死霊術士、墓地を訪う

 雲一つない空に浮かんだ太陽が燦々照らす温もりはカシオンの外套を僅かに緩めさせていた。時折吹く風に僅かに残った陰の冷たさも心地よく、片手に提げた道具鞄も軽やかに、外套の裾を揺らしながら街路を行くカシオンの歩みに迷いは無い。


 折しも二の鐘も遠からず、活気づいた街の喧騒も賑々しく、誰も噂の死霊術士がこんなところを歩いているとは思いもしない。


 気付かれぬカシオンが意気揚々と向かう先は無論言うまでも無い、ドーンフォート西の市壁に沿うように存在する共同墓地、即ち彼が役立てた亡骸を再葬せんとする場である。


 これならば刻限には必ず間に合うと、カシオンは一分の余裕をもって型の古いコートをできる限り見栄え良く見えるようにと整えた。先の地下での冒険行でもカシオンを守り些かの傷も受けてはいたが、それは夜のうちにカシオンの手によって遺漏無く修繕されている。

 手鏡に映した様相の、一門の代表を名乗って恥ずかしからぬと自らを任じたのはようやく墓地を目前とした頃だ。


 墓地は広く、その周囲には柵が覆うように配置されており、中に入るためには二つのみ作り付けられた門を潜る必要がある。街の中、道々あった家々よりも堅牢なその門や柵はこの墓所を護るため、また墓所から護るためでもある。

 即ち一つには、この墓所に眠る死者達に手向けられた副葬品や、或いは死者達そのものを悪しき目的のために狙う者達を拒むため、そして一つには時折発生する歩く死者リビングデッドを決して外には出さぬため。


 柵の向こうに見える景色には、立ち並んだ墓石と汎神殿を模した納骨塚がある。死者の生前を遺す墓石と墓碑銘は、誰とも分からぬ不帰の冒険者には過ぎたもの。彼らは納骨塚の下、同じく生きた同類達と同じように葬られることになる。


 この埋葬を何やらセレモニーにでも持ち込むつもりか、遠目に見る分にも既に数人の司祭が集まり、どうやらフェリアもそこにある様子。墓所をおとなう人も疎らにあって、やはり身形に気を遣って良かったとカシオン一人安堵して遅れぬように足を速めた。


 通り抜ける門の、二重の扉の堅固なこと、これが閉まっていれば突破するのは難しく、どちらに向けてもたいした守りになるだろうと感心もひとかたならず、カシオンは詰める墓守に労いの言葉一つ、墓所に足を踏み入れた。


「おい、待て死霊術士」


 しかし、それを咎める声一つ。聞き覚えのある声にカシオンが足を止めたところで、墓守の詰め所から姿を現したのはあの牢番。


「やあ」


 挨拶をしかけ、カシオンは牢番のことは何一つ、その名前さえ伺ってはいないことに気がついた。出しかけた声を無かったことにするも出来ず、僅かな思案の後、カシオンがひねり出したのは朗らかな笑い声と。


「配置換えか。なるほど、こちらも汎神殿の管轄だ」

「……余計な話はいい」


 何事か、他の墓守も数名が顔を出し、カシオンの姿を見て何事か言葉を交わし合う。無論、街で騒ぎを起こした死霊術士など、最も懸念するものとして墓守達に何の通達が無いわけもない。

 牢番改め門番の、些か剣呑な佇まい、視線はくまなくカシオンの総身を探り、殊に提げた鞄に目を留めた。眉間に寄った皺と煩わしげな表情は、カシオンと墓守達に同量ずつ向けられている。


「いいか、死霊術士。お前がただ興味に寄せて街をそぞろ歩きした結果としてここに通りがかっただけなら何も起こらない。ただ縁あって塚なり墓なり拝しに来ただけでも何も起こらないだろう。

 いいか、死霊術士。よく考えてから答えろ。お前、何をしにここに来た?」

「ああ。地下で見つけた亡骸を葬るということで、少し手伝いに来た」


 門番の僅かばかりの気遣いも、しかしながら己が身の上に一片たりとも恥ずべきところ無しと信ずるカシオンにとっては竜の鱗を蠍が刺すが如し。途端周囲の墓守がそれ焦眉の時とざわめいて、軋む音を響かせて重い門を閉じに掛かる。


「待ってくれ」


 手を伸ばしかけたカシオンに、門番は渋い顔のまま手を振って墓守達に扉を開けたままにするように示す。物怪顔の墓守達も渋々指示に従って、代わって手に手に棍棒の六尺棒のと有事への警戒もあからさまの荒事備え。

 カシオンを注視しての耳打ちに、門番も煮え切らぬ顔のまま。


「他の連中は呼ばなくていい」


 口にしたその言葉、一人でこの死霊術士を相手取って果たしてどうにかできると門番自身も信じているものか。

 くたびれた顔の門番は、カシオンの鞄に注視して手を差し出した。


「寄越せ」

「それは困る。これはいわば商売道具、取り上げられては何も出来ない」


 何があろうと手放すまいと大事な手提げ鞄を隠すようにたぐり寄せ、半身になって我が身を盾に、カシオンは門番へと拒絶の構え。周囲の警戒もひとしお高まり、牢番は苦渋の決断の、ここで長く遣り取りすればするだけ無駄に墓守を刺激するだけであるのは明白である。


「分かった。渡さなくていい。中身はなんだ」


 何を決まり切ったとカシオン、呆れた態度をあからさまに、その場にかがんで堂々鞄の中身を曝け出した。


「死霊術士が埋葬の手伝いに出来ることだ。死体運びでなければ死化粧に決まっている」


 開いた鞄の中にはよくもまあこれだけ詰め込んだもの。何やら白い色の粉の詰まった瓶に奇怪な形の金属棒。擦り切れた布に油に訳の分からぬ液体に妙な匂いの軟膏に、刃物に鋏に鑷子を一つ、二巻の麻糸と縫い針一揃い。出るわ出るわ挙げる気力も沸かぬほど。どれも清潔に磨かれて、傍目にはまともそうに見えるのが却って周囲には恐ろしい。


「死化粧ったってお前……」


 死化粧と言えば亡骸を整え、埋葬に備えるものではあるが、今回埋められるものは肉を備えぬ骨のみの、それも些か朽ちている。死化粧のしようもないというものだ。


 大凡のところ死体に触れる口実か、或いはなんぞその他の、どちらにせでもよからぬことを企んだものと見るのが妥当なところ。


 しかし如何に追い出すか思案する門番を尻目に、カシオンは一つ瓶を取り、金具を取り、頼んでもいないのに来歴語りも五月雨撃ちに。


「これは遺骨の白さを際立たせる粉薬で、若干の耐久性の上昇も見込める。こちらの金具は修繕のまじないと合わせて骨の罅、欠け、そう言ったものを消すものだ。それでも目に見えるものにはこちらの接合剤で形を取って、上からこの釉薬を塗布することで違和感なく仕上げることができる。一揃い、この糸を使えば形も違わず整えられて、たとえ十年二十年の後に掘り起こされてもしっかり五体を遺すことができるだろう」


 語るわ語る亡骸の、その見目整える手管の数々。語れば語るだけ胡散臭く、周囲の墓守達は一歩置き、些かの賤しみをその目に宿している。


 門番とて一体この死霊術士、如何にしたものかと思案も深く、いや死化粧を目的としたことは恐らく偽りではなかろうが、かといってそれだけで『死霊術士』を墓地に入れて良いものか。


 この墓所を訪れる者、多くは無いが決して少なくも無い。今日は輝く者の名において冒険者を埋葬するということもあり、更に輝く者の信徒のいくたりか、それに弔いとあって鴉の貴婦人の使徒も足を運んでいる。そうした中に死霊術士が潜り込もうというのは、その善悪をおいても許容され難かろう。


「どうかしましたか」


 長く続いた遣り取りは自然と周囲の耳目を引いて、門番の折角の気遣いも生憎ながら、とうとうその場にフェリアが姿を現した。

 面目も立たぬと嘆じた門番に反して、カシオンは安堵の吐息に笑みを載せ、助かったと声も無く。


「埋葬の手伝いに来たんだが、彼らが入れてくれなくて困っていたところだ」

「なるほど」


 そっと門番に会釈をしたのは、その気苦労を悟ってのことである。


「その他は禁じられているということだったのでせめて何か出来ることをと。そういうわけで埋葬前に彼らの亡骸を清めさせてもらいたい」

「清めですか」


「そうだ。村の葬儀でも死化粧を務めていたから、腕は確かと安心してもらっていい。死体の扱いには慣れている」


 その言葉、笑えない諧謔にも見えるがカシオンの態度にふざけたものはない。

 確かに、埋葬のために行われる行為であれば亡骸に触れるのも禁じられてはいない。だが。


「残念ですが、そういったことは鴉の貴婦人の侍祭方が行う予定になっています」


 鴉の貴婦人。そう耳にして、カシオンの顔に複雑な感情が渦巻いた。死女神の領分を侵すのか。カシオンに取ってみれば鴉の貴婦人とは浅からざる縁もある。骨の従者を預けもした。それが故ではないけれど、踏み込んでいくのは憚られる。


「……いや、しかし。あの骨は僕がここに運んだ」

「はい」

「あれらを動かしたのが僕である以上、始末を付けるのも僕であるべきだ。せめてそうやって……」


 自分の中の言葉を探すように、カシオンは僅か思案した。


「そう。報いたい」


 その時のフェリアの表情というもの、若干の罪悪感と理解と拒絶と、ともあれカシオンの言う言葉、分からぬではないが受け入れると口にも出来ぬもどかしさ。

 報いるというのは死者達を悼むという意味ではないだろう。カシオンは明確に、亡骸と死者を別の存在だと考えている。だがそれは亡骸を打ち棄てて良いと言うことではない。

 だが――。


「いいえ、やはり無理でしょう。葬送儀礼の取り仕切りは鴉の貴婦人の領分。いいですか。今この時も大勢の手によって儀礼の準備は進んでいます。そこに今から割り込んで、あなた個人の感傷のために予定を変えろと言うつもりですか?」


 思いも寄らぬ反論に、カシオンは思わず呻いた。事の是非を論ずるよりも直裁な理由に、呻くほかに手は無かった。確かに言うとおり、今から申し出て遅滞なく儀式を進めることができるものか。これはまったくのカシオンの経験不足に由来するもので、つまり彼が葬礼に関わったことのあるような小村で、ただ人を葬るという時に何事か急変あろうとも、カシオンや師メルフィウスの裁量で予定を調整するなどよくあったことであるからだ。


「儀礼を滞りなく進められるよう、今すぐ皆を説き伏せられますか?」


 出来ると断じることは、さすがのカシオンも口にしかねた。


「私個人としては、カシオン、あなたが彼らの埋葬のために何かしたいという気持ちは素晴らしいものだと思います。ですがこれはまた別の話です。儀礼を進める輝く者の司祭として、横車を押すような真似はできません」

「……そうか。確かにあなたの言うとおり、これは僕個人の望みに過ぎない。……分かった。今回は引き下がろう」

「ありがとうございます。あまり目立たないようにするという約束の上でなら、葬送に参加することもできるとは思いますから」


 フェリアのありがたい申し出に、カシオンは束の間口を開いた道具鞄を力なく見つめ、肩を落として首を振る。


「いや、折角だが辞退しよう」

「そうですか。残念です」


 感謝の言葉を小さく口にして、カシオンは取り出した諸々を鞄に戻し、重たいそれを持ち上げた。それではと挨拶も鈍く背を向けて、慌てて散った墓守の間を縫って通りに向かう。

 足取り重くとぼとぼと、それでも数歩も歩くうち、背筋はしゃんと伸ばされて何事も無かったかのように歩み去る。


「……まあ、面倒事が起こらなくてよかった。でしょう、司祭様」


 見送った背中に何事か、思い深げに呟いた門番に、フェリアも憂慮の色を浮かべてカシオンを見送ったものの。


「……私、あの人のことが少し分かってきたかもしれません」

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