第20話 ジュリエットの詭謀

 「はい、紀乃屋きのや


 黙って相槌を打ちながら電話の相手の話を聞いていた紀乃屋は、「ご苦労様でした」と言って通話を終わらせた。


「出たみたいですよ、証拠品。花月はなつきさんの自宅から成人男性の遺体の一部と思われる物が白薔薇の鉢植えの中から見つかったそうです」


 永遠子とわこの方へと視線を向けた紀乃屋は、満面の笑顔を見せた。


「私達は証拠品を手に入れる為の、を狙っていたんだよ。罪状なんて何でも良い。あんたを足止めし、証拠を手に入れるチャンスが欲しかったのさ」

「ははっ……私は捕まらないよ。この世に花月志織は存在しない事にだって出来る」

「そうだろうねぇ……でも、あんたは隠れたままではいられないと思うよ。乖離性同一性障害は脳内にあるスポットと言う場所に立つ人格が意識を持つ事で人格を変える。その主導権は仙田ではなく花月、あんたが持っている。あんたみたいな幼稚で傲慢で自己顕示欲の強いタイプは大人しく隠れてるなんて無理な芸当だ」


 子供は我儘だからな、と付け加えて永遠子は鼻白んだ。

 まるで精神鑑定を生業としている、とでも言わんばかりの理に敵ったその説明を聞いて俺は目を瞬かせた。


「あんたにとって殺す事は愛だ。だから、会員だった女性には自ら手を下さない。愛してないからだ。父親が犯罪者になったのは仙田真理のせいだと思っているんだろう? 被害者面した女性が憎くて憎くて仕方ないあんたは、自分の手は汚さずにそう言った女性を排除したかった。そうだろう?」


 花月志織は右の親指をギリギリと噛む仕草を見せながら、その歯の隙間から仙田とは全く違う声で絞り出す様に喋り出す。


「人間は自由と言う刑に処せられている。生きるのが自由なら、死ぬのも自由だ。私は彼女達にその自由を認め、奨励しただけ。死にたければ勝手に死ねば良いのさ! 愛し方も自由だ! この世でこんなにも自由に愛せるのは、私だけだ! 私を見る目、命を刻む心臓、彼の欲望の象徴である男根。全部手に入れた! 命までも、手に入れてやった!」


 隣で永遠子の短い舌打ちが聞こえた。


「自由と言う刑……ニーチェか?」

「サルトルですよ、永遠子さん」


 紀乃屋の返事に「まぁどっちでも良いや」と零した永遠子は、チラリと百へと視線を寄越して一瞬だけ眉尻を寄せる。


「愛? あってたまるか、そんなもの。命を粗末にする人間に、愛なんて語る資格はねぇよ。愛ってのはな、許すもんなんだよ」

「そっちがニーチェですね」

「煩いよ、キノ」


 そんな永遠子と紀乃屋のやり取りを、まるでどこかで見ていた様に倉庫内に現れたのは警察手帳を翳した若い男だった。

 細身のスーツに身を包んだ三十路過ぎのその男は、女性的な美形で青年実業家です、と言われた方がシックリ来る様な佇まいだ。


「公安の兼城けんじょうと言います。花月志織だね? 貴方の自宅から箱田九十九殺害に関する重要な証拠が発見されました。同行して貰います」

「兼城……?」


 俺の問い掛けに、その男は冷たい視線を寄越した。


「弟だ」


 永遠子のその科白に、俺は振り返ってマジマジと永遠子を見る。


「え? 永遠子の?」

「あぁ、そうだ」

「姉がいつもお世話になっております。が、こんな無謀な茶番はこれっきりにして下さい」

「あぁ……弟は真面まともなんだ……」


 そう言った俺を一睨みした永遠子は、「れい」と彼を呼び止めた。


「何です? 姉さん」

「助かった」


 その永遠子の科白には返事を返さない彼は、紀乃屋の方を物言いたげに見た。


けい、君が付いていながら、何でこんな事になる……?」

「この人が言い出したら聞かないのは、零の方が良く知ってるだろう? それにお宮入事件のホシを上げたんです。君の手柄としても申し分ない」

「僕は箱田九十九はこたつくも殺しの容疑者が彼を狙っているから警護してくれ、としか言われてない」

「僕は彼を警護していれば必ず箱田九十九殺害の容疑者に辿り着ける、と言ったんです。それに、この詭謀きぼうを立案したのはお転婆なジュリエットですよ」

 

 紀乃屋はいつもの微笑を取り戻していた。

 公安が動いている、といけしゃあしゃあとのたまったこの男は、自分で公安を動かしておきながらあたかもこちらが追われている、と情報を改竄かいざんした。

 とどのつまり公安が動いていた理由は、超絶な私的理由で姉の悪戯に付き合わされた弟だったと言う事だろう。


「嘘は言ってませんよ? 花月さんが追っていたのはそこにいるモミジくんです」

「冗談は止してくれ。これ以上、僕の進退に悪影響を及ぼす様なら、金輪際関わらないでくれ」

「「相変わらず頭が固いな、零は」」


 永遠子と紀乃屋の科白が被った。


 十三年分の埃が倉庫の開いた扉から差し込む明りに舞う。

 「かえろう」と俺のシャツの裾を引っ張ったのはももだった。

 スライド式の重い倉庫の扉が開いた隙間は、あの親父さんの部屋にあったクローゼットの扉の隙間を思い出させる。

 やっと、あのクローゼットの中から出る事が出来る。

 埃と黴の匂いのする正義や強さを、今度こそ持ったまま脱出出来る。

 そんな気がして瞼を伏した。


 少し疲れた様な百を背中に負ぶって、倉庫を後にした。

 小さく軽い百のネグリジェから覗く白い両足が、背中に張り付いた細い肢体が、首を苦しい程巻く枝の様な腕が、生きている温度を俺にくれる。


 全員を俺の車に乗せて、兼城家へ向かっている途中で重大な誤算にふと、気付く。


「やっべぇ……!! あの家、マスコミがウジャウジャいるんだったな……」


 テーブルの下から証拠品を見付けた聖夜のえるに外で張っている公安の連中を探せ、と言ってしまった事を思い出し、一気に血の気が引いた。

 家から一歩出れば、あのハイエナの餌食になる事は必至。

 しかもあの家には未成年二人だけ。

 遠隔攻撃は得意でも、特攻の様なマスコミの直接攻撃に対応出来たかどうか、定かじゃ無い。


「煩い、青瓢箪あおびょうたん。双子がどうにかしているだろうよ」


 後部座席から少し抑えた永遠子の声が聞こえて、バックミラーで確認すると百が寝入っていた。


「どういう事だ、永遠子? あいつらは自宅に帰ってるのか?」

「あぁ」

「でも、俺達も正面からは入れないんじゃないか? まだ、花月の事はマスコミに伝わってないだろう?」


 俺のその問いには答えずに、ゆっくりと目蓋を閉じた永遠子は、眠いからもう話し掛けるなと言わんばかりに黙した。


 もうとっぷりと陽が暮れて車窓を流れて行くのは人工的な光で、百や永遠子ほどではないが普段やらない事をやったお蔭で疲れている俺の目にもかなり刺激的だ。

 それでも、その眩しい光がそんなに嫌じゃ無かったのは十三年の重荷が犯人逮捕という形で少し軽くなったせいかもしれない。

 しばしばと瞼を瞬かせ、無言のまま助手席に座る紀乃屋をチラリと見遣る。

 ずっとスマホを弄っていた紀乃屋は「ふふっ」と突然笑い出した。


「きもっ……」

「いや、藍羽くんは人を出し抜く事に関しては天才ですよねぇ」

「あぁ? あいつが何かやらかしたのか? あいつは人体の八割がエンタメ細胞で出来てるらしいからな」

「あの中通りにあるフラワームーンと言う花屋は花月志織の自宅兼仕事場だったのですが、リアルタイムで家宅捜索の模様がネットにアップされています」

「は?」


 兼城家でテーブルの下に仕掛けられた加湿器でブルグマンシアと言う花の毒の蒸気により気を失った俺をあのロッジに運んだ後、それと引き換えにその時はまだあのロッジでのうのうと生きていた永遠子を車に乗せて兼城家所有の倉庫へと向かった。


 同時刻、兼城家に残された双子と百は、仙田の振りをした花月を足止めする。

 百がパニックを起こした様に見せかけて、紀乃屋が倉庫に着いたと言う連絡を待った。

 その出掛けにあの木製パズルの暗号は扉の前に転がされたのだろう。


 一方、先に倉庫に着いていた紀乃屋は双子からもうすぐ到着すると言う連絡を待って、到着寸前に【ロレンソの薬】を永遠子に服毒させ、彼らを待っていた。

 倉庫の外でやり合う素振りを見せて花月の目を欺いた紀乃屋は、双子に自宅に戻る様指示したと言う。


「きっと、自宅に向かう車中で聖夜くんに情報をリークする様に指示したのでしょう。海外のサーバーを経由して、匿名希望で各マスメディアと彼が通う大学にシリアルキラー・サラトガのスクープはフラワームーンにある、と言うメールが花月志織の経歴と写真付きで届いてるそうですよ?」

「またあいつは……聖夜にそんな事させて……」

「でもお蔭で、兼城家のマスコミは一掃されたみたいです」

「なるほど?」


 藍羽らしい事だ。

 あいつは一石三鳥くらい平気で狙う。

 警察が都合の悪い事を隠匿出来ない様に逃げる隙を与えない事で十三年の憂さを晴らし、野次馬がリアルタイムでその光景を煽る事で兼城永遠子の容疑を晴らし、鬱陶しいマスコミを自宅から排除出来る。


 転んでタダで起きないばかりか、やられたら三倍返すのが藍羽流だ。

 多分今頃、したり顔でリビングのソファに踏ん反り返って、溺愛する妹の帰りを待っている。


「なぁ、あんたは永遠子の本業を知っているか?」

「え、永遠子さんの本業ですか? 知らないんですか?」

「藍羽も働いているのかさえ定かじゃないと言っていた」

「皆さん、ご存知だとばかり思っていました」

「って事は、あんたはやっぱり知ってるんだな?」

「知ってるも何も、見ていれば分かるではありませんか……」


 兼城家の黒い鉄柵が外門の外灯の下に影の様に現れる。

 庭に咲いた白薔薇がその隙間を縫う様に白い花弁を覗かせ、幻想的な白い世界が浮かび上がる頃、紀乃屋は満足そうに笑って一言零した。


――本業は、母親でしょう?

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