File:02「ブラッディ・カーネイション」

始まりは緋玉の瞳

 ひどく雨の降る夜だった。この八重やつのえのはるか彼方ではあるが、台風がゆっくりと移動をしているというのだからその影響もあるのだろう。それにしても、周囲の音全てが雨音にかき消されてしまうくらいにはひどい雨だ。足元はぬかるみ、まるで川のように雨水が坂道を下っていく。一応防水仕様の靴を履いていたが、それも意味をなさないくらいには靴の中は水浸しだ。

 溜め息をつきながら、申し訳程度しか照らせない懐中電灯を片手に二人の警官は歩く。というのも、数分前にこの付近にある今は使われていない古い倉庫の敷地内に不審な車が停まっていると通報を受けたからだ。

 確かに、ぼんやりとではあるが雨のカーテンの向こうに車の影らしきのが見える。

急いで近付くと駐車スペースでもないそこに、ポツンと赤いコンパクトカーが停まっていた。

「すいませーん……」

 戸を叩き声をかけるが返事はない。おそるおそる中を覗いてみても、人が乗っている気配もない。

 となると、倉庫の中に勝手に入っていったのだろうか。確かにこの一帯は一部のマニアの間では有名な廃墟だ。わざわざ遠方から写真を撮りに来る者も少なからずいるとも聞く。だが、いくら廃墟とはいえ住居侵入は犯罪だ。警察官の端くれとして見過ごすわけにはいかない。

「どうする、中行くか?」

「しかないですよねえ」

 二人で薄く開かれた戸を開け倉庫内へと足を踏み入れる。外よりは幾分か静かではあるが、雨音がかえって響き不気味さを醸し出している。

 ぐるりと辺りを見渡してみるが、照明もなく、月明かりも差し込まない倉庫内は想像以上に真っ暗だ。懐中電灯の明かりが届く範囲しか見渡せず、また中が広いために入口からでは建物の最奥を見ることが出来ない。

 しばらく二人の足音しか聞こえない中を慎重に進んでいたが、人の声や足音はおろか人の気配すらも感じられない。

「先輩、本当にいるんですかね……人間」

「たわけ、人間て言い方やめんか。ほら、あそこ靴っぽいの落ちとるやろ。どうせビビって落としてったんちゃうん」

 指を差す先には確かに脱げた靴が落ちている。二人が苦笑いを浮かべながら靴へと近付くと、靴以外にも花弁のようなものが落ちていることに気付いた。敷地内は荒れ果てており、伸び放題のセイタカアワダチソウは見かけたがこんなにも綺麗な花は咲いていなかったように思う。

「なんだってこんな所に花が……」

 それが一輪二輪ならそこまで気にも留めなかったことだろう。妙に気になって仕方がなかったのは、その数が異常であったからだ。

 まるでどこかに導くかのように連なる花弁。誘われているのは分かったがその先に何かがあるというのならば追わずにはいられない。慎重に一歩一歩進んでいくと、ようやく最奥の壁まで照らせる場所まで来たその時だった。

 つい先程までは雷鳴など聞こえなかったというのに。いきなりすぐ近くに雷でも落ちたような雷鳴と共に倉庫内が一気に明るくなる。そうして二人は、絶句した。

 一瞬の明るみの中、二人の目に映ったのは確かに、一人の人間であった。

 冷たい床に散らばる黄色のカーネーションは彼の足元に近付けば近付くほど真っ赤に染まっており、力なく垂れ下がる四肢もまた赤く染まっている。それだけならまだ、二人は込み上げる吐き気を我慢出来ただろう。出来なかったのは男の心臓に刀が突き立てられ、壁に磔にされていたことと、虚ろに見下ろす眼窩の左には本来あるべき姿ではない、ガラス玉のような偽りの眼球が埋め込まれており、右目には黒い百合の花が咲いていたからだ。

「お、おい、纐纈こうけつ、本部に連絡や」

「わわ、分かってますよう」

 なんと伝えればいいのか、片言のように言葉を繋ぎ合わせて連絡を入れたところで二人はひどい頭痛と目眩に襲われ、その後の記憶は曖昧になっていた。

 朦朧とする意識の中、無線の先に聞こえていたのかは定かではないが纐纈と呼ばれた後輩警官がポツリと「怪異の仕業だ」とつぶやいていた。


 その日、八重の町の退魔師が自らの得物で殺害され、無残な姿で発見された。

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