第17話 箪笥の肥しは使えるか?

 俺は部屋の前に残された暗号通り、その暗号が示す場所へと車を走らせる。

 

 行先を知らせるその暗号を部屋の前に落として行ったのは多分、双子の内のどちらか。そしてこれまでの経験上、そんな事を瞬時に考え実行出来るのは頭の回転の速い黒羽くろうの方だろう。

 それは藍羽あおばが頭が悪い、と言う事では無い。黒羽の方が冷静なだけだ。

 俺ならすぐに気付くと分かった上で必要な図形の木製パズルを扉の外に転がしておいたのだ。

 

 台形を逆さまにし、三角形を乗せる。

 その五角形の中に棒を置いて棒の先に円形を付けると、錠前の略図が出来る。

 それは倉庫を意味する地図記号。

 自他共に認めるパズルヲタクの俺には朝飯前の簡単な暗号だ。


 スマホが着信を伝えて俺は、路肩に寄せて一旦車を停めた。


「何か分かったか? 聖夜のえる

『ビンゴだよ、モミジくん。これからリンク張り付けて情報送るから』

「ありがとよ。それと、お前に頼んであった件だが……」

『それも一緒に送る! それからモミジくんが言ってた仕掛け、見付けたよ!』

「上出来だ。警察は来たか?」

『いや、誰も来てないけど……?』

「じゃあ、家の周辺を張ってる怪しいヤツを一人捕まえて、お前はゼロか? と聞いてみろ」

『ゼロ?』

「そうだ。もしくはチヨダでも良い。相手が正体を明かそうとしなければ、ダメ押しで自分達はハムの味方だと言え。さっき俺が調べてくれと言った事も必要なら喋っちまっていい」

『わ、分かった……』

「そんで、そいつらにその証拠品を渡せ。後はそいつらが護ってくれるだろうから、そこで大人しくしてろ」


 警察が家宅捜索に雪崩れ込んで来ないと言う事は、何かの機をてらっていると言う事だろう。

 紀乃屋きのやは公安が張っていると態々わざわざ知らせに来た。

 と言う事は兼城家にも公安の手が伸びている筈だ。

 ゼロ、チヨダ、ハム。

 公安を指す隠語を羅列させて情報提供すれば、聖夜達が敵じゃ無い事位は分かって貰えるだろう。

 生意気な未成年でも、護ってくれるに違いない。


 それから車を海側へと走らせ辿り着いたのは港近くにある兼城家所有の倉庫。

 四十坪くらいあるその倉庫には、兼城家に入り切れなかった箱田家の家財道具等が保管されている場所で、黒羽が店を出してからはその在庫等を運び込むのに時々手伝わされて足を運んでいた。


 車を降りる前にスマホを確認すると、聖夜と晴乃に頼んで調べて貰っていた内容が超長文と一緒にリンクを貼り付けられ送られている。

 ちょっとウンザリする程度には、長い。

 サラトガがたった一度の犯行でシリアルキラーと言われた所以には、思いもよらない方向から新たな欠片が見付かった。

 その報告にざっと目を通して自分の推理が間違ってない事を確認して車を降りる。


 スライド式の錆色の鉄扉を力任せに引くと、ガリガリと砂利を噛み砕く様な音が響く。埃と錆びの匂いが磯の香りに交じって俺は一瞬眉根を寄せて息を詰めた。


 庫内の左半分は書庫の様な作りになっており、入り口正面に平行する様に鉄枠の棚が視界を遮っている。

 右側は段ボール箱が積み上げられ、シーチングの掛かった食器棚やダイニングテーブル、見覚えのある勉強机も二つきちんと並べて置いていあった。

 買ったばかりで傷一つ付いてない百の赤いランドセルも――。


 等間隔に儲けられた明り取りの天窓の影で奥は薄暗くて良く見えない。

 でも最奥に見える一番背の高い家具は、多分親父さんの部屋にあったクローゼットだろうと見当がついた。


 俺はあのクローゼットの中に正義とか強さの欠片を置いて来た。

 捨てる事も出来ずに、まさしく箪笥の肥しになった俺のソレはまだ使えるだろうか、なんて感傷的な感情が鼻腔の奥をむず痒くして、自虐的に鼻で笑うしかない。

 ゆっくりと左手に並ぶ書棚を警戒しながら、奥へと足を進める。


 右手に見覚えのある栗梅色の肘置きが覗いていた。

 箱田家のリビングに置いてあった二人掛けのキャンパス地のソファで、シーチングの陰から見えている肘置きには親父さんが煙草の火種を落として作った焦げがある。

 指先でその焦げをなぞり、そのシーチングの膨らみが異常だと気付いた時には蟀谷を鈍器で殴られた様な衝撃が走った。


「……」


 どう見ても、そのソファには誰か横たわっている様に見える。

 咽喉に煩慮はんりょが詰まり、心肺機能が狼狽に覚束なくなりながらも、捲れかかったシーチングを恐る恐る抓み上げた。


「……永遠……子」


 触らなくても冷たいのだと分かる程にその肌は蒼白く、初めて会った日を思い出す。

 その姿は無機物の様に恍惚として見えた。

 頬に掛かる長い髪が、息苦しそうに胸元を握った右手が、人間らしい熱を失っている事が見て取れる。


「意外と早かったですね? 誰かの手引きでもありましたか?」


 紀乃屋の声が聞こえたが、姿は何処にあるのか分からなかった。


「紀乃屋、お前、良くこんな事出来たな」


 声が震えたのは恐怖のせいじゃない。怒気のせいだ。


「楽しかったですよ? あ、今も楽しいですけど」

「まぁ、今はお前と問答する暇はねぇや。サラトガはどこだ?」

「君の、後ろに……」


 紀乃屋のその声を聞いて、背後へと意識を向けると確かに人の気配を感じられた。


「何しに来たの? 相楽さがら君」


 あぁ、聞いた事がある声だ。

 あの日、親父さんに縋り付いて気持ちの悪い事を口走っていたヤツの声だ。

 陰鬱で少し掠れた様な、悲壮感を含んだその喋り方は背筋をなぞる不快感があった。


「あんたに辿り着いたら俺の勝ちだったよな? あんたの負けだ。花月志織はなつきしおり――」

「はぁ? 何を言っているの? 花月志織って……誰?」

 

 振り向いた俺の視線の先にいたのは、首を傾げる仙田だった。

 テレビ出演、雑誌の取材、メディアに顔を出す事もある仙田はいつも完璧なまでに化粧し、長い髪を捲いて、着ている物が違えば夜の蝶と言われても分からないかも知れない程、自分を飾っている。

 仙田は紀乃屋に言われて警察が家宅捜索に来る前に百を連れてここへ来た事、思い出の品があるこの倉庫なら百の記憶を取り戻せるかもしれないと言われてここに来ている、と説明した。


「なるほど、そうやって無自覚を装っていれば気付かないとでも思ってんのか」


 伏し目気味の仙田の視線は俺を見ている様で、違う所を見ている様な気持ち悪さがあった。

 何処を見て何を考えているのか分からない。

 それでいて理知的で隙のない雰囲気が漂っている。


「じゃあ、その化けの皮を剥ぐっきゃねぇな!!」

「っ!!」


 真正面から振りかぶって顔面目掛けて拳を振り抜くと、驚いた仙田は咄嗟に右腕を顔面の前に翳して防御態勢を取り、俺はその右腕を掴み取って捻り上げた。


「仙田は左利きだ。今、咄嗟にお前は右腕を出して自分を庇おうとした。人間は反射的に利き腕が先に出る。あんたは仙田の振りをした別人格、そう言う事だろ?」

「くっ……離せっ!!」

「ほら、声が違う。化粧や髪型で見た目を変えられたとしても、俺は結構耳が良いんだ。同じ骨格、同じ顔の双子と四半世紀つるんで来たんでね」


 こいつが、この女が、あの日全てを奪って行ったかと思うと掴んだ手首を握り潰して引っこ抜いてやりたくなる。

 あぁ、今ならこの女を殺せるかも知れない。そんな気さえしてくる。


「……ったい、離せっ!!」

「百が仙田に噛み付いた時、不思議に思ったんだよ。何で右腕を噛まれたのか? あの時、百の傍にいたのは仙田じゃない、お前だったって事だろ、花月」


 百の噛み痕は白い仙田の腕に内出血で青紫に変色し残っていた。

 そもそも仙田が現れると調子を悪くする百の変化に、時々疑問を持っていたんだ。

 俺を追い払うかのように噛み付いて部屋の外に出したがっている様な……。

 少し前に百が階段から足を踏み外した、と黒羽が言った時から妙な違和感があった。

 百は特別な理由が無い限り、あの部屋から出ない。

 自分から出ないのに、何故エントランスの階段を踏み外したのか?

 そこに一つの仮説が立った時、砕け散った様に散乱していた欠片達が一気に整列を始めた。


「あんたと長く話してるとあんたを殺してしまいそうだ。百と双子をどうした? 早く返せ。その後でじっくり糾弾してやる」

「勇ましい事ですね。双子は外で転がっている筈です。さっき紀乃屋さんとやり合って気絶してましたから」

「何……だって……?」

 

 下手な芝居を続ける事を諦めたのか、花月はウィッグを面倒臭そうに掴み外し、短いショートの髪を掻き上げる。

 白衣のポケットから取り出した黒縁メガネをかけ、満足そうに口角を上げた。

 背後を振り返ると、紀乃屋はいつもの微笑を張り付けてわざとらしく後頭部を掻いて見せた。


「あぁ、すみません。二人同時に相手にしてたらつい力加減が出来なくなりまして」


 ノーネクタイのYシャツの袖を捲った紀乃屋はいつもよりラフな格好に見える。

 紀乃屋はどちらかと言えば痩せ型で、その捲られた袖から伸びる両腕は決して剛腕と言えるほど太くは無いが、均整の取れた鍛え方をしている腕だ。

 紀乃屋の腕は相当強いらしい。双子は俺より腕が立つ。

 それを二人同時に相手にして、気絶させたなんて信じ難い事実だが今それを確かめる術は無い。


「モミジくん、百ちゃんを返しても良いですが、貴方が自分の父親を見殺しにした男だと知ったら、恨み、蔑み、貴方を殺そうとするかも知れません。愛した人間に殺されるなら本望、ですか? やはり君はロマンチスト……」

「うるせぇ、黙れ!! 御託は良い。百は何処だ!!」


 花月が指差したのは最奥にあるクローゼットだった。

 ゆっくりとこちらに向かってくる花月は、喫茶店で見かける時の鬱蒼とした雰囲気は何処にもない。

 男の俺には分からないが整形メイクと言う言葉くらいは知っている。

 化粧と髪型が違うだけで、全く別の人格の中にもう一人潜んでいるなんて誰が想像出来ただろう。

 爬虫類の様な微光沢をその眸に宿して、花月はいつでも殺せると言う余裕さえ感じさせる。

 俺の眼前をゆるりと通り過ぎた花月は、まるでマジシャンが観客にタネもシカケも無いとその中を披露する様にクローゼットの扉を開け、中にいる猿轡を噛まされ拘束された百をこれ見よがしに見せた。


「百っ!!」

「彼女にはを仕込んであります。彼女が溜め込んだ本音を吐露する姿を存分に楽しむが良いでしょう」

「素直になるお薬だと……?」

「あぁ、大丈夫。ちょっと従順になる位で体に害はありませんよ?」


 花月はそう言うと百の右手にバタフライナイフを握らせる。

 猿轡を外されて肩で大きく息を吐き出した百は、俯いたまま耳元で囁く花月の声を大人しく聞いていた。


「さぁ、貴方のお父さんを見殺しにした男を、その手で殺しなさい。貴方の父親が殺されるのをただ黙って見て、その記憶すら封じて、のうのうと生きて来たのがあの男です。憎いでしょう? 貴方ならあの男を殺せる」

「ころ……せる……?」

「えぇ、貴方が最も憎むべきは誰なのか。見つからない父親を殺した犯人よりも、何もせずに傍で優しい幼馴染を演じて貴方を苦しめている彼ではないのですか? 貴方になら出来る。きっとお父さんも褒めてくれます」

「ころ……す」

「そう、貴方がお父さんの敵を取るのよ……天国のお父さんも喜ぶわ」


 あぁ、そうか。そう言う事か。

 こいつらの狙いは兼城家所有のこの倉庫で、犯行の一部始終を見ていた俺を百に殺させる事。

 あの場に居ながら、父親を見殺しにした俺を百が恨んでいても仕方ない。

 百はその記憶を取り戻してしまったんだろう。

 「二十歳になったらお嫁さんになって」と言った俺との約束だって思い出していたんだ。それ以外の事を思い出していても、不思議じゃ無い。


 実際、俺は犯行を見ていただけで何もしていない。

 声すら上げられずに、百にしがみ付いて、その現実から逃げて記憶まで封印していた、ただのビビリだ。


 俺が百に一切手を出せない事まで計算して、百に俺を殺させる。

 そうすればあの事件の証言者である俺はこの世から消え、罪を犯した百は犯罪者として人生を破綻させる。

 そうして、リリスの泉の会員だった女達の様に罪を理由に自殺へと追い込めば、後には誰も残らない。

 サラトガは自分の手を汚すことなくこの事件から逃れられると言う事だろう。

 そしてここに永遠子の遺体がある事で、サラトガは永遠子だったと言うオチまで着いて来る。

 百は精神異常か、人格破綻者と言う設定で、パニックの末に探しに来た俺を殺した。そんなシナリオだろうか。


 紀乃屋はサラトガにこう言ったハズだ。


「永遠子さんを殺して目撃者である相楽紅葉を殺すを与える」と。


 だが、永遠子が書きたかったシナリオはそうじゃ無かったハズだ。


「百……? しっかりしろ。大丈夫か? 俺が、分かるか?」

「こぅ……ちゃ……?」


 意識はしっかりしている様だが、掴んだナイフを俺に向けている。


「百……」

「なんで……?」


 小さな体に溜め込まれていた胸臆くおくが大きな黒い眸から溢れ出した。


「百……」

「どうして……」


 お父さんを助けてくれなかったの?


 そう言われているのだと、動いている俺の心臓は渇いて錆びついた車輪の様な軋みで鈍く耳障りな音を響かせる。 

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