第3話 オーダーメイド199

 翌日、昼頃起きた俺は朝食兼昼食を取る為に通い慣れた喫茶店へと出向いた。

 自宅から歩いて行ける距離にあるその店は、たまたま通りすがりに見付けてここ数年通っている。理由は珈琲や食事が旨いのもあるけれど、自分の作品が店内に置かれていた事にある。

 俺は別に自分の職業を隠しているつもりはないが、聞かれもしないのに吹聴する事もない。だから、マスターもウェイトレスもインテリアに使っているパズルボックスや壁掛けのパズルが俺の作品だとは未だに知らないだろう。

 気に入ってくれているのが嬉しくて、俺は時々その店に通っている。


「ナポリタンとジンジャーエール」


 カウンターの一番端が指定席の俺は、腰掛けると同時に水を持って来たウェイトレスにそう注文し、顔見知りになった彼女は返事の代わりに「ランチタイムは禁煙ですよ」と俺のシャツの胸ポケットに入っている煙草を見て笑って見せた。


「わーってるよ……」


 昼食時だと言うのに店内は静かな物だ。

 水拭きし過ぎて艶を失くした鄙びた床板や曇った窓ガラスから射す陽の光はこの店ならではの雰囲気がある。

 空腹には刺激の強い深煎り珈琲の香りが、レトロな店の雰囲気にセピア調の空気を漂わせている様に見える。

 大通りから離れているこの店は、いつもこんな感じで人が少ない割には常連が多い。見た事ある様な顔の客が数人見受けられて、俺はその一人に目を止めた。

 四人掛けの窓際、幸福の木と呼ばれる大型観葉植物ドラセナの傍にある席がその女の定位置らしく、時々見掛ける客だ。

 ショートカットで化粧気も無く、黒縁メガネを掛けた暗そうな女だ。

 その割には何故か人目を引く雰囲気がある。


「なぁ、あの人いつもあそこに座ってるよな?」


 カウンターの中に戻ってマスターに注文を告げるウェイトレスにそう声を掛けた。


「あぁ、花月さんですね。近所のお花屋さんです。知りません? フラワームーンって言う……」

「フラワームーン……安直……」

「お客さんはあんな感じの女性がお好みなんですか?」

「いんや、どっかで見た事ある気がしただけだ」


 呆れた風に両手を広げたウェイトレスは多分近所の大学生バイトだろうが、不躾に軽蔑する様な視線を俺に向けて来る。

 名前も知らない顔見知りのウェイトレスは、幼さの残る顔と豊満なバストにメイド風の制服が妙にエロい事を熟知している様な、計算高そうな女だ。

 俺の名前も知らないのに慣れた風に喋る。


「何だ、その目は。別に好きとか言ってねぇだろ」

「じゃあ、メガネフェチですか?」

「ちげーわ」

「じゃあ何で聞いたんですか?」

「まぁ別に……深い意味はないよ」


 見た事がある様な、既視感と言えるかは分からないけどそんな感じがしたからだ。でもそれを説明するのを面倒臭く思った俺は、スマホを弄りながら会話を終わらせた。


「お客さんっていつも眠そうだし覇気も無いし、女性に興味無さそうに見えたけど、やっぱり人並みには興味あるんですねぇ」

「……」


 そう言ってウェイトレスはクスクスと笑う。俺のイメージってどんなんだよ……。

 頼んだナポリタンとジンジャーエールを片付けると、その花月と言う女はもう姿が無かった。

 産まれてこの方、花屋で花を買うなんて事は他人に任せて来た人種故に、どこでその女を見たのかは最後まで思い出せなかったが、思い出せずとも支障ない程度の記憶に思えた。

 それから流行の禁煙タイムで食後の一服が出来なかった俺は一旦自宅へ戻り、害のある煙を肺一杯に吸い込んで満足した後、黒羽くろうとの約束の為に車で黒羽の店へと向かう。


 兼城家のすぐ近くにある【オーダーメイド199】と言うこじんまりとした店は、メゾネット型のアパートを買い取り、店へと改築した黒羽の城。

 死んだ産みの母親が洋裁をしていたらしく、手先の器用な黒羽は早い内からテーラーになる事を決めていた。

 高校を卒業して洋裁学校へ通い、通信でデザインの勉強もしながら、大学へ行かなかった分の餞別として俺達が高校を卒業した春、永遠子が買い取ったこのアパートを、双子と俺の三人で改装した。

 俺は、事件の事を調べながら空いた時間にはここへ来て改築の手伝いをし、その流れで兼城家へと晩飯を食いに行って、晩飯が出来るまで永遠子に投げられる、と言うサイクルだった。

 晩飯前の習慣がおかしい様な気がするが、その頃はそれが当たり前だったのだ。


 黒羽は成績が良かったので、高校教師からは大学進学を強く勧められていたが、大人しそうな顔して藍羽あおばより頑固なのが兄の黒羽だ。

 まぁ、ある意味職人気質と言えばそうなのかも知れない。

 アットホームな手作り感満載のこの店には、【オーダーメイド199】と言う看板が掛かっている。

 父親が九十九、妹が百。二人合わせて百九十九だ。

 背の高い格子窓にはカーテン替わりに端切れで作ったタペストリー、生地サンプルの棚も手作りと言う拘り様だ。


「くろーぅ、来たぞー」

「紅葉、いらっしゃい! 二階上がって来て」


 黒羽は滑る様な手触りの階段の手摺から身を乗り出す様にして顔を覗かせた。

 この手摺もアンティークっぽくするのにバーナーで焦げ目付けて、ニス塗りながら具合悪くなったっけ……。

 一階が接客用で小さいながらもキッチンやダイニングもある。二階には六畳足らずの部屋が三つあり、その内の一部屋がフィッティング用の部屋で、俺は夏前にスーツを一着新調すると言う約束をしていた。

 

 あれはまだ年が明けて間もない頃。

 いつもの様に見知らぬ女をホテルに連れ込んで一戦交えた後、黒星の刺青にありつけなかった俺はその日も兼城家へと足を運んだ。

 強制労働で心身共にお疲れの俺に、悪徳商売人がニヤニヤして待っていたのだ。


「イタリア産の上物が手に入る予定なんだ。紅葉、お前、夏物あんまり持ってないだろ?」


 俺は飯を食いに来ただけ……なんだが。

 そう言う顔でジットリと見た俺の隣に座ったのは、弟の藍羽だ。


「美光沢のあるサマーウールだぞ? 裏地には最高級キュプラを使ってやる。どうだ? 一着仕立ててみないか?」


 スーツばっか作ったって何処にも着て行けないと言うのに、良い生地が入ったとかなんとか言って、俺の部屋には売っても良い位の上物スーツがズラッと並んでいる。


「着て行くところもないのに、いらねぇよ。自分で作ったらどうだ?」

「俺はもう作る事にしてる。アイスグレーのピンヘッドストライプで作る予定だ」

「あ、そう……。そりゃ、お前は仕事柄スーツ着るんだろうけどさぁ……」


 生地の買い付けでメーカーを始め海外出張も多い藍羽は、仕事の時は殆どスーツを着ている。

 部屋でパソコンに向かってる事の多い俺は、スーツなんて着る事は殆ど無い。

 結婚式とか色々あんだろ? って言われそうだが、俺の友達は余所にはいないのだ。兄の黒羽か、弟の藍羽か。二択。

 こいつらが結婚しない限り、結婚式に呼ばれる事はまずない。


「お前、いっつもアメリカンスタイルだろ? カジュアル感あって着やすいのは分かるけども、この機会にブリティッシュでラペルもナローにしてさ、ピークドラペルのシャープなヤツ! 華奢なお前に似合うと思うぜ?」

「それこそ何処に着て行けって言うんだよ?」


 ブリティッシュスタイルはイギリスの伝統的スタイルの事で、ウエストも括れて格好良いのだが、正統派過ぎて本当に出番が無い。しかもナローでピークドラペル。

 襟幅も細くてテーラードジャケットの襟の切り込みをゴージと言うのだが、そのゴージが上向きに尖っているスタイルだ。

 どこの紳士だっつの! 俺は自慢じゃないが夏はよれた綿素材が一番肌にしっくり来る庶民だ。


「紅葉はタッパあんだし、良い物着ないと勿体ないって! 安くしとくぜ? 十万でどうだ?」

「いあ、買うって言ってねぇだろ!」

「お前、ツートンとかどう? ディティールだけ黒のサテンとか使ってさ。身頃はグレーで。それなら普段、ジャケットだけでも使えそうじゃん?」

「藍羽、年がら年中一緒にいて……俺がジャケット着てる所を、お前は見たことあんのか?」


 俺は専ら、パーカーかカーディガン、良くて革ジャンくらいだ。


「無いな! だから、作って着りゃいいじゃねぇかよ」

「……七万なら出す」

「お前、親友価格だちかかくにしてやったのに、それ以上値切って来るのかよ!」

「俺がお前と何年付き合ってると思ってんだ。最初から下駄履かせてる事くらいバレバレだっつの!」

「くろー、紅ちゃん、一丁上がりぃ」

「七万だぞ! それ以上は出さんからな!」


 そんな事があってから半年近くが経った今日。

 その親友価格のオーダースーツを作る為に採寸に来たのだ。

 メジャーを首から掛けた黒羽は、この店を一人で切り盛りしている。

 正確に言えば弟の藍羽が営業に廻り仕入れを担当しているので、全くの個人営業と言うわけでは無い。

 元々人付き合いが苦手な彼らしい選択ではあるのだが、バイトを雇ってみたらどうかと進言した俺に「半端な事されたらムカつくから嫌」と笑いながら言うのが黒羽なのだ。

 イタリアンカラーの白シャツにグレー地に黒のハーリキン・チェックのスラックスを履いている。そのシンプルな格好が異様に似合う絵に描いた様な好青年の癖に、時々ナチュラルに毒を吐きやがる。


「はいここ、立って。上、全部脱いじゃって」

「はいはい……」


 大きな姿見の前に半裸で立たされた俺は、採寸される事にも慣れているのでさっさと終わらせて百の顔でも見に行こうかとボンヤリ考えていた。


「そう言えばさ、紅葉」

「んー?」

「百の部屋にある加湿器のカバー、あんな感じの作って貰える?」

「あぁ、パズルボックスみたいなやつか?」


 親父さんに似て百は小さい頃から咽喉が弱い。

 なので、部屋にはいつも加湿器が置いてあって、小型の加湿器を入れられる様にデザインしたパズルボックスを百の部屋に置いてある。

 でも、加湿器の蒸気を逃がす穴が必要なので、そのパズルは敢えて未完成になる様に俺が設計したものだ。


「お客様なんだけど、華道の家元から加湿器用のアロマオイル貰ったんだよね。ここも生地置いてるせいか乾燥酷いし、加湿器置こうかと思ってさ。せっかくなら、五葉ごよう先生にお洒落なのをお願いしようかと思いまして?」

「先生とか、きしょい事言うな。つか、アロマオイルって何だ?」

「加湿器の水に数滴垂らして入れると、癒しの効果があるんだってさ、ほらこれ」


 黒羽は掌に茶色い小瓶を乗せて俺の方へと差し出した。

 瓶のラベルには百合の花の様なイラストが描かれていて、見た事ある物だと言う事は俺にも何となく分かった。


「前に加湿器置こうかと思ってるってそのお客様に話した事あったんだけど、それを覚えてたらしくて近所の花屋さんで買ってきてくれたみたい」

「花屋……?」

「うん、何て言ったっけ? あの中通りにあるお店。フラワームーンだっけ?」

「あ、あぁ……」

「若い女店主らしいけど、腕がいいって家元が褒めてたよ。こう言うアロマ関係とかにも詳しいらしくて、店に置いてあるらしい」


 またあの女の顔が脳裏を過って行った。


「へぇ……」

「今、加湿器自体すごくデザインも豊富だし色々あるからそのまま置いても良いんだけど、店のレイアウトに合う物が欲しいんだよねぇ」

「まぁ、良いけど……。加湿器のサイズとか分かったら教えてくれ。デザイン起こして、持って来るから」

「やったね! 親友価格で宜しく」

「ボッてやる」


 採寸しながらそんな話をしていると、一階から藍羽の声が聞こえた。


「いるかー?」

「いるよー!」


 黒羽の返事を聞いて二階に上がって来た藍羽は、作る予定だと言っていたアイスグレーのピンストライプのスーツを着て、真っ当な企業人みたいに見えるが、この男は兄とは真反対で饒舌、軽薄、適当、三拍子が服を着て歩いている様なもんだ。

 だが鏡越しにでもその姿は、モデルが務まりそうな程シャンとしている。

 目の前にいる黒羽と鏡越しに見える藍羽は瓜双子なのに、着ている物と物腰が違うだけで全く別人だ。他の奴らは全然分からないと言うが、俺は声だけでも判別可能な位には付き合いも長い。


「藍羽、今から仕事?」


 黒羽は俺の首回りを測りながら、スーツ姿の藍羽に首を傾げた。


「いんや、仕事から戻った所。買い付けてた繊維メーカーでトラブルがあってさ。秋物に支障が出るとこっちも大損だからな」

「そうだったの。大変だったね、ありがとう」

「なぁ、お前等さ……」


 窓際に寄り掛かる様にして腕を組んだ藍羽は、そう言って躊躇う様に言葉を切った。


「何だよ? また新しい女でも出来たのか?」


 藍羽が女と別れた、と言ってもどれと別れたのか分からんのだが。

 まぁ、大抵は情報収集の為の大人のお付き合い、と言うものらしい。


「バカか、紅葉。ちげーよ。女は出来たけど」

「出来たんじゃねぇかよ。チッ」

「あはは、日替わりランチ並みだよね、藍羽は」

「おい、兄貴。もうちょっと弟の節操のなさを教育した方が良いんじゃねぇのか?」

「紅葉だって、今は立派な節操なしじゃない。俺からしたら大差ないよ」

「アレと一緒にすんな! 俺は事件解決の為にだな!!」


 俺が勢いよく藍羽を指すと、「はい、そのまま」と言って黒羽は腕の長さを測り出した。

 

「紅葉って、男に生まれてホント良かったよな……」

「何の話だ? 藍羽」

「だって、お前が事件解決したいのは百の為で、百の為に体張ってんだろ? 好きな女の為に、好きじゃない女を抱く。何かこう……お前が女だったら、好きな男の為に体売って金稼いでそうだ」

「喧しいわ! 女だったらそんな事するわけねぇだろ!」

「あはは、紅葉、やってそう! ウケる。男に尽くして捨てられる紅葉、想像出来るもん。あはははは……」

「黒羽、お前の笑いのツボはホントずれてるよな……」


 普段、声を上げて笑う事の少ない黒羽は良く分からない所で笑う。

 

「まぁ、それは良いとして。俺が言いたかったのは、昨日の永遠子の言った事なんだが……」


 ――シナリオを書き換えてやれば良い。


 多分、その言葉だと思ったのは、俺もその言葉に疑念を持っていたからだ。


「お前等はあの最後のシナリオを書き換えてやればってヤツ……どう思った?」


 俺は思った事を口にして良いものか、一瞬躊躇って鏡の中に映る藍羽から視線を逸らした。


「シナリオが分かってるんだな、って思った」


 黒羽は、穏やかに端的にそう答えた。


「俺も、黒羽と似た様な事を思った。紅葉、お前はどうなんだ?」

「俺は……」


 永遠子は犯人を知っている、と直感的に思った。

 でも、もしそうだとしたら黙っている理由が分からない。

 それに、あってはならない答えに辿り着きそうで考えるのを強制的に止めた。


「永遠子さんにあの小説が送られて来た時さ」


 黒羽は口籠った俺を見兼ねたのか、そう切り出した。


「俺達はあの小説が親父の部屋から無くなっている事さえ知らなかった。あの頃俺達はまだ子供で、親父の部屋に何があったかなんて、全ては覚えてなかった。多分、警察にも聞かれたんだろうけど、リアルタイムで気が動転していて、小説が一冊無くなっているいるなんて、あれが永遠子さん宛てに届くまで気付いて無かった」

「でも、永遠子はあれが親父のものだと知っていた。百が書いた親父の名前を見たからじゃ無く、あれが親父の部屋にあって、事件現場からと言う事を最初から知っていた様に見えた」


 黒羽の言いたい事を代弁するかのように、そう言った藍羽は鏡越しに俺を見て俺の二の句を待っている。


「永遠子は……犯人を知っていると思う。それを黙っている理由は分からないけど」

「紅葉、お前は永遠子自身が犯人だとは思わなかったのか?」


 藍羽はそれが聞きたい、とばかりに俺を見ていた。


「……可能性として全否定は出来ない。でも、もし永遠子がサラトガだとしたら、まだ辻褄の合わない事の方が多過ぎる」


 犯人を知っていて黙っている理由として最も可能性が高い理由は永遠子が犯人だから、と言う単純な答えだ。

 だけど、俺にはそれを肯定するにはまだ欠片が足りなさ過ぎて、そんな穴だらけの状態で「この欠片はここだ」なんて断言する程自信家じゃ無い。

 曖昧な、未完成の状態で、人に見せるのは嫌いなんだ。


「そうか。お前がそう言うなら、安心した」

「はぁ? どう言う意味だよ? 藍羽」

「お前の直感は昔から当たるって、決まってるからだ。な? 黒羽」

「そうだね、紅葉のロジックは当てにならないけど、根拠のない閃きは昔から侮れない」

「それは褒めてんの? 貶してんの?」

「「両方だよ」」


 同じ卵から出て来たこいつらの、こういう所が憎たらしい。

 示し合わせたようにディスって来る。


「あ、そ……」


 採寸を終えて、兼城家に百の顔でも見に行こうかと思っていた俺は、藍羽の言った事が引っ掛かって永遠子の顔を見るのが気が引けて、そのまま大人しく自宅へ帰った。

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