死霊術士、罪なき吟遊詩人を脅かす

 ドーンフォートの北部、市壁にほど近い場所に酔竜亭ドランケン・ドラゴン・インはある。酒壺を抱いた赤竜を滑稽に描いた看板が目印で、ひっきりなしに武装した連中が出入りする剣呑な店だ。勿論悪い店ではない。もしあなたが問題を抱えているのなら、その店の主に頭を下げてみると良いだろう。適切な料金を取って、その問題を解決するのに向いた人間を差し向けてくれるはずだ。


 つまり、冒険者を。


 冒険者と一口に言ったところで、その実態は千差万別だ。

 あるものはこう語る。

 人間世界を押し広げるもの。昔時の輝きを取り戻すもの。鋼を振るい、呪文書を携え、信仰の奇跡を顕現させ、狡知の限りを尽くしてあらゆる困難を打破し、英雄たらんとするもの。


 あるいは、このように。

 暴力を糧とするもの。法と社会から逸脱したもの。命を賭けた博打をうつもの。文明世界の忌み子たちに新たな名をつけ、善きものとして定義しなおしたもの。


 どちらも他方から切り離されて存在するわけでもない。その証拠に、酔竜亭に足を運べばどちらにも出会うことができるだろう。そうして、彼らはあなたの問題を解決してくれる(かもしれない)というわけだ。

 結局のところ、平穏な生活という枠から良かれ悪しかれはみ出した者たちの安楽の地、それが酔竜亭という場所だ。


 さて、酔竜亭というところ、日々そこにたむろする客達はそれぞれに種々諸々の娯楽に興じ、その喧騒は良いように言ってみれば活気に溢れ、悪く言えば雑然とした空気に熱を放っている。


 その酔竜亭において今日今晩このときに冒険者の耳を楽しませるのは、そう、この夜また同じように、この街のあちこちで奏でられている真新しいバラッドだ。フィドルの奏でる音色に重ねて、エルフ混じりハーフエルフの二流楽士が人々を楽しませるべく喉を震わせる。


 語られるのは信仰深き司祭の物語。

 消息を絶った人々を追って、一人ただ聖印のみを携えて街の地下へと向かう聖女。暗がりも、潜む怪物も、彼女の足を止め得ない。地上の日の光よりなお明るく道行きを照らすのは彼女の胸に宿った神への祈り。


 輝く者はその信仰に大いに喜び、彼女を言祝いだ。暗闇に潜むものよ、邪悪なすものよ、彼女一人を恐れよ、我がために務め果たすものこそ我が眼。そしてその行く先に幸いあるべし、光輝あるべしと。


 朗々と響く吟遊詩人の楽しげな謡いに、酒場の熱もいや増すばかり。いつも通りに遊戯に興じ歓談に興じ、同時に吟遊詩人の歌声に耳を傾けている。


 一転、弦楽器の音色も陰に篭もってどこか辺りを窺うように、声色を変えて吟遊詩人が語り出すのは乙女が輝く者に導かれ、その暗い地下の中で出会った者のおぞましい姿。


 巻き付けるように羽織った外套の、黒い日覆いを目深に被り、その下から覗く口元は青白く死人の如き色。おどろおどろしい声で囁く呪言には屍を縛り歩ませる力あり。

 今しも目の前で動き出す屍に、乙女は迷宮に消えた冒険者達の面影を見て取った。死霊術士の前に飛び出してその悪行を糾弾する聖女を語るには、凜々しく美しく朝焼けに似た赤の髪をたなびかせた姿まこと輝く者の愛子と熱っぽく美辞麗句を極め、それに浮かれた宿の酔客が口笛と喝采を送った。


 人の道、善なる者が従って当然の屍操りへの批難を受けて、しかし死霊術士は従うそぶりも見せはしない。軋るような伴奏を重ねた吟遊詩人の声は聞く者を青ざめさせる響きを以て、死霊術士の姿をそこに描き出す。


『打ち棄てられた亡骸を拾って何が悪かろう。いや、再びこの世を歩めること、感謝しても悪くはないぞ』


 それでも彼らを解放せよとの聖女の嘆願受けて、死霊術士は却ってその姿を嘲り笑う。変わり果てた骸達に命ずるには、この女を取り押さえろと冷たく一言。じわりじわりと迫り来る亡骸達のその面影に悲しみも感じようと、麗しい聖女もついには捕らえられ、四肢を押さえられて逃げることも出来なくなった。


 陰鬱な死霊術士の嘲笑と、己が柔肌に触れる哀しき指の冷たい感触に、聖女も瞼を閉ざしあわやここまでと、吟遊詩人が情感もたっぷりに溜めに溜め。


 そして一転、軽やかな旋律と共に紡ぎ出されるのは辺りを取り囲むコボルド達。投げ込まれた油壺が音を立てて割れたかと思うと、溢れた油に松明が投げ込まれ、ようやく気付いた死霊術士と聖女の二人、昨日の敵は今日の友とばかり手に手を取って逃げ出す様が滑稽劇の如く語られる。


 一息つき、ええいコボルド風情がと放った死霊術士の呪いは、しかしコボルドどもの親玉に阻まれる。迷宮の闇から溶け出したように現れたのはなんたることか黒い竜。竜ののんどを震わせて、吐いて見せたは酸の吐息いき。四方からコボルドどもも攻め寄せて、出来ることはただ一つ。再度の逃走劇をよどみない口ぶりで、しかし声音も交えて軽妙に語ってみせる。


 息せき切って逃げ出したが、逃げ出すこともままならず辿り着いたはどことも知れぬ玄室の、灯りも一つの薄暗がり。石作りの扉になんとか封も掛け、ひとときの守りは得たものの、どこにも行けぬどん詰まり。事ここに至っては邪悪なる死霊術士もついに天命尽きたと諦めて、この世の邪悪納めにと哀れ聖女に命を迫る。


 しかし、否、やはり命脈絶たれたこの期に及んでも聖女は輝く者の善なる意志の体現者に違いない。たとえその後に怪物達の手によって八つ裂きにされようとも、それでもここで命果てた英雄達に慰めを。切々語るその姿、先に倍して美しく、輝く者の加護ぞあれ、陽の明かりさえ届かぬはずのこの地の底に紛れもなく陽光の輝きが差し込んで、まさしく太陽神の愛子と呼ぶに相応しい。


 人の心も凍てついて邪悪に染まったはずの死霊術士、いつしか頬を伝うは一筋の涙。知らずのうちに跪き、聖女のその善なるに心打たれ、今や死地においても他者を想うその厚情に絆されて、先非を悔いること甚だしい。悪しき竜の顎門に掛かりついには骸の仲間入りをするとしても、この善き人のみは返さねばならぬと想い極めて、司祭の手を取り、悔悛の秘蹟を希う。


 聖女はおおらかに受け入れて、彼の死霊術士の手を握り返す。今や悪しき死霊術士は司祭の忠良なるしもべとして悪しき竜に――


「待ってくれ、あれは僕らの話か?」

 フィドル奏でる吟遊詩人から離れ、煤けた窓にほど近い壁際の席で一人の男が呻いていた。誰あろう、彼こそカシオン・ホーンテッドパス。迷宮で黒竜率いるコボルド氏族と戦い、これに打ち勝って生還した二人組の片割れだ。


 地下牢より出され、汎神殿即ち諸々の神々の神官が寄り集まる参事会に次ぐ権威の宣告に彼一流の"悪しからぬ"死霊術士式の演説をひとしきりぶち上げかけたところを牢番とフェリアに口を塞がれ、なんとか罪を増やすことなく汎神殿の決めた通りフェリア一人を監督者として地上に這い出してきた身の上である。

 しかし想定外なのはこのバラッドで、汎神殿の前で四つ辻で広場の端で口々に演じられるこの演し物の端々を耳にして、新しい流行りにどこどは言えぬ疑念を感じながらも泊まりの酔竜亭にようやくのことで辿り着き、不在のうちに数少ない荷物が打ち棄てられていなかったことに感謝して不足の宿代を身を切るように支払って、次いで明日以降しばらく分の生活費をようやく支払われた地下迷宮の黒竜退治の賃金から捻出し、これでなんとか先のことも考えられるとミードを煽ったその時に気付いたこれである。


 道行く人々がフェリアに随分と愛想良く挨拶するもので、先達て共に地下に降りると行動した日との違いに内心首を傾げていたカシオンもようやくのことで腑に落ちた。おおよそ、カシオンが地下牢で牢番と話に花を咲かせていた頃からこの歌は演じられていたのだろう。ということはつまり、竜の亡骸を地上に運び出してすぐ、その話は吟遊詩人の耳に入っていたということだ。


 竜の亡骸が運び出されるところを、一体どれだけの人々が見たことか。けれども違和感があるのは吟遊詩人の語る内容に幾ばくか思い当たる節のあることだ。いいやまるきり同じとは口が裂けても言えないが、コボルドから逃げ出した時の有様やフェリアとの会話の一部に、全体から見ればほんの一部だが確かにあったと思える内容がちりばめられている。


「ああ、そうですね。多分汎神殿の方で吟遊詩人に手を回したんでしょう。私の聞き取りも参考資料に」


 この場合汎神殿とフェリアが言うのは実際のところ輝く者の寺院であり、同じ汎神殿と数えられながらもその実より大きな影響力を得るために各寺院は各々自らの持てるものを最大限に活用し人々の関心を惹こうとしているのだが、ここではひとまずカシオンがこの事態を神官達の手になるものと理解を示したことで充分としよう。


 しかし二人の問答の最中にも、吟遊詩人の語りは熱演を以て聴衆を巻き込み黒竜に挑む人間の姿をありありと描き出している。聞く者のうち誰がこの語りを遮ろうか。


 フィドルの音色も緩やかに、今や死霊術士がその内なる善に導かれ、黒竜の酸の吐息も轟々と、聖女を庇って倒れ伏す。聖女を励みと挑んでこそ、死霊術士が倒れてもなお骸達は黒竜を打ち砕き、それが務めの仕舞いとばかりに動きを止めた。

 最期の息を引きながら、死霊術士も今や末期の長台詞。かつては役者でも務めていたものか、吟遊詩人の声は聞く者に自然と涙の一つも零させる名調子。かつては善の愚かさを嘲笑ったこの身だが、今やそれこそ愚かと知った。善なるものの輝きは見るものを導く灯火であり、聞くものを震わす鼓舞の歌だ。我が身はここで果てるとも、善の大義に滅びはない。美しい方よ、あなたがここを出て後に善を連ねて進むのならば善は死なずまた我も死なず。どうか哀れと思ってくれるなこの小さき者を。不滅の善を支えんがためここで尽きるは望外の、叶うはずもない願いであった。また聴く者も、どうかこの身を忘れるなかれ。悪しきこの身は滅んだが、善なる魂は尽くまじき。


 見事演じた愁嘆に、いつしか始まった喝采と投げられた銭貨が報いられる。かくしてバラッドは終幕を迎え、悪は二つ潰え、善は一つ生まれたとの締めくくりの言葉に応えて大尽の饗した香りの良い料理が詩人に運ばれる。

 沸いた酒場の勢いに新たな注文が行き交って、隣り合った客同士酒の肴に死霊術士の末路の報いを語ってみせる。吟遊詩人の肩を叩く者、幾ばくかの金をおいていく者、馴染みの客が酒を追加し、今宵吟遊詩人の夢見は安泰かに思われた。


 だが、一人決然と立ち上がる者がいた。吟遊詩人にもの申さんと、それだけで監督者を狼狽えさせる者が。


 カシオンである。


 客の間をすり抜けて、思いのほかに軽やかにずいずいと吟遊詩人に距離を詰め、食べるのをやめたやせっぽちの吟遊詩人のポカンと見上げる顔に影を落とす。


「いいものを聴かせてもらった」


 言葉少なに銀貨を一枚卓上に起き、人当たりの良い笑顔も束の間真顔に変わったカシオンの、鋭く間合いを縮めた一歩に気圧され詩人は後ろに仰け反った。


「カシオン! 余計な騒ぎは……」


 呆気に取られたその数瞬にローグはだしの身軽さで吟遊詩人に迫ったカシオンを、なんとか騒ぎを起こさぬようと止めに入ったフェリアもしかして既に時遅し。


「だが、あの終わりはいただけない。人のいないところでのやりとりに多少の嘘が混じろうと、それは仕方の無いことだ。しかし僕はこうしてちゃんと生きている。勝手に死人にされては困るし、なにより――」


 その言葉に吟遊詩人は目をむいて、仰け反るあまり椅子から落ちた。それも不思議はないところ、なにしろ『かの』死霊術士が目の前にいて、それが己こそ死霊術士と名乗りをあげて来たのだからして、さては彼らの流儀で死刑宣告に来たのだと思い詰めても無理からぬこと。

 仰向けに落ちたのが慌てて蛙の如く這いつくばって許しを乞う様哀願の、心あるものなら哀れと思おうものながら、カシオンにはそこまでされる言われもない。憐憫の情より先に困惑が湧き上がり、知らず舌鋒も勢い減じ、続けて口にするつもりだった死霊術士邪悪論への反論も、しかとは口にしないまま割って入ったフェリアを見下ろして眉根を下げるのがやっとのことだ。


 こうなっては最早当然と言うもので、カシオンとフェリアの二者は今や酔竜亭の酔客たちの好奇の的にならざるを得ない。既に話題の人であるフェリアこそすぐに輝く者の司祭と知れたが、カシオンが一体何人なんぴとか、顔を伏して命乞いする吟遊詩人とその脇で青ざめる数人を除いてはわかりもしない。


「カシオン、カシオン・ホーンテッドパス。分かっていますよね? くれぐれも騒ぎを起こさぬこと。街で暴れるようなら次は二日ではすまないと言われたのは覚えていますよね。私があなたの監督者としてここにいることも」


 言われてカシオン、目の前で額突く詩人に困惑の満ちた眼差しを向ける。一体誰がこうすることを望んだか、少なくともカシオンの望みではないことだけは明らかで、できれば穏当に決着を付けて次回以降の演出から誤解の種を取り除いておきたかっただけなのだが、しかしこの哀れ体を丸めた吟遊詩人のこの様にカシオンが無縁であるとも言えない身の上だ。


 カシオンに任せていても埒の一つも明かないものと、自ら出ることを選んだフェリアは吟遊詩人の肩に触れ、そっと囁きかける。


「安心しなさい、彼があなたに危害を加えることはありません」


 人に話すことに慣れた自信に溢れたその言葉に、吟遊詩人は怖々顔を上げ、フェリアの提げた聖印とその顔を目にして安堵の吐息を一つも漏らしたが、横から仏頂面の死霊術士が睨みつけていると(事実とは異なるが見たものにとってはそれが真実である)気がつくと、銀の月よ南無三、バネ仕掛けの如く跳ね起きて、フィドルと荷物をひっつかんだかと思うと魂消るような悲鳴を残して疾駆した。


 一体誰が止められようか。思いもつかぬその過剰反応に、無論死霊術士カシオンは困り果て、フェリアとて如何ともしがたい。周囲の酔客たちも怪訝な顔を向け、さてもありがたや楽士を追い出したこの男は何者だとざわめいた。ここにフェリアなかりせば酒を聞こし召したお歴々の手によって、慮外の振る舞い為したカシオンは明日の日の出も見られない羽目になっていようから、その点においてはカシオンもまこと運の良いと言えばよかろうか。


 楽士を走らしめたのはカシオンとは言え、突然叫んで逃げ出したのはカシオンの制御しうるわざでもない。頼み事も叶わず、不随意の注目も避けえない。ともあれ見られていたからと言って何か困るわけではないと、開き直ったカシオンは気を取り直し、席に戻って残った蜂蜜酒ミードを片付けることにした。


 しかしそうはいかないのがフェリアだ。戻ろうとするカシオンの袖を掴み、思いも掛けぬ膂力でその場に縫い止めて、店の空気に水を差したことを謝す。


「なにやら行き違いがあったようで、あの方にはまた私から伝えますが、見ての通り、この者は私の監督下にあります。皆さんを害することはありませんし、何かあれば私まで一報いただけますと幸いです。お楽しみのところ邪魔をして申し訳ありません。どうかお続けください」


 素早く懐から金貨の数枚も取り出して、これもまだ何が起こっているのかよく分かっていない顔の給仕に握らせたかと思うと、ここにいる客の払いはこれでと告げて一礼、堂々と店の外へと歩みを向ける。

 腕を引かれたカシオンの、蜂蜜酒に未練を残して声を掛けるのも気に掛けず、二人の姿はスイングドアを揺らして消えた。



 店を少し離れるや、フェリアはカシオンを手放した。勢い余って一歩二歩と蹈鞴を踏んで、立ち並ぶ店の灯りばかりが照らす通りに二人を除けば影は数えるばかり。先に出ていった楽士もどこへ行ったものか見当もつかない。薄雲に覆われた空を見上げて、カシオンはフェリアを振り返った。


「申し訳ないが、僕が宿を取っているのはあの店だ」

「分かっています」


 まったく頭痛の種とばかりに、フェリアは顔をしかめてみせる。


「なら外に連れ出す必要は」

「ですが!」


 突き出す指の勢いに、カシオンは思わず仰け反った。先ほどの吟遊詩人がカシオンにそうしていたのとまるきり同じ有様だ。


「騒ぎは起こさないようにと言っておいたはずですが! どうして騒ぎを起こそうとするんですか!」

「いや、そんなつもりはない」


 無いと言って、本心からそうなのだから厄介だ。何しろカシオンにとっては己に対する事実無根の風評を、これ以上まき散らされる前に正確な情報に差し替えたいと思っただけのこと。あのハーフエルフが非を認め、速やかに訂正すれば騒ぎも起こるはずはないと、少々早合点の臆病さにこそ罪ぞあれ、己には何の瑕疵も無いとぬけぬけと言ってのけるだけの理由があった。


「……カシオン」


 しかしカシオンがどう思おうと世界がそれに従うわけではない。


「良いですか。吟遊詩人の語ることは語ること、風評は風評です。それは本質的にはあなた自身とは何も関係ありません」

「関係はある。フェリア、あなたは聖女様で黒竜退治の英雄だが、僕はあなたたちの大好きな邪悪な死霊術士で、おしまいにはあなたを庇って死ぬ役だ。それもあんな懺悔の言葉を残して。まるで僕が邪悪な死霊術士のようじゃないか。怪物峠ホーンテッドパスの学派の名を貶めることになる」

「それこそですよ」

「なんだって?」

「あれはあくまであのバラッドの物語です。私とあなたは二人で地下に降りたし、コボルド罠にも二人で引っかかった。追い込まれた先でゼラチンお化けに襲われて、そこで見つけた亡骸を弔うように言ったのはあなたです。そうして二人で竜退治を成し遂げて、どちらも死なずに帰還できた。それが本当です。つまり、あれはただのお話です。それはあなたにも分かっているはずですよ」


 柔らかな声音を聴くうちに、カシオンの心もすっかり落ち着いて、フェリアの言葉に耳も傾けようかという気にもなる。

 もちろん、二人の行いについて語ることに、多少の嘘が混じるのは仕方のないものとまでは理解しているカシオンである。


「……つまり」

「それに第一、カシオン、あなたを見れば生き残っているのは自明です。吟遊詩人の歌が好き放題盛ったものだなんて当たり前の話ですよ当たり前。大切なのはあなたがどのような振る舞いをするか、なのですよ」

「そうか」

「そもそもこの私にしたって、それはまあ輝く者の愛子、陽光の如き赤い髪と言われればその通りですが、それでも謡われるような聖女じゃありませんからね」


 言葉一つ。指先で表す歩む動きは、つまりカシオンの手になる歩き髑髏、即ちあの冒険者の亡骸たち。それがいかなる理由であれ、あの部屋で彼らを弔ったその第一の理由は死霊術士カシオン・ホーンテッドパスであって輝く者の神官フェリア・アルテナータではない。


「歌みたいに、言葉一つであなたを改心させられればどれだけありがたいか」


 溜息交じりの物言いに、一抹申し訳なさも浮かんでカシオン、思わず慰めの言葉も出掛けたが、ふいに眉間に皺がより、思い直して口調も硬く。


「改心とはどういうことか教えていただきたいものだが、神官殿。この身、この信条に悪の腐敗はないとそちらが保証してくれたはずでは?」

「そういうところです、カシオン」


 どういうところかと勢いこんで難詰を、しかしぶつけるより早くフェリアが手で制した。


「理屈ぶって、それらしいことを振りかざして、相手がどうであろうとお構いなしなところです。死にたくないのなら見直した方がいいでしょうね」


 顰め面して、フェリアの言葉を受け入れかねるとありあり表したカシオンに、これもすぐには変わるまいと弁えたフェリアも唇の端を曲げ、それではと辞す構え。


「くれぐれも、いいですか。再三になりますが大人しく、決して騒ぎを起こさないよう……と言っても無駄でしょうが。何かあったら私と汎神殿の名前を出してください。監督下にあると」

「……分かった」


 本心からとも思えぬ返答も、しかしカシオンとて面倒事は避けようとするだろうと判断して、フェリアは念を押すように碧眼以てカシオンの目を覗き込んだ。少しく拗ねたように頷いたのは、分かっているとの謂いか。


「それでは……これからしばらく、よろしくお願いします」


 フェリアの差し出した右手を、何か物珍しいものでも見るような心地がして、二度ほど瞬きしてみせたカシオンも、これを切りよく一つの弾み、応えて右手をそっと出しよろしくお願いすると言葉を返したところで手を握られて、やんわり力を込めぬよう握り返した。


 また明日ここでと告げて、フェリアは迷いもない足取りで街路を汎神殿へ帰る道行き。汎神殿まで送るなどと差し出がましい。一人夜道の女身も、フェリアに掛かれば昼日中と変わりもないらしい。法衣の下に着込んだ鎖帷子のすれる音、冴えた空気に硬さが心地よい。


 それを見送って、カシオンは己の右手をまじまじ眺めた。通りを照らす窓明かりの、その熱気も一際暖かく、吹き抜ける木枯らしが骨身にしみる。

 しかしカシオンの右手には、未だ残った人の熱。おおよそ一月も触れていなかっただけで、既に懐かしささえある人肌の、驚くほどの熱さであった。



 さて一方、今のは一体なんだ、と二人を見送った店の客は口々に語り出した。無理もない。輝く者の帰依者として貧者に糧を与え、また輝く者の代理闘士として危険に挑むフェリアのことは、バラッドを聴かずともこの店の客であれば知る者も多い。対してもう一人の男にしても、ここ一ヶ月の新参ではあれこの店で姿を見た者も多い。それが神官の監督下におかれている?

 神官殿の監督下、ということはつまり汎神殿の監視下にあるということで、あえて手を出すのは憚られるにしても酒肴には申し分ない。いくつもの流言が飛び交って、とうとうかの御仁とはかけ離れた妄言像が生み出された頃に、ようやく楽士の側にいた客が訥々語るカシオンの言葉の断片に、ざわつく冒険者達も合点がいく。


 即ち彼の人こそ死霊術士。なるほどいかにも、既に憶測語られてもいたけれど、本人の言葉と照らし合わせばそれをおいて他にはあるまい。楽士殿が逃げ出したのも、神官殿に監督されるも、なるほどそれはそうなるだろうとしたり顔。不気味に思う者もあれ、なんのその、いざとなれば神官殿にご注進にあがればよいだけのこと。不吉に思おうとも、却って神官殿の監督下であれば追い出させるのもよろしくはない。


 なんとなく、ひとまずその存在を受け入れた頃、どこか控えめに扉を揺らし渦中の死霊術士が店に舞い戻った。


 口さがないものも、そうでないものも、なるほど死霊術士の面構え、なんぞと筋も皆無の骨相見。

 カシオンは己の浴する注目もさておき、給仕に銀貨を掴ませて、そのままふらりと店の二階に据えられた客室へと消えていく。


 拍子抜けの大人しさ、楽士を追い出したあの剣幕はどうしたことかと半ば捏造の、それらしい死霊術士像を語り合い、不吉なさまはこんな夜には却って彼らの肴によろしく、夜が更けるまで話題は尽きない。


 かくして。

 酔竜亭には死霊術士がいるとの噂が広がるのであった。

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