始まりの事件-2
月曜日の朝というものはいつにも増して憂鬱である。元々朝が苦手で起床時間の三十分以上も前から目覚ましをセットしなければ起きられないくらいだ。ましてやそれが、休日に呼び出されてフルで働いた翌日だというのだからなおさらだ。いくらよくあることで慣れているとはいえ、気分までもはついてこない。
そうして朝食を作ろうかと悩み出す頃。まだまぶたが上がりきらず、カーテンの隙間から差し込む陽気にウトウトとしていた
机の上に携帯を置いておいたのがアダになった。突如として鳴り響いた着信音とバイブの震動音に肩が跳ねる。驚きと同時にこんな朝早くから電話をかけてくるのは誰だと苛立ちが募り、嫌な予感に眉間にシワが寄っていく。
乱暴に机の上から携帯を掴み、極めて冷静を装い通話ボタンを押す。
「はい、緋那城です」
「おはよう悠吏くん。朝一で悪いが、仕事の話をしてもいいかな?」
直後に聞こえてきた声に自然と背筋が伸びた。
相手は
「わざわざ出勤前に電話をよこしてくるという事はよっぽどの事件ですかねえ」
「ご明察。きみは察しが良くて助かるよ。それでなんだけどね、今日はウチの署に来なくていいから
「四条﨑……ですか」
「そうそう。湊くんが行った大学があるあそこね」
あまり馴染みのない地名にそこがどれくらい離れているのか、何の近くであったかを思い出そうとする。そんな悠吏を手助けするように紡がれた茉莉の言葉にああ、と相槌を打った。それと同時に彼の名前が出たことに嫌な予感と妙な胸騒ぎがした。
「ここで湊の名前が出るって事は、彼に何か?」
「いやまだ直接被害があったわけではないけれども、身の回りで良くない事が立て続けに起きてるらしいんだ。例えば、誰かの視線を感じる、身の回りの物がなくなる、彼をオモチャにして遊んでいたグループの内の一人が不審な死に方をした、とかね」
「最後の一つはまずいでしょ……」
明らかに異質さを放つ一言に悠吏は溜め息をつく。視線や物がなくなる程度ならば誰かの悪戯で済むところだが、その悪戯をしているであろう人間が一人命を落としている。それも不審な死に方と言うのだからただごとではないのは明らかだ。
「というわけだ。行ってくれるね?」
「行かざるを得ませんよね」
「勿論。警部殿はきみをご指名なのだから元々拒否権はないんだけどね」
「はー……まじすか」
「それと。いつも通り緋那城は名乗らないようにね? あっちの方は緋那城家を嫌う者が多いからね」
「ええ。僕も無駄なトラブルは避けたいですからね。それで、どこの署に行けばいいんですか」
「四条﨑南署で頼むよ。そこで遠坂という名を出せばすぐ通じると思う」
茉莉が通話を切るのを確認してから携帯を離し重い息を一つ吐き出す。
「怪異か……」
『怪異』それは人の心から生まれるとされる魔物の総称だ。清き心からは人々に幸運をもたらす怪異が生まれ、憎悪など負の感情からは人に害をなす怪異が生まれる。
そうして生まれた怪異は波長の合う、同等の感情を持った人に取り憑き、その感情を暴走させる。それは時として人間関係を切り裂き、あるいは人を殺す。そうして取り憑いた者の願いを叶えた怪異は成長し、また新たな怪異を生み出すのだ。
感情の大きさによっては人と変わらぬ姿と知能を宿したものや、アニメやゲームに登場するような巨大な獣の姿をした怪異も生まれるという。
悠吏が住む
決して一般に知られてはいけないというわけではないのだが、土地神の信仰も薄れつつある地域では退魔師と名乗っても笑われるだけだ。そんな中で彼ら退魔師は刑事として。あるいは探偵、医者、一般企業の会社員といったごくごく普通の日常の中に溶け込んでいる。
負の感情から生まれやすく、また人に取り憑き犯罪に手を染めさせる事件が多いせいもあってか一部の警察署では怪異絡みの事件を専門に扱う部署が存在していたりもする。その中で最も実績があり、各分野に精通する者が集うのが悠吏の所属する怪異対策室だ。
この九ノ宮という町は昔から怪異による事件が多発していた。それ故に退魔師を生業とする家系も多く、その名残で今もなお怪異を視て、祓う力を持つ人間が多く存在するのだ。
それ故に今回のように各地から呼ばれる事件は少なくはない。
「しかしまあ……一日で帰ってはこれなさそうだな」
身支度を整え、朝食も済ませ。縁側で煙草をふかしながら新聞で件のニュースの概要を頭に叩き込む。昨日の朝早くに起きたその事件はまだあまり詳しい情報は明らかにはされておらず、野生動物による被害と事件の可能性があるとして捜査は進んでいるようだ。
なんでも被害者の少女は大学の屋上から突き落とされたらしい。それだけなら事故、自殺の可能性も、と考えられるのだが、彼女の背中には熊などの巨大な獣の爪痕が残されていたらしい。いくら周りが山に囲まれた田舎町で、熊による農作物の被害も聞くとはいえ、閑静な住宅街に熊が出没したとあれば夜中であろうと誰かが気付くはずだ。なのに誰も気付かず、昼になっても陽が沈んでも熊の姿は確認されていない。それが「熊がまだこの住宅街のどこかに潜んでいるのかもしれない」「熊ではない他のナニかが存在しているかもしれない」という二重の意味で住民たちを恐怖させているようだ。
引き続き周辺住民には警戒を呼びかけながら彼女の周りで不審な人物を見なかったか聞き込みも進められているらしい。
「ま、どうにかなるか」
携帯灰皿に吸い殻を押し込み、悠吏は笑う。茉莉が口にした青年「湊」が事件に絡んでいる限り、怪異は必ずついてくる。彼はそういう男なのだ。だから遠坂という警部も怪異対策室の人間を応援に呼ぶのだろう。
「さて、行ってくるよルクス。今日は多分帰れないだろうから、帰ってこなかったら実家にでも行っておいで」
煙草を吸い終えた気配を察知して近付いてきた飼い猫の頭を撫で、そう言うとルクスはにゃあんと返事をして玄関先まで主に足元に付き添い、その背が見えなくなるまで見送った。
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