四条﨑ストーカー殺人事件17

 一気に病室まで駆け上がり乱暴に戸を開く。室内には頭を押さえた僚と、手錠をかけられ転がされた和良、そして女性に拘束された湊と、彼女に銃口を向ける久我坂。

「あら……篠田くんからよく逃げられたのね、あなた」

 くすくすと女性――小野木祐子は笑いながら手にしたナイフを湊の首にあてがう。暗にそれ以上近付くなという意思を汲み取り出雲は身構える。

「動いたらどうなるか、分かるわよね? この子の首、掻き切っちゃうのよ。あの男、真壁くんみたいに喉を裂いてね。あの時は声を聞かれちゃならなかったから口を塞いだけど今度はそうじゃないわ。この子の悲鳴も、貴方達の絶望も、みんなみんな私の力になるの」

 刃先がわずかに首に食い込み、糸のように細い血液が一筋流れる。彼女は本気だ。本気で湊を殺すつもりでいるのだ。

 近接戦闘を主とする出雲では間合いを詰めるまでもなく、祐子があまりにも湊と密接しているために銃弾も彼を巻き込む恐れがあり、また一撃で彼女の息の根を止めねば湊も巻き添えにするであろう。

 身動きの取れない歯がゆさと、引き金が引けない歯がゆさに二人は小さく舌打ちを漏らす。

「うふふ、私人間ですもの。頼みの綱の先生も、人間相手じゃ手出し出来ないでしょう?」

「お前の、どこが人間だ」

「何を言うの、湊くん。どこからどう見ても人間じゃない」

「いいや。俺から見れば、どこを見ても人間の皮をかぶったバケモノだよ」

「なっ――」

 祐子の目が見開かれ、ナイフを持つ手に力がこもったのかまたわずかに刃先が首に食い込む。少しばかり痛みに顔を歪めた湊であったが、それでも臆することなく――いや、その瞳も声も恐怖に震えていた。だが彼しか知り得ない、彼にしか分からないその事実を突きつけるために彼は言葉を紡ぐ。

「俺は視るしか取り柄がないよ。退魔の力なんてこれっぽっちもありやしない。自分の身だって守れない。でも、だけど、真実を視る事なら出来る。お前達怪異が俺の力を欲しがるのはそれだろう。どれだけ精巧に化けたって、どれだけ綺麗に人間の皮をかぶったって、お前が怪異だと俺の目には、そう視えているんだよ!」

 叫んで、隠し持っていたボールペンを彼女の脚へと突き刺す。

 痛みに呻き、体制が崩れたところで足をもつれさせながらも拘束から逃げ出し、倒れ込む。もちろん彼女は逃がすまいとナイフを持った手を振りかぶった。が、一発の銃声と共にナイフは彼女の手から滑り落ちた。

「くそ……クソ!! こんなところまで来て諦められるわけないじゃない! その子の、神子の心臓さえあれば私は……っ!」

 今目の前にいる小野木祐子は人間ではない。それを体現するかのごとく彼女の髪が伸び、湊の足に絡みつく。

「生きてる必要はないの。キレイである必要もないの。心臓さえあれば、この体の持ち主はそれを望んではいないでしょうね。でも私は! 構わないのよ! ぐちゃぐちゃでもなんでも!」

 ぐいと信じられない程の速度で引きずられ、気付いた頃には湊の体は窓ガラスの消えた窓の外へと、放り出されていた。

「貴様……っ!」

 怒りに任せ再度吐き出された銃弾は彼女の眉間を貫き、しかしそれで動きが止まる彼女ではない。伸びた髪がこちらにも向き、矢のごとく襲いかかってくる。

 それを出雲が薙ぎ、自分も窓の外へと身を投げようとする。だが彼女がそれを許すはずもない。

「ミズハ、何をしている!」

 僚の叱責に久我坂を守るようにしていたミズハが首を振る。ソレはまるで自分が出る幕はないと言いたげだ。

「そう! ミズハくんに頼るまでもないというわけだよ!」

 場違いなほど明るい声が聞こえて、祐子であった怪異の腹部からは白銀の刃の鋒が顔を覗かせ、彼女の動きが止まる。

「怪異よ、一つ問おう。お前は誰を殺した? 返答次第では処遇を考えてやらない事はないぞ」

「ふん、誰が答えてやるものですか」

「そう。ならばこのまま核を斬り刻んでやろう。彼女らが味わった苦しみと同じく、ゆっくり、じっくりとね」

「ひっ……! やめて、やめて……死にたくないわ……だってまだ私……」

「死にたくない? 小野木さんも上島も、そう言ってたよな」

 吐き捨てるようで、今にも泣き出しそうな震えた声で告げる。死にたくない、と呟いた瞬間から彼女の髪はスルスルと元の長さに戻りつつあった。そうして彼女の胸元に刃を突き立てた男、遠坂とその背に隠れる湊の姿が顕になる。

「夢で、聞き覚えのある女性の声が聞こえた。何度も何度も、死にたくないって。最初は誰か分からなかったよ。でも捜査の話を聞く内にもしかしたら、って思うようになった。そして実際に視て、確信が持てた」

「お前は小野木祐子に取り憑き彼女を殺した。そうして殺した彼女の体を借りる事で、自分を人間に偽装して上島七枝を殺し、その後、朝田和良に生み出した獣の怪異を憑かせ暴走させた。そうだね?」

「ああそうよ! だったらなんだって言うの。私達にとって貴方達ニンゲンは食べ物なのよ」

「違うね。君達怪異の主食は人間の持つ感情から生み出されたエネルギー、霊力だろう? わざわざ殺す必要なんてないだろう」

「必要ならあるわよ。殺せばそれだけのエネルギーが得られるのだもの。クセになるわ」

「なるほど、反省の色はなさそうだね。ならば我らが下す判決は一つ。怪異よ、我らが四条﨑の地を穢し、私欲の為にと貴様が犯した罪は重い。その身をもって、罪を償いなさい。そして願わくば、次は善行を成すことを祈らん」

 それは一切の容赦ない死の宣告だった。弁解の暇さえも与えずに遠坂は彼女のコアを引き裂く。悲鳴の一つも上げることさえ出来ず、光の粒子となって小野木祐子であった女性の姿が消えていく。後に残ったのは、冷めた目をした遠坂と俯き唇を噛む湊だけであった。

「遠坂、警部……」

「いきなり空から彼が降ってきたものだから驚いたよ。どうやら彼女? が一連の事件の主犯格と見て間違いなさそうだねえ。そこで伸びてる彼はまあ……参考程度の話しか聞けないだろうが、証拠はきっと小野木祐子の部屋からわんさか出てくる事だろう」

「そう……ですか」

「ひとまずは一件落着だ。穂波くん、朝田はきみに頼むよ」

「分かりました」

 目を覚ます気配のない和良を横目に放たれた一件落着という言葉に出雲も湊も安堵の息をつく。が、まだ終わりとは言い難い。下で浩樹と対峙していた悠吏はどうなったのだろうか。心配する出雲であったが、それに気付いたであろう遠坂が窓の外を指し示す。

「悠吏くんなら下で後片付けをしているよ。あの男……篠田だったか? 私が駆け付けると同時に逃げられてしまってね。悠吏くんには悪い事をしてしまったかもしれない」

 そう言って遠坂は肩を竦める。下ではパトカーのサイレンが聞こえて、久我坂と遠坂は朝田を抱え病室を出ていく。残されたのは大きな溜め息をついた僚と、出雲と湊。サイレンがやけに小さく聞こえるくらいには、静かな室内だ。

「あの、緋那城先生、頭の傷は……」

「最悪だよ。あの女スパナで殴りやがって。でもまあ、湊に比べればマシだろう。左腕、痛くなかったか?」

 聞けば、朝田を取り押さえた後に現れた祐子は問答無用で止めにかかった僚の頭を殴りつけ、久我坂にそれを投げつけたのだという。そうして和良が所持していたナイフを拾い上げ、久我坂を牽制しながら彼女は極めて冷静に湊の腕を引き人質にとったのだと。その際に抵抗した湊のギプスがはめられた左腕を、彼女は思い切り蹴り上げたのだという。

 後から考えれば、女性にしては妙に腕力があると思いはすれど、僚の目にも果てはミズハでさえも彼女を人間と認識していたのだから誓約の下に手を出せなかった。

 それはこの場を任されていながらも大して何も出来なかった自分に大しての苛立ちであった。

「……俺が九ノ宮から出なければ、いや、生まれて来なければ誰も不幸にしなかったし、誰も死ななかったし、誰も罪を背負わなくてよかったんだろうな」

 そう呟いて彼は寂しげに目を伏せる。それは忘れようとしていた自己否定の言葉で、僚も出雲もかける言葉を失いただただ沈黙だけが流れる。その沈黙を破ったのは、一連の事件の参考人である朝田和良を乗せたパトカーと、そのサイレンが遠ざかっていく音だけだった。

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