始まりの事件改め四条﨑ストーカー殺人事件
一
うだるような暑さもようやく鳴りを潜め、冷え込み始める十月頭の昼下がり。のどかな田舎町、四条﨑の美術大学は昨日敷地内で起きた殺人事件の影響か、いつもは活気に溢れているというのに人の気配がまるでない。だというのにも関わらず、とある一室には数人の生徒の姿があった。
どうやら中にいるのはここ最近自分の身の回りで起きている「良くない事」を引き起こしている友人たちのようで、少しだけ開いた戸を前に
中から聞こえてくる聞き覚えのある声になんとなく嫌な予感がしてそっと聞き耳を立てると、やはりそれは最近距離を起きつつあった友人たちのようで湊は顔をしかめる。冷静に考えてみれば、昨日の事件で亡くなったのは彼らと特に仲の良かった少女。きっと花をたむけに来たついでにこの教室で彼女との思い出話しでもしているのだろうと考えれば自然なことだった。
「……でさ」
ふと聞こえた男の声に体が強張る。そうだ。少女の友人たちがいるのなら、少女の恋人であったこの男がいないはずがない。それを知ってしまった瞬間から鼓動が早くなるのが分かり、落ち着こうと何度も深呼吸を繰り返す。
その男、
啓二は湊がそれに気付いていないと思っているようだが、そんなことに気付かない程愚かでははい。だから気付いていないフリをしていた。いや、もしかしたら啓二が仕組んでいたのだと信じたくなかったのかもしれない。
盗み聞きをするつもりではないが、この大学で唯一の友人とも言える啓二が自分を陥れているのだと信じたくなくて、彼らの会話から何か情報を得られないかと隠れて様子を窺う。
「そういえば、啓二と一緒にいる坂祝だっけ。あいつ最近
「えー。あの子結構筆速いしサラサラ描いてたじゃんね。最近よく真っ白なキャンバス見てぼーっとしてると思ったらそういうコトだったのね。ってか描けなくなるって相当じゃん? 啓二くんやりすぎたんじゃないの?」
「別にやりすぎって程でもねえよ。ただちょっと七枝に褒められて調子乗ってたから、裏から手回しただけ」
苛立ちを含んだ言葉と嘲笑。友達だと思っていた男の口から出る言葉全てが信じられなかった。
「ま、本当のところはあいつが七枝を付け回してたからなんだけどね」
「あー、七枝ちゃん最近誰かに付けられてるって言ってたもんね。え、じゃあ何? 坂祝が七枝ちゃんを?」
「多分だけどな。あいつと同じパーカー着たやつが最近家の周りうろついてるって聞いてたからそう思っただけで。ま、あいつにそんな度胸あるとは思えねーけど」
「いやでも分からないぞ。ほら、ニュースでもよく大人しいヤツが~とか言うじゃん」
「違いない。そろそろあいつで遊ぶのにも飽きてきたし、とっちめて吐かせてやろうかな」
遊ぶのにも飽きてきた。その一言に噂が本当であったのだという現実を叩きつけられた。確かに心のどこかでやっぱりなと思いもしたものの、それでも現実を叩きつけられた衝撃に軽い目眩がして、ふらついた拍子に戸にぶつかってしまった。
ガタンと大きな音がして、慌ててその場から離れるが、戸を開けた啓二たちと目が合う。驚いたのも束の間。睨みつける啓二が口元に浮かべた笑みが怖くて、背を向け湊は走り出す。背後では彼らが何かを叫んでいたようだが、内容は耳に入ってこなかった。
行き先など考えずに走って、無意識に向かっていたのは学生課だった。
ノックもなしに入ると、何度も相談に乗ってくれていた担当職員の
「湊くん? どうしたの?」
「……もう、辞めてもいいですか」
絞り出すような小さな声で告げると、優香は何かを察したように相槌を打つ。
そうして随分と前に湊から受け取って、引き出しの奥に眠っていた退学届を机の上へと置いた。
書類をもらう時に大方の理由は説明しており、何度も思い留まってくれと説得してくれていた彼女だが、何も言わずに微笑み湊の肩を叩く。
「何があったのかは聞かないでおきましょう。でもなんとなく、分かるわ。長い間辛かったでしょう。真壁くんの噂はこれを受け取った少し後から何度も耳にはしていたの。それでも私達ではどうにも出来なくて。ごめんなさいね、何もしてあげられなくて」
「いえ。赤嶺先生は何度も相談に乗ってくれました。それだけでも十分嬉しかったんです。それに、いつかは辞めようと思っていた。今回の件はいいきっかけになりました」
「……貴方の才能がこんな形で終わるなんて。私としては認めたくないものね。お疲れ様。おそらく二週間程で自宅に退学証明書が届けられるでしょうね」
これで全てが終わる。その去り際にかけられた言葉に、自分はとんでもないことをしているのではないかという気になる。口から出かけた言葉は飲み込み、精一杯の作り笑顔を返す。
それから少し、優香と会話を交わして啓二たちと鉢合わせないよう少し時間を置く。そうして間を置きつつ私物を回収して回り、最後に荷物をまとめているとどこから居場所を嗅ぎつけたのか、啓二に声をかけられた。
申し訳なさそうな表情を浮かべているが先程の言葉を聞いた後ではよくそんな演技が出来るものだと笑いたくなり、無性に腹が立った。無言で睨みつけ、逃げるようにして家路についたのがほんの一時間程前の話だ。
カッとなってやったことだ。明日になれば後悔に頭を抱えることになろう。けれどももう、あの大学でこれ以上絵を描き続ける自信がなかったのだ。
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