四条﨑ストーカー殺人事件13
「こんにちは。赤嶺優香さんですね? 少しお話をお伺いしたいのですが」
問いかけに優香は作業の手を止め声の主を見上げる。事務机に向かっていた優香からは文字通り見上げる形となった悠吏に最初こそ警戒心を顕にしていたが、身分を明かすと彼女は立ち上がり会釈を返す。
「お忙しい中すみません。少しお伺いしたい事がありまして」
「真壁くんの事について……ですか?」
「話が早くて助かります。しかし何を聞いてもきっと、坂祝湊との間に何があったのかについては話してくれないでしょうね。ですが僕が聞きたいのはそこではありません。殺された真壁啓二くんについて、知りたいのです」
大学の職員たちは何に怯えているのか、啓二が陰湿ないじめをしていたことについては誰一人として触れようとはしなかった。これも町会議員だという父親の影響なのか、それとも別の何かがあるのだろうか。早々に二人の間に何があったのかを調べるのは諦め、代わりに彼がどうしてそのような凶行に走ったのかを調べることにした。それもとある教師から最近の彼はどこかおかしかったと聞いたからだ。
「そうですね……確かに啓二くんは昔はそんなひどい子じゃなかったんです。家族の反対を押し切ってこの大学に進学したとも聞きましたし、確かに結果を残せなければ辞めろと言われていたという相談は受けましたが……それでも、だからと言って誰かを蹴落としてまで結果を求めるような子じゃなかった。むしろ湊くんのアドバイスがすごく嬉しくて助かったって話してたんですけど」
「そうだったんですね。その相談を受けたのはいつ頃でしょうか」
「二年前です。去年からは段々相談も減って、ちょうど去年の冬期休暇に入る前だったかしら。片想いだった子に告白されて嬉しかったって言って……あら?」
「どうかされましたか?」
「いえ、ただ七枝ちゃんと付き合い始めてから段々高圧的になってきたような気がしたんです。とても仲が良かったからなのか、それとも彼女の事が好きだったからなのか、七枝ちゃんに対してすごく過保護だったと言うか」
決して人を馬鹿にするような人間でもなかったし、人を罵倒するような人間でもなかった。それがいつからか、まるで何かに取り憑かれたかのように人に命令をし、人を嘲笑い、人を貶すようになった。咎めようにも注意をした人間は必ず大きな怪我をしたのだという噂もあり、誰も何も言えない状況になっていたのだと。
「まさか彼自身が怪異に憑かれていたのか……?」
可能性はない話ではない。彼が感じていた結果を出さなくてはならないという焦燥感や些細な苛立ちに引き寄せられた怪異が悪魔の囁きをしたのならば。悪魔の囁きを聞き入れた人間が起こす凶行――心優しい人間が自らの子供でさえも平気で罵り、手をあげる程に変貌することを悠吏はよく知っているし。職務上それがきっかけとなり事件を起こした人間を何人も逮捕しては怪異祓いを何度も行っている。
しばし質問を止め考え込んでいると、優香は申し訳なさそうに眉を寄せていた。
「ごめんなさいね。大した力になれなくて」
「いえ、十分です。大変助かりました。ご協力ありがとうございます」
優香に頭を下げ、悠吏は大学の屋上へと続く階段へ向かう。
怪異に殺される人間は何よりも恐怖を味わう。まだ若き未来ある少女の無念を晴らすためにも、一つでも多くの情報が欲しかったのだ。
戸を開けた先のそこはもう、ここで人が殺されたという形跡は跡形もなく消え去っていた。それでも怪異が残した痕跡というのは少なからず残っている。
「やっぱり匂うな」
あの時、湊を助けた際にも感じた違和感。気配もなくいきなり現れた怪異の匂いをまとうものの視線。それと同じ匂いがこの現場にも残されている。
「ロイ、あの時の奴と同じか分かるか?」
足元に語りかけると小さな黒犬が少しだけ顔を覗かせた。影の犬は主の言葉に答えるようにワン、と鳴く。
ロイと名付けられたこの犬は自身の嗅覚や聴覚を悠吏へと貸し与える役目を持った犬の怪異だ。彼が人並外れた聴覚や嗅覚を捜査に活かすのもロイの活躍があってのもの。同調したロイを通じて得た情報を頭の中でまとめていると、靴をつつかれ思考を中断する。
「主様。嵯峨原家の退魔師が来ておりますが」
「ん? ああ。あいつは放っておけばいいよ。人目がある場所での接触は捜査の妨げになりかねんからな。どうせ律儀なあいつの事だから後で報告が入るだろうよ。それよりも……」
七枝はあの怪異に襲われ殺された。その傷の具合から見て、よほど強い殺意と恨みを持っていたのだろうと考えていたが、どうにも疑問ばかりが生まれるのだ。
七枝に殺意を抱いていたのならば同じく殺意を抱いていたはずの啓二と殺し方が全く違うことにまず疑問が生まれる。捜査の目を欺くために全く別の手口で犯行に及んだというのなら納得はいく。だがそれなら、最後に啓二の遺体に怪異の痕跡を残す必要はなかったはすだ。何故あえて共通点を作ったのか。
「第一の殺人と第二の殺人。やっぱり犯人は二人いるかもしれないね。ロイ、捜査の範囲を変えよう。ここから別の怪異の匂い、もしくは真壁啓二の匂いはするか?」
「いえ。真壁啓二とやらの匂いは分かりかねます。なにせ、人の匂いが多いものですから特定が出来ません。しかし、怪異の匂いはします。それも強烈な匂いです。どうやらここで食事をしたようで」
「ならば合点がいくな。ここで上島七枝を殺したのは食事をする為で、真壁啓二を殺したのは単なる殺意。となればやはりあの獣の怪異の使役者は二人いるな」
間違いなく、ここには二体の怪異がいた。一つはあの獣の怪異で、もう一つは獣を使役していた者。
怪異が怪異を使役する。ありえない話ではない。獣が一頭のボスに従い群れを成すように、人が日々の営みの中で目上の人間に従うように。怪異も力あるものの前ではどんなに知能の低いものであろうとも命令されればそれに応じる。
「参ったね。普通に捜査していたら長期戦になりそうだ」
赤らみ始めた空は見る間に暗くなり、明かりがなければ数十メートル先も肉眼では捉えられない。夜になればまたあの獣か、もう一人の怪異は活動を再開するだろう。
「なあロイ、あの時あのマンションにいた何者かはあの獣に何と命令していた?」
「自分の脚を捨ててでも逃げろ。ですね」
「逃げろ、ねえ。そうすぐに傷が癒えるとも限らないけれども相手の手数が減っている内に片をつけたいな」
そろそろドイルを呼び戻すべきかとロイと話をしていたところで、背後から一陣の風が吹き足元に噂の探し犬が鼻先を擦りつけていた。
「噂をすればなんとやら。本当にお前はタイミングがいいね」
ひとしきり撫でてやるとドイルは満足したのか、姿勢を正し主へと報告を始めた。
曰く、先に怪異の後をつけていたところ最初はこの大学へと来たらしい。だがそこに人の姿はなく、獣の怪異もそれを不思議に思ったのか主を探したがしまいには大学を去り、再びマンションへと戻っていったそうだ。その屋上で香水の匂いをまとった人物と会い、そこで獣の気配は途切れた。
「とすると犯人は湊と同じマンションの住人? ただ問題はどちらの犯人かだな。まあ、一回病院行って湊に聞いてみようか。これだけ情報が揃えば後はもう、釣ろう。それが一番早いし湊の為になるかもしれない」
大学を後にし、僚に今から病院に向かう旨を伝えると無言で送られてきたちょっぴり豪勢な食事の写真に腹の虫が鳴いた。
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