死霊術士、酒場に長居する

 水で薄めたシードルの水面を揺らして、目を三角にしたフェリア・アルテナータが逆さまに何かを訴える。

 なんとか言葉を読み取ろうとしたものの、盛んに動くその口の、一言二言読み取るだけでも難しく、それが逆さまとなれば尋常の努力では追いつけない。これはどうにもならぬと諦めて、ようやくカシオンは顔を上げた。


「カシオン! ホーンテッドパス!」

「ん、ああ。すまないが話を聞いていなかった。それで、今日は……その、どのような用件だろうか」


 悪びれないカシオンの言葉に、フェリアは言葉にならない憤りを大仰な身振りで伝え、拳をしばらく振るわせて、やっとの事でカシオンの対面の椅子を引いた。


 カシオンが牢を出てから今日で七日目になる。初日こそ騒動を起こしたものの、二日目からは監督者のフェリアを伴って宿の亭主に挨拶し、面倒事を起こすつもりがないのを説明もした。三日目からは一日置きに様子を見に来るフェリアとは夜に簡単な挨拶をするくらいの状況で、昼の日中にまみえるのは都合これで四日ぶりと言うことになる。


 その矢先の剣幕に、どうしたことかとカシオンが訝しがるのもむべなるかな。少なくともこの日カシオンは日頃とその行動方針を変えてはいないし、今のところ騒動の起こる気配もない。何か火急の要件でもあったろうかと促すと、フェリアの諦め混じって項垂れかけたその目に俄然力も篭もりキッと一瞥投げかける。


「人の話をちゃんと聞きなさい! ではなくて、そもそも! なんですか昼日中から飲酒とは。いいですか、いくら監視下とはいえ常に酒を断てとは言いませんよ? ですが昼日中から放蕩に耽るのであれば話は別です。たしかに一山当ててしばし享楽の日々を過ごす方もいますよ。それでも監督者として、カシオン、あなたがそうするのは看過できません。もう少し身を慎むように!」


 うむ、うむと沸々言葉ならぬ言葉を零しながら、フェリアの叱責もなんのその、すっかり酒気帯びた頭には却ってその声の柔らかなこと、眠りに誘う楽の音かとさえ思われた。

 気付けば途絶えたその音に、見上げたカシオンの目にはフェリアの眼差しが、訝しんでいるのやら心配しているのやら。店主に一声水を一杯所望して、届いたそれに細やかなまじないで氷を浮かべ、ぐいと一飲み煽りたて、喉を通る冷たさに正気の一片も取り戻された。


「ああ……。いや、この有様を見られれば放蕩という言葉を否定もできないが」


 このような無様を晒しても店の客が自らカシオンにちょっかいを投げかけるでもない。それが故、些か隙多い姿であったことに今更ながら気がついて失態を恥じ、そっと襟元を正してみせる。


「そのような意図は一切無い。出来ようものなら勤勉に働くか、あるいは部屋で研究でもしたいところだが」


 言いかけたところで亭主のあからさまに不服を意図した視線を貰い、カシオンは魔術研究への故無い――いや本当は一理も二理もある抵抗に屈した。


「いや、本格的なものではなく、先行の資料をまとめるという程度だ。大がかりなことはしないとも」

「もう少し手短に」

「……仕事がないんだ。資料をまとめるにも、確認を行うための触媒を求める資金もない」


 世知辛い呟きに、思わずフェリアも痛ましいものを見るような眼を向けた。


「この間までは代書や絵の仕事をもらって糊口を凌いでいたんだが、どういうわけかこの間からさっぱり仕事が回ってこなくなった」


 カシオンの言葉に、亭主は沈痛な面持ちで明後日を見やる。無論、元々仕事の斡旋をしたのもこの御仁であり、そして今カシオンに仕事が舞い込まない理由も理解はしているが、かと言って客が死霊術士には頼みたくないというのを曲げてどうこうできるわけでもない。


「そういうわけでこうやって暇を持て余しているわけだ。もしフェリア、あなたが都市への奉仕を持ち込んできてくれるならありがたいが」


 都市への奉仕と聞こえばかりは良い名だが、実際のところは先の地下道の保全確認と同じく都市に関する危険を伴うなんらかの委託業務である。汎神殿監督下に置かれたカシオンは、更生の確認のためという名目で汎神殿を経由してこれに数度従事すると言うことになっている。地下道調査を思えば釣り合いが取れているかは怪しいながら、まとまった賃金も出る。仕事の来ないカシオンにしてみれば天の助けとも言えようか。

 しかし助けはない。フェリアは無言で首を振り、カシオンは落胆の色を見せぬよう努める必要があった。


「呪文売りとか霊薬売買とか、もっと魔術師らしいことを生かしてみるのはどうですか?」

「ああ……うん」


 フェリアの名案と言わんばかりの提案に、カシオンは歯切れも悪く。


「それは確かに良策だ。ただ残念ながら、魔術師ギルドの許諾が下りなくて」


 如何ともしがたい。

 ドーンフォートの魔術師ギルドは六系統十五学派が集う一大組織だ。叡智の蓄積と維持を標榜し、魔術師同士の交流の場でもある組織だが、同時にドーンフォートにおける魔術商いの全般を取り仕切る役割も果たしており、その許しなく呪文を売り、霊薬を売るようなモグリの魔術師は厳しく罰せられ、ことによっては彼らの研究材料を務める羽目になるともっぱら噂されている。

 カシオンも無論許諾を求めはしているが、しかし生憎の門前払い。今朝も今朝とてメルフィウス・ホーンテッドパス渾身の大著を以て有用性を大いに顕示してきたが、にべもなく追い出されてきたところ。紙の上の有用性よりも実際の都市・ギルドへの献身や、もしくは有力者の紹介状を持ってこいと取りつく島もない。


「師に一筆したためてもらっておけば或いは……いや、師のことだ。僕の名は僕自身の手で高めることを望まれる。なに、どうにかなるさ」

「そんな余裕ありますか?」


 どうにかなると切羽詰まった様子も無いが、その日しのぎの仕事もなく既に手持ちの金の底も見えたカシオンに、当然余裕のあるはずもない。けれど泰然自若、薄めたシードルを一口、冷たい水を二口。


「いざとなれば輝く者の神殿の炊き出しにでも頼ることにしよう。何にせよ、資金さえあればすぐにギルドに許しをもらう必要はないわけだし、余裕はないようであるものだ」


 却って晴れ晴れと椅子に身を委ねたカシオンの、悟った風な憂い無い顔に果たしてこれ以上言うことがあるのかどうか。フェリアは逡巡の末、諦めて椅子に腰掛けた。先ほどのフェリアの剣幕が故か、それともカシオン・ホーンテッドパスが死霊術士である故か、昼日中から酒場に繰り出す身分の客達は多かれ少なかれ二人に興味を向けている。彼らに水を差したいわけではなかったが、カシオンへの注意は彼らの耳にも些かの痛みをもって受け入れられている風だった。

 それでとカシオンが促すのに、フェリアはきょとんと数瞬、ここに来た理由を問われているのだと悟って頷いた。


「そうですね。実は、地下道であなたが使役した骨について処遇が決まったので、そのことについてお話しておこうと思いまして」

「なるほど?」


 冷静を装って尋ね返したものの、カシオンはどこかそわそわと、並々ならぬ興味ありと見るもの誰もが分かろうほどの、しかしそれはカシオンのみならず店にこの時間から屯する冒険者達まで同じくそわそわとひとかたならぬ関心を向けているのが明らかだ。


「……それで、どのように?」

「明日二の鐘の頃に共同墓地に埋葬することになりました」


 フェリアの言葉に周囲の皆々はそっと胸を撫で下ろし、輝く者よ、無双よ、碑文字よ真眼よと口々に崇める神格をあげ、聖句をなぞり、あるいは卓上に聖印を象った。彼らの行いも当然のこと、危険を生業とする彼らにとって地下道の片隅で誰にも知られず命を落とすことなど明日は我が身の出来事で、いやいや骨だけでも帰ってきたらよくしたもの、悪ければ怪物の腹の中に収まったきりであったり、それとも何も残さず塵に変えられてしまうかもしれない。神格の眼に止まるものでもあればそれでも御許に呼び寄せられようが、多くの者はそうではない。そうなったとき、救われぬ魂はどうなるものか。言うまでもない。尽きぬ痛苦に縛られたまま彷徨い出るのが関の山、およそ考え得る中でも最も悪い末路の一つだ。

 故にこそ、共同墓地はいずれ辿る末路の中にある救いの一つ。多少なりとも真っ当に信仰を護る冒険者であればたとえ見知らぬ者でも、同じく危険に挑んだ者よ、同志としてその終わりを寿ごうと考えるのが当たり前。それを粗略に扱おうなどと考えも及ばぬことだ。


 ひとまず観衆は満足を得たが、しかしカシオンはそうではない。


「ちょっと待ってくれ、急すぎる」

「急?」


 疑問符付きで帰ってきた言葉の強さとその信じられないものを見たかのような眼差しに、カシオンは却って驚いた。


「むしろ遅すぎるくらいですよ。ただでさえあの地下道に置きざらしにされていたんですよ? おまけにあなたの魔術のせいで、すぐに埋葬することもできずにいて……」

「それだ」

「どれです?」


 カシオンは頷き、ピンと指を一本立てて見せた。その仕草、フェリアの脳裏には地下牢でのことが思い出され、一抹の不安も感じはしたもののさすがにこの昼日中周囲の耳目を集めた上で妙なことは言い出すまいと、考えたところで思い出される汎神殿への反駁だ。慌てて黙らせようとしたところが既に時遅し。


「僕の魔術の痕跡について調査したい。実のところ、一人で人間――乃至人型生物ヒューマノイドの骨から従者を再生したのは初めてで、しかもあんな環境だろう?」


 何たることか、あまりに堂々と亡骸を検めたいとの宣言に、フェリアは間に合わなかったことに肩を落とし、周囲を伺った。幸いこの異端者を叩き出そうとする者はまだおらず、むしろ関わり合いになるのを避けるため席を僅かに遠ざけようと音をさせるばかり。


 大事にならずに一安心と安堵の息を吐きかけて、一人周囲の反応も分からぬ風にとぼけた顔の死霊術士のその風情に決然、フェリアは柳眉を逆立てた。


「死者を冒涜する気ですかあなたは!」

「冒涜?」


 あまりな言葉と、カシオンは困惑をその面に宿す。


「いいや、そんなつもりはない。勿論」

「ならどういうつもりですか」

「これは医者が患者に経過を尋ねるようなものですよ。一度手を着けた者として、それがどのような変化をもたらしたかは知らなければならない」


 言うに事欠いて医者と来た。百歩譲ってその言葉を容れるとしても、患者の望まざる行いをする医者であれば批判されるというもの。一体なんと言ったものか、フェリアには言葉もない。


「それに弔いはあの場で終わらせたし、係累が分かっているならそのまま共同墓地には行かないだろう? 物言いもつかない以上、特に問題はないはずだが」


 大真面目なその顔に無体を口にする自覚はない。周囲の客達の怪訝な顔も素知らぬ風に(と言って、実際気付いていないのだが)フェリアの返答を待っている。


「……普通はそういう風には言わないものです」

「普通とは……」


 またも七面倒くさいことを言いだしかけたその口を、フェリアは指一本突き出して黙らせた。


「分かりました。カシオン・ホーンテッドパス、残念ですが一度汎神殿へと預けられた以上、彼らは汎神殿の流儀で扱わせてもらいます。亡骸は可及的速やかに埋葬され、生前の契約がない限り汎神殿に所属しない者の埋葬を目的としないあらゆる行為は許されません」


 強権的に宣言して、僅かフェリアの心にもしこりは残る。こんな物言いで果たして誰がなるほどと納得し、心から従うことができようか。ともあれ、一時落ち着いて、埋葬に新たな騒動の起きなければひとまずフェリアとしては願ったりである。

 しかし思いのほか、カシオンに不服の色は薄い。


「そうか。流儀であればしかたない」

「……あの?」

「うん?」


 カシオンにはまるっきり、その決め事に反する意図はない。あまりにも素朴に受け入れて、うんうん頷く様は猟兵レンジャーに傅く大型犬の如し。


「出来れば僕自身の死霊術のありようをゆっくり調べておきたかったが、そういうことであれば仕方ない。しかし都市の決まりの上では再生死体リアニメイテッドを個人が持ち込むことは禁じられている以上、ここでまともに研究しようと思えば魔術師ギルドになんとか入り込むかあるいは地下道に、いや、そもそもそこまでの長逗留を想定するべきか……?」


 呆気なく受け入れ、次第に自分の殻に籠もり始めたこの学派魔術師に、フェリアはくたびれ果てて溜息を一つ。


「……まあ、分かればいいんです。いいですか? くれぐれも騒動を起こさないよう、あの亡骸に不埒な振る舞いをしようなんていうのはもってのほかですからね」


 ふと顔を上げ、勿論分かっていると朗らかに応えるその姿に、一抹の不安も無いと言えるものなど、カシオンを除いてはその場にいようはずもなかった。

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