死霊術士、功名漁りの噂を聴く

 カシオンの自室、というのはつまり酔竜亭より借り受けた一室は、徐々に混沌の相を増しつつあった。


 寝起きする寝台こそは整えられているが、部屋の片隅に置かれた机の上には書き物が広げられ、床には手提げ鞄と薬品類、寝袋と毛布、薬研にすり鉢、諸々の薬種くすりだね、革の背負い袋はぽっかりと口を開け、中から10ft(註:約3メートル)ほどの長棒が頭を覗かせている。


 野放図に広げさがした有様は、元々狭い部屋にまともに収容できる人間は一人がやっとと雄弁に語っているものの、生憎、今この部屋にあるのは一人ならず、三人。

 荷をあれこれと検分するカシオンこそがこの部屋の混沌の中心で、そして部屋の入り口から一歩入ったところで足の置き場に迷い、なんとか居場所を探すフェリアと牢番が、この部屋の予期せぬ闖入者というところ。


「……それで、街の外に出るということですが」

「そういうことになる。期間としては半月から一月程度だと聞いた」


 小瓶に入った薬品の匂いを確かめて、哀しく顔をしかめたカシオンはそれを部屋の片隅、不要品をまとめた麻袋に投げ込んだ。この旅支度を良い機会と所有物の分別に乗り出したはいいものの、その作業が思いのほかに難航してのこの有様だ。


「それに私も同行すると」

「監督者であれば、そうなるかと」

「一ヶ月」

「長ければ」

「私が」

「僕の監督者はあなたしかいないので」


 当然の如くと告げられるその言葉に、フェリアはこめかみを押さえ、疲労もたっぷりと柔らかなその身を壁面に委ねた。

 そうもなろう。墓所でのことを不憫に思い、一仕事終えた上で様子を見に来てみれば当のカシオンは旅支度。平然と長旅を前提に話をされて、さあお前も来いと言われたところですぐに肯んぜるわけもない。


「……お前な」

 言葉を失ったフェリアの代理にと、牢番が叱責の声を投げかける。いやそれも当然、誰が聞いたとしてもカシオンの行いに咎め立てもしよう。


「勝手な安請け合いをするもんじゃないぞ。特にお前は神殿の監督下なんだ、少なくとも司祭に確認を取れ」

「助けを求められて、よもや善神の司祭がそれを捨て置けとは言わないだろう?」

「場合によります、場合に」


 助けを求めるだけなら悪党でも出来る。勿論口にしたのが誰であれ、それが妥当、真実助けを求めているものであれば輝く者の導きはそれを助けよというものだろうが、何分カシオンからの又聞きで、それも細かい話はほとんど飛ばしているという塩梅で、一体何を判断すればよいものか。


「もう少し詳しい話をお願いします」


 何にせよフェリアがカシオンの監督者であるのは事実で、この街を出て行くのでは無く一時的に離れるだけであるならば、確かに監督者たるフェリアがカシオンに同行することになるのは当然の帰結。要するにカシオンの人品骨柄を鑑定し、この街に大きな被害を出すことなしと汎神殿が太鼓判を押せるようにすることがフェリアの務めであるからして。

 しかしカシオン、難しい顔で一唸り、手にしていた薬品類をまとめて薬研すり鉢と一緒くたに革鞄にしまい込んで、一体どこに入ったか、一見何の変哲もない背負い袋に長尺の棒まで押し込んだばかりか寝具の類まで詰め込んで、魔法の袋の働きで部屋の整理はついたものの、しかし一方語るべきことはまだ纏まらぬ風情。それも当然で、いい気になったカシオンは細かい話も碌すっぽ聞かずにかの自称傭兵隊長の話に乗っていたからだ。


「難しい話じゃない。開拓地に続く街道がワイヴァーンの縄張りに入ったとかで、そこの住人の救助に向かうということだ」


 大雑把な概要は、しかし同時にカシオンの知りうる限りでもある。その開拓地が一体どこにあってワイヴァーンの頭数がいくらだとか、あの瞬間カシオンにとっては気にするまでもない話、とは言え今ここでフェリアと牢番の二人が呆れる様を見て、ひとまずその脳裏に走った稲妻の如き思考が弾き出す完璧な解決案を一つ。


「詳細はアネット・レイヴンヒル殿まで」


 ぬけぬけ言い放った、というよりもカシオンに断言できるのはそこまでだという話で、後はレイヴンヒル隊長殿の到来を待つより他に話を引っ張り出す手立ても無い。こればっかりはすっぱりと諦めてもらうばかりにと、カシオンが視線を巡らせると、意外や二人はカシオンに困惑呆れ苛立ちと言ったものをぶつけるでなく、互いに顔を見合わせあって何かしら懸念のある様子。


「それだ、死霊術士」


 何事か物言わぬ密談が終わったか、牢番の低い声がカシオンの耳朶を打つ。


「アネット・レイヴンヒルってのは、アレか。街中にも関わらず鎧姿の重武装で傭兵を名乗る黒髪の女の」

「いかにも、その通り」


 並べ立てられた要素のそのいずれも違わず彼女のもの、その一つ一つにやや批難の色も見えるが、ともあれそれもしかたあるまいとカシオンも納得の一言、何しろ街中で平然と武装してうろつく輩など、たとえ巡回の兵士でもああまで露骨な姿は晒さないし、傭兵団とは言うものの果たして仲間はいるものか、疑う者が疑うことにかけてはもはやどうしようもあるまい。


「……“功名漁り”か」

「やはりですか」


 己に知れぬ名で何かをわかり合っている二人に、カシオンは首を傾げた。功名漁り、あまり良い意味の二つ名ではなさそうだ。二人の語る口ぶりには『ほら、あの』と言わんばかりの気配もあって、何らかの悪名轟く人物であることは容易に推測できる。ともあれカシオンの出会したアネット・レイヴンヒルは至極話せる相手で感じの良い人物であるからして、二人の帯びる気配など、そのまま無視しても良かったのだが。


「功名漁りというのは?」

「その女の通り名だ」


 僅か、伺うような眼差しがカシオンを射貫いた。果たして語ったものかどうか、カシオンにそれを知らせる意味があるのかを探っていたその目は、しかし結局のところフェリアが横から口を差し挟み、私の知る範囲は限られていますがと述べた段階でなし崩しに情報開示に舵を切った。


 アネット・レイヴンヒル、即ち功名漁り。

 その名の由来は明らかで、この自称傭兵はこれまで幾度も参事会の危険な任務を引き受けているが、その悉く、

「採算を度外視して結果を出してるんだよ」

 この場合の採算というのは、要するに犠牲のことだ。一年ほど前に南部から流れてきたこの自称傭兵は、触れ込み通り正規の軍事教練仕込みの戦闘術と優れた見識を以て、始まりは下水掃除から最も近くは消息の途絶えた村の調査まで、参事会の様々な依頼に貢献したと言う。ただしそのほぼ全て、同行した冒険者に大きな被害をもたらした上で、だ。幸いにも死者は無いものの、腕や足が使い物にならなくなるくらいであれば良いもので半身を石にして帰った者、光を失った者、灯り無しではいられなくなった者、挙げれば枚挙に暇がない。そのほぼ全て、参事会の報酬の大部分を当てて治療を施した結果として危険と時間に比して彼らの手元に残るものは数えるばかりの銀貨か、或いは赤字と言う有様。その原因が触れずに済むことにこだわり、参事会に告げればそれはそれとして新たな依頼を生むことになる程度の危険を敢えて冒そうと言う彼女の提言によるものであれば。

 しかもそれを、街に舞い戻った次の日にはまた新たな依頼を探し出しすぐさま街を飛び出そうという勢いで繰り替えされれば、この奇人の同行を断る者も多くなる。できる限り長くを危険に身を浸そうとするその姿勢は、成果からは賞賛で、結果においては悪名で知れ渡ったという次第。実際のところ、参事会の上層部の受けはすこぶる良いと牢番は断言した。ともあれ行動を共にしなければならない冒険者連中からの評価は最悪で、そんな頭のおかしい輩と同道などできるものかと公言するものまでいる始末。身形にも構わず依頼依頼と前のめりに息つく暇も見せぬその有様には、口さがない者はせせら笑い混じりに、

「あいつはヤバくないと感じないなんて下世話な話も……いや、聞かなかったことにしてくれ」


 思わず口に仕掛けた品の無い冗談を、さすがに善良な司祭の前で開陳してよいものではないと辛うじて呑み込んで、牢番の面持ちにも気遣わしげな、しかし当のフェリアは然程の気遣いは無用とばかりに平然と、よってカシオンは鷹揚に頷いて牢番に差し許したが、却って冷たい視線一つ投げかけられるのみだった。


「今回も被害は大きかったらしく、一人は体が半分ほど溶けていたとか。司祭が三人がかりで治療中という話を聴きましたが……」


 溶けていたとはまた穏やかならぬ話、カシオンはそれを為しうる怪物についていくらか師の話を記憶から掘り起こしたが、いいや結局のところそれは終わった話、彼女が持ち込んだ今回の話はあくまで単なる開拓者達の救出で障害はワイヴァーン。極めて単純至極、あれこれと考える方が良からぬ方向に思考を向けるというものだ。


 しかし。


「僕が会った時は感じの良い人物に見えたが」

「それは知らんが」


 切って捨てた牢番に哀しげな顔を見せてもじろり冷たく睨まれるばかり、カシオンは渋々表情を引っ込めて牢番の発話を促した。


「大方のところ、もう碌な連中が引っかからないもんだからお前みたいなはぐれの奴に声を掛けてきたんじゃないのか? 俺も聴いているのは噂だけだから本当のところは分からんが、せいぜい司祭に迷惑を掛けないよう気を付けろ」

「ふむ」


 牢番の発言を、カシオンはよくよく吟味した。気を付けろとはその通り、そもそも何にせよ危険を冒しに行くから冒険なのであって、それはまあカシオンも命を落とす趣味は無い、趣味は無い以上避けうるものは避けようとはするが、気を付けたところで迷惑が掛からぬと断言することもできはしない。問題はアネット・レイヴンヒルにまつわる噂話だが、少なからぬ被害が出ているところまでは真実だろう。だがそれが果たして他人を利用しようという思惑によるものか、カシオンには断言できないし勿論牢番、フェリアの二人にも無理な話だろう。


 さればカシオンが信頼するのは曖昧模糊とした推測と憶測ではなく直接対面した己の勘、即ち怪物峠の塔で培った往来人への鑑定眼で、これは極めて不確かで万人見通すとは口が裂けても言えないが、彼女のあのひたむきさ、一種狂的な専心について、どこか馬鹿にできないところを感じずにはいられない。


「できる限りはそうするが、確約はしかねる」

「いざというときにきちんと話を聞いてくれれば、それで構いません」


 それは当然と頷く仕草を加えつつ、カシオンは一つ思案した。今回の仕事についてもそうだが、カシオンにはアネット・レイヴンヒルについて断言できることはそう多くも無い。

 であれば答えは一つ、やることは決まっている。


「よし、この後レイヴンヒル殿に会う手筈になっている。ひとまず、それから考えよう」

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