第23話 けいやくしょ

 紀乃屋が帰ると言うので玄関先まで見送った。

 永遠子は百と風呂へ行くとリビングから消え失せ、双子は食事の後片付けをしていて、何故か俺が見送る羽目になっていた。


「今度、百ちゃんと僕の為に難解パズルを作って下さいね」

「百は分かるけど、何であんたの為に……」

「百ちゃんと難解パズルの機会を貰う権利は今回の取引の条件の一つでしたから」

「俺の知らんところで俺を取引するな」

「でも、百ちゃんはきのちゃんとと聞いて目を輝かせてましたよ? 僕は百ちゃんとパズル仲間なんです」

「……チッ」

「では、また」


 あの事件以来、百に作ってやったパズルは未完成になる加湿器のカバーだけだ。

 姿勢の良い紀乃屋の後姿を見ながら、苦笑を漏らした。

 紀乃屋がずっと終わりにしたいと繰り返していたのは、百や永遠子の間に挟まれてさぞ苦労したからだろう。

 

 リビングに戻った俺は食事の後片付けを終えた双子と一緒に、永遠子と百が二階に上がる時を待っていた。


 食事の後、永遠子は百の風呂と寝る準備を済ませる為に二階へと上がる習慣がある。

 その時を待ってエントランスにある二階に上がる階段の陰から黒羽が二階を覗き見て、リビングの扉の陰で待機していた俺達に「来い」と手招きした。

 俺達は悪戯する小学生さながらに二階にある百の部屋のほぼ真下にある一階の永遠子の書斎へと忍び込む。


 扉の音を殺してしっかりと閉め、電気を点けた。


「あそこしかねぇだろ……」


 そう言った藍羽に黒羽はコクリと頷いて続く。


「庭の薔薇の下に埋めるのは、現実的じゃ無いよね」


 そう言って黒羽が俺を見たので、俺は「うん」と頷いた。


「親父さんの秘密って言う位なんだから、親父さんから貰った白薔薇の下にあるのが定石じゃないのか?」


 俺達は窓際に置かれた一輪の薔薇の鉢植えを取り囲んだ。


「って事は、この薔薇を引っこ抜けばいいのか?」

「いや待て、藍羽。そうじゃない」


 俺は慌てて藍羽の手を掴む。


「あ? 違うのか?」

「お前はエロ本とか隠さないから、隠し方がわかんねぇ人種なんだろ」

「紅葉、お前みたいにベッドの下に隠して、バレてる事に一生気付かないよりは潔くて良いと思うが?」

「自分で管理してる分、隠しもしない藍羽の部屋に自分のエロ本放り込む黒羽よりはマシだ」

「木は森に隠せって言うだろ? 名前書いてる訳じゃないんだし、誰のかなんて分かんないんだから一番効率が良い」

「「黒羽、それなんか、ちげーから……」」


 同じ遺伝子を持っていなくても藍羽と俺が被る事は儘ある。


「薔薇の下って言う位だから……この鉢受け皿の下……ほら、あった」


 そこには小さく折りたたまれた紙が無造作に貼り付けてあった。


「破るなよ? 紅葉」

「早く、早く、紅葉!」

「わーってるよ……ちょっと、待てって、黒……」


 開いたその紙は漢字の練習帳を破った様な、古い紙だった。

 そこには小学生が書いたにしては綺麗な字で、けいやくしょ、と書いてある。


 けいやくしょ。


 こうようのキオクに手を出さないこと。

 百のめんどうをちゃんと見ること。

 ウソをつかないこと。

 これをやぶったら、このけいやくをムコウとします。


                    サイン  兼城永遠子



 一番最後に明らかに大人の字で永遠子の署名がしてあった。


「わっ! ちょ、それっ!」


 黒羽が慌てて俺の手からその破られた漢字練習帳を奪う。


「あんにゃろ……こんなもん、後生大事に取ってやがったのか……」


 藍羽はバツが悪そうに俺から視線を反らす。


「それ……お前達が書いたの?」


 双子は口籠るばかりで明後日の方向を見ていた。

 それは多分、古いアルバムとか絵日記の様な物が予想もしていなかった人物に露見した時の感情に似ているのだろう。

 奪い取った漢字練習帳をもう一度開いて居た堪れない顔で俯いた黒羽は、聞き取れるかどうかのか細い声で「そうだよ」と零した。


「俺達が百の悲鳴を聞いて父さんの部屋に駆け付けた時、俺達はお前が死んでいると思った。その位、あの時のあの部屋は常軌を逸した空間だった」


 黒羽はそう言って傍に在るソファの肘置きに腰掛けた。

 その背中は背骨が抜けたかのように丸まって、いつものシャキッとした黒羽からはかけ離れている。

 ソファに腰を下した藍羽は、諦めた様に頭を掻いて白状し始める。


「駆け付けた俺達はベッドの上の肉の塊が何なのかを理解する前に、クローゼットの扉から転がり出たお前に驚いた。白目を剥いたまま、百を囲うような姿勢で固まって達磨の様に転がり出て来たんだ……。百が泣き叫んだのは、親父を見たからじゃない。お前の様子に吃驚して泣いたんだ……」


 藍羽はその後、警察を呼び俺の意識が戻った時、記憶が無いのだとすぐに分かったと言う。


「覚えてないのなら、その方が良いに決まっている。俺も藍羽もそう思った」

「でも永遠子は違った。親父の検死の結果を伝えに来た時、あいつは、紅葉が全てを見ていると分かっていたから、お前の記憶を取り戻そうと言ったんだ」


 藍羽は真直ぐに俺を見てそう言った。


「何でそうしなかったんだよ? そうすれば、犯人がすぐ捕まえられた……」


 バカか、お前は。そう言いたそうな顔で一蹴する藍羽の代わりに黒羽が口を開く。


「出来るわけ無いだろ……。俺達はあの惨劇を見て、理解するのにずいぶん時間がかかった……。それなのに犯行の一部始終見ていたお前に、あれを思い出せなんて俺達に言える筈がないだろ……」


 力の無い笑みを向けた黒羽は「壊れるのは妹だけで十分だ」と付け加えた。


「だから永遠子に養子縁組の最低限の条件として、その三つを提示した。あいつが、養子縁組を最優先している事は子供の俺達にも分かってたからな……」

「でも、犯人捕まえたいって思わなかったのかよ? 俺さえ記憶を取り戻せば……」

「お前、三日間昏睡してたんだぞ! このまま逝っちまうんじゃないかって……俺達だって、これ以上失いたくは無かったんだよ!」


 声を荒げた藍羽に驚いて、喉の奥に何かが詰まった様な感覚があった。

 




「秘密は見付かったか?」


 その声に、俺達は一斉に声のする方へと振り返り、扉に気怠そうに凭れているタンクトップに短パン姿の永遠子と目が合う。

 濡れたままの髪にタオルを被って、想定内と言わんばかりにニヤニヤしている。


「永遠子、親父の秘密と言うのが知りたい」

「真っ向勝負だな、藍羽」


 そう言った永遠子は俺を見て、ふん、と笑った。

 俺が何か思案していると言う顔に気付いたらしい。


「九十九さんと私の間にはそんなに愛が必要かい? 雁首揃えて、お前達はロマンチストだねぇ」

「茶化すなよ、永遠子。親父が死ぬ前に何考えてたか知りたいってのは、俺達息子のごく普通の気持ちだろ?」

「私はその契約書に書かれている事は守っているぞ。紅葉の記憶に手を出したのはキノだ。私じゃ無い。百の面倒だってちゃんと見ているつもりだ。それに、私はお前達に隠し事はしても嘘はついた事が無い。なのに、私に九十九さんとの約束を破れって言うのか?」


 口で永遠子に敵う筈がないのだ。

 だから俺はダメ元で勝負に出た。


「永遠子、お前だって俺の記憶が知りたいんだろ?」

「……ほぉ? 双子との契約をお前が自ら破棄すると言うのか?」

「俺の記憶を俺がどうしようが俺の自由だろ? だから取引だ。お前が一番欲しいモノをくれてやる」


 俺は自分の蟀谷に指を当て、その記憶を永遠子に提供する事を示唆した。

 倉庫で花月志織に話した事は、あの事件の一部に過ぎない。

 逃走の方法や、雨合羽の木乃伊の様な格好をしていた事、あの背筋の凍る様な科白、俺しか知らない事実がまだ俺の脳内に残っている。

 どうせ警察が事情聴取に来るだろう。

 俺の脳内にある記憶が一般公開されるのはそう遠い話じゃ無い。

 だから、これは取引と言えるか微妙な所だ。

 永遠子は今この取引に応じなくても、我慢して待っていれば一般公開される日が必ず来る。

 でも、永遠子はこの取引に応じる。俺はそうどこかで確信があった。

 

「これだから、脊髄反射で生きてるヤツは嫌いだよ。ノリと勢いだけで生きやがって……」

「でも、悪い話じゃ無いだろ?」

「紅葉、お前これが対等な取引には成りえないと分かってて言ってるな?」


 この女のこういう所が嫌いだ。

 分かってる事を敢えて口に出して来る。


「分かってる。だけど、こっちもそれなりの報酬が欲しい。俺はお前に記憶を開示する事で双子の想いを裏切る事になる。それなりに双子のメリットになる情報を貰っても良いはずだ」

「頭の回り出したお前は本当に面倒臭いな。ならば一つヒントを出してやろう」

「お前に言われたくねぇよ。面倒臭いのはお前だ、永遠子」

「死者の秘密を暴こうと言うんだ。墓を掘り返す様な真似がそう簡単に許されると思うなよ?」


 確かに、俺達は親父さんが死んでも言いたくないと思っていた秘密を暴こうとしている。それに、今更ながらに僅かな罪悪感がチクリと胸を刺す様だった。

 永遠子は乱雑に濡れた髪を肩から掛けたタオルで拭きながら窓辺へと歩いて行き、薔薇の鉢植えを抱えてテーブルの真ん中へと置いた。


「これから私が出すヒントに対して答えが出たとして、誰も恨まず、勿論ここにいる人間以外には口外しないと誓え」

「分かった」


 即答したのは藍羽だった。

 黒羽も俺も無言で頷いた。


「このゲームの回答者は紅葉のみとする。そして回答権は一度のみ。その代り、相談は自由だ。ここにいる三人以外でも、九十九さんの名前さえ出さなければ知恵を借りて良い。紅葉には明日、私の診療を受けて貰う」

「そんな手厳しい条件じゃ、全ての情報開示には割に合わない」

「これを解ける可能性があるとしたら紅葉、お前だ。だから私はお前にだけ回答権をくれてやると言っている。それに、この手の事にお前より秀でているお姫様が今頃二階で安眠中だ。私は知恵を借りて良いと言った。勿論正解すればそれを双子に教えても構わない」

「つまり、これから出されるヒントは俺や百が得意としているジャンルって事か」

「そうだ。私は約束を破れない。私の口から喋る事は出来ないが、お前達が勝手に真実に辿り着いたならそれは裏切りにはならん。お前達はどうだ? それで良いか?」


 双子は黙って永遠子の問い掛けに、コクリと頷く。

 多分、これ以上粘っても永遠子を相手に良い方法は出て来ないと踏んだのだろう。


 ゆっくりとソファの背凭れに背を預けた永遠子は、組んだ足の膝頭に手を組んで口を開く。


「この薔薇の下に関わる諜報員が一人いる。罪を犯したその諜報員を私は塔へと逃がした。その諜報員を見付けろ。そいつが全部知っている」

「分かった」

「え? 分かったのか?」

「藍羽、これは暗示暗号ってヤツだ。文字通りの意味は持ってないって事が分かっただけだ」

「確かに紅葉にしか解けそうにないね」


 そう言って黒羽は自虐的に肩を竦めて眉尻を下げ、呆れた顔をする。


「時間制限は設けない。五年でも十年でも禿げるまで考えるが良いさ」


 楽しそうに笑った永遠子は、そう言って書斎を後にした。

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