕事って今何してるの?」

「え? 知らなかったの?」

 沈黙に耐えきれなかったのか口を開いた湊の言葉に目を丸くする。今の今まで知っている前提でいたが、どうやら本当に知らなかったようだ。言われてみれば話していない気もするし、普通に会話が成立していたので気にも留めていなかったが湊の疑問ももっともだろう。

「今は征久さんとこで世話になってるよ。助けてもらったのもあの人だしさ」

「……そっか、そうなんだ」

「お前も一緒にやるか? お前が相棒なら願ったり叶ったりなんだが」

「俺は……」

「すぐに答えを出せとは言わないよ。でも、選択肢の一つとして考えてくれたら嬉しいかな」

 考えてはいたが、考えないようにしていた今後のこと。いや、考える暇さえなかった。もしそれが本当に叶うのなら、湊としても嬉しい誘いだ。しかし一方で、何故自分がそこまで受け入れられているのか疑問でもあった。

「事件の事、気にしてないと言えば嘘になるけど、気にはならないな。昨日も言ったけど、また頼ってくれたってだけでそんな些細な事がどうでもよくなった」

「死にかけたのに?」

「そうだな。死にかけたのは確かに怖かった。ああ、何も成し遂げられないのに死ぬんだなって思ったら怖い以上に悔しくて。征久さんに助けられてこの力を手に入れられて、自分の手で誰かを守れるようになった。こう言うのも変だなって自分でも思うし、こうして生きてるからこそ言える結果論なんだけど。あの時お前を庇っていなければ、俺は今こうしてお前の力になれていないし、きっとずっと劣等感に苛まれていたと思うから。だから本当に、こう言うのも変なんだけど、感謝してる」

「…………本当に、変なヤツ」

 俯く湊の表情は見えなかった。けれども、そう絞り出した声はかすかに震えて、涙ぐんでいるようにも見えて。見ないフリをして、エンジンをかけた。

 それから高速道路を降りてようやく見慣れた景色が飛び込んできて。大きな黒い鳥居をくぐったところでふっと体が軽くなるような感覚に見舞われる。

 それが九ノ宮の地へ足を踏み入れた証。

 古くからその土地に住み、土地神の恩恵を受けた者だけが感じるそれは一種の厄除けであり、退魔の力の源である霊力を強化する力を持つ。土地神の加護と呼ばれるものだ。この加護の下では特に土地神に最も愛された一族、坂祝の血を引く湊には並の怪異では寄り付くことすらかなわない。

「帰ってきたんだ……」

「そうだな。どうする? 俺は報告があるからこのまま征久さんのとこ行くけど、一緒に来るか?」

「う……」

 いざ顔を合わせるとなると、どんな顔をして行けばいいのか分からないし、何と言っていいのかも分からない。

 心の準備がしたいと黒十字探偵事務所までの短い道のりを深呼吸をしながら、頭の中でグルグルと湧いてくる言葉の中からどれが一番最適なのかを探す。

 正直、目が回りそうだった。吐きそうになるくらい緊張するし、心臓はバクバクと早鐘を打つ。

「……大丈夫か?」

「あ、う……うん……」

 大丈夫ではないが、探偵事務所の駐車時に着いてしまったのだ。もう覚悟を決めるしかない。

「ちょっと待つ?」

「いや、いい。多分時間が経てば経つ程行きづらくなる」

 車を降りて、出雲に肩をポンと叩かれた。驚いて顔を見るといつも以上に穏やかで優し気な瞳と目が合って、どこか安心した自分がいた。

 そう。ここは九ノ宮。自分の生まれ故郷であり、玄関の向こうにいるのは自分を支えてくれた人たち。四条﨑で会った、見ず知らずの何も事情を知らない人々ではない。

「お疲れ様です。ただいま戻りました」

 戸を開けた出雲に続き室内を見渡す。事務所内には湊のよく知る面々が各々仕事をしていて、一斉に集まった視線に萎縮して出雲の背に隠れてしまう。

「お帰り出雲。早かったね」

「はい。ほとんど俺は何もしてませんけどね。悠吏さんのおかげです」

「そうか。そうだね。ほら湊、いつまでも隠れてないで顔を見せてよ。ほぼ二年振りかな?」

 カタンと椅子を引く音がして立ち上がった長身痩躯の青年が近付いてくる。そうして頭を撫でられ、顔を上げる。久し振りに見る浅葱色をした穏やかな双眸は九ノ宮を出た日と何も変わらない。

「お久し振りです……あの、ごめんなさい! 大学、辞めちゃった……」

「そっか。でも、そんな事は僕にとっては大した事じゃないな。君がこうして戻ってきてくれただけで十分なんだから。お帰り、湊」

「征久、さん……」

 どうして怒られることを恐れていたのだろうか。彼はいつだって、湊が間違ったことをしない限り怒ったことなどないのだ。

 大学を辞めたのは間違いではなかった。

 自衛の為に逃げてきたことは間違いではなかった。

 何一つとして、自分は間違ったことをしていなかったのだ。

 自己否定が行き過ぎて、勝手に息が詰まっていただけだったのだ。

「まあでも、本音を言うとちょっとくらいは相談して欲しかったけど。それすら出来ないくらい追い詰められていたんだろうね」

「ごめんなさい……」

 ただ謝ることしか出来なくて、そうしている内に涙が溢れてきた。まるで今まで我慢してきた全てがせきを切ったかのように、ただただ戸惑う。

「偉いね、ずっと我慢してた?」

 頷き、縋り付くように征久に手を伸ばす。

 最初こそ、怪異に狙われているとは思っていなかったが、何か一つでも弱みを見せてはいけないと思っていた。だから泣き言は言わなかったし弱音も吐かなかった。弱みを見せてしまえば、つけ込まれて食い殺される。自衛の術を持たない青年が身につけたのは己を守る為に本心を隠すことだった。その必要がないと、帰るべき場所に帰ってきてそう思ってしまったのだからもう何も抑えこむ必要はないのだ。

「征久、今日の業務は終了だ。どうせお前も仕事にならんだろう」

 横から覗き込むようにあらわれた大柄な男はこの黒十字探偵事務所の裏の主とも言える副所長、皆神宗みながみそうだ。

「そうだねえ。宗君が言うのならそうしようか。出雲もお疲れ様。ご飯は食べてきた?」

「そうですね。軽くなら……あ、それで思い出した。お土産です。めちゃくちゃおいしいチーズケーキだったのでホールで買ってきました」

 手にした紙袋を宗に渡すと、彼もまた穏やかに微笑む。

「では、午後のティータイムと洒落込もうか。出雲、会議室の机の上を片付けておいてくれ。今朝所長が散らかしたもんで書類が散乱して困ってるんだ。それが終わったら資料庫にいる李央りおかえでを呼んできてくれ。今日はもう店じまいだってな」

「了解です!」

 幼子のように泣きじゃくる湊は征久に任せ、それぞれがそれぞれに与えられた役割を果たす為に動く。

 最後に事務所の看板をクローズに書き換え、チーズケーキに合う紅茶を淹れるべくキッチンへと向かうのだった。

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