第13話 悲報

 紀乃屋から呼び出された俺達は、鍵屋を呼んで自宅の玄関を修理して貰った後、数時間後に兼城家へと来ていた。

 兼城家のリビングには藍羽と店から呼び戻された黒羽、それから仙田も揃っている。百だけが、自室で眠っていると言う話だった。


「な、何事だよ?」

「まぁ、座って下さい。モミジくん」


 紀乃屋はいつもと同じ様に微笑を称えた読めない表情で俺をソファへと促した。

 ついて来た大学生二人も流石に場の空気を読んだ様で、黙ったまま俺の隣に腰掛ける。

 向かいに座っている双子は、親父さんの葬式の時と同じような顔をして座っている。俺はその顔を見て、嫌な予感しかしなかった。

 その場にいた仙田が、まるで自宅の様にキッチンから三人分のお茶を用意して俺達の前に差出した。


「お二人には先にお知らせしたのですが……」


 そう言って双子をチラリと見た紀乃屋はメガネの弦を指で押し上げて瞼を伏して喋り出す。


「ついさっき、一人の女性の遺体が山林で発見されました。わけあって、まだ報道されておりません」

「女性の……遺体……?」


 俺がそう反芻して双子の傍に立った紀乃屋の顔を見上げると、「はい」と紀乃屋は頷いた。

 感情が読めない紀乃屋の顔は、これから言おうとしている事も全く読めない。

 それでも、その前振りは最悪の事態を想定させるだけの効果は絶大だった。


「持っていた所持品と検死の結果、遺体は兼城永遠子だと断定されました」


 永遠子が、死んだ――――?


「やっぱり、兼城先生が……」


 そう呟いた仙田に誰も何も言い返す事が出来なかったのは、箱田九十九殺害の容疑から逃げきれないと判断し、命を絶ったと言う尤もらしい理由がそこにいる全ての人間の脳裏に浮かんだからだろう。

 それでも仙田はいつもの様に空気を読まずに質問を続ける。


「紀乃屋監察医、死因は何だったの?」

「薬物の過剰摂取、とだけ申し上げておきます」

「永遠子さんの遺体は、今どこにあるんですか?」

  

 黒羽は冷静を装い、勤めて穏やかにそう口にしたように見えた。


 薬物の過剰摂取――――。

 拾った薬をポケットに入れて舌打ちした永遠子がフラッシュバックしてくる。


 俺の向かいに座っている藍羽が俯いたまま握りしめた拳を震わせているのを見て、藍羽の肩に手を置いた黒羽は親父さんの葬式の時もそうやって藍羽の隣で平然をまるで甲冑の様に纏っていた。

 この二人はそうやって互いにプラスマイナスをやり取りしながら、無意識にバランスを取っている。

 ガキの頃から藍羽が怒ると、必ず黒羽が堪えて宥める。

 黒羽が静かにブチ切れると、藍羽が空気を読んでその後をついて行く。


「彼女の遺体は警察署内に保管されています」

「報道されないのは何故なの?」


 仙田はコーナーソファに腰を下すと、片肘を着いて紀乃屋を見た。


「皆さんは今、永遠子さんが九十九氏を殺害した罪により自殺したのだ。そう思っておいでですよね? 世間も同じだと言う事です。でも、永遠子さんの容疑は確定してはいないのです。もしこれを報道すれば、兼城永遠子は世論によってシリアルキラー・サラトガとして確立されてしまうでしょう。人の思い込みは現実さえ作り変えてしまう。そうですよね? 仙田先生」

「えぇ、まぁ、そうね……」

「と言う事で警察上層部の判断により、この件は報道されておりません」


 確実性の高い証拠が何一つない十三年前の事件。

 その容疑者に最もふさわしい経歴と、被害者との関係、一致し過ぎる犯人像。

 それが永遠子だ。

 それでも、証拠が無いから容疑を確定出来ない。

 もし、これが冤罪だなんて事になったら、長年逮捕出来ない警察の威信は地に落ちる。だから、兼城永遠子の死を公表する事を躊躇っていると言う事か。


 でも今の状況なら誰もが、間違いなく自分の罪に重さに耐えかねて自殺した、と思うのは道理。

 それ以上に適した容疑者が現れるか、もしくは絶対的に永遠子には不可能だったと言う証言、証拠、そう言ったものが出てこない限りは世間の中でシリアルキラー・サラトガは兼城永遠子であると言う方程式が確定してしまうだろう。


「でも、あの送られて来た小説を警察に提出すれば、証拠品としての威力は落ちるかも知れないが、永遠子にそれを送りつけたヤツがいるって証明になるんじゃ……?」

「モミジくん、あの小説は永遠子さんがどこかに持って行ってしまったようです。今この家には見当たらないのですよ。それに、自作自演を疑われる方が濃厚と言えるでしょう」


 現場にあった物を永遠子が所持していた、と言う証明にも成りえると言う事か。


「つまり、メガネの監察医さんは本物のサラトガが野放しにされてしまう可能性がある……と言いたいの?」


 黙っていた晴乃がそう一言零した。


「そう言う事です。聡明な御嬢さんですね。この情報が世間に公開されれば、多分、本物のサラトガを逮捕する事は不可能になるでしょう」

「な、何でだよ?」


 そう言った俺を紀乃屋は一瞥し、あからさまに何故分からないのか、と言う顔で言う。


「これを機にサラトガは動きを止めてしまうだろうからです」


 紀乃屋はそう言って一つの仮説ですが、と前置きして喋り出した。


「サラトガは九十九氏を殺害した後、他の殺害は犯してません。しかしリリスの泉を作って自殺者を増やしてみたり、ゲーミフィケーションでただの希死念慮を自殺企画にまで間接的に育て、拡散するサイトを運営したり、ずっと動き続けていた。でも、最後の目的が兼城永遠子だったとしたら、その目的は達成されました」


 紀乃屋はイクロウサンのサイトの事を知っていたのか、と俺は弾かれた様に顔をあげた。双子も紀乃屋から聞いたのか、知っている風だ。


「ゲーミ? 何だって?」

「聖夜くん、ビジネスの世界には仕事をゲーム化すると言う考え方があります。可視化経営する事で……」

「紀乃屋さん、必要な事だけ教えて」


 長くなりそうな紀乃屋の説明を片手を上げて一言でぶった切った聖夜は、どうも得意分野以外は弱いらしい。

 ゲーミフィケーション。俺も仕事柄聞いた事はある。

 経営と言う見えない物を可視化し、ゲームの様に仕事をする。

 楽しくて徹夜してでも止めたくないゲームの原理を利用し仕事をする事で、そのウィンウィンの法則は利益を生み、人材を育て、成功法則の一つとして確立している。

 クリアする達成感や、仲間との交流、ゲームの中の世界をビジネスの世界にそのまま移送した様なだ。


 イクロウサンはあのサイトを運営する事で、自殺願望を潜在的に持っているユーザーに、自殺を奨励する様なコメントで促したり、ゲーム化された御神籤で最後の箍を外す様に仕向けていた。

 あのサイトの目的は、ユーザーが自殺に対して前のめり気味になる事を目論んだ管理人の思惑を、拡散する事にある。


 巧妙なのは自殺した過去の事例を事細かに載せて、そこに評価を付けている事だ。

 人間は興味のある事を無視出来ない。

 自殺したい人間は、先だって自殺した人間の事を知りたい。

 方法もそうだが、そこに至るまでの経過を知って、自分と重ねて自分の感じている感情を正当化する。

 金も使わずにサイト訪問者は閲覧出来る上、それを閲覧するかどうかは自由な訳で、最後に自殺をすると言う選択をするのは結局は本人なのだ。


 ただ漠然と思っている希死念慮を、実際に実行に移そうとする自殺企画へと転換させる。まさに燻っていた火種に油を注ぐ様なサイトな訳だ。

 しかも、ブログを読む程度の軽い感覚で実行される。

 それに、このサイトの管理者が自殺幇助の疑いを掛けられたとしても、刑期自体は数か月から数年のハズだ。


 たった一人の人間が自分のとんでもない考え方を吠えた所で、世間は見向きもしないだろう。

 でも、より多くの人間がある考え方を支持しはじめれば、それはもう文化にさえ成りえるものだ。

 ファッションの流行だって、宗教の勧誘だって、誰かが始めた事に傾倒していく事に変わりは無い。

 イクロウサンはその集団心理を利用し、より多くのユーザーに自殺幇助していたと言う事だ。

 愉快犯でないとすれば、晴乃が言った様に恐ろしく老獪で、執念深く、完璧主義だと言うのも頷ける。


「つまり、サラトガは自殺者を増やすと言う目的の為に、ゲーム化したサイトで自殺志願者を煽り、マインドコントロールしていた、と言う事です」


 紀乃屋はそう言って呆れた様に両手を広げて肩を竦めて見せた。


「でも、何で、自殺者を増やす必要があるんだ……?」

「モミジくん、これはプロファイリングで証明された事ですが、サラトガは女性に対して嫌悪感を持っています。特に性に関して問題を起こした様な、例え被害者であったとしてもそう言った女性を標的にしている事から、そう言う女性を減らす慈善事業と言う認識があるのではないかと言われています」

「慈善事業……?」

「悪を滅ぼすのは誰にとっても正義ですよ、モミジくん。イクロウサンがサラトガと同一人物だと仮定して、を死へ追いやる事は、正義なんです」


 何時もの紀乃屋の微笑が、疑わしく見えてくる。

 ついさっき、俺の部屋でサラトガが男であるかもしれないなんて論議をしたばかりだ。しかもそこに紀乃屋の名前が上がっていた。


 隣にいる聖夜の一つ先に座っていた晴乃をチラリと見ると、空気を読むのに飽きたのかノーパソを開いて何か調べ始めていた。


 それを横目にコーナーソファに座った仙田が口を開く。


「紀乃屋監察医が言っている事を踏まえたら、サラトガが女性であると言う事は断定出来なくなるわね? 今の話を聞く限りでは、男性の可能性もある」


 その言葉に、無言で抗議したのは黒羽だった。

 九十九氏を殺したのが男だったとしたら、親父さんを殺したのは親父さんの恋人と言われている以上、自分の親のセクシャリティを疑われている事になる。

 黒羽は同性愛者を否定する様な狭量な人間じゃ無いが、多分自分達の存在を無視された様な、そう言う事に対しての抗議だろう。

 真正の同性愛者であったなら、彼らはこの世にいなかったハズだし、永遠子に気持ちを伝えようとしていた親父さんの事も、疑わなければならなくなる。


「そんな顔で睨まないでよ、黒羽くん。私は可能性の話をしているだけよ?」


 仙田は俺に限らず誰に対してもこんな感じだ。

 でも、それをアッサリと肯定したのは紀乃屋だった。


「まさに、そう言う事です。サラトガは男かも知れない」

「紀乃屋監察医!」

 

 藍羽が立ち上がって声を荒げた。


「でも、女かも知れないのです。今、分からない事に腹を立てて冷静さを欠くのは得策ではありませんよ、藍羽くん。それに言い争っている場合でもありません。永遠子さんが自殺した以上、ほどなくしてこの家には警察が家宅捜索に入る筈です。その前に……」

「そこのメガネの監察医さん、ちょっと良いですか?」


 ノーパソを飽きもせずに弄っていた晴乃はそう言ってパソコンから顔を上げた。


「何ですか? 御嬢さん」

「サラトガがシリアルキラーと呼ばれる所以は、遺伝にある。そう解釈してもいいですか?」

「これは驚いた。イクロウサンの正体に気付いたのですか?」

「気付いたって言うか、単純に疑問だっただけですけどぉ……。一人しか殺して無いのにシリアルキラーなんて呼ばれるなんて、確かにサラトガの犯行は猟奇的ですけど、煽り過ぎじゃないかと……」

「なるほど。勘のいい御嬢さんですね」


 紀乃屋はそう言って、それ以上説明する気はないとばかりに話を変えた。


「兎に角、十三年前の現場から犯人に繋がるものは見付かっていませんから、今の所永遠子さんの容疑を晴らすのは不可能に近い。ただ、百ちゃんの記憶が戻れば、一発逆転の可能性があります」

「百の記憶……?」


 俺はもう一度紀乃屋の顔を仰いだ。


「彼女は犯行を可能性があります。その時、犯人の顔を見ている可能性も……。なので警察が来る前に彼女をどこかに移動させ……」

「ちょ、待て! そんな無理に思い出させるような事させられるわけ無いだろ!」

「でも、犯人の顔を見ている百ちゃんの証言があれば、永遠子さんの容疑は晴れます。丁度、EMDRに催眠療法、その道のスペシャリスト仙田先生もいらっしゃる事だし、可能性があるならやってみるべきです」

「ちょっと! おい、双子!! お前等も何か言えよ!!」


 苦い薬でも飲まされたような顔で黒羽は俺を見る。


「紅葉、いつか、百がそれを克服しなきゃいけないんだったら、今がそのタイミングなんじゃないか……?」

「何言ってんだ? 黒羽」

「俺達は、あいつに成長して欲しいんだよ。紅葉、お前だってそうだろ? 二十歳の百に会いたい。俺は、そう思わない日は無い……」

「藍……羽……? だって、もし、それに失敗して百が壊れちゃったらどうすんだよ!?」

「大丈夫よ、相楽君。私だって、プロなの。無茶な事はしないわ」


 仙田はそう言って俺の方を見ていた。

 皆、百が苦しんだって良いって言うのか?

 あんな残虐非道な現場を、一部始終見ていた百の記憶を無理にこじ開けて、吐かせようって言うのか? 頭がどうかしてる。


「お、俺は嫌だ! 百が苦しむって分かってるのに、そんな事させられない!」

「モミジくんの気持ちは尊重したい所ですが、元監察医が犯罪者だった等と言う報道で迷惑こうむるのはこちらとしても避けたいのですよ。なので、ここは血縁者である双子くんの意見を尊重させて頂きます。分かりますか? そもそも、部外者である君にはこの提案を拒否る権利がないのですよ」

「そんなの知るか! 百に余計なことしたら、俺が……」


 視界が歪んで見え、強い睡魔に膝が崩れる所までは意識があった。

 記憶の隅に残る甘い香りに、脳の芯が痺れる様な感覚を覚える。


「ゆっくりとおやすみなさい」


 紀乃屋の声、だったと思う。

 何が起こったか分からずにソファへと投げ出されて、俺は意識を手放した。

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