死霊術士、飛竜を避ける計画に賛同する

 酔竜亭の一角、煤けた窓際の席は既にカシオンの定位置となっていた。と言うのもこの死霊術士に好んで近付く客がいないため従業員の案内する先は他より孤立した階段下になるというもので、それは街において尊敬措く能わざる汎神殿に冠たる輝く者の司祭が共にあっても揺るぎはしないらしい。

 窓の向こうを牢番のものらしい人影が通り抜けていくのを見送って、はたと気付いたカシオン首を傾げて問うには、


「おや、彼は一体?」

「アネット・レイヴンヒルについて少し調べてみるそうですよ」

「なるほど」


 調べるほどのことか、カシオンには甚だ疑問だが既に立ち去った彼を呼び戻すのはやめておいた。そもそもにして今回の傭兵殿との会合は日程を細かく詰めるもの、状況によっては二人連れでフェリアを呼びに行く流れもあり得たが、幸いなことに自ら赴いてくれたからにはあとはアネットとの顔合わせでもしてくれれば問題ない。連れ立ちその救助とやらに向かうのは今のところこの三人であるからして、牢番がいないことは大きな問題ではない。


 しかしカシオン、アネット・レイヴンヒルを待つその間にも自分の荷物を思い返し、必要なものを呟き、まだ出立の日取りも決まっていないにも関わらず忙しなく、そわそわと浮き足立つにも程がある。勿論カシオン自身にはそのような自覚は無く、爪先で刻む調子の速さも、指先が叩く机の音も、無意識の演奏は見かねたフェリアが声を掛けるまで、いや、掛けても止まることはない。


「カシオン。そんなに気になるんですか?」

「ん? ああ、いや。勿論レイヴンヒル殿がいつ来るか、気にはなっているとも。日暮れ頃に来るということだからもう間もなくだとは思うんだが。これなら無理に支度を切り上げずとも、彼女が来てから呼んでもらえば良かったかも知れないな。いや、あなた方二人のせいだと言うつもりはない」


 口早に告げるその言葉は随分流暢に長々と垂れ流されているが、何かに急かされるようなその勢いによく自覚もなく吐けるもの。部屋から二人を追い出すのも申し訳なくそのまま降りてきたのは善意か少なくとも厚意だとは言えようが、それも余計な言葉で台無しである。


「随分楽しみにしているようですね」

「楽しみ? 一体何が」


 口にしかけて、カシオンは神妙な顔つきになった。とは言え刻むリズムはそのままに、どこかズレているのはさすがのカシオンである。

 フェリアにしてみればあれだけ死体操りに拘ったカシオンのこと、大義名分背負って街の外に出るからには街の法に縛られず死体操りに屍語り、その他諸々見るものによっては陰鬱さを感じさせる物事に没頭でもしようというものだとばかり思っていたが。

 生憎と、あるいは幸いなことに、カシオンの高揚はその手の目的に由来しない――まあ、明確に死霊術を試せると言われれば否むカシオンでもあるまいが。


「言われれば確かに、僕はどうやら楽しみにしているらしい。何しろちょっとした冒険行だろう。実のところ我が師、メルフィウス・ホーンテッドパスは怪物峠の物見の塔を己が終の棲まいと定める前には冒険行に精を出していたという。我が学派珠玉の再生死体理論についてもその途上に原型を見出したものだというし、なにより学派の学び舎たる塔もまた冒険行の報酬として得たものだ」


 続けて二つ、三つと師の功績を挙げ、その一部は確かにフェリアも耳にしたことがある古い冒険譚で、そもそも少しばかり想定を外れた返答にフェリアが何も言わずにいたのを良いことに、カシオンは実に楽しげに、それこそ吟遊詩人はだしの語り口。


「無論僕が師に及ぶはずもないがそれでも師の行跡を追うようで楽しみではあるし、なにより師の積み上げてきた魔術の研鑽を、これまで師の為していたように人々のために揮うことが出来るのは」


 やはり良いことだと言葉を切って満足げなカシオンに、確かにこの街では他者のためにと魔術を扱うにも制約があると頷き掛けたが、いかにも善良な魔術師然として語るその人が概ね忌避される死霊術の使い手である事実にどこまで真に受けたものかと素直に賛同も出来かねる立場のフェリアである。だがそもそも、


「……それは今回が初めてではないですよね?」

「そうだろうか?」


 そう口にし終えたかどうかのうちに気がつくカシオンの、思い当たったのは先の地下道調査である。確かにあれもまた師伝の魔術を用いて人々に役立てた行いではあろう。地下道でのコボルド遭遇からの出来事は冒険行と呼んでも過言ではあるまい。いや、しかし。


「ごく簡単な定期保全作業という話だったからな……」


 先立つ高揚感など、それよりもむしろ少しでも暮らしを上向かせねばと、妹弟子のセレストから預かった金が底を突きかける焦燥感から逃れたいと言う一心であったことは決して否定はできまい。フェリアから教えられた炊き出しや、いざとなれば都市への奉仕を一仕事、それで得られる金銭を知った今となってはそこまでの焦燥感など無いわけだが。

 それをおいても善良なる神官に拾われて窮地を脱したあのときと、あなたこそをと見込まれた今で士気が違うのは無理も無いことである。


「まあ、構いませんが。しかし少し安心しました」


 余計なことを考えているわけではないようで、とフェリアが語るのにはカシオン何の話だとばかり首を傾げ、余計なことというものには露程思いもつかぬ風情。

 別段とぼけているわけではないが、死霊術諸々を操ることが余計なこととは思い当たってもいない。しかしそれを指摘してうっかり藪をつついて蛇を出すことになってはかなわない。フェリアこそ余計なことは口にすまいと。


「それで良いんです。おや。カシオン、そろそろおいでのようですよ」


 フェリアが示した先、酔竜亭のスイングドアの向こうにはあの黄色い瞳が見える。紛れもなく今回の発起人、アネット・レイヴンヒルその人に違いない。


 扉を軋らせ押し入るアネットに、束の間酔竜亭の客達は静まりかえり、数人が祈りを、数人が彼女の忌まわしい通り名を呟いた。一人の男がいきり立つのを、傍らの仲間が引き留めていた。


「……これはまた」

「ああ。僕より酷い」


 カシオン自身は既に日々の露出によってこの酔竜亭の一角にいつもあるもの、檻に入れられた猛獣程度には馴染みつつああった。近寄るものもほとんどなく、距離はあるものの悪罵を向けられることはそうそうない。


 しかし、アネット・レイヴンヒルはその面に何の表情も見せず、昼間と同じく色あせ毛羽だったタバードをたなびかせ、けれどその下に覗くのは黒鉄の鎧ではなく鋲留めの革鎧。背に槍なく腰に長剣も無い。目立つものはと言えば肩から提げた鞄一つ。さすがに重武装とは言い難い思いのほか真っ当な姿に、牢番に脅されていた分カシオンは却って一安心した。通りで人々を脅かした悪臭も街衆の中に混じっても目立たぬ程度に、さて身を清めたか衣服を改めたか、おそらくはそのどちらもであろう。


「ここだ、レイヴンヒル殿」

「術士殿」


 答えたその声に、敬意の色を見て取ったのは決してカシオンの自惚れではない。

 しかし互いに敬意を向けるその受け答えを見て、周囲の客達はカシオンにまで探るような目、僅か距離を取り、しかし息を殺して注視する様はまさしく警戒。

 足早に駆け寄るアネットを立って迎えるカシオンに、フェリアがそっと耳打ちする。


「部屋に移った方がいいですよ」

「いや、部屋は狭い。先ほどそう言ったのは牢番の彼だったが、司祭も同意見だろう?」


 カシオンの言うとおり、確かにあの部屋は狭い。机こそあるが椅子は一つきり、三人で入るのは中々に窮屈だ。とは言え客の多くを占める冒険者に悪名轟く功名漁りと、未だ疑いの目を以て遠ざけられる死霊術士、この二人が何かしら会合するところなど見せて果たしていいのだろうかと思案し、しかし結局既に見られているわけで、むしろ二人部屋に篭もれば何事か悪巧みとの邪推も避けられはすまい。精一杯司祭の威厳を引っ張り出したフェリアはにこりと笑みを浮かべて、煤けた傭兵隊長殿を促して。


「どうぞ、お座りください。アネット・レイヴンヒルさん」


 この場を取り仕切るのは己であると、少なくとも汎神殿に冠たる輝く者の愛子が二人の行いをしっかりと監督しているのだと、果たしてどこまで伝わったものか。


「これは、輝く者の愛子殿」

 通り名で呼ばれて、フェリアは訝しんだ。

「どこかでお会いしたことが?」

 生憎とフェリアの記憶では、どこをどう振ってもこの少女の姿は出てこない。黄玉の瞳に宿る並々ならぬ飢えと轟く彼女の悪名は、会えばそう忘れそうも無いものだ。


「この街に来たばかりの頃に一度。だが名前は黒竜殺しの勲にて」


 言葉少なに告げる言葉にカシオンが補足して、フェリアは彼女が凱旋を目撃した者の一人であると納得した。来たばかりの頃と言えば当然悪名も何も無い時期で、その頃に一度であれば覚えていないのも無理は無い。


 アネットの、獣の威を帯びた眼差しが小さく細められ、二人を見上げるように、

「見事なドラゴンだった。並の手練れでは討てない」

 短い言葉ながら、雄弁な賞賛である。


 カシオンは表面上穏やかな笑みを浮かべつつも内心鼻高々と上機嫌だが、フェリアの顔は複雑なもの。黒竜退治は確かに誉れではあろうが、しかし彼女からすればカシオンの死霊術に大きく頼った勝利、はたして輝く者の神官として誇れたものか。


「術士殿。神官殿の呼び出しまで、感謝する」

「いや、たいしたことはしていない。ともあれ、もう紹介は必要ないだろうか」


 言葉通り、たいしたことはしていない。フェリアは自らここに赴いたのだが、とは言え賞賛に応えかねて動きの鈍いフェリアに代わり、カシオンが二人に伺った。わかりきった返事を待たず、カシオンは机を指先で叩く。


「それで、今回の話をお願いしたい。レイヴンヒル殿」


 頷き、アネット・レイヴンヒルは肩掛け鞄から取り出した大きな布を卓上に広げた。卓にやや余るその布は、表面に雄渾な筆致で地勢を描き、随所に地名を記した精緻な地図である。


 感嘆に漏れた声もそのままに、カシオンはその地図を食い入るように見つめていた。かつてこれのもっと大きなもの、法の化身たる古王国の版図を描いたものを、カシオンは師から見せられたことがある。その時はあまりのスケールの違いに何もわかりはしなかったが、今目の前にある地図にはドーンフォートと、そしてカシオンに馴染みのある冬越しの村、森麓の村の名までが刻まれてある。であれば怪物峠の塔はその途上で、人の歩みの範囲はいかほど狭いものか。


 かつて見た地図の、そのごく一部の断片のみを写しているにも関わらず、カシオンの知り得る範囲は掌に収まる程度、地図の半ば以上は失われた、恐るべき未踏地域として描かれている。


「この地図の」

 地図に呑まれたカシオンの、その動揺を断ち切るように、外套から伸びたアネットの白い手が地図の一点を押さえた。その近くには装飾文字で灰分けと村の名前が記されている。文字の綴りは古く(註:村名などはわかりやすく似通った意味の単語に置き換えられている)、この暁の城砦ドーンフォートが人間の手に戻るより過去の、恐らく三百年ほどは遡る時期に付けられた名であろうことは明らかだ。

「ここに、開拓地がある。そして」

 翻ってドーンフォートを示し、地図をなぞる指先はしなやかに、地図に記された足跡を描かれた地形に沿い、いくつかの集落を辿って灰分けの村に至る。その途上に指を戻すと、ぐるりと範囲を描いた。

「ここにワイヴァーンどもが出没する。灰分けの村は兵糧攻めだ」

「なるほど。それは分かりました」


 口を差し挟み、フェリアは功名漁りを窺った。


「それで、ワイヴァーンの退治を?」


「できれば。しかし……術士殿。どう思う?」

「どうとは?」

「ワイヴァーンは飛ぶ。頑丈でもある。数は少なくとも三頭。我々三人で対応できるだろうか」

「無理だな」


 思案の必要も無い。カシオンは言下に否定した。何しろ飛ぶというのが厄介だ。穴蔵に自ら潜り込んだ黒竜は殺せても、空に逃げる亜竜は討ちがたい。


「あのスケルトンを駆使しても?」

「ああ」


 一頭足止めはまだできるだろう。二頭であれば手もあろう。三頭を越えれば死地とも言える困難さだ。これはたとえ、再生死体をけしかけたところで簡単に覆せるものではない。


 しかし、功名漁りの噂に言わせれば――


「駆除は諦めよう」


 思いがけない呆気なさ、勲を求める熱狂はどこへ行ったのかと思われるほどあっさりと、彼女は難行を手放した。


「いいんですか?」

「構わない。碑文字に嘘は吐かせられない不可能に挑むのは愚者だ


 神格を引き合いに出され大人しく引き下がるフェリアに、アネットは力強く頷いた。


「故にワイヴァーンを避けて住民達を救出する。一つ手前、逆枝の村まで」


 示された逆枝の村は、ワイヴァーンの出没地帯のやや手前にあった。地図の上では然程距離も無い。カシオンの故郷たる怪物峠の塔と森麓の村程の関係だ。しかしその距離、果たしてワイヴァーンの飛来を避けることができるものか。


「そこまで連れて行ったとして、逆枝の村までワイヴァーンが来るなら意味が無いのでは」


「村の防備は堅い。だが灰分けの村は唯一の道が開けている。ワイヴァーンの餌場のように」


 餌場とはまったくぞっとしない表現だ。カシオンは地図を覗き見た。逆枝の村から更に前、茅生えの村までは森を抜けるルートになっている。森は森で危険だろうが、開けた場所で空飛ぶ亜竜に狙われるよりは遙かにマシであろうと頷いて、しかし問題はそのワイヴァーンの餌場だ。


「なるほど。だがその道を我々三人で通り抜け、その上で住民を引き連れて戻る必要がある?」

「数が多ければワイヴァーンの目を引く。馬と荷物を運べば更に。少人数での往復を繰り返し住民を運ぶのであれば問題ない」

 明解な返答だ。カシオンも納得の、フェリアにしても異論は無い。なるほど、と頷いたのはカシオンの、半月から一月という期間の理由を理解したが故。繰り返し住民を運ぶために見込まれた日数に違いない。

 無理の無い、実に筋の通った計画だ。ワイヴァーンの警戒によってどれだけ一度に動かせるか、村の住人がどれほどか、それによって日数は掛かろうが、手堅い計画に違いない。

 大丈夫でしょう、と告げるフェリアの声にも安堵の色、どこかおかしくてカシオンの頬にも笑みが浮かびかけた。


「それで――」

 姿勢を正した傭兵隊長、アネット・レイヴンヒルは狼の如き眼に熱を映し、カシオンを注視した。

「術士殿、一つ考えがある」

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