四条﨑ストーカー殺人事件14
病院に行くとあらかじめ話が通してあったのかすぐに病室へと案内された。
「お邪魔するよ」
戸を開けるとほのかに良い匂いがして腹の虫が鳴く。何故この医師は自らの勤務する病院、しかも病室で自ら料理をしているのだろうか。大方、何が入ってるのか分からないものを食べさせたくない、本人たちの好きなものを食べさせると栄養管理が出来ないからなどの理由を述べるのだろうが、だからと言ってそこまでするかと呆れる他ない。
「きみさあ、病室で料理するか普通」
「煮物にしたんだが駄目か」
「いやそういう問題じゃないでしょ」
「何が入ってるか分からんもの食べさせるより俺が作った方が確実に安全だ。ちゃんと許可は得ているぞ」
「よく許可出したねほんと」
問答はさておき、空になった食器を片付ける出雲を横目に皿と鍋を交互に見やる。その様子を見て僚は鶏肉とゆで卵の醤油煮と野菜と椎茸のかき卵スープ、野菜サラダが盛られた皿と白米を差し出した。
「気が利くな」
「本当は明日に回そうと思ったが、お前が今日中に片を付けるとか言い出しそうな気がしたんでな」
「なんでバレてんだか」
食事に手をつけながら悠吏はぼやく。自分が何やら胸騒ぎを覚えたのと同じように僚も何かを感じ取ったのだろう。おそらく悠吏にその気がなくともこの男は今日中に終わらせろと言うつもりだったらしい。しかし、今の段階では本当に今日中に終わらせられる問題ではない。
久我坂に手短に内容だけを綴ったメールを送り、悠吏は食事を進める。
「出雲、きみが出会った篠田という男について聞かせてくれるかな」
「はい。自分が感じた限りでは、あの男は人間じゃないです。精巧に人間に化けている。とても強い力を持った怪異かと」
「ほう。湊は気付いていた?」
「いえ……怪異と関わらないようにしていたのでそこまでは。でも、度々違和感はあったので驚きはしないですね」
一番疑わしきは啓二が殺される前。まるで待ち伏せていたかのように目の前に姿を現し、啓二への殺意を問いかけてきた時だ。あの時の彼は明確に殺意を持っていたはずだ。だから最初こそ彼が殺したのだと思った。だが、理由が見当たらない。絵という生きがいを奪ったのは紛れもなく啓二だが、奪われたのは浩樹ではない、湊なのだから。いくら殺意を抱いたと言っても親友と呼べる程仲が良いわけでもなかった湊の為に殺人を犯すなど普通は考え付きもしないし、そんな動機で人を殺したとあっては、湊にとって迷惑極まりない話だ。
「だがあの男が怪異であるならその理由があるな。精神的に弱った人間程食いやすいものはない。真壁啓二を唆し湊を追い詰め、食うつもりだったんだろう。その途中、何かしらの手違いがあり計画が破綻してしまった」
「上島か」
「そう。彼女だね。湊を孤立させる為には彼女という存在は大きかった。巻き込んだ男たちはおそらく篠田を湊と認識した。幻術とかそういったものの類で誰が見ても湊に見えるようにしたんだろうね。だがおそらく上島七枝にはそれが効かなかった。その手の幻が効かないってのは、怪異に縁のない人間でも稀に存在する。そこでまず彼女が相談するのが恋人である真壁啓二だろう。だが彼女は篠田と恋人が結託して湊を追い詰めようとしている事を知ってしまった。だから湊に警告を促したり、僚くんに助けを求めた。そう考えるのが妥当かな。まあ……篠田という男が真犯人だと仮定した上での話だけど。僚くん、彼女は何て言って病院に来たの?」
「誰かに殺される悪夢を毎日のように見る。だな。最初は就職活動のストレスから見るものだと思っていたようだが、あれは呪いの類だったよ」
「呪い、ね。ならそうやって上島を精神的に追い詰め弱らせたところで大学に誘い出し、食ったわけか」
七枝が殺されたのは最初こそ口封じの為だったのだろう。怪異の食事は人間そのものを食べるわけではない。人間が生み出す感情。それも負に傾けば傾くほど良いようで、そうして痛めつけて事切れる瞬間が特に怪異にとってはごちそうとなり、より強い力を得ることが出来る。
だがそう仕向けたのが誰であれ、怪異であり殺人をほのめかすような言動があった。それだけでは浩樹がそう仕向けた犯人だと決める決定打にはならない。
「まあ、こいつの方は放っておこう。正直正面から当たって勝てる相手じゃないし、本当に湊を狙っているのかも分からない。だからまずは、殺意を持って人を殺したもう一人の犯人を見つけよう。そろそろ、例のものの報告が上がってくるはずだし」
程なくして、悠吏が食事を終えるのを待っていたかのように病室の戸が数度叩かれた。返事をすると、現れたのは先日彼と一緒にいた刑事久我坂だった。
「きみたちは病室で自炊でもしているのか……?」
「やっぱりそこ気になりますよねえ」
「そう言う山峰もしっかりご飯食べてるじゃないか……。まあ、いいか。昼に預かっていた盗聴器の鑑定結果が出たのだけれども……そちらの彼は?」
「僕の後輩ですよ、彼」
探るような視線を向けられ言い淀む出雲だったが、悠吏にサラリと答えられ頷く。身分を詐称するつもりはないが、後輩であるのは事実だ。ただ、そこに元がつくのだが。
そんなことには気付いてか気付かずか、しばらく出雲を見ていた久我坂だが手にした資料を悠吏に渡し、近くのパイプ椅子に腰を下ろす。
「冷えるでしょう。良かったら温かいお茶でもどうぞ」
久我坂にお茶を出し、僚も悠吏の隣から資料を覗き込む。最初こそ話を始めていいのか迷っていた様子の彼女であったが、やがて観念したかのうように口を開いた。
「盗聴器を仕掛けた犯人の顔がバッチリ映っていたよ。まさか見つかるだなんて思ってもいなかったんだろうね」
資料の中にはカメラ内に残されていたデータから抜き出されたであろう写真が数枚添付されていた。そこに映っていたのは背の低い子柄な女性と、病院で見かけた男の二人。犯人の顔を確認すると同時に湊の表情が凍り付く。
「あれ、この人俺がマンションに行った時も見かけたけど……」
口を開いたのは出雲だった。それは湊と悠吏、二人と顔を合わせる少し前。マンションを訪れてすぐのことだ。合鍵をもらった時に聞いていた部屋番号を頼りに部屋を探していたのだが、どうやら記憶違いのようで見つけられなかった。階層自体は間違ってはいないはずなので一つ一つ、怪しくない範囲で表札を見て回っていたところで部屋から出てきた彼女とぶつかりそうになった。
そこで少し話をして湊の部屋を教えてもらったのだが、まるで自分の部屋でも指すかのように間髪入れずに教えてくれたのだ。
「湊くんの部屋ならすぐそこだよって教えてくれたんですよ。確かに同じフロアで近所に住んでいればすぐに分かるかもしれないですけどね。その時は気にも留めてなかったんですけど、なんでそんなにパッと答えられたんだろうって。湊から聞いていた話の中にこの子はいなかったはずなのに。それと、もう一人はあいつだよな。病院に来てた朝田……だったかな」
「朝田と、小野木さん。朝田は知らないけど、小野木さんは同じマンションに住んでます。多分、出雲が会った人じゃないかな。同じフロアに住んでるし」
啓二と口論をした時も、騒ぎを聞きつけて様子を見に来てくれるくらいだ。どの部屋に住んでいるかまでは知らなかったが、近くであったことは確かだろう。だがそんなことはどうだっていい。問題なのは、二人が湊の部屋にカメラと盗聴器を仕掛けた理由だ。
「音声データはどうでしたか?」
「ええ、バッチリ。山峰には渡しておくけれども……彼に聞かせるかどうかは山峰が聞いてから判断してほしい。正直、気分がいいものではなかった……」
悲しそうに目を伏せる久我坂の様子からして、よほど酷い内容であったのだろう。盗聴器とカメラ、それぞれのデータが入ったUSBメモリを受け取り、悠吏は相槌を打つ。
「音声データはさておき。真壁を殺したのもこの二人なのかなと思うんだけど、マンションの防犯カメラには真壁と犯人と思われる人物の二人しか映ってなかったんだよね。一体どちらが犯人なのやら」
溜め息をつき資料の束を出雲へと手渡す。考えていても埒が明かないのだ。ひとまず自分だけでも件の音声データを聞こうと立ち上がったところで、耳をつんざくような獣の咆哮が聞こえた。
「……まさか、向こうからお出ましとはな」
悠吏の足元では影が蠢き、低い唸り声が病室に響く。先の咆哮の主は湊を襲った怪異なのだろう。病室にいた全員がそれに気付き、各々に緊張が走る。
「出雲、ちょうどいい。一緒に行こうか。久我坂さんは湊を頼めますか? 僕ら二人がアレにかかった方が犯人が釣れるかもしれない」
この中で間違いなく犯人側の脅威となるのが実戦経験豊富な悠吏と、彼には劣るが出雲だろう。久我坂が気付いていないように、おそらく誰もが僚を脅威になるとは見ていない。同様に怪異との戦闘経験が乏しい彼女も脅威とは見ていないはずだ。ならば獣の怪異に力のある二人が出れば、その狙いが湊の生命なのか、彼の持つ力であるかはさておき手薄と踏んだ犯人は湊を狙いに来るはずだ。
「大丈夫です。心配しないでください。そこの医者、下手したら僕でも手が負えないくらい厄介な隠し玉持ってますから」
「失礼な奴だな。こちらは任せろとは言い切れんぞ。なるべく早く片をつけろ、俺はお前ら程器用じゃない」
不安がる久我坂をよそに悠吏は出雲を連れて病室を出てしまう。残された彼女は不安げに眉を寄せる仏頂面の医師へと視線を向けた。それに気付いた僚は困ったようにぎこちない笑みを浮かべる。
「すみません。悠吏がご迷惑をおかけして……。私についてはまあ……人間相手だと拘束くらいしか出来ないので、いざとなったら頼みますね、刑事さん。制約があるので、こういう事なんですよというものがお見せ出来ないんです。怪しくて本当に申し訳ないんですが」
「え、ええ……」
一抹の不安はあるが、それ以上に怪異に怯える湊の前で弱音が吐けるはずもなかった。今は怪異対策室に属する彼すらも手に負えないというこの医師を信じる他ない。
音声データに残っていた酷く恨みのこもった「どんな手を使ってでも湊を殺す」「どんな手段を使ってでも湊を手に入れる」という二つの言葉を現実にさせないためにも、一つ大きく息を吐き、拳を固めるのだった。
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