第27話 最後の秘密
行きつけの鄙びた喫茶店に入って、いつもとは違う席に座った。
幸福の木ドラセナの傍に在る花月志織が定位置として使っていた席は、曇った硝子窓から商店街が見える。
いつもと違う席に座った俺にお冷を持って来たのは犯罪心理学に詳しい大学生アルバイトの晴乃だ。
「何でここ?」
「人と待ち合わせしてる。カウンターじゃ喋りにくい」
「デート?」
「ちげぇよ」
「ご注文は?」
「アイスコーヒー」
「だけで良いの?」
「あぁ……」
少し緊張しているかも知れない。
晴乃はそんな俺を物珍しい物でも見る様な目で見て「かしこまりましたぁ」と緩い返事を返して白いエプロンのフリルを翻してカウンターへと戻る。
黒羽があの薔薇の垣根の下に親父さんの薬を埋めた事は間違いない。
薬袋に血痕が付いていたって事は、あれは殺害現場から持ち去られたと言う事なんだろうと思う。
永遠子が言っていた「諜報員の罪」と言うのはその事で、現場から薬が無くなっていると言う事を証言せずに隠しておいた。
加湿器、永遠子に送られて来た小説、そしてモルヒネ。
あの殺害現場には足りないピースが多過ぎた。
それを知っていながら、永遠子が黙っていたのは多分黒羽の罪を隠蔽する為なんじゃないかと思えて来ていた。
「やぁ、お待たせ、紅葉」
「おう」
黒羽はいつもと変わらない柔和な表情で少し首筋に汗を気にしながら向かいの席に腰を下した。
少し伸びた黒髪を一つに結んで、イタリアンカラーの白シャツにサスペンダーを掛けた黒羽はお冷を持って来た晴乃に「あ」と声を漏らして紳士的に笑い掛ける。
「こんにちは、黒羽さん」
「こんにちは、晴乃ちゃん」
「ご、ご注文は……?」
「ん、じゃあ俺もアイスコーヒーにしよっかな?」
「かしこまりましたっ」
晴乃の頬が少し高揚している。
なるほど? 晴乃は黒羽の様な男が好みなのか。意外だ。
「で? 話って何? 紅葉」
「……」
「何、百さんを下さい! とか言われんの? 俺」
「ばっ!! ちっげぇわ!」
「あれ、違うの? 本当はそうしたいんでしょ?」
「茶化してんじゃねぇよ。お前、分かって来たんだろうが……」
晴乃が黒羽のアイスコーヒーを持って来て「ごゆっくり」と可愛らしいはにかみ笑いを見せた後、俺はアイスコーヒーの中に沈殿したガムシロを掻き混ぜた。
耳障りの良い氷のカランと言う音が響く。
「紅葉にしては遅いから、もう聞く気が無いのかと思ってたよ」
瞼を伏したままストローに口を付けた黒羽は、動揺している様子が無い。
やっぱりこいつは俺が何を聞きに来たか、分かっているのだ。
「迷ったんだよ、色々……」
「あはは、頭使うからだよ」
この兄妹は……思考回路が似すぎだろ。
「でも、家でも店でも無く外に呼び出してまで俺に話すって事は、もう確信してんだろ? 庭の薔薇の下、掘り返したんじゃないの?」
「……」
「図星って顔してんね。なのに、何でそんな辛そうな顔してんの?」
「お前さ……俺を共犯者にしようとしてるだろ」
「……なぁんだ、バレてたの」
窓の外に視線を逸らした黒羽は、少しバツが悪そうに笑っていた。
「何処で気付いた?」
「……永遠子の書斎で見つけたけいやくしょの辺り、かな」
「ぷっ……全然騙せてないじゃん、俺。やっぱ、紅葉の勘には敵わないなぁ」
「契約書ってのは普通、発行した方が持ってるもんだろ……その契約書にサインをした永遠子の部屋にあるのはオカシイって少し、疑問だった」
「だって、そうでもして永遠子さんの部屋に誘導しないと庭の薔薇の下、掘り返されるって思ったんだよ」
お前は勘が良いから、と黒羽は俺に視線を寄越す。
「でもあれを生贄にしたって事は、永遠子へのメッセージだったんだろ?」
双子と永遠子の十三年前の契約。
それを俺に教えると言う事は、その時にやり取りされた諜報員と永遠子の秘密を教えても良いと思っている。
黒羽は永遠子にそう言いたかったのだ。
だから、手持ちにあるとっておきのカードをそこに隠して永遠子の書斎まで誘導した。
だけど、その諜報員と永遠子の秘密は相互関係によって成り立っていて、自分だけの判断では暴露出来ないものだった。
だから、黒羽は永遠子がどう出るか試したんだ。
「ぶっちゃけ、お兄ちゃんでいるのも大変なのよ」
頬杖をついた黒羽は眉尻を下げて困った様に笑う。
「俺、ずっと知ってたんだ。父さんが母さんと同じ薬を飲んでる事……」
「それが、あのモルヒネか?」
「ガン、だったんだって……父さん。あの事件が無かったとしても余命は一年と宣告されていたそうだ」
「何でそれを隠す必要があったんだ?」
「俺はさぁ……」
黒羽は少し疲れた様な細い声で、「怖くて仕方なかった」と零す。
「母さんは百を身籠った時既にステージ4で、自分か百かって言う選択を強いられてた。母さんは百を産むと決めてから投薬を止めて命を削って百を産んだんだ。俺も藍羽もそれは子供ながらに分かってて、それでも妹は可愛かったし、父さんがいればどうにかなるって思ってた」
黒羽の母親、鶫さんは百を産んですぐに亡くなった。
それまで自宅にいて緩和治療していた母親と同じ薬を父親が持っている事に気付いた時、黒羽は小学校五年の時だと言う。
「薬の名前とかはさ……良く分かんないけど、母さんと同じ薬だって思ったら恐ろしくてね。藍羽にも言えなかったし、あの事件があった父さんの部屋でそれを見付けた時……咄嗟に藍羽や百に知られたくなくてポケットに入れてしまったんだ」
「永遠子はそれに気付いたのか……?」
「いや、俺が聞いたんだ。父さんと結婚する予定の女の人が現れて、しかも医者だって言うから……これはどう言う事なのか説明してくれって、あの薬を持って永遠子さんを責めた。教えてくれないなら養子縁組はしないって啖呵切ってね」
「ははっ……流石、お兄ちゃんだな」
「百を産んだ時の母さんの事を忘れてないのは藍羽も一緒でさ。父さんが母さんと同じ病気だったなんて知ったら、あの事件以来百はおかしくなって、お前は記憶喪失。藍羽までどうにかなってしまったら、俺はもうどうしたら良いのか分からないじゃなん……」
十二歳の家長の決断。
ずっと半身である弟にも言えずに隠して来た秘密。
「でもそれでも永遠子さんを信用出来なかった俺は、あの薬を手放す事も出来なくてさ。永遠子さんに渡したら警察に持って行かれてしまうんじゃないかって思って」
「何で捨てなかったんだ? 証拠隠滅しようとは思わなかったのか?」
「捨てるにしても、燃やすにしても、自分の目の届かない所で何かのキッカケでバレたらって思うと怖かったから……」
「だから、毎日目につく様な所に埋めたのか」
「まぁ、薔薇の下の意味を知ってたからね。その時、俺は永遠子さんともう一つの契約をしたんだ」
「……それは、永遠子の腹の傷に関係あんのか?」
「何だ、知ってたの?」
「傷があるって事だけは……」
汗をかいたグラスを紙ナプキンで拭った。
ベッショリと濡れて破れた紙ナプキンを丸めて握りしめる。
黒羽はポケットからスマホを取り出して数度画面をタッチし、それをコトリとテーブルの上に差出した。
「二十年前の事件だよ」
画面上に書かれていたのは、市内の医大に通う現役大学女子大生が路上で通り魔に襲われたという事件。
複数個所腹を刺された女子大生の名前は兼城永遠子、十九歳。
発見したのは近くの交番勤務の警察官。
発見当時、既に致死量に近い失血をしていた彼女は、近くの病院に運び込まれて一命を取り留めるが、犯人は未だに捕まっていない。
「父さんと永遠子さんはある事件をきっかけに知り合った、と言っていただろ? それは捜査では無くて、この事件の時に被害者である永遠子さんを見つけたのが交番勤務していた父さんだったんだ」
永遠子はこの事件後、刺された傷のせいで子宮の全摘を余儀なくされている。
「父さんは事件後ずっと、暇を見付けては永遠子さんの病室に通っていたんだってさ……。あの小説、若きウェルテルの悩みって言うヤツは、その時永遠子さんが父さんに貸したままになっていた本だって言ってた」
丁度、鶫さんが亡くなった頃。
産まれたばかりの百、五歳の双子、路上で滅多刺しにされて子宮を失った女子大生。
失ったものが大き過ぎて、足掻いている男と女が出逢って……それから七年。
男は殺されてしまった。
「父さんは余命宣告された時、病院に入って延命治療する位なら最後まで自宅で子供と過ごしたいって言い切ったんだって」
「でも、永遠子がそれを許さなかった?」
「うん。父さんに命を助けて貰った借りがあるとかって言ってたけど、それで入籍を申し出るなんて、ちょっとイカレてるよね」
子供が産めない永遠子は、箱田の親父さんに延命治療させる為に母親になる事をかって出た。
永遠子は子供と言う手に入らないものを貰い、親父さんは延命と言う時間を貰う。
永遠子と親父さんの関係はどう言うものかと言われたら、やっぱりそれは本人にしか分からない物の様に思えた。
十二歳の双子と七歳の百。
ただでさえ母親がいないと言うのに、父親までが入院して闘病生活となれば心配しない親はいない。
「再婚した母親が子供を連れていても世間は別に騒ぐ事も無いけど、ただの養子縁組となれば話は別だ。全くの他人に預けられる俺達は、好奇の目に曝される事になるし憐れまれたりする事もあったかもしれない。結局の所、父さんは結婚した後に延命治療の為に入院する事になっていたらしいけど、その前に殺されてしまった。永遠子さんは籍を入れる事が出来なくて、養子縁組と言う形で俺達を引き取ったけど……」
「けど……?」
「中学に上がって、私立のお坊ちゃんばかりの学校に通い始めた俺達は周りから浮いていたんだよ。あの事件の事を知らないヤツはいなかったし、他人に引き取られたって事が中学生にとっては、可哀想な対象だったのかも知れない」
「そう……だったのか……」
「ま、俺はあんまり気にしてなかったけどね。藍羽はああ見えてナイーブな所あるから」
「まぁ、確かに」
「あいつは極端だけど、極端な分だけ優しい所が傷つくとダメージ食らうから」
「それで、俺を共犯者にしようって事か」
「ビンゴッ!」
「十三年も黙っていた事で藍羽が傷つかない様に、俺を巻き込んでフォローさせようってのか? 言っとくが、藍羽は俺の言う事なんか聞きやしないぞ」
「良いんだよ。味方がいるってだけで、俺はどうにか頑張れそうだから……藍羽と喧嘩になっても、お前に迷惑かける様な事はない」
「お前、将来絶対禿げるな」
「はぁ?」
「俺、頭使えなくて良かったわ……」
いつだって誰かの事を先に考えている。
妹、弟、俺、自分の事は一番最後。
父親が母親と同じ病だと知って一番怖かったのはお前だったはずなのに。
そんな黒羽の事を多分藍羽は俺より分かっている筈だから、この秘密を聞いてもあいつは怒ったりしない。
あ、いや、怒るかな……。
黒羽が一人で何とかしようとすると、藍羽はいつも怒るから。
「秘密は蜜の味……か」
「え、何?」
「何でもねぇよ」
好きだから、知りたい。
大事だから、秘密を教えて欲しい。
それを一緒に抱える特権を、自分に与えて欲しい。
百はきっとその事を俺に教えようとしていたんだって、やっと分かった。
「永遠子さんはやっぱり父さんの事、好きだったんじゃないかな?」
「どうだろ……?」
「そう思いたいのは俺達子供の理想なのかね」
「まぁ、そうかもしれないな。だけどあいつ自身、真実はそうやって作られるみたいな事言ってたから、それも良いんじゃねぇの?」
熱が下がらないまま朦朧とした空が、ジワジワと気を失う様に暮れて行く。
――愛? そんなもんあってたまるか。命を粗末にするヤツは愛なんて語る資格はねぇよ。愛ってのは、許すもんなんだよ。
多分、永遠子はそう答えるだろう。
一番、親父さんに生きていて欲しかったのはあいつかも知れないから。
密事は白薔薇の下で眠る。 篁 あれん @Allen-Takamura
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