死霊術士、エルフと秘密を分かち合う

 さあ、カシオンの放った問いかけの、その返答はいかにも著しい。気付けばカシオンの背は草木と石に押しつけられ、両腕は押さえ込まれ、そして喉を掴みかかられた、要するに馬乗りにされて生殺与奪を握られた状態である。握るのは無論エアノールで、目を怒らせた様如何にも昨日の、あの大荒れを思わせた。このまま少し力が込もれば小屋一つ打ち毀さんとしたあの膂力のこと、カシオンの細首一つ花の如くに手折られて、哀れ死霊術士が死霊となるところ。


「ああ、うん」


 と、己の置かれている境遇を理解しているものとは到底思えぬ呑気な声をあげて、カシオン眺めるところにはエルフの腕が、鍛えられた様を荒縄のように浮き上がらせている。しげしげと眺めるには、即ちその腕がどれだけの働きをするか測るためである。

 馬乗りになったエアノールは、却って己が追い詰められているかのように、何故このようになっているのかを自身ですら把握できていないように見えた。かといってカシオンがその拘束から逃れられる訳では無い。


「やはりたいした怪力だ。ワイヴァーンに掴まれた時もかくやと言って過言じゃない。しかし昨日のあんたはもっと……うん。こんなものじゃなかったと思うが」

「余計な詮索は……するな」


 かすれた声の求めるところに、カシオン当惑の表情を露わに、首を傾げてみせるのは即ち肯定しかねると言う意思表示。


「いや、実際のところ同行することになるんだ。説明はして欲しい、そうだろう? あんただってもし僕が一切呪文を、簡単なまじないさえ唱えようとしなければ理由は聞くだろう」

「……」

「それから、良ければ降りて頂きたい。こう言うとなんだが少々重くてね」


 とぼけた物言いにエアノールの険しい顔も僅か緩み、呆れたような溜息とともに身動ぎしたのは、カシオンに掛かる重さを減じようとしたものらしい。


「……これだ」


 溜息と共に弛緩した空気が送り出したのか、酷く平坦な声がエアノールの口から漏れた。声と共に束の間指に力が籠められて、カシオンはかすれる声でただ息がとだけ囁き、解放と同時に深く息を、間抜けな声に乗せて通らせた。


「今何故と問われただけで、俺の中の獣がお前に害為そうとした。昨日お前が見たものもそれと同じだ」


 カシオンの声が収まるに合わせて、エルフは絞り出すようにそう吐露した。努めてゆっくりとカシオンの喉頸から手を離し、その素首をへし折る心配が無くなってから、エアノールは滑るようにカシオンとの間に二歩の距離を置いた。


「恥ずべきことだ。俺の中には獣が棲みついている。厭い、怒ればそれだけで獣が俺を突き動かす……。それこそオークが災いの眼あるじに駆り立てられる如く」


 更にエアノール、この奥歯を噛みしめて苦渋を飲んだ様子のエルフは言うか否かの逡巡を、カシオンから背けた横顔にも露わ。


「……」


 それ以上言わず、エルフの誇り高い顔立ちはむっつりと押し黙って、それからカシオンへと向ける眼はこれで充分だろうと、それ以上の詮索を拒むよう。と言ってエアノールの方はカシオンを探るような目付きだ。然様、今し方言ってのけたエアノールの内情は、詰まるところこの猟兵が、ふとしたことで獣の激情に駆られてその膂力を遺憾なく、どころか常に倍したそれを揮って暴れ出しかねないということで、聴かされた方がどうあったとしても好い心持ちはするまい。殊にそのかいな力のほどを味わっているなら尚のこと。いやはやエアノールの、それを問われただけでカシオンの首をへし折りかけたのも宜なるかな、望むと望まざるに関わらず獣の如く振る舞う仕儀を深く羞じ、かくあるしかない己を想起するだけでも心苦しかろう。それが理由を告げたところで殊更にカシオンに哀れみや侮蔑を向けられては、耐え難いことこの上ないのは明白だ。


 しかしカシオンの側にはまるで何事も無かったかのように、怯えなし、というよりもむしろエアノールの言葉を咀嚼することにかまけて、目の前にある実体にはそぞろなるばかり。


「なるほど、なるほど。つまりあの大暴れも感情任せ風任せと言うところで、あんたの思い通りにはならないということかな?」

「これ以上何を聞きたい」

「言ったばかりだ。同行することになる以上、知るべきことは知っておく。今のあんたの話では僕にとっては何も知っていないに等しい」


 場にそぐわないほどに堂々と、お前の秘密を詳らかにせよとかかる勢いも緩むことなく、カシオンの双眸は爛々、肉を前にしたハイエナ人もかくや。


「それで、どうだろう。思い通りにならないというのならこれ以上の話は無意味だ。なにしろ必要な時にそれが顕れるかどうかわからない、頼りにすべきではないものだということになる」


 急かすカシオンが自ら詰め寄るのに、エアノールは幾ばくか遠ざけようと手を伸ばし、しかし諦めたように吐息を一つ。


「……自らの心を駆り立ててあの怒りを呼び起こすことはできる。だがそれは濁流に飛び込むようなものだ。押し流されたが最後、どこに行き着くのか俺にも分からない。己の所業の何たるかを悟ったとき、目の前にあるのが罪も無い者の亡骸であったとしてもおかしくはない」


 エアノールは首を振り、瘧に掛かったかのように身を震わせた。


「気付かず迷い込んだのが間違いだ。やはり俺などは白盾の片隅にでも潜んでいるのが相応しい」


 人も通わぬ未開の地へ、いやともすれば辺境怪物の楽園へと自ら追いやろうとするかの如き物憂げな、己への侮蔑の念抑えがたく、眉間に深く形作られたしわがどうにも悲哀を漂わせる。

 やり切れぬ責めを自ら負うようなその面持ちに、心あるものならば自ずとその情に深く感じ入り、その真情にいくらか共感も覚えよう。

 しかしカシオンはただエアノールの言葉に胸の内々解釈を加え、一人合点して顎を撫でさすり。


「エルフ流だな」


 と頷いたのは、心情語るに費やす言葉の数を言うものらしい。


「なるほど、要するにあんたはあの大暴れを受け入れたくないわけだ。何をやらかすかしれないから。なるほどね」


 その言葉に馬鹿にする風はない。他意なく単にそのように解釈したと、あっけらかんとした声がそう告げる。さて、カシオン自信ありげに頷いて、ピンと指を伸ばすところ天を示し、まさしく真理を垂れるよう。


「しかしそれだけ分かれば充分だ。この僕の考えるところ、つまり……ふむ」


 堂々託宣を務めるかのように発された言葉も、そのうち勢いを失し、応じるように指がゆるゆると丸まって、まだ痛みの残る喉を二度擦ったと見ると、カシオン小首を傾げて思案を重ね。


「つまり……なるほど、これは僕が出る幕ではなさそうだ。神官か精神術士、それとも喜劇の出番かな。ううん、致し方なし」


 エアノールの話にカシオンはすっかり得心し、どうにもさっぱりとそれ以上の追求を投げ捨てた。却って物怪顔なのはエアノールだ。


「……それでいいのか?」

「いいのかとは?」


 何を問われたものかと問い返すカシオンの、小首を傾げるさまさえ恥じるところもない様子。


「……俺が、怒りを振るうまいとしてもだ。わざわざ聞き出しておいて」

「ああ」


 なんだそんなことと、寧ろ尋ねられたことを驚くほどに、カシオン却って自ら論ずるも難しい。なにしろ語った通り、既に詳らかにしたものときている。こつりこつりとこめかみを突くのは、つまるところ間をもたせようという仕草である。


「理由は聞いた。僕に解決できることなら一肌脱ぎたいとは思ったが、どうやらそうはいかないらしい。それ以上に一体何がある? 僕は満足している、となればあとはあんたのことだが」


 しかし、とカシオンはゆるりとエアノールの屈強な体躯と、そしていささか思いつめた顔の、繊細に震える目を覗き見た。己の肝胆と重ね合わせて見たところ、カシオンが合点するのはなるほどの一言。


「よし、よし。わかったぞエアノール殿。エルフ殿。いや、実のところこの僕も似たような懊悩から逃れられないこともある。かくあらんと思いながら、一方でその逆を望んでしまうというやつだ――いいとも。エアノール、柄の間の縁の我が友よ。どうやら君はまだ掘り返して欲しいんだ。分かるとも、秘密というのは得てしてそういうものだ。覆い隠しておきたいがその一方で喧伝したくなることがある。そうしてもう一歩だけ踏み込むとするならば、身を隠そう離れようというあんたは本当は言われたいんじゃないのか。そんなことは恐れるようなことでもない、あんたなら大丈夫だとね」


 見る間に主客の転倒した物言いだ。もともと秘めたものを口にせよと求めたはカシオンだが、今やエアノールが問いただされた上でなお慰めを欲するかの如し。さて、カシオン何やら聡く、人心見通すかの如き物言いだが、もちろんこれにはタネがある。何もカシオンが他心通を持ち合わせていなくとも、他者の推測憶測を聞くことはできる。即ち昨晩のうち、エアノールの行状確かめた傭兵隊長アネットがその様子から推し量ったところに立ち会って、そこで語られたことをそのまま口にしているだけのこと。受け売りながら丁度良く事々口に出来たのは、カシオンの心中即ちエアノールに似た、とこのぼんくら魔術師が自ら称する懊悩というのがアネット・レイヴンヒルに関わることだったからである。

 如何にも面の皮の厚いこと、そもアネットが語ったと言うのも、他でもないカシオンがエアノールとの同行に不安を漏らしたのを、それを拭おうと傭兵隊長一流の目で見たところを語ったものである。エアノールの膂力で人死になく、また罪を悔いる気性よりその善性を見てとって、同行者として安心できるとお墨付き、次いで免罪、赦しを求めていると推測したものの、土足で踏み込むまいと語ったところはカシオンも睡魔で上の空、耳には残っていない。

 しかし運も良く、いやさ運やどうのと言うよりはエアノールの生来気質の善良なるによるものだろう、アネットであれば論ずるのを謹んだだろうところ、カシオンの厚顔ぶりに我知らず胸襟を開かされたか、エアノールはいやに神妙な顔になって自らの胸中を手探りにしている。いいや、知恵あるものであれば、あると言われて己の胸の内、探ってみれば似たようなものも溢れだそう。あたかもカシオンがその希求のほどを知りおいたかのようにも見えるが、ぜんたい、この死霊術師にそのような意図はない。

 知らず弄るエアノールの手探りが危うく己の厚顔なるを掘り起こして羞恥の大樹を育む瀬戸際に、折よくカシオンの、これはどうにもうんすんなく真剣がったエアノールに対面の己を思い出させようとばかり軽い口が滑りに滑る。


「あんたの望みは分かった。さて、エアノール殿。しかしあんたの胸の内だけ聞き出すというのはどうにも申し訳ない。かくなるうえは僕の胸中秘めたものを告白してこそあいこというものだ」


 申し訳ないとは口先ばかりのこと。この機に己の内側にあるものを吐露し、あわよくば目当てのために手伝いの一つも得られれば儲けもの。

 いざ聞けと、両手を広げたカシオン問われるを待ちわび、エアノールが口を開くよう、大仰な仕草で促してみせる。水を向けられたエアノールに、妙に押し付けるように秘めたるものを聞き出させたがる死霊術師に怪訝の目を向けるほかにできることなどあるものか。


「さあ」


 尋ねる言葉を待ち受けて、掌を上向けて指先が二度三度仰ぎ寄せる。


「……うむ」


 エアノールの戸惑い混じりの頷きに、一歩詰め寄ったカシオンはいやに熱く期待に満ちて、仕方なし、これを知らぬ顔は出来ぬという諦めがエルフの面上を染めていく。


「どうぞ、気兼ねなく」

「……聞こう」

「よしよし、あんたが聞くなら喜んで話をしよう。あー、ともあれ、僕もこんな話をするのは初めてなんだが。いやはやどうにも、ううん。よし、よく聞いてくれ。一度しか言わないので」


 いや聞いたというか聞き出したというか決めつけたというか、ともあれ口を挟む間も与えずに、聞くを憚るが如くそっと耳元に口を寄せたもの、カシオン目元にはどこか高揚の色を載せ、囁く声には喜悦がにじむ。


「我らがアネット・レイヴンヒル殿。彼女が僕の目当てでね」


 一体何を聞かされたのかと、エアノールの訝しむ目がカシオンの顔を撫でた。


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