第21話 家族会議

 踏ん反り返っているハズの藍羽は、予想に反してあからさまな不機嫌を撒き散らしながら俺達を玄関へと出迎えた。


「た、ただいま……?」

「……おかえり」

「おかえりなさい。皆、お腹空いたろ?」


 黒羽はその藍羽の不機嫌を意に介さぬ素振りで、いつもの様に柔らかい声で出迎える。

 永遠子はその理由が分かっていると言った風に、何も言わずにリビングへと入って行った。


「紀乃屋さんも、ご飯食べて行くでしょ?」

「宜しいのでしたら、御相伴に預かります」

「勿論ですよ。いろいろ説明して貰わないといけませんから」


 黒羽はナチュラルに紀乃屋にそう釘を刺した。

 帰す訳ねぇだろ、と言う脅迫の様な飯の誘いだ。


「ロレンソの薬は盛らないで下さいね、黒羽くん」

「ヤダなぁ、作り方も知らないのに毒盛ったり出来ませんって。紀乃屋さんじゃあるまいし。俺が盛ったら致死量軽く超えちゃうよ?」


 終始笑っている二人のやり取りに、百が眉をハノ字に下げている。


「ま、まぁ、兎に角中へ入ろうぜ? 百、ほら、藍羽に抱っこして貰え」


 機嫌の悪い藍羽には百を与えるのが一番手っ取り早い。


 まるで通夜の席かと言う食器の音だけが響く晩餐だった。

 十三年も未解決だった事件が解決したと言うのに、誰も、何も、言葉を発しない。

 緊張感のあるその食事に、俺は味わう事も儘ならない。

 百が好きなクリームシチューだと言うのに、百でさえ悪戯した猫の様にしょんぼりと眉尻を下げている。

 そしていつも自室で食事をとっている百がリビングにいる光景はこの十三年で初めて見る光景だと言うのに、その今にも泣きそうな顔がいたく不憫に見える。

 双子が怒っているのだと言う事は分かっている様だった。


 食事を終え黒羽は人数分の珈琲を用意し、誰が口火を切るのか? と言う顔で全員の顔を見渡した。


 僅かな沈黙を弄ぶように時計の秒針が響く。


 不意に永遠子がソファから腰を上げて、キッチンの方へと足を運んだ。

 それに即座に反応したのは藍羽だった。


「どこ行くんだよ? 座れ、聞きたい事が山ほどある」

「スルメを取りに行くだけだ。アレが無いと始まらん」


 宣言通り超お得用のスルメの袋を抱えて戻って来た永遠子は、座っていた所にまた腰を下してバリバリとその袋を開ける。

 この重たい空気をこれだけ不躾な態度で一刀両断出来るのは、流石永遠子と言った所だ。


「何で、俺達を蚊帳の外にした?」


 藍羽いわく、彼らがこの一連の詭謀を聞かされたのは俺が大学生二人を伴って兼城家に到着する少し前、つまり永遠子が死を偽装すると言う所からだった。

 それは、ここにいるメンバーの中で最後の最後まで蚊帳の外だったのは俺だけって事でもあるが。


「私から説明しても?」


 そう切り出したのは紀乃屋だった。

 喋ろうとしない永遠子に、一瞥をくれた藍羽をフォローする様に黒羽は「お願いします」と頷いた。


「先ず、匿名でタレこんだのも公安に情報を流したのも永遠子さんを殺したのも僕です。皆さん、とても驚かれた事でしょうけれど……」

「当たり前です」


 藍羽は声を荒げるでもなく低く落ち着いた声でそう一喝して紀乃屋を睨んだ。


「ギリギリまで黙した理由は、仙田真理の中にいる花月志織がどのタイミングで人格を表すのかが定かじゃ無かった事にあります。下手に感づかれてはこの一年の努力がパーになってしまう」

「この一年……?」

「そうです、モミジくん。この計画は正確に言えば一年程前から始まっていたのです」


 俺は脳裏を過る記憶を攫って、そう言えば永遠子がリリスの泉の事で箱田九十九殺害に関係していると言い出したのは丁度その頃だった。

 今から考えてみれば、十二年もの間二進にっち三進さっちも行かなかった事が、この一年で坂道を転がり落ちる様に真実が明らかになって来た。

 尻尾を掴めたから、と言うには進展の無かった十二年は長すぎる。


「仙田の中に花月がいる事に最初に気付いたのは、百ちゃんでした」

「何……だって……?」

「黒羽くん、君達が仕事に行っている間、永遠子さんが黙って百ちゃんの隣で座っているだけだと思いますか? この人にそんなしおらしい芸当は無理です。永遠子さんは監察医を辞めてから心理療法の資格を取り、百ちゃんの改善に努めていました」

「つまり、その過程で回復が見られた百が、仙田の中にもう一人いる事に気付いた?」


 紀乃屋の言葉を繋ぐ様にそう問い返した藍羽に、紀乃屋はコクリと頷いた。


「皆さんもご存知の通り、EMDRと言う方法は患者と療法士だけで行われるのが原則です。百ちゃんは極度の人見知りですから、外部から来る人間と二人きりになると言うのが難しかったわけです。それなら、と永遠子さんがその方法を取得し彼女のストレス軽減に努めていた。その中で、百ちゃんが仙田先生は二人いる、と言い出したのです」


 全員が百へと視線を集めた。

 百は緊張して肩を竦める。


「ちょっと、先に聞いても良いか……?」

「何でしょう? モミジくん」

「と言う事は、百は記憶も取り戻しているし、精神的にも正常な状態で、今の百は何の問題も無い、と言う事か?」

「成長の遅れはこれから取り戻す事になるでしょうけど、彼女は今、心身共に至って健康な二十歳の女性です」

「じゃ、じゃあ……この一年はずっと演技だったって事か……?」

「女優になれるほどの才能がおありですよね?」


 俺は百が階段を踏み外したと言う事実に一つの仮説を立てた。

 百は正常なのではないか? と言う仮説だ。そう仮定するとあの茶番が成立する。

 だが、あの可愛い百を疑うにはもっと確実な疑い様の無い根拠が必要で、俺はその現れ出たピースを握り締めたままだった。

 双子は、裏切られたと言わんばかりの落胆を明白にその顔で表現している。

 そりゃそうだろう。百が回復する事を俺の次に望んでいたのはこの兄貴達だ。

 それが、事もあろうか治っているのに演技で騙されていたなんて、思いもよらない事態の上に、そんな事をしそうにない百だからこそ、その衝撃は大き過ぎた。


「百……何で、お兄ちゃん達には教えてくれなかったの?」

「だって……」


 黒羽の質問に口を尖らせた百は、両手を膝の上で握りしめる。

 上手く言えない、と誰かに助けを求めたい百がその視線を寄越したのは隣に座る永遠子だった。

 相変わらずスルメを口から食みだして事の成り行きをDVDでも見ているかの様なふてぶてしい態度に、僅かに苛立ちを覚えた。

 それは藍羽も同じ様だ。


「お前が百にこんな事させたのか? 仙田の中にサラトガがいる事を知りながら、百の部屋に出入りさせて……一歩間違えば、百は殺されていたかもしれないんだぞ?」

「あぁ、そうだ」


 藍羽は努めて冷静を装おうとしているのに、永遠子は悪びれも無くそう答える。


「永遠子さん! 説明して!」

「くろちゃ……ちがうの。とわこ、わるくない……」

「百はちょっと黙ってなさい!」

「だって……きのちゃん……」

「っとに、百ちゃんのその顔には弱いですね……」


 珍しく表情を崩した紀乃屋が、諦めた様に又口を開く。


「そもそもこれをやろうと言い出したのは百ちゃんなんですよ」


 全員が、予想しない方向から脳天に降って来た場外ホームランに、言われている事の意味が分からないと言う短い混乱を覚えた。


「考えてもみて下さい。百ちゃんは小学校は愚か義務教育の殆どを永遠子さんが自宅で教え、それ以外の時間をほぼパズルで遊ぶことに費やして来たんです」

「それが、何か関係あるのか?」

「バカですか、モミジくん」

「あぁ?」

「永遠子さんは態度こそ微塵も褒められたもんじゃありませんけど、院まで出たそこそこ頭の良い人なんです。その永遠子さんが七歳から彼女に勉強を教え、パズル三昧。頭の回転は君達より遥かに上だと言える。彼女は自分が囮になれば、必ずもう一人の仙田先生を捕まえられる事も、サラトガの目的が目撃者であるモミジくんだと言う事も、ちゃんと理解していました」

「でも何で百はその仙田の中にいる花月志織が犯人だと、確信出来た? 百は犯行を見てない。花月志織本人を知らないだろ?」


 藍羽の言う通りだ。

 あの犯行の一部始終を見ていたのは俺で、百は何も知らない……何も?

 いや、一つ知っている事がある。

 あのクローゼットの中で、俺の腕に匿われる様に埋もれていた百が知れる事が一つだけある。


「声……か?」

「そうです。百ちゃんはモミジくん同様、双子のお兄ちゃん達とずっと一緒に暮らして来た。声で人を判別する能力に長けていました。彼女は、仙田の中にいる花月の声が、犯人の声だと確信していた」

「じゃあ、何で一年前それが分かった時にすぐあの女をとっ捕まえなかったんだ?」

「裏が取れなければ、百ちゃんの声と言う証言だけでは弱いからですよ、藍羽くん。しかも相手は解離性同一性障害。いつ姿を現すかもこちらでは分からない状態で、証言者がどんなにお利口さんでも、百ちゃんの見た目は七歳の少女。その彼女が十三年も経った事件の証言をしたところで、真面に請け合うとは思えません」

「そこで、演技をしながら裏取していたと。俺達に明かさなかったのは、仙田と花月が入れ替わる根拠が曖昧で、下手に悟られるのを防ぐ為だった、と?」


 そう言う事です。と、頷いた紀乃屋はこの先も自分が喋るのか? と言う様な目を永遠子に向けていた。

 面倒臭そうに顎を癪って先を促した永遠子に、紀乃屋はヤレヤレと溜息を零して話を続けた。


「そもそも永遠子さんも僕も、リリスの泉やイクロウサンのサイトについては大分前から調べがついていたんです。十二年も調べていて何も分からない方がおかしな話でしょう? だが、その正体にはどうしてもたどり着けなかった。そんな矢先に藍羽くんが聖夜くんと知り合い、リリスの泉の事を知ってしまった」


 確か、聖夜が藍羽に助けて貰ったのもちょうど一年くらい前だと言っていた。


「だから僕は永遠子さんにもう隠し通すのは無理だと言ったんです。百ちゃんの提案に乗って、動くべき時が来たんじゃないか、と」

「だから、私はお前達にリリスの泉が九十九さん殺害に関与している事を明かした」


 それまで黙っていた永遠子が、唐突に紀乃屋から話を引き継ぐ。


「百には一定のルールを与えて演技を続行して貰った」

「一定のルール?」


 俺は永遠子に首を傾げて見せた。


「あぁ。ルールは三つ。パニックを起こすのは仙田と紅葉と三人の時に限る。そして、その場合は紅葉を噛む」

「おいこら、クソ女!」

「サラトガの目を欺くには、それが一番効率が良かったからだ。別に他意はない。お兄ちゃんは怒るけど、こうちゃんは怒らない。百にはそう言う認識がある」


 うっ……。確かに俺は百に怒った事が一度もない。

 兄より百に対して甘い、と言う自覚はある。

 いくら演技とは言え実の兄を歯形が付く程噛むのは百のメンタルの負担が大きいと踏んだらしい。

 俺を噛むのは躊躇わずに済むと言う事だろうか。

 それはそれで、複雑すぎるが……。


「もし、仙田と二人になる事があったとして、花月の人格が現れた場合、その右腕を噛めと言ってあった。曇ったら雷に怯える演技をする事。その三つを守る事で不定期にパニックを起こす百の演技にリアリティを持たせていた」


 思い出したかのように百が俯きがちに「ごめんなさい」と上目遣いで俺を見た。


「き、気にするな……全然、平気だから……」


 そんなに可愛く謝られたら、怒る気も失せるわ……。ちくしょう。


「そして遂に百の部屋に薬が持ち込まれた。百は薬がいつものと違うと気付いて二階の自分の部屋から一階の書斎にいた私にそれを教えようとして部屋を出た。そこに玄関のインターフォンが鳴って、驚いて階段を数段踏み外したのだ。インターフォンに気付いて私が書斎から出ると、こけた百の傍には既に仙田が付き添っていた」


 確かに兼城家のインターフォンはビィイイイと耳障りな音がする。

 俺もそうだが、インターフォンが鳴らしても玄関の扉が開いていれば返事がなくとも勝手に入る。

 人気のない山林の入口にある兼城家では家の中に人がいれば施錠する事は無い。

 鍵を掛けるのは家の中が空になる時と、就寝する時だけだ。


「タイムリーにそこに現れた仙田は薬に気付いたんだろう。百が言う薬と言うヤツは何処にもなかった。こけた百を介抱した時に奪われたのか、何処かに隠したのか、探したが見つからない。まさか、キッチンのダストボックスに捨てるなんて、不用意な真似をするとは思わなかったんでね」

「それを俺が拾ってしまった……」

「そう言う事だな。流石に百が機転がきくと言っても、ここまで来たら何があるか分からない。百に何かあってからでは遅いのでな……。サラトガにとって一番目障りな私が死ねばヤツは必ず動き出す」

「他に方法は無かった? 俺達に相談してくれたら、もっと別の方法も……」

「黒羽くん、これは永遠子さんの口から言わせるのは流石に忍びないので代弁しますが……永遠子さんは血は繋がってませんが、君達の母親なんです。君達がどう思っていようと、この人はそれを曲げられない。娘だけでなく、息子の命だって危険には曝せない。だから、このやり方でしか出来なかったんですよ」


 ふん、と顔を背けた永遠子に双子はもう何も言えない様子だった。


「百ちゃんは自分が死んでもお父さんを殺した犯人が捕まるならそれで良い、と言った。でもそんな事を永遠子さんが許せる筈もない。僕に自分を殺せ、と言って来た時は流石にイカれてると思いましたけど」


 紀乃屋は俺に入れ知恵をしに来た時、帰り際にこう漏らしていた。


 ――百ちゃんを死に至らしめる位なら、あの人は自分が死ぬかもしれませんね。

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