死霊術士、エルフの仲間を得る
「そいつはおれの甥だ」
机を囲んだ面々の顔を見ながら、村長バーバスは如何にも苦々しくそう言った。カーン、そして
「詫びよう。ただ――」
じろりと白目がちな
「あんた、術士さんよ。村の中で妖しげな術を使ったらしいな」
「おや、この村では呪文の使用が禁止されていただろうか。すまない、先に確認しておくべきだったかな」
「そうじゃねえがな。しかし村の
ふむと思案を見せるカシオンは、ピンと指を立てて理を告げるように天を指した。
「無論化物峠の実践派魔術師たるこの僕は死霊術を除いたとしても一端の魔術師程度には呪文を操ることができる。しかし」
何か使命感に突き動かされたかの如きその動き、それを見るうちにフェリアの脳裏に蘇るものがある。即ち地下牢を出た日のこと、相手を構わず死霊術の正統性を示そうとする長広舌。
慌ててカシオンと呼びかけて止め立て仕掛けたところで、しかしカシオン、既にその口は勢いよく言葉を捲し立てている。
「破壊を伴う現象を操る発現術、人を思い通りに操る精神術に比べて、死霊術のみが危険と断じられるのは理に合わない。そもそも僕が先ほど使ったのは一時的に身体の力を奪うだけの呪文だ。見ての通りそこのエルフ殿にはもう不調も残っていないだろう。たとえば酸の矢や炎を打ち込んだり、あるいは同意を得ることもないまま呪文でその行動を支配する行いより、ただ一時的に身体の働きを弱めるだけの呪文の方が危険だとするのはまったくの非合理だ。死霊術士の末席に身を置く者として、死霊術への言われなき偏見は納めて頂きたい」
「……おう」
バーバスも勢いに押されたと見えて一度頷き、そして如何にも恨めしげな目でアネットを見ると、溜息交じりに
「……学派魔術師ってやつは」
と呟いた。死霊術士めと口にしなかっただけ言葉を選んだというもの、顎髭を撫で撫で部屋を眺め、次いで思案を少々。
フェリアの肘が脇腹を小突くのに、カシオンはごぞごぞと身動ぎして、はて何かあったろうかととぼけた顔をしてみせる。フェリアは諦観混じり、眉間に指を押し当ててて頭痛を堪えるよう。
「……良いでしょうか。彼の言うとおり、系統によって危険度を測るのはあまり意味が無いでしょう。とは言え村の方に、どのような術を使っているのか理解を求めるのは難しいと思います」
司祭の助言に、村長は二度三度目を瞬かせ。
「ああ。……そうか、悪いが術士の先生よ、あんたのところの司祭様が言うように村の
こう言われればカシオン、如何にももっともだと頷くほかはない。了解したと打って変わって従順に舌鋒納めた様子に、部屋の良識派は安堵を表にした。
「……もう既に使っちまったぶんはどうしようもないとして」
村長の目が離れると、今度はカシオンの肘がフェリアを突いた。そっと目を向けてくるのに、小声でカシオンが囁くのは若干の心配をまじえたもの。
「フェリア、そちらは呪文が必要だと思うんだが」
「はい? ……ああ」
何を言われたのかと束の間分からぬ様子を見せたフェリアだが、ぐるりと視線を一周、死霊術及び死霊術士について何事か話し合っている様子の村の三人の姿に、その話が終わるまで時間がありそうだと合点して、カシオンに向き直るころにはその尋ねるところを分かった風に、若干の苦笑を浮かべている。
「大丈夫ですよ。治療に使う分には止められることもありません」
それ以前に、世の人の目から見ればどこの馬の骨ともつかぬ死霊術士と、霊験灼かなる輝く者の
しかしカシオン、なるほどと頷くには確かに村長の前で状況に応じて使うのであれば問題なかろうと言う風。されば己も許可を取り付けて使うならば問題ないと得心顔である。
いざとなればと目を向けられた村長、まさかカシオンがそのようなことを考えているとは露知らず、死霊術士相手に伝えぬ方が良さそうなことを腹心ウィテルと打ち合わせ、よくよく、死霊術士がどうのとは村人にも伝えまいと腹積もり。何しろ死霊術士だ。輝く者の司祭が監督しているとは言え、死霊術士に連れられて村を出ると言われれば生きた心地のしないことは売られていく山羊以上だ。
とは言え、妖しげな術を使う魔法使いと言うだけで乗りたがる人間も少なくなろうが。
「村の者についてはこっちでもなんとかしようかね。それで、あんただよエルフ」
仕方の無いものと思い極め、斯く告げたのは
「村のことはバーバスに任せるが、森のことはあたしの領分だ。森の司をやってる。ウィテルと言うよ。まあ好きに呼んどくれ。それで、あんたは?」
「……
「氏族無しのエルフかい」
ウィテルが怪訝な顔をしたのも無理は無い。エルフの氏族と言えばその共同体そのものを指し、外に出る者もまたその一部として位置づけられている。氏族名を持たない者というのはつまり、どこにも属さないということだ。不名誉か、あるいはその他の理由で氏族を出て、しかもそのうえで何かを寄る辺にしたわけでも無い。いかにも珍しい、一匹狼のエルフ。ある意味で何をやらかしてもおかしくは無い――そして既に、彼は大暴れをやらかしているのだ。
カワウソの顔に、皮肉な笑みが浮かんだ。
「なるほどねぇ。そんなあんたが森を荒らしたおかげで村の連中は殺気立っちまってね。おまけにあの大暴れだ。どうにも上手く行かないよねぇ。今は大人しくしてるみたいだけどね、ひとつ詫びを聞かせてもらいたいもんだ」
しばしエアノールはウィテルの、その睨むような目付きを真っ向から受け入れて、そして掌を広げて見せた。
「すまない。知らぬ間にあんたの森に踏み入り、挙げ句村の人間たちを傷付けたこと深く悔いている。出来るだけのことはする。どうか償わせてくれ」
「まあ随分素直じゃないか。獣懸かりが嘘みたいだよ。だけど生憎だね、丸きり信じるわけにもいかないよ」
ウィテルの尾が忙しなく床を掃く。
「森を荒らしたんだ。本当なら棒打ちにするか吊るすかだけど、今はちょっとばかり具合が悪いねぇ」
というのは、つまり刑罰が村人に与える影響を慮るものだ。己らの財物を守るために外の者を排すれば、それだけ愛着執着も増そう。これから全部置いて逃げ出そうという段に、それはどうにも厄介だ。
「償うったってあんた、エルフ。身包み剥いだこっちからすれば金がないのは先刻承知さ。どう償うつもりだい。まさか自由にしてもらって、一働きしますとでもいうんじゃないだろうね」
「そのまさかだ。今の俺にはそれを除いて償う手はない。日々の糧を取り、薬種を取るばかり。それを十年続けてきた。他には得物があるばかり。だが得物は手放せない」
手放せないと告げる前にぶるりとその身が震えたのは、己の口にするうちに得物に対する焦がれるような執着が胸の内からこみ上げたと思しい。最後のその言葉ばかりはひび割れ、嗄れた音を帯びている。しかし、握る拳が軋んだ音を立てるほど、力のこもるを知らせるように震えは左腕にだけ押し込まれ、そっと添えた右手が押しとどめた。
「償いについて、一つ話がある」
と声を上げたのはアネットだ。
「願わくば、彼の助力を求めたい。ワイヴァーンを切り抜けるために」
村の三役を黄色い眼で眺め、アネットはその反応を確かめた。
「逆枝から灰分けの途上、我々はワイヴァーンに二度襲撃された。昼日中だ。一度は一頭、二度目は三頭。そこな術士殿は毒針を腹に受けた」
既に承知のドーンまで、揃って目を向けるカシオンの腹には、コートと服を貫いた大穴から垣間見える生っ白い肌がある。ドーンが震え上がるのは傷の深さを思ってのことであろうが、村長と森の司の二人が眉を顰めるのはその脅威を知ってのことと思われた。
「術士殿が生き残ったのは本人の機転による。彼は危うく連れ去られるところだった。その場で襲うなら救出できるが、連れ去られて喰われるなら手は無い」
重々しくカシオンが頷いたのは、連れ去られて喰われるところだった、等という不安を思ってのことでは無い。単に機転を讃されたのに、喜んでのことだ。とは言えアネットの言う通り、そこらの村人にさあワイヴァーンの爪から逃れろと言ったところで、実行できるのは爪の先ほどもあるまい。
「あまつさえ三頭だ。三頭を相手取っては殺すこともままならない。……昼日中ながら立て続けに亜竜に襲われたのは果たして偶然か」
偶然で無ければ困る。逆枝まで行きつ戻りつする度に一群のワイヴァーンに襲われるでは堪らない。無論それは傭兵隊長殿とてご存知だ。しかし保証の無いこと、アネットは断ずるが如し。
「状況は当初想定していたものより悪い。出来るだけのことはするが、誰1人傷付けずとは断言できない」
「こいつがいればどうにかなるとでも言うつもりかい?」
「いや。しかし――」
否みながら、アネットはエアノールを見上げた。話の流れを受け止めて、エアノールはいかにも泰然自若。
「ワイヴァーンを相手取ったことは?」
「両の手の指に余るほど」
「ワイヴァーンを避けて村人を隣村まで運びたい」
「ならより安全な道を探せる。よしんば飛竜に気付かれたとして、俺の目は奴らより鋭い」
「ありがとう」
一言礼を告げ、村長達に向き直るアネットは確信に満ちている。
「自分の見たところ、彼は優れた技量を持っている。大きな助けになるだろう。それはあなたがたにも価値があるはずだ」
「なるほどね」
頷いたオトーは半信半疑、当然だ。ワイヴァーンの脅威は理解しているが、それが傭兵隊長殿の語る如く危機的状況に陥っているかとなれば断言できるものではない。だが村長はそうはいかない。告げられた危機をそのまま看過すれば、痛い目を見るのは村人だ。このバーバスという男、務めに対する責任感というやつを、人並みならず重く見る質らしい。
「あんたの言い分は分かった」
「いいのかよバーバス」
「……まだ良いとは言ってねえよ」
森を侵したことはウィテルの領分だが、村人を害したことはバーバスの領分である。このとき村長の目がフェリアを向いたのは、即ち村人の、フェリアによって治療されたことを思ったからだ。おおよそこの世に値のつかぬものはないもので、司祭様の善意で行われた治療も、望んで受けに行ったなら金を積まねばならぬもの。これ以上何か強いるのも具合が悪い。
ただ償いと、それで見逃せば村の者にも示しがつかぬは言うまでもない。と言って象を木の柵に閉じ込めるのは馬鹿のやることだ。それが穏便に外に出した方が役に立つなら尚更。
「……ここに」
決まらぬ思議に、アネットがそっと旅装から取り出したもの、妖しく光る水薬を納めた小瓶である。
「癒しの水薬を二本、持ち合わせがある。こちらを譲りたい。売るなり使うなりご随意に」
癒しの水薬と言えば、なまじの怪我なら一本飲んだだけで立ち所に癒えるという、これもまた魔法を帯びた品である。その取引に人1人、三月かそこらは平気で暮らせるだけの品である。いいや、そもそもが文字通りの命水、上手く使えば死を遠ざける一手ともなろう。怪我人は既に輝く者の司祭に治療を受け、その上ここまで出されれば、村長の方が悪党だ。
「分かった、そいつはあんたに預けよう」
「感謝する」
「……あんたが担保だ。精々面倒を見てくれ」
「分かっている」
いかにも己の目の確かさを疑うところもないと言うように、アネットの自信に揺らぎも無い。
「しかしどうする。できりゃあそっちの術士とエルフは少し身を隠した方がいいと思うがよ」
「考えがある。二人には、先に安全な道を探してもらいたい」
――と、知らぬ間に次の役目を決められていたカシオンは、エルフと二人顔を見合わせた。
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