第16話 虎穴

 中学に上がってすぐに箱田兄妹の居所がひょんな事から耳に入った。


「君が言ってたお友達の双子ちゃんね、見つかったわよ」


 そう言って左の人差し指を得意気に立てたのは心療内科の医師、仙田だった。

 心療内科の医師にしては容姿が華やかな仙田は、スレンダーな体に白衣が異様に似合うお姉さんで、中学生の俺からしてみたら夢精のネタにでもなりそうな存在だった。

 優しそうに見える割に、診察時のやり取りは少し冷たい印象さえあって、何と言うか俺にとって仙田はグラビアアイドルとか、AV女優の様な実際にはと言う認識があった気がする。

 中学に上がって不眠のせいで授業中の居眠りが増えた事で学校から連絡が入り、心配した両親が連れて来たのがこの仙田心療内科だったのだ。


「え? あいつらの居場所分かったんですか?」

「えぇ、多分間違いないと思うわ。私の恩師が大学病院の脳外科にいるんだけど、そこに箱田百と言う女の子が患者として通っているそうなの。双子のお兄ちゃん達は私立英蘭学園の中等部に通っているらしいわよ」

「英蘭……」


 市街地から遠く離れた広大な敷地に建てられた中高一貫教育の私立校。難関と言われている学校で、資産家の御子息様や御令嬢が通う有名な中学だった。


「何で……そんな所に……」

「彼らを引き取った家も有名なお家柄だからじゃないかしら?」

「そう……なんですか……」

「妹ちゃんも記憶を取り戻す為に通院している様だけど、他は別に問題ないって聞いてるわ。良かったわね」

「そう……ですか……」


 俺はその頃、あの事件の事は全く覚えてなかった。

 自分の醜行しゅうこうから逃避しようと必死になったあの瞬間の俺の本能は、脳内で現実を造り変えると言う愚行に走り、自分だけ綺麗サッパリあの事件から自分と言う存在を消し去ったのだ。

 だから、のうのうと英蘭学園まで双子を探しに行った。

 

 どうしても、あの兄妹に会いたくて――。

 

 永遠子とわこが言っていた。

 ――何故、逃げなければならない?

 その意味がようやく分かった。


 箱田の親父さんを殺したサラトガを知っているのは百じゃ無い。俺だ。

 永遠子が逃げ、紀乃屋きのやが永遠子を殺した意味も、俺になら分かる。

 双子が執拗に俺の勘を当てにした事も、永遠子が俺と心中するのも良いかも知れないと言った事も、全てはのせいだ。


 ももを守りたい。それが嘘だったとは言わない。

 だけど自分を必死に守って、それに気付きもしない俺を周りの皆が痛い位に守ってくれていた。だからこの事件は十三年もの間解決しなかったんだ。

 俺を壊さない様に、前に進んでいる筈の時間を堰き止めたのは俺自身だった。


 考えろ。

 リリスの泉、サラトガ、イクロウサン。

 性犯罪の被害者女性、白薔薇、ウェルテル効果、捨てられた薬。

 犯人を引き摺り出すだけの証拠をどうやったら揃えられるか。


 手に握り締めたパーツを繋ぎ合わせて、完璧な一枚を作り上げる。

 永遠子が言っていた「足りない物」はきっと俺の推測で間違ってないハズだ。

 だが、それが残っている可能性は非常に少ない。

 当時分からないと言われていた逃走手段の謎も解けた。

 殺害方法も「足りない物」が間違ってない限りは立証出来る。

 俺が気を失う前に晴乃が口走っていたサラトガの遺伝の話も、調べればすぐに出て来るハズだ。ピンポイントに該当する人間はそう多くない。


 ただやはり俺の目撃証言だけでは、十三年経った今、犯人を確定する事は難しいだろう。決定的証拠がいる。きっと、それは確実に犯人の手元に残っているハズだ。


 そう言う事か、永遠子。だからお前は逃げて紀乃屋に殺されたんだ。


「行かなきゃ……」


 親父さんの部屋を再現されていたその部屋を出る時、事件当時開いていたと言う窓が閉まっている事に気付いて振り返る。

 記憶を包み隠す様に立ちこめていた霧が晴れる様に、漠然と開けた感じがした。


「そうか、だから窓が開いていたのか……」


 部屋を出ると、泥臭い陽の匂いが鼻先を掠め、山林のざわめきが耳を攫う。

 そこは永遠子の父親が所有しているロッジだった。

 部屋を出て直ぐの所に俺の車が鍵を付けたまま放置されており、フロントガラスには一通の【予告状】が張り付けてある。

 そしてその横には白い薔薇が一輪添えてあった。


 

 相楽紅葉さがらこうよう


 さぁ、ゲームの始まりはココからです。

 最高の舞台をご用意してお待ちしております。


                              Saratoga



「頼んでねぇよ……」


 独り言を零してポケットのスマホを取り出し、聖夜のえるのスマホを鳴らした。

 コールしてすぐに出た聖夜は、慌てた風に俺の所在を聞いて来る。

 俺が倒れた後、自分達も気を失っていたのだと聖夜は言った。


「それで今、お前は晴乃はるのちゃんと一緒なのか?」

『うん……藍さんの家にいるけど……誰もいないんだ。藍さんの携帯も繋がらないし、オレ達どうしたら良いのか分からなくて……』

「そうか……百もいないんだな?」

『うん……百ちゃんの部屋見に行ったけど、窓が開けっ放しになってて少し争ったような感じでベッドが乱れてた。部屋の前に木製パズルが落ちてて、強引にどっかに連れて行かれたのかな……?』 

「木製パズル……? おい、聖夜! その落ちてたパズル何が落ちてたか覚えてるか?」

『え? いやちょっと待って……えっと……あ、ちょ、ハルルン!?』

『モミジさん? 私だけど。落ちてたパズルは全部で四つ。棒、台形、円形、三角形よ。ってか、あんた大丈夫なの!?』

「お、おぅ……だ、大丈夫だ。流石だな、晴乃ちゃん。それより、調べて欲しい事がいくつかある――」

『ちょ、モミジくん! オレ達ここにいて良いの?』

「寧ろそこにいてくれた方が良い。お前に何かあったら、俺が藍羽あおばに殺される」

『何だよ、それ! オレだって何か役に……』

「世の中情報戦なんですよ、聖夜くん。お前にも頼みたい事がある」

『わ、分かった……』


 手短に用件だけを伝えて、車に乗り込みエンジンをかけた。


「虎穴に入らずんば虎子を得ず、か。ブービートラップに特攻と行きますか……」


 サラトガの狙いは俺だ。そう仮定すれば百はまだ無事なはずだ。

 俺は時計を確認して時間の流れを逆算した。

 今、午後五時と言う事は、兼城家で意識を失ってからあのロッジに運ばれ目が覚めるまで、軽く四時間くらいはあったはずだ。

 聖夜達が目を覚ました時に誰もいなかったと言う事は、三人掛けのソファに座っていた俺達三人だけが気を失っていた事になる。


 双子と仙田、それから百。全員を兼城家から連れ出す方法は一つしかない。

 百の記憶を取り戻す為に場所を移す、とでも言って連れ出したのだろう。

 だが、百がパニックを起こして抵抗した。だから百の部屋が乱れていた。

 だとしたら、あのパズルを部屋の前に意図的に残したのは多分あいつだ。


 同じ部屋にいて、同じソファに横並びに座っていた俺達だけを眠らせるなんて事が出来るとしたら飲み物に睡眠薬でも仕込まれたのだろうか。

 でも、誰かがお茶に手を付けない可能性もある。

 もし、そんな事が可能だとしたらそのトラップはまだそこにあるはずだ。

 それがこのゲームの突破口になる。


「頼むぜ、現役大学生。俺はパーツが無いと並べる事が出来ないただのパズル作家なんだからよ」


 獣道で跳ね上がる車体を抑え込む様にハンドルを握り締めた。 

 贖罪しょくざいなんて言われなくても分かってんだよ。だが、あがない方くらいは自分で決める。

 俺がうだつの上がらないどうしようもない男だって事位、俺自身が一番知ってんだ。


 人を遠ざけてパズルと言う無機物を並べて生産性のある人間だと自分をカモフラし、自分の罪咎ざいきゅうを知りながらひた隠しにしている内に己も忘れてしまう為体ていたらくな中身はただのビビリでしかなかった。

 永遠子に頼んで格闘技を身に付けても、結局俺は俺でしかない。


 でも、だからって、もう守れなかったって後悔すんのだけはごめんだ。

 あの時、俺は逃げた――。

 恐怖、姦邪かんじゃ、惰性、傲慢、逃避、クローゼットの中に飽和した俺の黒い感情で百は息が詰まった事だろう。


 声の一つでも上げられたら、犯人に失敗させる事くらいは出来たかもしれない。

 犯罪を成立させてしまったのは、あの時全てを見ていながら声の一つも上げずに百に縋り付いて事の顛末をただ見ていた俺のせい。

 仕方なかったと言う便利な言葉で安心する事に慣れた俺は、見事にあの時の自分を正当化していたんだ。

 作った物を壊して、壊したものをまた作って、それを延々と繰り返している様な十三年間に付き合わせてしまった。

 未完成のままエンドレスに繰り返される構築を、あいつらは憐憫れんびんの欠片も見せずに付き合ってくれていたのだ。


 だが、一つだけ俺が自信を持って言える事があるとすれば、俺より悪いヤツがいる。

 それは間違いなくサラトガだって事だ。


 あいつが原罪である事だけは、動かない事実なんだ――。

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