第12話 仮説
何故か一匹増えた。
「ハルルーン! やっほーぃ」
「やーん! ノエルン、おひさしぶりぃ」
「ハルルン、今日もめっちゃカワイイね」
「って言うか、ドア壊れてたよ? ウケる」
「うん、オレが壊した! だってボロいんだもん」
「そっか! ならノエルンは悪くないね!」
バカップルか? バカップルなのか? リア充爆ぜろ!
ハルルンと呼ばれたその女は見た事のある女だった。
クルクルパーマのポニーテールを跳ねさせながらノエルンこと
ガチで赤いリボンとか、久しぶりに見たな……。まぁ、可愛いな。
ザ・女子大生って感じだ。
ミニスカートはヒラヒラだし、白いブラウスにボウタイとか、清楚で良い感じだ。
そして彼女はあの行きつけの喫茶店のウェイトレスに間違いない。
「あ、地味っ子メガネフェチのお客さんじゃん……。うっそ! 世間せまっ!」
「……」
何故だろう……。この空気に物凄いアウェイ感を感じていた。
ここ、俺んちだよな?
って言うか、公安に張られてるって言っちまった方が良いのか?
「モミジくん、ハルルンだよ」
「どーも。ハルルンです」
自己紹介が乙だな。
「どうも……
「うわー、ノエルンこの地味な人知り合いだったんだ? どうやって知り合ったの?」
「藍さんの友達だよぉ」
「あぁ! あのイケメンか。世界規模で友達いそうだもんね。こういうレアな人が一人くらいいても、あの人なら分かる気がする!」
「ダヨネー」
言われたい放題だが、突っ込むのもエネルギーがいる。
こう、存在だけで直射日光を浴びている様な怠さが俺を蝕んで行く。
「ところで、私、何しに来たの?」
「ハルルン、オレの話聞いてなかったんだ?」
「とりあえず行けばいいのかって思って来てみた」
「流石だよ!」
脇に抱えたノーパソを開いたハルルンこと
「つまり、調べるキーとしてはそのリリスの泉と、イクロウサン、それからサラトガ。三つに絞られるって事?」
「まぁ、そう言う事だね」
「えーっと、モミジさん、でしたっけ?」
晴乃はそう言って俺を見て瑞々しい笑顔を見せた。
「コウヨウだ」
「モミジさん、サラトガの情報、持ってるだけ下さい」
「人の話、聞かないのな……」
「でもモミジくん、ハルルンの情報処理能力は凄いよ? 味方につけておいて損は無いって!」
「あ、そう……」
サラトガについて知っている事なんて、医療関係の女だと言う事位か……。
後は箱田の親父さんと面識があり、右利きで家に入る手段があった。
後はサラトガと言う異名がどう言う根拠で付けられたかが謎だ。
俺が一頻り喋り終えると、晴乃は画面を見たまま「うん」と一つ頷いて質問を続ける。
「モミジさんの知っている人で、医療関係、もしくはそう言う知識を持った女性で被害者と面識があり、男並みに腕力があって、右利き、後はぁ……白薔薇かな。このすべての条件を満たす人っています?」
「……な、んで? つか、白薔薇って何の関係があんだ?」
ギクリとしたのがバレただろうか。
晴乃が提示して来た条件は、永遠子に当てはまってしまう。
しかもその永遠子は容疑者として追われており、自分が逃がした。
藍羽はあり得ないと言った。
あの瞬間は俺もそうだと確信出来たのに、少し状況が変わるとその確信は蜜蝋の様に簡単に溶け出して、ゆっくりと滴り落ちて行く。
「イクロウサンのヘッダーデザインに使われているこの白薔薇、サラトガって言う品種なんですよね」
「サラ……トガ……?」
「えぇ、あの殺人鬼の異名は白薔薇の品種の方だと思いますよ? アメリカの空母艦隊じゃないです」
「ど、どう言う事だ……?」
「さっき、ノエルンから少しお話聞きましたけどぉ……被害者は胸の前に何かを握っていたんですよね?」
こんな感じ? と小首を傾げて心臓辺りで小さい手を握り締めた晴乃は、俺をジッと見て返事を待っている。
「あ、あぁ……」
「まぁ、仮説ですけど……何故、この犯人にそんな名前が付いたのか? って考えた時に、報道規制が布かれたにも拘らずこのサラトガの名前はネットでかなり有名ですし、現場にあったものから付いた名前じゃないかって仮定してみたんです。報道規制が布かれたのに、世間に漏れているとしたらそれは警察関係者、つまり現場を見た人から漏れた可能性が高い。なら、その公開されてない情報の中に、それに該当するものがあって然り。被害者は白薔薇、それもサラトガと言う品種の白薔薇を握らされていたのでは? と言う仮説です」
「……へぇ?」
晴乃が来てからまだ数十分程度しか経っていないのに、彼女の理路整然とした物言いに呆気に取られて間の抜けた返事を返した。
「流石だね、ハルルン」
「でもノエルン、この犯行は薬でも使わないと無理臭い。そして、薬を使って被害者を動けない状態にした後犯行に及んだとしたら、男並みに腕力が無いと解体は無理じゃ無い? 動けない成人男性ってかなり重いし、現役の刑事ってそんなにひ弱じゃないでしょ?」
「あぁ、それはオレもそう思うんだけど……なんせ、これ以上の情報をモミジくんも持ってないんだよ」
……言うべきなのか? スポコラミンの事。
「なぁ……聖夜、例えばその薬ってどんなものが想定されるんだ?」
「一概には言えないけど、睡眠薬とか筋弛緩剤とか、麻酔薬ってのも候補に挙がるかも知れないね」
――麻酔などに使われている。紀乃屋はそう言っていた。
「でも、毒殺でないことは確かじゃないかしら?」
「薬では死んで無いって事? ハルルン」
「えぇ、だって、サラトガの目的は薬で殺す事じゃ無い。それが目的なら、あんな残虐性を惜しみなく発揮するとは思えないもの。眼球、心臓、性器を持って帰った事からしても、悪魔的な儀式でもしたかったのかしら? 何にせよ、被害者に相当な執着があった事は確かだわ」
七瀬晴乃は可愛い顔をしている。
晴乃は多分、来た時みたいにキャピキャピしてちょっと生意気な事を言っている時は、何の問題も無い女子大生だ。
豊満なバストに幼さの残る顔。赤いリボンも彼女には良く似合っている。
なのにサラトガの話をまるで昨日のテレビの話の様に冷静に喋っている事に、違和感を覚えた。
「なぁ、お前等にちょっと頼みたい事がある……」
眩暈がしそうだった。
彼らは、新聞で見た見知らぬ人間の殺人事件同様に、他人事として喋っているのが分かる。
俺は当事者ではないけど、当事者に近い所でずっとそれを見て来たからかも知れない。解明してくれようとする聖夜や晴乃程、気をしっかり持っていられなかった。
気を抜いてしまえば、吐き気さえ競り上がって来そうな気分だ。
聖夜が気付いたイクロウサンのサイト、紀乃屋が入れ知恵しに来たスポコラミンに関して、調べて欲しいと頼んだ。
このまま黙っていても何の進展もない。
未成年を巻き込みたくはないが、これ以上穿り返されるよりは仕事を与えた方が逃れる理由になる、と思ってしまったのだ。
「ちょっと、煙草だけ買って来るわ」
公安の見張りを気にしながら一番近いコンビニまで歩いたものの、視線を感じる気がするだけで、どこから見られているかなんて素人の俺に分かる筈もなかった。
煙草だけ買って、晴乃が言っていたサラトガに該当する俺の知人というのを反芻する。
どうしても永遠子の陰がそこにチラついてしまう。
あいつなら、男一人抱えるなんて事も容易に出来るだろう。
人体解剖のスペシャリストであり、白い薔薇の鉢植えを後生大事に育てている。
あの場から逃げ出したかった本当の理由がそこにある事に気付いた俺は、もしも永遠子がサラトガであった場合の双子と百を想像して、小さく舌を打った。
「おかえりぃ、モミジくん。平気? 顔色悪いけど……」
「あぁ、大丈夫だ。気にすんな」
「該当する人が、いるんでしょ?」
晴乃のその一言が、鼓膜の内側に刺さる。
晴乃は隠しても無駄だと言わんばかりに俺の方をジッと見ていた。
言いたくない。口にして肯定してしまえば、後戻り出来なくなりそうな気がした。
「もしかして、今容疑者として追われている
「したくないと言うか、そうだったら絶対ダメなんだよ」
「じゃあ、何でそんな降伏勧告された犬みたいな面してんのよ!」
「なっ!? 何だよ、俺は別に……」
「あんたやる気あんの⁉ バッカじゃないの? そんなしょぼくれてたって犯行から十三年も経ってる、今もどっかで嘲笑いながら生きてるかもしれないサラトガってヤツにもう気持ちで負けてんじゃん!」
「ま、まぁまぁ、ハルルン……」
そんな事言われなくたって分かっていた。
本当の事を知るのが怖いと言う漠然とした恐怖が、永遠子をあのロッジに連れて行った辺りから消える事が無い。
永遠子が逃げる理由も、まだ皆目見当が付いていない。
「永遠子は、違う……と思う。あいつの所に犯行現場にあった小説が送られて来た事があった。そんな自作自演をする様な、面倒な女じゃ無い」
「小説って? モミジくん」
「若きウェルテルの悩みって言う小説で、親父さんの部屋にあった物に間違いないそうだ。血痕がベッタリついていたし、百が書いた親父さんの名前もあった。犯人が現場から持ち去ったものを、永遠子宛てに送って来たんだろうって……折れた白薔薇と一緒に」
「なーんで、そう言う大事な事黙ってるのかな!! モミジくん、しっかりしてよね!!」
未成年二人を怒らせて、俺の立場は最下層へと辿り着いた様だ。
この二人相手に俺は逆らわない方が良いらしい。
「すまん……」
「折れた白薔薇……ウェルテル……」
晴乃はそう言って顎に手を当て「うーん」と唸り出した。
「ど、どうかしたのか? 晴乃ちゃん」
「ん、いや、サラトガは猟奇的殺人を犯してはいるけど、犯行は一件のみ。シリアルキラーって、煽り過ぎじゃない?」
「どう言う意味だ?」
「シリアルキラーって一般的に連続殺人犯とか、殺す事を目的とした犯人に使われる言葉なのにさ……。犯行は一件だけ、しかも殺すのが目的と言うよりは怨恨なんでしょ? そこがどうも腑に落ちないって言うか……」
「な、なるほど……?」
「何にしても、モミジさん、リリスの泉もイクロウサンのサイトもサラトガも一本の線で繋がった。的はここで間違ってないって事よ」
「いやでも、イクロウサンのサイトはリリスの泉と会員がかぶってるってだけで、サラトガとリリスの泉の関係性は分からない」
「何言ってんの! さっき自分が言ってたじゃない!」
「な、何がだよ!?」
「ウェルテルよ! ウェルテル! サラトガから若きウェルテルの悩みって言う小説が送られて来たんでしょ?」
テーブルに手をついた晴乃が、向かいから俺に向かって突っ込んで来る。
その勢いに条件反射で身を引いた俺は、眼前で膨れている晴乃の顔を見て更に慌てて仰け反った。
「はぁ? 分かる様に説明しろよ……」
「えーっと、ハルルン……どうどう……モミジくんはただのパズル作家だから、順を追って説明してあげないと、分からないよ」
聖夜がそう言って勢い余って俺に突っ込んで来た晴乃を宥めて座らせる。
「あ、そっか。えっと、リリスの泉の会員は自殺してる人が多いのよね?」
「あぁ……」
「モミジさん、アイドルとかが自殺するとそう言うのを追っかけて自殺する人がいるでしょう?」
「あぁ……って、何の話だ?」
「自殺連鎖の話だよ」
そう言った聖夜の顔が分かりやすく落ち込んだように見えた。
自分の姉が自殺してリリスの泉を追っていた聖夜は、この事に気付いていたのかも知れない。そして多分、永遠子がリリスの泉が箱田九十九殺人事件に関係していると言ったのも、同じ理由なのだろう。
「そう言う自殺連鎖の事をウェルテル効果と言うのよ。崇拝していた心の核を失う事で同じ死に方を選ぼうとする。同じ様な経験をした人間が自殺した情報や映像がその自殺願望を増長させてしまう。つまり、リリスの泉やイクロウサンのサイトは性犯罪被害者に追い打ちを掛けてウェルテル効果を人為的に引き起こしている可能性がある。相手は老獪で、執念深く、そして完璧主義。警察がこの線を繋げなかったのが何故なのかは分からないけど」
「つまり、リリスの泉は実行部、イクロウサンのサイトは宣伝部みたいな感じ?」
そう言った聖夜に、有体に言えばそうね、と晴乃は大きく頷いた。
「白薔薇に拘る理由が分かれば、もっと確証が得られるかもしれないわね」
晴乃はそう言って頬杖をつき俺を見る。
「何の為にそんな事を……サラトガの目的は何なんだ……?」
「そもそも、本当に女なのかしら?」
「どういう事? ハルルン」
「だって、警察がサラトガを女だと断定したのは性器を切り取られたと言う状況からファム・ファタール的な見解なんでしょ? 男の恋人がいたかもしれないじゃない」
確かに、似た様な猟奇的殺人を犯した女の事を【魔性の女】と言う意味で、ファム・ファタールを呼ぶ事がある。
決定的な証拠がないまま、状況から推測された犯人は女性と言う見解は確かに性器を切り取られた事による所が大きかった。いや、でも、そんな事はあり得ない。
「いや、いやいやいやいや! ちょっと待ってくれ……親父さんには奥さんもいたし、子供だって三人もいたんだ。殺された理由が痴情の縺れ以外だったとしたら別だが……は、晴乃ちゃんが言ってるのはつまり……アレだろ……? 同性の……」
「まぁ、可能性としては薄いのかもですけど……マイノリティだからって可能性はゼロじゃ無いですよ? 同性愛者の偽装結婚なんて良く聞く話じゃないですか」
「な!?」
「モミジさんの周りに、男性で医療関係、そこそこ腕力があってサラトガに該当しそうな人、いないんですか?」
「ちょっと、さっきから思ってたけど何で俺の周りなんだよ? つか、犯罪者がそんな近くでのうのうと……」
「いると思いますよぉ? だって、サラトガは箱田九十九に執着していた。それでも動きを止めていない。そこには必ず何か理由があるし、その事件を掘り下げようとしているモミジさんの事もちゃんと見張っているはずですから」
淡々とそう言いながら「で?」と返答を催促した晴乃は、後れ毛を人差し指に巻いて可愛らしく小首を傾げた。
「紀乃屋……監察医……」
そう零したのは聖夜だった。
「いや待て、メガネはねぇだろ? だって、言ってもあいつ三十路そこそこだろうし、十三年前だったら高校生くらいだ。医療に携わっているとは言えんし、それに……」
「三十路そこそこだったら、ちょっとサバ読める見た目の人だったら十三年前医大生だったって言う仮説も立ちますけど?」
晴乃は間髪入れずに正論を差し込んで来るので、俺は食い気味に反論した。
「紀乃屋は違う! だって、箱田の親父さんは永遠子に……」
告白しようとしていたんだ。
男の紀乃屋と恋愛関係にあったなんてあり得ない。
でもそれをここで口にすれば、やっぱり永遠子が怪しいと言う結論に達してしまいそうで俺は口の端をきつく結んだ。
紀乃屋との恋愛関係を隠す為に、親父さんが永遠子を利用しようとしたなんて仮説でも立てられたら、俺はこの舌に脂の乗った大学生二人を相手に覆せるだけの語彙を持っていなかった。
もし紀乃屋が、サラトガだったとしたら……永遠子はどうなる?
逃亡幇助したのは俺と紀乃屋だ。
居場所を知ってるのは俺達二人だけで、もし紀乃屋がサラトガだったとしたら、気を許した紀乃屋を警戒なんかしないはずだ。
永遠子と紀乃屋が二人で何かコソコソしている節はあるし、そう言った意味では情報が駄々漏れで、今、永遠子を一番簡単に殺せるのは紀乃屋かも知れない。
「何焦ってるの? ただの仮説の話をしているだけなのに……」
晴乃はそう言って不思議そうに俺を見た。
不意に着信を告げた自分のスマホに、ビクリと肩が跳ねる。
ディスプレイにはタイムリーな人物の名が出ていた。
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