始まりは緋玉の瞳03

 九ノ宮に着いてからまず恭樹が向かったのは、怪異対策室専用の資料庫だった。一般的な刑事事件と怪異絡みの事件では扱う情報の種類が違う。

 そもそも被疑者が人間ではなく怪異そのものであった場合、人々の生命を脅かす存在であると判断され令状が出されれば退魔師たちは怪異を祓う――そう言えば聞こえは良いが、実際していることは、これ以上の被害拡大を防ぐ為に怪異を殺すことなのだ。そうなってしまえば事件の犯人は存在しなくなってしまう。その時残るのは、怪異の特徴などが事細かに記された報告書のみ。件の怪異の手によって命を落とした時原誠司は自らの死に際、式神にその全てを伝え残していた。それだけではなく彼は自分が何も為せぬままに殺されてしまった場合を想定して、式神に怪異の姿を記録させていたそうだ。そうして詳細に残された資料が役に立つ日が来るとは。出来れば必要になる日が来なければ良いと願っていたというのに。

 だが、だからこそ、その資料をありがたいと思う。

「……帰ってたのか」

 資料庫を出てすぐ、背後から声を掛けられ振り向く。そこには怪異対策室の副室長でもある男が立っていた。

 名を土岐とき紀彦あきひこと言い、自身の研究室にこもりきりの男が外に出るのは珍しい。紀彦は退魔師ではないが怪異絡みの遺留物の解析を得意としており、署の一角に自身の研究室を持ち日々持ち込まれる怪異の解析を行っている。

 多忙、という意味で研究室を出ることが少ないのだ。くたびれた白衣とボサボサの髪、長らく剃っていないのであろう無精髭がその忙しさを物語っている。

「聞いたよ。誠司の件……だろ」

「ああ。まだ確定したわけではないが、確率は高いな」

「そうか。そうだろうと思ったよ。時間はあるか? あるなら研究室に寄れ、アンタに渡したいものがある」

「そうか。じゃあ先に待っているよ」

 大の大人がフラフラと壁にぶつかりながら歩く様は見ていて危なっかしいものだが、時間が時間で誰もいないし睡眠不足が祟っているのだろうから支えてやる義理もない。おそらく給湯室に向かった紀彦とは反対方向。彼の研究室へ向かい、手近なパイプ椅子に腰を下ろして恭樹は資料をめくる。

 簡潔、かつ誰が見ても要点だけが分かる完璧な資料。性格がよく出ていると恭樹は笑う。

 大事な部下であり、大切な友人であり。人としてもよく出来た人間であった。それ故に彼を慕う者も多かった。受け入れ難かったのもある。だがそれ以上にこの資料を手に取ることは躊躇われた。

 終わった事件の資料など、極力見返したくはないからだ。


 やはり状況は酷似している。最初の被害者は協会所属の男。次は協会所属の女。五人を殺害した怪異はいつも決まって被害者の目を持ち去っていた。

 退魔師にとって目は重要な役割を持つ。それもそのはず。視えなければ祓うことが叶わないからだ。だからこそ眼球には霊力が集中する。内臓ほどではないが、怪異にとってとても重要なパーツだ。

 不可解なのは、目を奪ったあとに片方にはガラス玉を。片方には花を残したことだ。その異様な行動にただ力を手に入れるためだけに退魔師を狙い、殺し、力を蓄えているだけとは思えない。

 知能がある。それも人間に酷似した強いものが。その知能を用いて、人間をいたぶり、弄び、怪異は遊んでいるのだ。それがどれほど狂気に満ち溢れていて、どれほどおぞましいことか。

 眉間にシワを寄せ唸る恭樹の前に紙コップが置かれ、紀彦が戻ってきたことを知る。資料から顔を上げれば、珈琲を淹れがてら髭を剃ってきたのだろう。いくらかすっきりした顔をした男が背後から資料を覗き込んでいた。

「……最期まで、几帳面な奴だったな」

「そうだな。だからこそ今こうして、助かっているわけだが」

 まるでこうなることを予期していたみたいだ。

 ポツリと呟き、恭樹はありがたく珈琲を口に運ぶ。眠気がないわけではないが、まとまらない思考をスッキリさせるには丁度良い。

「しかし……こうも偶然が重なると気味が悪いよ」

「と言うと?」

「先日悠吏が四条﨑から持ち帰ったあの残骸だ。性質も、霊力回路のパターンも旭の連れていた狼そっくりだ。まるで、生き写しのようにな。あれは元を辿れば誠司の連れていた式神を真似たものだろう? 偶然とは思えない。考えたくはないが、旭が絡んでいる可能性も――」

「憶測でものを言うのは感心しないな」

 皆まで言うな。紀彦の言葉を遮った恭樹の瞳にはそう言った感情が込められていた。

 先の事件で亡くなった時原誠司。その息子――厳密には実子ではなく養子である――の時原旭は少し変わった男であった。

 使役している式神は自らが独学で生み出したものだと言い、父親である誠司が連れていた式神の性質を真似た似て非なるモノ。

 通常、退魔師や式神使いの連れる式神というものは、使役する意図により姿を適切なものに変える。例えば失せ物探しをしたい時。匂いを辿るのなら嗅覚に特化した生き物。音を辿るのならば聴覚に特化した生き物へとその都度姿が変わる。もっとも、近年ではそれぞれの役割に特化した式神を複数連れているケースが多いのだが。 旭のそれは異なっていた。

 確かに姿は変えられる。だが旭の従える彼らが姿を変えるのは生物ではなく、退魔の力を宿した刀。それぞれが特異な力を持ち、あらゆる怪異に対抗出来るよう式神の能力をコピーし、怪異の能力を取り込み、常に成長しながら生きている。

 そんな特異な存在と同一個体が存在するというのだろうか。紀彦の懸念は分からなくはない。

「あれはその辺はしっかりしている。式神を暴走させるくらいなら自分の手で始末するだろう」

「……旭が生きていれば、な。それに旭自身の暴走も考えられるだろう」

「そう簡単に死ぬとは思えんし、自分が暴走して人を殺すくらいなら自死を選ぶだろうよ」

「ふん……なんだかんだ言いながら信用しているんだな」

「さあな。あいつは怪異対策室を潰しかけた問題児だ。だが、そのおかげでここの重要さを上に知らしめる事が出来た。その点は評価しているだけだよ」

 それは褒めていると言えるのだろうか。おおよそ褒めているとは言い難いと紀彦は笑う。

「馳走になった。お前も程々にして寝ろよ」

「なんだ、もう行くのか」

「ああ。早いとこ片付けてしまわないと落ち着かなくてな」

「それを言うなら獲物を獲られたくないの間違いだろうに」

 ふっと鼻で笑い恭樹は資料を束ねる。触れられたくない話題が出るといつもこの男は笑って誤魔化すのだ。

 冷静沈着、どんな時でも余裕を崩さない九ノ宮随一の退魔師。そう呼ばれている恭樹であるが、肚の中はとても熱いものが滾っている男だ。今回の件もそうだろう。なんでもないような顔をしながら盟友を奪った怪異をどう自らの手で始末するかを考えている。そんな復讐めいた狂気がその瞳には宿っていた。

「まあ、恭樹が死ぬとは思わないが……気を付けろよ」

 返事の代わりに片手を上げ、恭樹は研究室を後にする。向かう先は駐車場。そこで自身の愛車へ向かおうとしたところで、背後から声がかかった。

「室長、お供しますよ」

「柊梧、帰ったんじゃないのか」

「室長が残るのに帰れと言われてはいそうですか、と帰れるわけないじゃないですか」

「だがお前には……」

「いやだって室長に運転させるわけにはいかないでしょ? 貴方には万全の状態でいてもらわなきゃ」

「……世話焼きな部下が多い事で」

「そう育てたのは貴方でしょうに」

 指の間で揺れていた紫煙が消え、車のキーを手にした柊梧が笑う。その足元ではポメラニアンの式神がぴょんぴょんと飛び跳ね尻尾を振っていた。

 やる気があるのは結構。恭樹は肩を竦め、柊梧の車の助手席へと身を滑らせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

怪異探奇譚 法月春明 @h_reiran

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る