死霊術士、エルフと森をかき分ける
さしものカシオンも、虎の子まで吐き出していればその日のうちに何かしろと言われても無理な話。術士のさだめはアネットも承知のうえ、今すぐエルフと二人村を出ろと言うでもない。一晩は村長の家を寝床に、昼間の大怪我もあってか寝付きは早い。日課をなんとかこなしたところで泥のように眠って、次に気がついた時にはもう日の出る頃だ。すっかり休んで気息横溢、ただしその使い道が抜け道探しというのは、カシオンも若干拍子抜け、ほかに適材あろうとも思われたが、しかし敬虔なる司祭様の言うことには、見知らぬ魔法使い(これもまた大雑把な物言いだ)は村人の心を騒がせる、故に身を隠して欲しいのだという。かくまで言われればカシオンも、村を一時離れるのもやぶさかではない。そもそもカシオンにしてみれば我が身の弁明というやつを、目の前で理に合わぬことを言われれば訂正も求めようが、何も言わないうちから正しさを押し売りするのは難しい。対人交渉はカシオンの職掌の中にない、となれば得意な者に任せるのが吉だろう。
村人をこれ以上脅かさぬよう、カシオンは日のはやいうちに村を出る手筈となっていた。しかし身支度を終えたところで、エルフの不在に気がついた。あのエアノールとかいうワイルドエルフは一体どこに行ったものか、司祭殿は説法に、傭兵隊長はそれに同行だ。首を傾げて探すうち、村長の声がカシオンを呼ばわった。
「おい、あんた」
「やあ、おはよう。これはこれは村長殿、いいところに。エルフの彼がどこにいるのか知らないだろうか」
「……こっちだ」
起き抜けの不機嫌さかと首を傾げたカシオンが連れて行かれたのは、エルフが閉じ込められていた倉庫にほど近い外壁近く、森に半ば飲まれた辺りで、この村の中のどこよりも濃い自然の匂いが鼻を突く。湿った青臭さと苔の匂い。平生の森よりも濃厚なそれに、魔法とともに生きるものであれば森の司の手になるものと悟るだろう。
森の一部となりかけた一軒家に、村長は様子を窺いもせずに踏み込んだ。カシオンがついて入ると、そこには獺人のウィテルとエルフのエアノールの姿がある。ウィテルの毛むくじゃらの手には筆があり、手元の紙に何やら地図を書いていたものと思しい。この辺りの地勢を、よく分からぬ記号を以て森と平原、高地と平野に分けてエアノールと情報のやりとりをしていたらしい。だがカシオンたちの到来を受けて、その相談も終わりとなった。
「ああ、来たようだね」
「すぐ出発と言うことでいいか?」
村長が尋ねる間にも、ウィテルは地図を一吹き、
「僕は構わないが、彼はどうだろうか」
およそ昨夜から着の身着のまま、野外活動には向いた装いではあるがそれは身に纏うもののみを指した話であって、衣類や靴を除けば何も無し、いくらなんでも刃物の一振りや、その他道具の一揃いもあっておかしくないはずだ。
「そいつの道具はこっちで預かってる。来い」
「……ああ」
頷いたエアノールの、いささか消沈した様子で大凡のことは知れよう。このエルフが一暴れしてこの村の者に取り押さえられた際に、無論凶漢にだんびら持たせる馬鹿もあるまい、その持ち物は一揃い取り上げられたということだ。
小屋の外、蔓草に覆われた一画をウィテルが撫でると、その下からいくつかの荷がお目見えだ。寝具や野営道具をまとめた背負い袋があったと思うと、弦を張った造りの良い長弓に矢筒、鞘に収まった山刀に何やら奇妙なトーテムを飾った戦籠手、そしてこれは少しばかりエルフには不似合いな、ゴツゴツとした戦斧が二振り転がっている。
カシオンはその瞬間のエアノールの目に、奇妙な怯えと浮かされるような熱情を見て取った。
見せられた己の得物にそっと伸びかけたエアノールの手を、村長が抑えた。
「……担保だ。今要るものだけ持っていけ」
気付かず荒げたエアノールの息は二拍とおかず収まって、緩んだ口元に安堵が見えた。
「ああ……分かった」
不満はないとエルフが頷くのに、村長は山刀と背負い袋を引っ張り出した。それを押しつけるように渡すと、残った荷を眺め、矢筒に手を伸ばす。
「弓は?」
「……要る」
エルフに弓の謂いもある。これは優れた者が得意とする物を手にして大暴れする様を示す慣用句だが、これだけ出来の良い長弓だ、優れた腕前のエルフが持てばまさしく向かうところ敵なしとなろう。とは言えエアノールは山刀の刃を確かめつつ、危険は避けると宣言した。カシオンにも同意を取り付けて、渡された弓と矢筒を背負いはするが、無闇には使わぬと口早に、告げたところでウィテルが蔓草を再び動かして、荷物は見る間に見えなくなった。
よし、と確信帯びた声で頷いたエアノールは、そのまま行くぞと一言、カシオンにしてみればそこまで急ぐ必要はないと思うものの、ウィテルが開いた森への道を通り抜け、エルフと連れだって村の外へと出たのだった。
◇ ◇ ◇
森の中を行くことにかけては、
くたびれ果てたカシオンが木にもたれかかって一休みするうちにも、エアノールは陸鮫の血抜きも手際良い。この陸鮫という怪物は名に反して熊の如き肢体は鮫とは大きくかけ離れているものの、大地に潜ること鮫が泳ぐに似て、その角に触れた大地はひととき水の如くこの怪物を受け入れる。それが地面から不意を討って飛び上がり、大口と長い尾で何でも壊し何でも喰らうという恐るべき存在ではあったが、ワイヴァーンに比べてみればいくらか劣る。いやさ、怪物の脅威どうこうというよりも、それを片付けた二人の力量を讃えるべきだろう。
続けて陸鮫の腹が切り開かれていくのを眺めているうちに、カシオンはその手際に感嘆の声を上げた。
「まったく見事なものだ。すまない、今取り出した部位をもう一度見せてくれ。しかし酷いにおいだな」
「……休んでおけ。この後も歩くぞ」
「午後もか。同じ道を帰るだけならそこまで急ぐ必要はないだろう?」
「あんたがそれだけ疲れているのを見る限り、この道が良いとは思えない」
自らを指さすカシオンに、エアノールは力強く頷いた。いかにもエアノール語る如く、カシオンはすっかりくたびれ果て、口ばかり元気だが身体は木に託したままである。
「少なくとも、ただの村人が通るには厳しい。あんた、別に体力に自信がないわけじゃないだろう」
「まあそれなりにはね。しかしそうなると僕が指標というやつか」
「ああ、そういうことだ。しっかり歩いてくれ。こいつを食って精をつけろ」
切り開いている陸鮫の、その大ぶりな肉を示してのことに、カシオン思わず不機嫌な声を漏らす。
「僕はいい。野外では慣れない肉を食べないことにしてるんだ」
「何故また?」
「腹を壊したら大ごとだ。山道を歩くどころじゃない」
真面目くさった顔でそれだけ告げると、億劫そうに自身の背負い袋に手を伸ばして今日の昼食を引っ張り出した。油紙を開いて薄焼きのビスケットを取り出すと、一枚噛み割って見せる。
「僕はこれでいい。エルフ仕込みの携行糧食だ」
ふと、ビスケットを見たエアノールの目に、どこか懐かしむ色もある。ポリポリとビスケットをかじり一枚飲み込んだカシオン、油紙とエアノールを見比べて、どうだと差し出した。
「あんたこそ一枚どうだい?」
「……いや、俺はいい。そんな味の薄い物じゃ力が出ないんでな」
「なるほどね」
素っ気ない返事を返しながら、カシオンの目はしげしげとエルフの肉体を観察する。いかにも屈強、並のエルフとは比較にもならない。エルフの語り草、天より遣わされたエルフの武王の血を引く者と言ったとて、決して疑われることはあるまい。
「なるほど、なるほど。ランドシャークと真っ向から組み合って首をへし折ったのも肉の力というわけか」
「そちらの援護あってのことだ。昨日披露されたものと同じと見えて、思わず少しばかり同情したぞ。その術の冴えもエルフ仕込みか?」
「僕の師匠は人間だよ。エルフとの仲も悪くなかったし、おかげで僕だってエルフと縁が無いわけじゃないが……あんただって肉以外を食べないわけじゃない」
「かもな」
どこか鈍いな笑みを浮かべて、エルフは作業を速めた。鱗めいた皮を剥がれた陸鮫の身体が、次第に肉の塊に成り果てていく。生き物のはらわた、骨のかたちの話なら死霊術士には大いに興味のあるところ、カシオン余裕があればスケッチの一枚も残しておきたかったがと、少々の恨めしさを自らの背負い袋眺める目に浮かべども、この後もあると脅された身、疲れを置いていくためにも休むが大事。
「だが、指標とは。道を切り開くなら僕だって役に立つぞ、エアノール殿。邪魔な木でもあれば呪文一つ、すぐに朽ちて道になる。いくらでもとは言わないが、遠回りするよりはマシだろう。エルフ仕込みじゃない呪文だって役に立つ」
「……さて」
エアノールは首を傾げ、カシオンの、そのからかうような笑みを浮かべた顔を検めた。カシオンは怠惰とすら喝破されそうなだらしなさで脚を伸ばしているが、なにもその言、この道探しを早く終わらせようというばかりではないはずだ。
「曲がりくねった道よりは、真っ直ぐ行けた方が楽だろう?」
「村の人間たちは、そうかもしれないな」
全面的では無いものの一分の賛意に頷いたエアノールに、我が意をえたりと喜ぶカシオンは、ビスケットを振り振り勢い込んで己のエルフ仕込みならざる術の数々を、その効用並べて口にしようとしたところで先んじてエルフの言葉に押しとどめられた。
「だが不用意に森を変えようとするな。碌なことにはならないし、運が悪ければ大物に目を付けられる」
「なるほど、そのランドシャークみたいなやつに?」
言われて目を落としたエアノールは、しかし笑って首を振り、
「確かにこいつはデカブツだし、大食いの化物だが……」
と、声を潜めること、あたかも聴かれるのを恐れるふう。
「怖いのはあの
「なるほど、確かに大物だ」
言って顔を見合わせたと思うと二人して肩をふるわせて、ここにウィテルあれば大目玉を食らわせただろうと思われて、またその想像が二人の笑いを長引かせた。
ひとしきり笑ったところで、まだ消えきらぬ発作を落ち着かせながら、カシオンは陸鮫を眺めて、少しく賢しげな目をエアノールに向ける。
「実に見事な解体だ。もう少し早く会いたかった。丁度昨日、ワイヴァーンを一頭仕留めたが解体できないということで置いてきたんだ。実に勿体ないことをした」
「ワイヴァーンの解体くらいはわけもないことだ。次は俺を呼ぶといい」
「出来れば襲われるところから参加していただきたい。ランドシャークもこうだ、きっとワイヴァーンだってわけもないことなんだろう?」
「一頭ならな。三頭は多すぎる。できればあんた達がやってくれ」
実に長閑に、まあ片方は血生臭く解体などしているものの、狩人と死霊術士の二人和やかに笑い交わす。と、死霊術士の方が、和やかなまま顎に手を置いて、はてと疑念を口にした。
「しかし、エアノール殿。ランドシャークを斃した手際も実に見事なものだったが、昨日のあんたならもっと早かっただろう」
早かっただろう、というのはその通り、昨日のあの、小屋を震わせるほどの怪力が揮われていれば、まあカシオンの出番は無かったと言っても嘘にはなるまい。エアノールの戦い振り、身ごなし軽やかに山刀を操って、まさしくエルフの戦い振りと言えばそうだが――しかし、辺りさえ震わせた昨日の様相に比べれば、どうにも力強さに欠けたものであった。
「……そうか」
ふと、笑いを納めたエアノールの些か剣突な、どこか険ある応対に、カシオンは頬を掻いて、実に不思議そうに。
「斧と言いそれと言い、どうして使いたがらないんだい?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます