第11話 イクロウサン

 翌朝、玄関にあり得ない物が転がっていた。


「おい、こら、店番……」

「何だよ、モミジくん」

「何してくれてんだよ?」

「だって、取れちゃったんだもん。しょうがないでしょ?」

「しょうがなくねぇよ!! ドアノブ取れるとかあり得ねぇだろうがっ!!」

「だって、ポロって、ホントにポロって取れたよ?」


 事の発端は十五分ほど前に遡る。

 色々と最近目まぐるしく起こっているせいで、いやもう、諸悪の根源は絶対に永遠子なのだが、お蔭様で明け方まで眠れず、やっと寝たかと思ったら、玄関先でピンポンの連打、おまけにアパートの古い鉄扉をガッチャンガッチャン言わせるヤツがいて……。


「モミジくーん! 開けてぇ!」

「……」


 ベッドの中でその喧しい来訪者を、どう回避したらそのまま寝れるだろうかと考えてみたが、ガチャンと言う音と共に「あ、取れた」と言う声が聞こえて、嫌な予感しかしなかったのだ。


 もそもそと起き上がり、部屋着のまま玄関先へフラフラと歩いて行くと、昨日までなかった穴が空いている。


「あ、いたいた。やっほーぃ、開けてぇ」


 その穴から覗いていたのは、シルバーのメッシュを入れた聖夜のえるの前髪と片目だった。


「穴……」

「うん、ドアノブ取れた! ここ、ボロ過ぎっ!!」


 足元を見れば、内側のドアノブがコロンと転がっている。


「……あり得ねぇだろうが!! バカか、お前!!」


 衝撃的な目覚めから十五分経過。

 俺の目の前には聖夜が捥げたドアノブを差し出して、ごめん、と何故か笑っている。


「笑うな、アホ」

「でもこれ、最初から螺子? 緩かったんだと思うよ?」

「鉄だぞ!? 持った位でげるか、普通!」


 そう言いながら、永遠子が来た時に玄関の扉を蹴り飛ばしていた事を思い出して、お前か!! と内心、叫んだ。


「だって、捥げたんだもんよ! しょうがねぇじゃん!!」

「器物破損で訴えるぞ、このクソガキ!! 今夜からどうやって施錠すんだよ!」

「別に鍵かけなくても、この家大丈夫そうだけど……?」

「うっさいわ! つか、お前は何しに来たんだよ? って言うか、何で俺の家知ってんだよ!?」

「え、藍さんに聞いた」


 そう言って聖夜が見せたのはラインの画面で、藍羽から聖夜宛てに俺の自宅の住所がしっかりと送られている。

 昨日の紀乃屋と言い、聖夜と言い、勝手にバラしやがって!


「個人情報が駄々漏れてんじゃねぇかよ!!」

「まぁ、取りあえずお邪魔しまーす!」

「あ、ちょ、勝手に上がり込むんじゃねぇよ!」


 公安が張っている俺の家に未成年を入れるのは気が引ける。

 俺と関わりがあると分かれば、こいつもマークされるかも知れない。


「何もう、朝から機嫌悪いなぁ。ホント、ヒス起こした女みたい」


 聖夜はそう言って玄関から入ってすぐ左の仕事部屋を覗き込み、興味津々に「何も無い」と悪態を吐いた。


「店番よぉ……俺は大体午前中は寝てんのね。何でかって朝方まで仕事してるからね。言ったよな? 一応社会人だって。それをこんな朝っぱらから起こされた挙句、ドアまで壊されて、何で俺がディスられてんだよ?」

「モミジくんなら分かると思ってさ」

「何がだよ?」

「十三年前の事件の概要」


 聖夜のその言葉に、俺の怒りは一気に鎮火した。


「十三年前の……?」

「そう、藍さんのお父さんの事件の概要」

「な、何で俺に聞く? 本人に……」

「聞けるわけないでしょうが」


 確かに、聞けるわけない。

 親を殺された息子に、お前の親どうやって殺されたんだ?

 なんて、聞ける筈もなかった。


「俺だって……嫌だ……」


 聖夜を置いてその一つ先にある寝室へと向かう。

 聖夜は困った様に肩を竦めて俺の後をついて来た。

 寝室にはテレビとテーブルしか置いてないが、仕事をしない時はいつもこの部屋で過ごしている。


「うん、それも分かってるんだけど……オレさ、どうしても藍さんの役に立ちたいんだよね」

「藍羽の? 何だよ、それ。知らねぇよ……。つかお前がここにいるのは非常に拙いので、帰って貰えませんかね?」


 煙草に火をつけようとして寝る前に最後の一本を吸いきってしまった事を思い出し、短く舌を打って溜息の詰まった空箱をベッドサイドのゴミ箱に投げ入れる。


「モミジくん、聞いて。オレ、姉貴がいたんだけど……自殺してさ」

「え?」


 聞き流す位のナチュラルさで、とんでもない事を言い出されて、俺は聖夜の顔をマジマジと見た。


「オレは姉貴の死後、真相を知りたくて色々調べてたんだ。そん時、リリスの泉に辿り着いたんだけど、ハッキングしてんのがバレて追い回されてさ。丁度一年くらい前だったかな、藍さんに助けて貰ったんだ」

「そう、だったのか……」

「顔バレしてるから、我楽多屋がらくたやなら暇だし誰も来ないからバイトに丁度良いって雇ってくれたんだ」

「まぁ、あいつ、面倒見は良いからな」


 意外な過去を喋り出した聖夜は、いつも生意気な顔で俺に茶化した様な事ばかり言うヤツだと思っていたけれど、真摯な顔で拳を握って俯いている。


「あんたにも、謝らないと……」

「俺に? 日頃の態度の悪さに今更気付いたか?」

「ちっがうよ!」

「ちげーのかよ! 少しは反省しろ! つか、それ以外に何があんだよ?」

「百ちゃんの事、オレ、知らなかったんだ……ごめん」


 あぁ、そう言う事か。

 百が二十歳だと聞いていた聖夜は、冴えないパズル作家の俺が毎回毎回パズルを百に買い与えるのを、不思議に思っていたらしかった。

 二十歳の女の子にパズルしかプレゼントしないなんて、空気読めないにも程がある、と思っていたらしい。


「まぁ、知らなかったんだから、別にお前が謝る様な事では……」

「でも、ごめん……。オレ、無神経な事言って、あんたの事傷つけてたよね」

「いや、だから、気にしてねぇから! つか、萎らしくなるの止めろ、気色悪い」

「酷いな、これでも反省してるのに」


 珍しく、子供の様な顔で口を尖らせて見せた聖夜は、ごめん、ともう一度呟いた。


「だから、もう良いって……」


 調子の狂う聖夜を目の前にして、俺は後頭部をボリボリ掻いた。


「それで、助けて貰ったお礼に藍羽の役に立ちたいと?」

「うん……。今回、あの北村綾香の件でモミジくんがちょっと危険かもってなって、初めてオレに調べてくれないか? って言ってくれたんだ。オレ、藍さんみたいに喧嘩も強くないし、パソコン弄るくらいしか役に立てそうにないし、調べるならちゃんと把握して的を絞ってからじゃないと、時間かかるしさ……」

「なるほどね……。だけど、俺も……」

「教えて、下さい……。百ちゃんの事とか、思い出したりさせるのかも知れないけど……モミジくんの恋路も全力で応援するから!!」

「要らんわ!!」


 えー、と納得いかない素振りを見せたが、ようやく少し肩の力が抜けた様だった。

 何だかなぁ。萎らし過ぎて、毒気を抜かれてしまう。


「わーかった。だけど先ず、顔洗って来て良いか? それと、珈琲かお茶、どっちかなら出せるぞ」

「マジで? じゃあ、珈琲が良い」

「適当に座って待ってろ、すぐ戻るから」

「うんうん、待ってる。でもこの部屋パズル作家の部屋なのに、パズル全然ないんだね」

「ゴチャゴチャしてると気が散って眠れない」

「へぇ、そんなもんなんだ?」

「まぁ、そんなもんだろ」


 顔を洗いに行く前にキッチンへ向かい、インスタントの珈琲を淹れて聖夜に出して、部屋のモノに触るなと念を押して洗面所へと向かった。

 適当に洗面を済ませ、部屋に戻る。

 ベッドの上に部屋着を脱ぎ捨て、着替えようとして聖夜の視線に振り返った。


「何見てんだよ、お前。見んな」

「いや、意外と鍛えてるなぁと思いまして……腹、割れてるし」

「俺も双子と一緒に永遠子に投げられてたからな」


 現在進行形だがな。顔見りゃ一回は投げられてる様な気がする。

 この部屋に来て俺の股間に片手を宛がって、上目遣いで俺を騙しやがったあの顔を思い出して、ちょっとイラついた。


「へぇ……じゃあ、モミジくんも喧嘩強いんだ? 藍さんとどっちが強いの?」

「さぁ? やり合ってどっちが多く勝ったか、とかもう覚えてねぇよ」

「ふぅん?」

「藍羽の方が力は強いと思うがな」

「力が強いのと、喧嘩が強いのは違うって事?」

「体格や力で敵わない相手でも、投げ飛ばして逃げる位の事はコツを掴めば出来る様になる。俺達が永遠子から習ったのはそう言う格闘技だ」

「へぇ……オレにも出来るかな?」

「出来るんじゃね? 藍羽に習ってみれば?」

「でも、藍さん教えてくれ無さそう……」

「まぁ、そうだな。あいつ、面倒見良いのに面倒臭がりだからな」

「だよね! 優しいけど冷たいんだよ!」

「それなんか、饂飩うどんみたいだな。温かくても冷たくても旨い、みたいな」

「例えが乙過ぎるよ!! モミジくんっ!」


 そう言いながら、嬉しそうに笑う聖夜は多分「兄貴」みたいな感情で藍羽を慕っているのだと思う。あの男は昔から男女問わずモテる男なのだ。


 本題に入ってくれ、と言う聖夜の視線が俺を刺していた。


「分かったからそんな目でこっち見んな。えーっとな、事件があったのは六月二十九日、その日は非番で親父さんは家にいた」


 そう切り出した俺は、恐る恐る記憶を辿りながら、ゆっくりと口の中で咀嚼しながら言葉を選んだ。それは聖夜の為、と言うよりは自分の為だった。

 残酷で辛辣な言葉は、そのまま跳ね返って自分の心臓を貫いてしまいそうで、まだ面と向かうだけの気概が持てない。


 粗方の概要を端的に話し終え、昨日、紀乃屋きのやから聞いたスポコラミンの話をしようかどうか躊躇って止めた。

 薬学部の現役大学生なら何か分かるかも知れないが、オフレコ情報を知ると言う事は危険も増す。


「でも犯行現場に犯人の手掛かりは一つもなかったんだよね?」

「あぁ、あり得ない事だと当時も言われていたらしいが、髪の毛一本落ちてなかったと言う事だ。それに……」

「それに?」

「窓が開いていたらしい……」

「窓?」

「あぁ……」


 犯行現場である親父さんの部屋は豪雨が降り込み、まるで台風に曝された様な有様だったと言う。

 入ったのは玄関からと想定されたが、逃走経路は不明。

 窓から出て行ったと言う線で捜査されていたが、窓枠に足を掛けた様な形跡は見付かっていない。

 

「じゃあ、窓から出て行ったわけじゃないって事?」

「半窓だからな。足を掛けずに跨ぐなんて無理があんだよ。部屋の状況は……」


 俺はベッドサイドに置いているメモ紙とボールペンを取って犯行現場となった親父さんの部屋の大まかな図を書いて見せた。

 玄関から入ってすぐ左手にある親父さんの部屋は六畳ほどの部屋で、扉から真正面に見える半窓に沿う様にしてベッドが置かれていた。

 ベッドサイドには小さな照明が置ける程度のサイドボードがあり、部屋の右手の壁は本棚で埋め尽くされていた。

 扉から入ってすぐ左に古い柱時計、扉を挟んで右手に柱時計と同じくらい古いクローゼット。

 描きながら、そこで記憶が途絶えて「こんなもんか」と聖夜に差出した。


「流石、絵上手いね!」

「そりゃどうも」

「でも、おかしくない? 髪の毛一本落ちてないって……不可能に近いと思うんだけど……」

「まぁ、どうやったかは知らないが遺伝子鑑定出来る様な物は一つも見つからなかったと聞いている。相手は相当な完璧主義らしい」

「完璧主義?」

「箱田の親父さんが殺された時、切断した部位をちゃんと並べて置いてあった。外からの暴風で崩れはしていたらしいが、血痕や切断面から特定してもそれは明らかだったそうだ。なのに、あの悪天候の中、窓を敢えて開けて行った」

「何の為に……?」

「お前、死後硬直がどの程度で始まるか知っているか?」


 聖夜は宙を見て一瞬考えた後、左右に首を振った。


「一般的に死後硬直って筋肉に酸素供給が断たれて筋肉の硬化が始まり、死後一時間くらいで顎の辺りから硬くなって行くそうだ。手足の指先の硬直が始まるのは十時間くらい経ってからで、犯人はそれを早めて被害者をある体位で固定したかったのだろうって……」

「ある体位……?」


 俺は胸の前で自分の右手を握るような仕草をして見せた。


「つまり、箱田のおじさんは何か握ってたって事?」

「あぁ、だから窓を開けて死後硬直を早めた。だけど何を握っていたのかは報道されてない。犯行があった日の気温は梅雨冷で相当低かったし、箱田の親父さんは現役の刑事で、ガタイも良かった。筋肉量の多い男の方が、脂肪率の高い女よりも死後硬直は早いんだとさ。窓を開けて気温を下げ、死後硬直を早める事で、遺体を発見される前にその体位を固定させる目的があったんじゃないかって話だ」


 ポッカリと空いた心臓の辺りに、親父さんは右手の拳を当てていた。

 抜き取られた心臓を補う様に、その片手は置かれていたと言う。

 俺が覚えている限りでも箱田の親父さんは長身でガタイもそこそこあった。

 大人しく殺される様な軟弱さは記憶にない。


「ねぇ、ごめん。ちょっと、聞き辛いんだけどさ……」

「何だ?」

「その……持ち去られた部位って言うのは、何だったの……?」

「眼球と心臓と……性器だ」

「それは報道されてないよね……?」

「それは……双子から聞いたから、確かな情報だ。余りにも猟奇的だった事と、親父さんが現役の刑事だった事で、当時の捜査本部は報道規制を布いた。模倣犯が出るのを防ぐ為だったらしい……。後それと、現場には俺が百にプレゼントしたパズルが散らばっていた」


 聖夜の顔から血の気が引いて行く。

 蒼白と言う言葉はきっと今の聖夜の為にあると言って良い程、唇までが紫に変色し、頭痛でも堪えているかの様な顔をしている。

 パズルがそこに散らばっていた事をどう受け止めたかは分からないが、七歳の百がそこにいた事を裏付ける様なその発言に、聖夜は分かりやすく眉根を寄せた。

 話を聞いているだけでも、そうなるくらいだ。

 双子が現場を見た時の心境なんて、計り知れない。

 百は、きっと、思い出さない方が良いに決まっている。


「本当に、箱田のおじさんは恋人がいたのかな……?」

「どうだろうな……その辺りは、周りにハッキリと肯定出来る人がいなかったらしいから……」


 藍羽から聞いた話も、どこまで喋って良いか分からず濁した。


「恋人なのに、隠してたって事? でも、本当に気を許した恋人だったとしても、何の抵抗の跡も無かったって、おかしいよね? 薬物反応とかは出なかったのかな?」


 まぁ、そう考えるわな。

 だけど、未成年を危険にさらす訳には行かねぇよなぁ……。


「まぁ、親父さんは既婚者だし、子供だっていたんだ。恋人がいたって公にするのは憚られたのかも知れない。抵抗しなかったのか、出来なかったのかは分からん……双子からはそんな話聞いた事無いからな」

「そっか。うん、やっぱりオレが昨日ネットで拾ってきた情報と一致してる。これ以上の情報を探ろうと思ったら、どうしたらいいと思う? モミジくん」


 聖夜は持って来たノーパソを開いて電源を入れ、何か検索しようとしているらしかった。


「どうしたらって俺に言われてもな……」

「オレ、ちょっと気になるサイト見付けたんだよね……」

「気になるサイト?」

「出た、これ見て、モミジくん」


 画面には【私刑執行人 イクロウサン】と書いてあった。

 おどろおどろしいヘッダーデザインには、偶然か否か、スカルが白い薔薇を持っているイラストが使われている。


「イクロウサン? 私刑? 何だこれ?」

「自殺した人の事例を事細かに書いて、まるで評論家の様に持論展開してるサイト」

「マジか……」

「これ見て、ここ」


 聖夜がスクロールして見せてくれたのは、コメント欄に書かれた一つのコメントだった。日付を指して聖夜は「北村綾香が死んだ前日」と俺に視線を寄越した。


 Re:迷った子羊

 迷った子羊さん、きっとあなたの願いは叶う。このイクロウサンが保証します。

 生きるのが下手な人間は、死ぬのが上手いと相場は決まっている。

 彼女は上手に死ぬでしょう。そしてウェルテルの娘となって清らかな眠りにつく。

 素晴らしいですね! 彼女が貴女の良き御姉様になるのはもうすぐです。

 明日のテレビをお楽しみに!


「……何だ、これ? イクロウって誰だよ?」

「分からないけど、翌日、北村綾香は自殺報道されてる。イクロウってのが誰だか分からないけど、オレが調べた限りでは、このサイトにはリリスの泉の会員と思われる人間が多数存在していて、過去自殺した女性の殆どがこんな風にタイミングよくイクロウサンから自殺宣告されているんだ」


 このサイトを北村綾香が見たかどうかは確証は無いが、こんなタイミングでこの書き込みと言うのは、確かに気になる。

 それに、御姉様と言う共通点も無視は出来ない。


「聖夜、お前はこのサイト自体が自殺幇助じさつほうじょしてるって言いたいのか?」

「うん……。リリスの泉の会員は性犯罪の被害者で、しかもこのサイトでは自殺した人を【ウェルテルの娘】とか言って、奨励している。まるでみたいに。こんなものを元々精神不安定な人が見たら、留まっていた最後の螺子さえぶっ飛んじゃうよね」


 こんな風にポロッと、と聖夜は捥げたドアノブを指して見せた。


「それに、こんなのもある」


 聖夜がサイトの【ウェルテルの囁き】と言うタグをクリックすると、縦横に並んだトランプの様な画像が出て来た。


「何だ、コレ?」

「これを一枚選んでクリックするとね」


 ペランと捲れたカードには「今日が最良の日」と書かれていた。


「ゲーム感覚の御神籤みたいな物なんだけど、どうやらこれは自殺する日を決める為のツールらしい。これは単純に勘だけど、これどれを捲っても大差ない事書いてあるんじゃないかって……。これを見て、あ、今日死のう! とか思うわけでしょ? 怖くね?」

「いやもう、三百六十度、十中八九、おかしいだろ……」

「ねぇ、モミジくん、ウェルテルの娘って何だろ……?」


 聖夜のその言葉に、俺は永遠子に届いたあの小説の事を思い出していた。

 折れた白薔薇と一緒に永遠子に送られて来た現場から持ち去ったと思われる血に塗れた【若きウェルテルの悩み】と言う小説。

 永遠子はそれを「死ねと言っている」つまり、自殺幇助だと言った。


「ウェルテルって言うのは叶わない恋をして自殺した青年の名前、だそうだ……」


 自殺する女の事を称賛し、と呼んでいるのだとしたら、やはり永遠子はサラトガでは無い。

 もし、あの小説が送られて来た事でさえ永遠子の自作自演だと言うのなら、逃げるなんて事をせずとも自殺すれば良い話だ。

 今頃、あの山奥のロッジでいつもの様に口からスルメを食み出して、俺達の想像もつかない事を考えている、そう思いたい。


「モミジくん? 大丈夫?」

「え? あ、おう、大丈夫だ……」

「ちょっと、友達に電話して良い? 犯罪心理学に詳しい子がいるんだよね」

「へぇ……」

「暇だったら来て貰おうよ」

「はっ!?」


 何で見ず知らずのお前の友達まで家に入れなきゃならないんだ! と目で訴えてみたが、スマホを耳に宛がった聖夜は「シーッ!」と口元に人差し指を当てて黙ってろ、と俺を制した。

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