死霊術士、自称傭兵に出会う

 師伝の道具が詰まった手提げ鞄の重さは最早耐えがたいほどで、その重さに背を折られぬようにするのがやっとだった。

 これはまったく己の失敗であると、カシオン汗顔の至り、小さな怪物峠の一門と街の汎神殿の規模の違いにも思い至らぬとはまったく不出来なことで、折角の怪物峠の亡骸を見目良く埋葬する術も披露できず、己の一度歩ませた屍にきちんとけりを付けることも出来なかったとばかり後悔止むこと無し。


 死霊術士、いやさ怪物峠の一門の、その埋葬の腕がどれだけ優れているか、美しく埋葬された亡骸が一体どれほど見るものの心を慰めるのか、そのほどを理解してさえもらえればそれなりの評価も得られただろうし、そうすることで再生死体リアニメイテッドと為した亡骸への責任の、その一端なりとも果たせたとカシオンならば言えただろう。


 だが生憎、そうなることはなかった。

 すべて己の責。だが次は、次こそはこのような失敗果たすまいと、依然重い鞄をどうにかこうにか持ち上げてできる限り真っ直ぐに、向かう先は酔竜亭。今はもう出来るだけ早く塒に帰り、ただただ何も考えずに師の大著に向かいたいとその一心である。

 師の記したあらゆることに向かえば、そこには師がある。それをただの慰めとするか、それとも何か価値あるものにするのかはカシオン次第。


 周囲の人々は全く無関心に思えた。このコート姿の優男が死霊術士であるなど知らぬ風。カシオンがここで鞄の重さに耐えかねて、膝を突いてしまったとしても、誰も何も言わないだろう。勿論、そんなことなど出来ようはずも無いが。


 酔竜亭まであとどれほどか。行きに費やした半刻の今はどこまで戻ったものか。足取り軽快ならずとも、さてもまあ正午を過ぎるまでには帰り着ける算段だ。ええいままよ、然にあらんば一つここらで一休み、水売りから水でも買って、気分展開を図ろうとカシオンは思い極めた。


 それならばと水売りを探して周囲に視線を向けたところ、カシオンは異変に気付いた。異変というよりも常ならぬ空気と言うべきか。どこか狼狽え、異物を見るような衆人の、さては己が墓地からも追い出された哀れな痩せ犬と知れたかと一度はそう考えたものの、彼らが見ているのはカシオンではない。

 果たして、彼らが見ている者が姿を見せた。暴力の匂いを漂わせた姿だった。それ以上に危険を染みつかせた姿だった。旅塵に塗れた外套は擦り切れ、その下から覗く鎧はいくつもの修繕跡を晒している。腰に提げた長剣と背にくくりつけた短槍はともにその姿に似合わないほど丁寧な手入れが施されているのが分かった。即ち暴力を生業とし、危険を糧とする者。冒険者と呼ばれる者の、ある側面の体現である。


 そして何より、その目だ。整える気も無い黒い蓬髪の、そのあわいから覗く獣の如き黄色い眼。その目に射竦められただけで只人ならば恐怖を覚えよう。痩せて小柄のこの怪人の、その薄汚れた身形の中で、ただその目だけが精気に満ち満ちて大きく映り、意志の光を放っている。


 その名を知る者は多くは無いが、そうであるものは彼女をアネット・レイヴンヒル鴉ヶ丘のアネットと呼ぶ。あるいはもっと酷い名で。


 誰もがこの怪人に道を譲り、そこから距離を置こうとしていた。無理も無い。身形構わぬこの冒険者からは汗を煮詰めたような饐えた匂いが漂っている。それも含めて、これが街の法の外側に身を置く人間であることは明らかだ。


 カシオンもそれに習うことにした。一歩、この冒険者から遠ざかろうと――だが、それより早く鋭い声が耳朶を打つ。


「死霊術士」


 紛れもない、通りの怪人、アネットが投げかけた声。無論、死霊術士などそうざらにはあるまい。その声に、カシオンは振り返った。彼女の黄の目は紛れもなくカシオンその人を見据えている。その目は今や馬を見つけたグリフォンの如く異様な輝き。


「いかにも」


 誰何の声に、自らを偽るほどの怯懦は持ち合わせていないとばかりに、カシオンは己を誇示してみせた。

 いいやこの唐変木、余計な思考をこそ持ち合わせてなどあるまいに。おおかた己を呼んだものと思えば、例え相手が誰でも堂々名乗り出たものだろう。行き交う衆人の、ひとかたならぬ数が彼の応答にギョッとした顔を晒したが、そこはそれ、カシオンの目には入らぬし、どうやら怪人も同じくらしい。


 一歩、彼女が足を進めると、甲懸も軋らせて、合わせたように人の輪が膨らんだ。


「死霊術士、いや、術士殿」


 言葉少なに呼び掛ける声は覚えのないものの、その声の日頃から発することに慣れたようによく響く声の、けれどどこか柔さを残した音に、カシオンは敬意を聞き取った。


 見ればその立ち姿、堂に入った鎧姿、古強者の佇まいに似つかわしくもなく、年の頃は二十を過ぎたか過ぎぬかで、いやともすればそれよりもまだ若い。


「あなたを見ていた」


 短く区切ったその言葉の、帯びる熱量も甚だしい。


「地下大門を通って凱旋する姿を。引き連れたスケルトンの群れを」


 凱旋と、言われてカシオンはその時を思い返した。命懸けの賭けに勝ち、コボルド達を降して街に帰り着いたその時の喜びを。なるほどそれこそ凱旋というに相応しい。


「黒竜殺しの勲を」

「過分な言葉だ」


 竜を殺し得たのはカシオン一人の手によるものではない。何より若い黒竜だけであれば、おそらくあれほどの苦戦は無かっただろう。故にこそ、カシオンの気負い無く過分な言葉と告げたのには嘘は無い。


「だが、再生死体リアニメイテッドの扱いについてはその賞賛を受け入れよう。あれこそ我が怪物峠の学派が得意とするところ。その理念の反映だ」


 満足を交えたカシオンの声は、努めて平静を装おうとしながらも、けれども一分か二分か、あるいはあからさまに喜色が浮かび上がっている。

 得意満面のカシオンを見つめて、アネットは低く一言。


「素晴らしかった」

「賛辞痛み入る」


 この二人のやりとりの、その一部始終は周囲の耳目を集め、殊更に恐怖と嫌悪感を煽り立てているが、しかし二人はともにそんなことに回す気もない。


「動作の精密性が特に優れていた」

「ほう」


 カシオン、目を細めて実に嬉しそうに二度三度と頷いて、怪人をつま先から頭の天辺まで検めた。


「そう、それが肝だ。実のところ僕がやったことは人形を操るのとは訳が違う。我が学派の秘術はあの亡骸に『いのち』を与えて活性化させることで亡骸自体が具備した情報を引き出し、それを利用することで操作を容易にし、また優れた自律性を成立させている」


 嬉々として語るその言葉、学派の秘術と自ら語りながらも、それを開陳する喜びに満ち満ちている。

 アネットの黄色い瞳がカシオンを見つめ、少しく口中に何事かの呟きを残したかと思うと、確信を帯びて頷いた。


「《屍語り》の呪文か」


 これに驚いたのはカシオンの方、思いもかけぬ打てば響く返答に、そうとも、そうだと相好を崩しアネットの手を取った。


「そう、その通り。まさしく亡骸から生前を聞き出すその呪文こそ怪物峠の端緒だ。勿論ただ屍語りを使ったところで亡骸を歩ませることはできないが、そこは怪物峠の秘法でね。他には無い工夫と叡智が凝らされている。しかし素晴らしい、素晴らしい出会いだ。僕はカシオン、カシオン・ホーンテッドパス。怪物峠学派の導師だ。気軽にカシオンと呼んでくれ」


 強く握って振る手に、見かけによらずしっかりとした重みが伝わってくる。更に目をこらしたカシオン、そうと推測した通りのものを外套の下に見て取って、彼女への関心を深めた。


「あなたは? 魔術に造詣がおありのようだが」

「自分はアネット・レイヴンヒル。見ての通り、荒野の護りマグニフィセント・タリスマンと言う傭兵団の長を務めている」


 見ての通り、とは言うがこの怪人のその姿は、確かに傭兵というのは納得できたとしてもその長だとは到底考えもつかぬ。すり切れた外套のその表面に、うっすら残った意匠の、その複雑な線といくつかの印形シジル護りタリスマンの名の由来でもあろうか。

 訝しんでしかるべきその姿に、しかしカシオンはただ関心しきり。


「魔術は……恩人より手解きを受けた。素人に毛の生えたようなものだ」

「とんでもない謙遜だ。その悟性だけ取っても万巻の巻物にも匹敵する。あなたの師も素晴らしい弟子を持ったと誇らしいだろう」


 その言葉に彼女の目が宿す意思の光一時翳ったように見えたのは、その胸の内に小さく疼痛走ったからに相違ない。


「そうであれば嬉しいが」


 しかし翳りも一時、わずか俯いたその一瞬だけで拭い去られ、先に倍する、いいや三倍するほどの力強さが見上げるその目に宿る。


「術士殿。竜殺しのあなたに、どうかご助力願いたい。これは傭兵としての務めに関することだ」


 今日出会ったばかりの、それも傭兵を自称する異様な身形の怪人の、その頼みを受ける理由など、たとえ善なる者でもありはすまい。

 しかしカシオンは――


「良いだろう。僕にできることであればなんなりと」

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