第9話 薬
相変わらずワイドショーもニュースもサラトガの情報でもちきりだ。
「百ちゃん、どう? 落ち着いた?」
「あぁ、はい。飯食って薬も飲んで、今やっと寝ました」
「そう、なら暫くは大丈夫そうね」
「仙田先生は大丈夫なんですか? 他に仕事あったんじゃ……?」
「元々今日はオフの予定だったの。だから、全然大丈夫よ。
「あ、いや、自分で……」
良いから座ってなさい、と仙田は勝手知ったる素振りでキッチンの方へと姿を消した。仙田がここに通い始めてもう数年になる。
元々百の掛りつけの大学病院は兼城家からは少し遠く、脳外科で記憶の方を専門に診察して貰っていた。だが、百が自宅でパニックを起こす様になってから、距離のある脳外科に診察に行くのも困難になり、近場の心療内科に紹介状を書いて貰ったのが、仙田の病院だった。
仙田はEMDRと呼ばれる心理療法や催眠療法で有名らしく、俺は詳しい事は分からないが、それはトラウマを克服する為の物だったりするらしい。
「はい、どうぞ」
「あ、すいません。いただきます」
「君は、変わらないわね」
「はい?」
「初めて会った時は中学生だったけど、困った様に笑うのは変わらないわ」
「はは、なんすか、それ」
そうやってテレビを見ながら二人で珈琲を飲んでいると、
「容疑者である兼城永遠子は元監察医で、現在三十九歳、シリアルキラー・サラトガの被害者である箱田九十九さんとは、友人だったと言う事ですが、どんな人柄だったのでしょうか? 我々はその人となりを知る為に、彼女を良く知る人物に独占インタビューする事が出来ました」
へぇ、あいつ三十九歳だったのか。え、マジで? 一回り以上違うじゃねぇかよ!
若く見えるな。童顔だからかな……。
そんなどうでも良い事を考えながら、次の瞬間珈琲を吹き出しそうになって慌てて口を噤んだ。
テレビの画面に映し出されたのは、モザイクの掛かったどう見ても
声も変成器で変えてあるが、見る人が見ればすぐに紀乃屋だと分かる。
「変わった人でしたね。まぁ、殺人を犯すか? と聞かれたら何とも言えませんが、人体解剖の腕は確かでした。それに、人に対しての罵詈雑言や傍若無人が目立つ、人を殺したと言われても、やりそうだな、と思ってしまうのが正直な所です」
おいおいおいおい、メガネ。そりゃいくらなんでも、暴露し過ぎじゃねぇのか。
確かに俺も思った。あいつならやり兼ねんと。
でも、それは身内に留めておくべき発言じゃねぇのかよ!?
少しは擁護しろよ……お前は、永遠子を逃がした側の人間なんだろう?
俺のそんな心中を無視するかの様に、「まぁ、確かに」と呟いたのは仙田だった。
「私、この家にあってはならないものを見付けてしまったのよね」
「あってはならないもの……?」
「薬よ。それも、強い副作用が懸念される睡眠薬」
俺は
「この前、診療に来た時見付けたの。百ちゃんの薬は大学病院で処方されているから、そんな物があるわけない。なのに、百ちゃんの薬袋の中にはそれがあった」
「もしかして、キッチンのダストボックスに薬を捨てたのって……?」
「あぁ、何だ、知ってたの? 私が捨てたのよ。あんな薬、七歳の体の百ちゃんに飲ませたら意識混濁する程度じゃ済まないわよ」
「じゃあ、だって、誰がそんなものを……」
「この家でその薬を調達出来るとしたら、容疑者は二人に絞られるわね」
「二人……?」
「海外出張の多い
「まさか、藍羽はそんな密輸みたいな事しねぇよ!! それに永遠子だって……」
でも、じゃあ、何であの時永遠子は態々薬を取りに来て、舌打ちしたんだ……?
誰かが持ち込まなければ、百の部屋にあるわけない。それは揺るがない事実だ。
「自分の血の繋がらない子供を育てるって大変な事なのよ? 兼城先生だって人間よ。良く、介護に疲れて親を殺す人とかいるでしょ? 記憶が戻らず成長もしない娘の世話に疲れて魔が差したっておかしくないって事よ」
「違う!! 永遠子はそんな事、絶対にしない!!」
「だったら何で、兼城先生は逃げてるの?」
何故、私は逃げなければならない? 永遠子の言葉がフラッシュバックした。
「何故って……それは……」
「潔白なら逃げる必要はないじゃない。もしかしたら、兼城先生はもうどこかで自殺しているかも知れないわね」
「は……? 何、言って……」
「あの薬を入手したのが兼城先生だとしたら、余分に持っている可能性はゼロじゃないし、これだけ大事になればこれから先、潔白が証明されたとしても容疑者として世間に名前は記憶されるでしょうからね」
「仙田先生、あんたには人情とか配慮とかってもんが無いんですか? 思っていても、言わずに済ませる事だって出来るはずだ」
俺が持って帰ってしまった薬を永遠子はポケットに忍ばせている事を思い出して、その仙田の仮説にヤバいと思った自分がいた。
致死量がどの位か分からないけれど、仙田の仮説が妙に現実味を帯びて、イラついた。女相手に突っかかる様な物言いをして、次の瞬間には後悔したけど。
「そうね。そうじゃない可能性を妄想する事は可能だし、正しい事を言わずに放置する事も可能だわね。でも、それが現実でしょ? この世で感情で人間を殺すのは人間だけなのよ。みんな口を揃えた様に言うじゃない? まさか、あの人が人を殺すなんてって。自分にとっての良い人が、他人にとってもそうだと思う事は傲慢と言うヤツよ」
仙田は俺なんかの言う事なんて、聞いちゃいない。
いつだって、自分の言い分が正しいと真直ぐに突き刺して来る。
黙った俺に、呆れた様に溜息を吐いた仙田はゆっくりと口を開いた。
「あの事件の時、犯人は玄関から侵入して逃走経路は不明とされた。ただ、あの家に出入り出来る可能性があったのは、同じ警察の人間、もしくは君の御両親、そして監察医だった兼城先生。被害者と面識、交友のある警察関係者と君の御両親にはアリバイがあった。唯一、疑わしいのは兼城先生だけだった」
「でも、永遠子は容疑者からは外れたって双子が言ってた」
事件当時、家に侵入できる可能性のある人物として永遠子の名前も挙がっていたが、その容疑は直ぐに晴れたと聞いている。
「彼女のアリバイ証明となったのはパソコンに残っていた論文と、その更新時間。でも、パソコンなんて誰でも触れるわ。彼女がその曖昧なアリバイのまま容疑者から外れたのは、彼女の父親が有名な監察医だったからよ」
「つまり、仙田先生は永遠子がサラトガだって言いたいんですか……?」
「私は警察の人間じゃ無い。だから、断定はしない。だけど、この家に百ちゃんの薬を掏り変える様な人間がいたって事も事実よ」
もう、何も言えなくなってしまった俺は膝の上で掌を握り締めて唇を噛んだ。
どうしてだ、永遠子。どうして、百の薬を掏り変えた?
どうして逃げるんだ、永遠子。
「ちょっと、百ちゃんの様子見て来るわ」
「……はい」
壊れた物を元通りにするのは、お前の得意とするところだろうと永遠子は言っていた。俺に、何をさせようとしているんだ?
呆然とバラバラになったピースを脳内で繋ごうと無謀な事をし始めていた俺は、黙々とソファに座ったまま今ある欠片を拾い集めていた。
サラトガが箱田の親父さんを殺した動機は、怨恨。恋人関係にあったと言う女の仕業だと言われている。
そもそも、当時あの家に頻繁に出入りしていた俺でさえ、恋人と思しき女は見た事が無いし、双子だって思い当たる節が無いと言い切っている。
でも永遠子の行動はそれを肯定している。
箱田九十九の三人の子を引き取り、育てているのだ。異性の友人の子供を引き取るなんて、特別な感情がないと不可能に思えてならない。
「
「うわっ……!」
「何、そんなビビんなよ」
「あ、藍羽か……ビックリした……」
藍羽の気配に全く気付いて無かった俺は、目の前に立っている藍羽を座ったまま見上げた。疲れた様な顔をしているが、こいつはそう言うのに触れられる事を嫌う。
「仙田先生は?」
「あ、百の部屋に様子見に行ってくれてる。メガネには会えたか?」
「あぁ、まぁな。何も知らないって追い返されたけど」
「そか……。黒羽は?」
「納期迫ってる仕事があるって言うから、店に泊まるってさ」
「一人で大丈夫かよ? 店にもマスコミが……」
「女じゃあるまいし、どうにかなんだろうよ」
藍羽、お前はあの薬の事知ってたのか? 親父さんに恋人なんて本当にいたのか?
永遠子の容疑をお前達はどう思っているんだ?
そんな疑念が頬の内側に溜まっている様で、無意識に口を開いたら下手な事を聞いてしまいそうになる。
「何だよ、人の顔ジロジロ見やがって……」
気色悪い、とガチで引いた顔を見せた藍羽はウザったいと言わんばかりに眉を潜めてYシャツの釦を外す。
俺が「別に」と言葉を濁すと、藍羽は嘲る様に「ふん」と鼻を鳴らして、
「お前達は永遠子の事、犯人だと思っているのか? って、聞きたそうな顔だな」
と俺を見下した。
「なっ……」
「お前、それでも隠してるつもりなのか? バレバレだっつの」
「それは……すまん」
仙田に配慮が無いとか何とか言っておいて、言葉で言わなくても顔で物語っていれば一緒じゃないか、と情けなくも果敢ない後悔が溜息に交じった。
「ついて来い」
「どこに?」
「永遠子の書斎だ」
そう言い残してリビングを出た藍羽の後を追って、玄関から右手にある兼城家の中でもあまり立ち入らないその部屋へと着いて行く。
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