死霊術士、死体操りの是非を問う
「無論、できる」
鋭く確言した死霊術士とは対照的に、傍らの神官はそれを受け入れたものかどうか決めかねているのもあからさまな思案顔である。
この思案は、要するにカシオン・ホーンテッドパス自慢の死体操りを認めるかどうかというもの。いやはや、言うまでもなく人の亡骸を掘り返して使おうなどと、そういう話であれば司祭フェリアも堂々ならぬと断言できるだろうが、しかし今回はそうでもない。
即ち功名漁りアネット・レイヴンヒルの言葉は斯くの如く。
「牛馬の死体を動かしてもらいたい」
賢しい言い方をするならば、それを以てワイヴァーンへの陽動とするのだという。
ワイヴァーンは狡猾で危険な存在だが、あくまでその性は獣。真なる竜のうちで最も劣るとされる白竜でさえ持ち合わせている知性も、零落した亜竜には高尚な代物だ。しっかり目を引けば潜み過ぎ行く人間などには見向きもしないだろう。
故に畜獣の亡骸を囮として歩ませるというのは堅実な手だと言えよう。それによって危険は遠退き、失うものは少ない。
と、言えるのはカシオンの死霊術を全面的に認めればの話である。獣の亡骸を歩ませること、果たして許していいものか。なるほどたしかに人の亡骸を穢す行いではない。何らかの理由で斃れた牛馬の死体を引き取るのであれば犠牲を生むこともあるまい。
しかしその亡骸を利用することと、死者の亡骸に手を出すことと、その境界線は酷く細い。これをゆるがせにすればあっという間に転がり落ちて、善神の教義に悖る行いに耽溺することになるかもしれぬというのも想像するに難くない。
故に、フェリアにはどうしても容易く頷くことができないわけであった。
「お待ちください」
フェリアが何も言わぬうちに(そのような意図は無いにせよ)これ幸いと話を詰めて、図面の上で兵棋演習よろしく使える屍獣の数、目される進行ルート、聞き出した住人の人数から繰り返される往復を数え、嬉々としてその計画にも目鼻がつきかけている。危ういところと差し挟んだフェリアの声に、レイヴンヒルの指もピタリと止まり。
「なにか。神官殿?」
「いえ……」
姿勢を正し、フェリアは盤面を指し示した。
「牛馬の死体を動かすのは止めましょう。その手の死霊術はみだりに使うものではありません」
「フェリア」
咎めるようなカシオンの声は、しかしその実自分自身に向けられるべきもののはずである。楽しい話に水を差されたとは言え、そうされたことを非道と言えるほどに赦された話でもない。
「しかし神官殿。既に地下で活用されたと」
活用! 何たる言い種か。生と死のあわいを歪める術法を、こともあろうに活用と。しかしアネット・レイヴンヒルの面差しは、世のあらゆるものは活用されるその時を待っていると断じているかの如し。
言われたフェリアはしかし、頭ごなしに否定もできぬ。何しろ事実あの地下道から生きて帰るため、カシオンの死霊術に動かされた再生死体、
「……あくまで緊急避難です。望んで使ったわけではありません」
苦渋を呑んで告げたものの、あまりそこに触れたくないと言った一種の拒絶もありありと、果たして傭兵隊長殿は受け入れたものかとそっと探りを入れてみたところ、どうやらアネットは頷くばかり。
「神官殿が否むのであれば」
若干の名残惜しさか、カシオンを盗み見て仕方ないと呟く様は些か悄然と、何やら力ない。しかし頷いてくれたとあってフェリアも満足一つ、分かりましたねとカシオンに向き直ったところで。
「いや、ちょっと待ってくれ。お待ちいただきたいアルテナータ司祭。これなるアネット・レイヴンヒル殿から出された案、退けるには理由が軽いと思われるが」
不満も露わな慇懃な口調で食ってかからんばかりの勢いに、フェリアは暫し閉口した。
「街の外において死体を動かすことについて法は禁じてはいない。
「カシオン……」
いや、カシオンの言うこと、ただその理屈だけを見ればそれぞれ尤もと言えるだろう。瑕疵は化物峠の死霊術が本当に語っている通りのものかについて証立てられておらず必ずしもフェリアが信ずる理由がないことと、そしてその使い手のカシオンがフェリアの監督下にあるということくらい。
それだけあればフェリアが断るというのも筋を外した話ではない。しかし。
「そもそも彼女からの案は一度に運べる人数を増やし、より安全に、短期間で状況を解決するためのものだ。村の窮状を思えば汲むべき意見なのでは」
なんともつかぬ呻きを一つ、フェリアはカシオンを半ば睨んだ。いったいどのような意図でアネットの意を通そうとしているのか、悟った賢人のごときその表情からは読み取りかねるがあまりにもあからさま。
「善なる目的が悪なる行為を正当化するわけではありません。カシオン、そもそもの話をするなら私はあなたの監督者です。あなたの行いを正すのも私の務めです」
「先にも伝えた通り、怪物峠の死霊術はいわゆる通説的な悪なる行いである魂の領分には関わりのない術法を用いるものだ。無論、今回はあなたの言う善なる目的のために使われることになるわけだが」
「あなたの術が善か悪かを判断するのは私ではありません。それに目的の善悪があらゆる行為の理由にはなりませんよ」
知らず互いに言葉も強くなり、声も僅かずつ大きくなっていく。公然と司祭に反論する死霊術士の様は、当然周囲の目からは如何せん不安なものにも映るだろう。それを危惧した、という訳でも無かろうが、アネット・レイヴンヒルは鋭く二人の会話に割り込んだ。
「どちらも尤もだ」
言葉は短いながらも、自然、聴かせることに長けた声音が二人に間を生んだ。
「術士殿。自分の案への賛同は嬉しい。しかし手段に拘り神官殿に無理強いはできない。優先すべきは目的だ。自分の言い出したことだが、その腕は違う形で揮ってもらいたい」
「……であれば、仕方ない」
発案者が前言を翻すのであれば、カシオンもまたいつまでも抗弁ならず。些か、いや明らかに不満を面に残しながら、渋々とカシオンは頷いた。翻ってフェリアはと見れば、これも思わぬ拍子抜け。何故アネットが自らに加担するものか、どういうことかとカシオンを探るが、カシオンとて分かってはいない。
「しかし神官殿」
「はい」
呼ばれ、黄色い眼に射竦められて、フェリアの背筋も思わず伸びる。
「手段は必要があれば選択されるべきだ。灰分けの村の実状は確認できていない。必要か否かは確認後に話し合おう」
「……いいでしょう」
屍獣を使おうが使うまいが、どちらにせよ灰分けから逆枝まで何度も往復することに違いは無い。現地が二進も三進も行かない状況になっているのであればフェリアとて二、三の制限を加えたうえで、いやいやもう少し厳しい条件を付けるかもしれないが、人命と天秤かけて屍獣に肯んじる程度の度量はある。言うまでもなく、その他の選択肢をすべて検討したあとの話だが。
「どうだろうか。術士殿」
「勿論、そういう話であれば異存は無い」
幾分柔らかく、尋ねるような問いかけには死霊術士も不満を擲ち、肯定の意を伝えるにやぶさかではない様子。
「よし」
アネットは頷き、二人へと交互に視線を走らせた。
カシオンも、そしてフェリアも既にこの一件には乗り気なのは明らかだ。勿論、フェリアにはカシオンに命じて断らせるという権限も持ち合わせているが、助けを求める人々、参事会の要請、カシオンの生計、なによりフェリア自身の信義によってこの一件を遠ざける手はない。
「では、逆枝までは馬、そこから灰分けの村は徒歩で移動しよう。道中補給は経路にある」
途上、アネットのしなやかな指先がとんとんとんと三箇所の村の名を示す。
「これらの村で行う。現地ではワイヴァーンの数と村の実状から最終判断を行う」
異論は無いかと問う声に二人が各々応じると、アネットの張り詰めた表情の、その頬の些か綻んだ様は不思議と幼気さを帯びている。
「感謝する」
「礼には及ばない。いや、まだ早い。それは満足いく働きを見せてからでいいだろう」
堂々応じるカシオンの、その仕草に顕れる自信の程は火を見るよりも明らかと言葉とは裏腹な方向に雄弁な、ともすれば増上慢の謗りも免れ得ないだろう。
無論アネットの目にはカシオンを軽んずる色はない、どころかどこか羨望も滲ませて、ただただカシオンに応え、そうしようと言葉を収めた。
「それで、出立はいつですか?」
日程も重要ではあろう。しかしより重要なのはいつからその日程に入るかというところ、村人の日干しが見たいと言うのでも無い限り悠長に構えるような案件ではない。
そこはさすがの功名漁り、みすみす村人達を飢え死にさせて己が威名、勲を語るものを減らそうなどと考えるわけもない。
「今日、これからだ」
「待、え? ……いいえ」
高徳の司祭も呆気に取られ、思わず間の抜けた声を開陳したものの辛うじて威厳をすっかり被りなおしてみせたのはさすが日々聖職者として務める積み重ねの賜物か。
「次の鐘までには具足の整備が終わる。それを待って出立する。こちらの都合で待たせるが、容赦願う」
「なるほど。それは」
最善最速の選択肢であると断ずるが如きアネットの、その目は前進の意志を断固たるものとしていた。しかし残る二人はそうかと頷くわけにもいかない。性急さに見返りがないとは断言できまいが、いやさまずは支度というものがある。
カシオンの、無理だと言下に否む言葉が形になるより僅かに先んじて、フェリアが遮るように言葉を放つ。
「なるほど、灰分けの村を待たせておけないというのは分かります。輝く者の慈善の心にも適うものでしょう」
はたしてフェリアの言う通り、アネットを突き動かすものが輝く者の吹き込む他者を慈しむ想いから出たものかどうか、口にするフェリアにすら断言はできないが。
「ですが、現実問題としてそれはできません。街を出るに当たってはそれなりの準備が必要です。馬を用立てる必要もあるので、明日の正午までには支度を終えることができると思いますが」
馬の管理は面倒だ。フェリアが如何に神の愛子でも、普段使いもしない馬を飼っておくような余裕などない。半ば根無し草めいたカシオンであれば尚のこと、馬など所有しているわけもない。となれば馬のこと、神殿にでも頼み込んで用立ててもらうより他にはあるまい。
留め立てするフェリアに、しかしアネット・レイヴンヒルも僅かな思案の後、安心させるように頷いた。
「馬は既に参事会から四頭借り受けている。迷惑は掛けない」
「そうですか。ですがそれでも明日の朝、少なくとも朝の二の鐘までは待ってください」
であれどもと断られ、アネットの押しも行きつ戻りつこの女司祭にどこまで我を通そうとするべきか、些か怯んで二の足を踏んだ。
そしてフェリアに応じるよう、カシオンもまた頷いて同意を明らかにした。しかしカシオンも旅支度の不備でのみ出立を遅らせようという肚ではない。
「だいいち、すぐに日も沈む」
「ええ、そうです」
既に日は暮れかかり、夕闇は昏さを引き連れている。いくら月明かりがあろうとも暗夜闇路を行くのはおおよそ夜目の利かない者には決して賢い選択肢とは言いかねる。こればかりはカシオンもまたフェリアも意を同じくするところ。
「
「そういう訳では無い」
取り繕うことも知らぬとばかり、問いかける言葉の消えたかどうかのうちに応えるアネットに、フェリアは首をひねって訝しむ。
「では何故……?」
「それは……」
即断即決の女傭兵の面に不似合いな思案の色もあからさま。いやはや詮ないこと、故を問うより先に日限を明日と改めることこそ肝要と気付いたフェリアの、前言を翻す言葉が出るより僅かに早く、何事か得心したように頷いたのはアネットだ。
「確かに司祭殿の言う通り、急ぐ理由はない。常の癖だ。どうか許されたい」
常の癖、と理由ならざる理由を述べ立ててアネットは音立てて立ち上がった。口早に謝辞を告げ、明日の二の鐘、いや正午にと念押ししたアネット、なれば段取りも変わってくると独り言ち、颯と踵を返して足取りは決然足音も高く、難癖の一つもぶつけようと手ぐすね引いていたらしい無頼漢を尻目に店の戸を潜る。話は終わりとばかりのその様に、いやはや確かに必要なだけは決まったようなものの。止める暇のあればこそ、些か戸惑いがちに投げかけられた疑問符交じりのフェリアも声も、果たして聴かなかったか聞こえなかったか。
「南の大門で」
店の戸口の向こう、一度振り返って告げたと思うと、外套を翻して雑踏の中に消えていく。
取り残された無頼の輩、剣呑な眼差しを同じく残された二人に向け、何事か傭兵女を誹る言葉でも口にしようとしたものの、その片割れが酔竜亭に悪名高い死霊術士と見て取って触らぬ神に祟りなしとばかりに引っ込んだ。
ほうと溜息をついたフェリアをねぎらうよう、殊勝な顔をしたカシオンが飲み物を一杯呼ぶと、意外やどこか物言いたげな視線が帰ってくる。
「彼女も、あまり人の話を聞かないようですね」
「そうかな?」
人の話を聞かない第一人者は首を傾げ、手元に届いたマグを傾ける。
「ともあれ、今日今すぐにという話をしっかりこちらの要望通り明日の正午に変えてくれたんだ。何よりじゃないか」
あっけらかんと言い放つその顔に、この甘さがどこから来るものかとフェリアは少し訝しんだ。
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