第25話 縁
あれから数か月。
時々、リハビリの為にと
永遠子の言った暗示暗号は考えてない訳ではないけれど、答えを知っても良いものかと無意識に解読する事を避けていた。
昔から都合の悪い事は後回しにする癖があって、その内忘れてたりする事を期待している類の人間だ。
だがしかし、それも目の前で起こってしまった以上は逃げ場が無かったりする。
「百さん……そろそろ、帰ら……ない?」
「や」
「……」
夏の夕暮れは足が遅い。
煌々と陽が照った真昼を遠慮がちに追い出しながら、怠惰に熱風がビルの合間を擦り抜けて行く。
「あ、の……百さん……」
百を街へ買い物に連れて来て、白以外の既製服を楽しげに選んでいた百と俺の前に現れたのは、多分どっかで一戦交えたもう名前も思い出せない女だった。
「紅葉くん……?」
「はい?」
振り返って顔を見ても思い出せなかった。
地味でお堅い系のその女は、いかにも会社帰りと言う恰好なのだが、ただの知り合いと言うよりも親密な視線を注がれている。
これはあれか。
リリスの泉の件で声を掛けた女の一人だったりするのか……?
思い出せないのに、何だかヤバいとだけは一瞬にして悟る辺り、男の勘と言うものもあるのかも知れない。
何処だ、何時だ、こいつ……知ってる気がする……。
そんで多分、その少し熱を帯びた視線の理由は、「私、貴方と寝た事あるわよ」って言うアピールの様に思える。
って言うか、絶対そうだ。
このタイミングで何故声を掛ける。
連絡無かった時点で忘れろよ……。
その自問自答の間に、百は機嫌を損ねてしまった。
「あれ以来、連絡取れなくなっちゃってずっと会えたら良いなって思ってて……」
「あ、ははっ……えっと……ごめん?」
不用意に誰だっけ? なんて聞ける筈もない。
「そちらの可愛い子は、妹さん……にしては幼い……ね?」
「えーっと……」
「ふふっ、こんにちは、お嬢さん」
たった数ヶ月では百の身長も大して伸びては無い。
見た目は完全に小学生。ここで恋人発言は無理があった。
「あ、えっと……親戚の……いっ……つ!」
脇腹に本気の拳を一発食らった。
「か、彼女です……」
「えっ!? ヤダ、紅葉くん冗談でしょ! だって、まだ子供……」
「いや……本当に……彼女なんで。それじゃ……」
以来、ずっとご機嫌斜めのまま車には戻って頂けないのである。
往来でロリコン肯定発言させられた上に、当の本人は激オコ状態で、ここに手頃なクローゼットがあったら俺が入ってしまいたい。
「百……」
「や!」
「まだなんも言ってねぇよ……」
「嘘ついてさ……一緒に歩きたくないなら、そう言えば良いのにっ!」
「ちがっ……百っ!」
「嫌って言ってる!!」
掴もうとした手を力一杯振り払われて、振り返った百の眸は濡れていた。
次の言葉は喉につっかえて出て来なかった。
「今までの事、百の知らない事、別に怒ってる訳じゃない……。でも……目の前で嘘つかれるのは、嫌だ……」
「ごめん……」
「百が子供みたいだから? それとも、百の事が好きじゃないから? 別に罪悪感とかで一緒にいて貰わなくて良いよっ!!」
「罪悪感って何だよ……ちげーよ」
「違わなくない!」
「違うって言ってんだろ! ちょっとは人の話を聞けよ!」
「嘘つかれるから聞かないっ!」
「ちょ、百っ……」
一瞬の、俺の男としての世間体の為に百を傷つけてしまった。
そんなどうでも良い様な事の為に、泣かしてしまった。
俺はいくつになってもどうしようもない。
やっとやっと彼女を連れて歩けていると言うのに、何にも胸を張れないヘタレのままだ。
「百っ!!」
人を縫って、小さく消えて行くその背中に手を伸ばす。
本当はずっともっと早く、そうしなければならなかった。
小さな手はビクッと怯えて少し震えている。
「私が……ずっと演技して騙してたから……?
「そんなわけないでしょ。百が好きだよ」
「早く……大きくなりたい……」
「プッ……」
「わ、笑っ……」
「いや、ごめん。ちょっと可愛かった」
跪いて丁度目線が合う位。
真っ赤な顔して俯いてしまった確かに小さい俺の彼女は、暮れて来た夏の名残をその涙に含んで零す。
シャツの裾でそれを拭ってやれる当たり前の様で遠かった日常。
待って、待って、待って、やっと取り戻した
こんなに待ち望んだ時間をそう簡単に手放して堪るかよ、と思っているのに伝わらないのは俺がやっぱりヘタレだからなのかも知れない。
「百、聞いて。俺はさ……」
「ちょっと、そこの君!」
このタイミングの悪さよ。
声の方へと首をくゆらせ、その姿勢の良い男に見覚えがある気がして記憶を辿る。
ここはちょっと良い事言って、仲直りして、路上にも拘らず良い感じになる所だと言うのに……。
「け、兼城さん……?」
「……? 君は、先日姉と一緒にいた……」
「あ、
立ち上がり向き直ると、永遠子の弟で公安勤務の
「子供に悪戯している男がいるのかと思って職質かける所だったぞ」
「うぇっ!? ち、違いますよ!」
「そのようだな」
私服姿の彼は先日見た時よりも少し若く見え、表情も柔らかく見えた。
若いと言っても紀乃屋と同じ位の歳なんだとしたら、年上に変わりはないのだが、先日倉庫で見た時はもっと冷徹な印象があったので、一瞬誰だか分からなかった。
「おや、モミジくんでは無いですか」
「なっ!? メガネ! こんな所で何してやがる」
紀乃屋も緩いVネックのTシャツにGパンと言うラフな格好で、メガネは相変わらず掛けていたが、オフ仕様と言う装いで白々しく姿を見せた。
高そうな腕時計、均整の取れた身体、インテリチックなその容姿に似合わん男らしさが余計に人目を引いている様だ。
アタッシュケースは今日は持ってないらしい。
俺を見た後、百に見た事無い顔で笑い掛けていやがる。
「おい、
「僕はいたいけな少女を泣かしている男がいると言っただけで、知り合いじゃないとは言ってませんよ」
「お前はイチイチ紛らわしい言い方をする」
「零が最後まで人の話を聞かないからですよ」
二人のやり取りを聞いて、百がクスクスと笑い出した。
「つか、二人で何してんですか?」
「あぁ、零が映画でも見に行きたいと言うものですから」
「へぇ……仲良いんですね」
「零は潔癖の上、女性恐怖症ですから僕しか遊び相手がいないんですよ」
「慶、煩いぞ。暇だと言うから誘ってやっただけだろうが」
「永遠子さんと行きたくないと駄々を捏ねたのは何処の三十路男ですか」
「や、喧しい!」
「え、女性って……実の姉でもダメなんですか?」
永遠子の弟は贔屓目に見てもそこいらの男より顔は綺麗だし、公安勤務の超エリートだし、女が苦手なんて勿体ないと思う。
「べ、別にそう言うわけではないが……たまに洒落にならんことを平気でしてくるから対応に困るだけだ」
「あぁ――……」
何か、俺と同じ匂いがする人だ。
「そう言えば、モミジくんは永遠子さんの暗号解けたんですか?」
「……それは、まぁ、ボチボチ?」
「あれ? あんまり乗り気じゃないんです?」
「……暗号って、何? 紅ちゃん」
「……百、それは後で教えてあげる」
「え、百ちゃんにも相談してないんですか?」
「あー、いや……」
だって、百に教えたら一瞬で解ける可能性だってあるかも知れないと思ったら、不用意に聞けなかったんだよ。
なんて、今、言った所で言い訳にしかならんのは分かっているのだが、百の視線が痛い……。
「これは個人的な意見ですけど」
そう言って言葉を切った紀乃屋は、やんわりと笑ってメガネを押し上げた。
「あの秘密はもうそろそろ咲いても良いと僕は思いますよ」
「あんた、あの暗号の答え知ってんの?」
「まぁ……片方だけは知ってますかね」
「片方……? って、何だ?」
「解けば分かります。
「うっせぇよ! 先生とかきしょいからヤメロ」
「ははっ、それじゃ僕達はこれで。百ちゃん、今度の五葉先生の難解パズルは負けませんからね」
「んふふ、ばいばい、きのちゃん。あと……れいちゃん? も、ばいばい」
「あ、え? 俺か? あ、ばいばい」
あの永遠子の弟だとは思えない程、不器用なバイバイをして三十路男二人組は去って行った。
「紅ちゃん……」
「は、はい?」
「暗号って何?」
「……く、車に戻ってから話す」
「うん。じゃあ、早く帰ろ!」
百、聞いて。俺はさ……。
あの続き、何て言おうとしてたっけ?
喧嘩なんて初めてしたかもしれない。
パニック起こしてた頃は一方的に怒られて拒否られてたけど、それとは全く違う。
ちゃんと向かい合っていると言う圧力があって、同じ力で押し返してしまいたくなるのは「違う」と言いたくなるからだ。
どんなに俺の言葉の選び方や対応が間違っていても、百の事が好きだって事は揺らいだりしない。
罪悪感だとか、一緒に歩きたくないとか……違う、それは間違ってる。
そう言いたくなって年甲斐も無く本気で言い返してしまう。
そこだけは間違えて欲しくないから。
どんなに俺がダメでも、それは分かってて欲しいってムキになってしまうのだ。
同じ目線で、対等に話せているんだと思えたら、それも少し嬉しかったりする。
車に乗り込むなり暗号をせがまれ、永遠子との「九十九さんの名前を出さない」と言う約束をもう一度脳内で確かめてから喋り出した。
「この薔薇の下に関わる諜報員が一人いる。罪を犯したその諜報員を私は塔へと逃がした。その諜報員を見付けろ。そいつが全部知っている」
俺の言葉を復唱した百は、いつもの様にブツブツと独り言を始める。
「薔薇、薔薇、ばらばらばら、バラバラバラバラ……。諜報員、諜報員、諜報員、諜報員、罪? 罪、罪……塔、塔、塔、塔、塔へ。バラバラバラバラ――――」
あぁ、やっぱり。
百に言うべきじゃ無かった。
百が解いてしまうと言うよりは、こうして百の独り言を聞いて俺が解いてしまう。
それがいつものパターン。
そして、解けてしまった――。
紀乃屋はこれをもう咲いても良い秘密だと言っていた。
けれど、この解が合っているとしたら、どんな風に咲かせるべきなんだろう。
百なら、どんな風に咲かせるかな……。
「あ、解けた……」
「流石、早いね……百」
「え、諜報員、誰?」
「一人しかいないでしょ……」
「何で?」
「何で、だろ……」
解けた答えに百は困惑していた。
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