死霊術士、石を投げられる

 野人のエルフは中々に手強かった。

 香(これはカシオンの瞑想用に用意された自作のものを指す)を焚いても楽(アネットによる笛である)を奏でてもエルフの昂ぶった感情を抑えるには足りず、ともすれば本人の唸り声が一個の防壁となって二人の持ち出すあれこれを遮っていたものに違いない。だいたい出せのなんのと言いながら、エルフは勉めて倉庫の奥に留まり、カシオンたちの用意するものに近付かないのだから仕方が無い。これが本当はオークであればカシオンの眠りをもたらす術によって話を終わらせることもできただろうが、生憎真実エルフである。エルフの本質は肉のうちにはなく、従って肉の求める眠りは彼らを侵さない。

 エルフが怒りをぶつける度パラパラと降り注ぐ倉庫の一部に、これは悠長なことを言っているわけにもいかぬととうとうカシオン秘言を編んで残された余力を注ぎ込み、死霊術の技の冴え、力萎えの呪文を投げ掛けた。カシオン操る負の、これが見る間にエルフを取り巻き、その屈強な肉体に宿る力を抜き取った。見る間に肉は落ち、頬は痩せ、蓬髪と髭も相まってあたかも幽鬼の如くである。


「今だ、アネット」


 カシオンの言葉を待つまでもない。傭兵隊長は電光石火の早業で扉を押し開け、唐突な力の喪失によろめく蛮人に迫ると用意していた縄を一巻き二巻、あっという間に縛り上げたと見るとその背を押さえて身動きを取れぬようにした。


「如何ほどか」

「そう長くは保たない。どうか気を付けて」


 頷いたアネット、渾身の力でエルフに組み付いたままその耳にエルフ語で告げるには、即ち彼の潜んだ森はこの村の管理下にあり、自らの土地を荒らされたがために村人は怒りを掻き立てられ諍いの原因となったが、森でのことを話して貰えるのであればこちらには仲立ちとなる用意あり、そのために落ち着かれたしとこれを手を替え品を替え、十二、三遍も繰り返すうち、エルフの身体は不意に力も抜けて、怒りの唸りも途絶えたものであった。


 満腔の怒りはどこへやら、今や野エルフには垢じみた疲弊が残るのみ。逆らうつもりは無いというように、最早されるがままである。


「……すまん。償いはする」


 と、短く述べたその顔に、悔恨色濃く浮かんで見える。口にする言葉は荒れていた際に叫んだオーク語ではなくエルフ語で、同じ口から発されたとは思えぬほどには柔らかな響き。これをすぐに信じたものか、アネットの眉が僅か歪んだ。


「不審な動きはするな。拘束は解かない」

「ああ」


 抵抗の意志なしと、いささか荒い息を意図して緩やかに抑えて、エルフの密猟者は緊張した手足を弛緩させる。先には怒りに燃えるようだったその目も、今は力なく、どこか色褪せて見える。


「大丈夫そうかな?」


 吞気な声と共に、カシオンがそっと倉庫に足を踏み入れた。その靴音に、エルフは一度身を震わせて呼吸を荒げたが、苦しげに目を閉じ、肩を揺らして深く息を吐き出して、なんとか平静を保とうとする。


「大丈夫だ。術士殿、しばし外で」

「なるほど、そうしよう」


 アネットが拒むと、カシオンは四の五の言わず肯んじ、伸ばした足を引っ込めた。外ではカシオンの他、先から取り囲む村人達がいるが、彼らはまた先と同じように小屋には近付かない。彼らの目を向ける先はエルフではなくカシオンだが、この死霊術士はいささかくすぐったそうにするばかり。


「できるだけ早く出てきてくれればありがたい」

「どうか今少し待たれたい」

「……いや、叶うなら外へ」


 カシオンの勝手に、アネットの下のエルフも便乗して懇願する。


「ここは息が詰まる。どうか外へ。こう狭いと……腹の底からこみ上げてくるものがある」


 逡巡は少し、アネットはエルフを起き上がらせて、大柄な身体を支えるようにして歩かせた。


「術士殿もいる。下手な真似はするな」

「分かっている。……恩に着る」


 もうカシオンの術による手足の萎えも治まったものと思われたが、怒りを失ったエルフの身体は縛られていることもあってか真っ直ぐ歩くことすら覚束ず、アネットの支えが無ければ無様転がって芋虫の如くとなろうことは明らかだ。

 やっとのことで出口に辿り着いて日差しを浴びると、エルフは安堵の息を吐き、なにやら重荷を下ろしたと見えて張り詰めたものが心持ち軽くなった。縛られたままのエルフの姿に、村人達も恐れを一分は溶かしている。とは言え、そろっていくらかの距離を置いているのはエルフよりもむしろ死霊術士を懸念してのものと思われた。当の死霊術士は安穏傭兵隊長殿が引っ張り出したエルフを眺めて興味も津々。


「オーク語の他には……ああ、共通語も通じるようだな。どうも、エルフ殿。なかなか酷い格好だ。水を浴びた方が良い」


 こうまで薄汚れてしまったエルフというのはなかなかちょっと見られまい、と構わず口にする死霊術士の厚かましさ、怒りだしても良さそうなものの、エルフは意表を突かれて死霊術士をまじまじと見つめたと思いきや、独りでに目が細められて笑みをつくる。

 アネットがエルフを壁にもたれさせ、カシオンからたっぷり大股五歩は離れていたカーンを呼ぶと、勇気振り絞ったカーンはアネットから二歩のところまで馳せ参じた。


「償いを求めている。村長に引き合わせるが構わないか」


 尋ねるというより決まったことを伝えるような物言いに、カーンは目を剥きかけた、かけたがしかし余所者絡みの話、裁決を下していいのは村長だ。僅か逡巡して、それから倉庫に目を向けた。


「待て待て、まず勝手に閉じ込めてるのを出されちゃ困る」

「あのままでは崩れる」

「そうかもしれんがよ……」


 確かにそれを恐れたのでは無かったか。恐るべき屈強の野人が、いつ倉庫を打ち砕いて外に出るかが分からないという状況よりは、言葉を話すエルフをしっかり縛り付けている方が幾分マシというものだろう。


「迷惑を掛けた」


 とこれはエルフが、低く告げたもの。


「故郷を出て獣の如く暮らしてはや十年、十の森、十の山を越えて放浪し、十日前にこの森に辿り着いた。他にも人が入っていることには気付いたが、村近くまで来ていたとは気付かなかった」


 一度弁舌を揮うと言葉は流れ出す如く、これはエルフ語の流儀を共通語に当てはめて、綴るのは如何にも流麗だが聞かされたカーンは呆気に取られるばかり。野人の語ることではない。


「お、まあ、……そうか」

「償いはする」


 と、己の意を伝えるときのみは短い。とは言えカーンも今ここで何もかも断言など出来ぬ。ふう、と深い息を吐き、首を振ってエルフを見、


「だいたいあんた、村のもんを何人も叩きのめしやがったろう。森に入ったばかりじゃねえや、そっちもしっかり償ってもらわんと話にならんぜ」

「すまん。勿論だ」

「それに関しては寛大なる司祭が治療を行うと」


 嘴を差し挟んだカシオンに、酷く恥じ入ったエルフは頭を垂れ、感謝を口にするものの、流石にだからとカーンも寛大な、例えば赦すような行いが出来るというものではない。


「まあ、いいだろ。一度は村長に裁可仰がにゃならんのだ。ちょっと待て、今に森の司が来るんでな」

「森の司」

「おうよ、うちの知恵袋でな。おお、来たんでないか」


 エルフを捕らえる際にも力を尽くしたと聞いたはずと、カシオンが思い出すうちに何やら地に引きずって走る音がした。カーンが示した方向に目を向けると、小柄な影が二つ走ってくる。一つはまだ八つにも至らない少年で、もう一つは獺人オトー即ち子供に似た体躯の、毛むくじゃらでカワウソに似た人である。侘しくなった毛皮は既に老境に差し掛かったものと思しく、同じく色褪せたローブと尻尾を引きずって駆けてくる。少年が森の司でないとすれば、このオトーがその任を担うものだろう。木を粗く削った杖を手にしているところは、恐らくドルイド僧、つまり自然の諸力を崇め、その代行者として天地自然の調和を護らんとする信仰者であろうと思われた。


「ウィテル!」


 カーンが一声名を呼ぶと、オトーが杖を振って応じた。と、その横で少年が眼を怒らせたのは、カシオンとアネットがエルフを連れているのを見たからだ。


「てめえ!」


 怒鳴り声と共に少年が足下の石を拾い上げ、そのままの勢いで投げつけた。いかさま感情的な一投は、惜しくも外れて地を転がった。目を鋭くしたアネットがカシオンとエルフを庇うように前に出ると、カシオンがほっと胸を撫で下ろす。


「もう今の僕は出し殻のようなものでね、当たればことだ」


 と、言ってのけたところで、慌てたカーンとオトーが子供に飛びついた。それ以上暴れないようにと両手を掴み、きいきいと怒れる少年をなんとか宥めようとする。


「やめねえか!」

「チクショウめ! やっぱりエルフの仲間なんじゃねえか! ここはおれたちのだ! 追っ払えると思ったら大まちがいだぞ!」


 獺人オトー、ウィテルが腕をつかむのを振り払って、なんとか投げた二つ目の石はたいして飛ばず、すぐに地に落ちてコロコロと転がった。

 少年が叫ぶのを聞けば、カシオンたちにも一体何に憤っているのかすぐに知れた。エルフとグルになった冒険者がこの村を取り上げに来た、とはわかりやすい不安の発露だ。とは言え真実、アネット率いる三人組はこのエルフとは何の縁も無い立場である。


「ははあ、村長の言っていたやつかな」

「我々は村の簒奪者ではない」

「村長に頼んできちんと話をしてもらった方がよさそうだな」


 事実に反することである以上、それを正せば問題あるまいとカシオン呑気に頷いた。しかしアネットは些か難しい顔で、辺りを見回した。何も子供の言うこと、大人は気にも掛けまいと、そんな考えは楽観がすぎるというもの。

 今しも押さえ込まれた少年は怒りのあまり涙を流し、叫ぶ声はいや増すばかり。


「出てけ! 出てけ! 出てけ!」


 その繰り返される声に、涙に、周囲の見る目は中々剣呑に、余所者を不審がる色を帯びている。ついに丸まってぐずりはじめた少年に、どうにも困った様子を隠せないカーンが周囲の人々に散るよう声を上げはじめた。


「ほれ、おまえらは気にすんな。今からこのエルフを村長のところに連れて行って、しっかり話を付けてくるんだ。こいつらも別にエルフの仲間じゃねえわさ」


 声を張り上げるも、村人達の納得は薄い。何とか少年を近くにいた男に預けると、今度はカシオン達に駆け寄って、ウィテルとともに三人を村長の家に向かうよううながした。

 村人達の言い知れぬ不安から隠すように、カーンは三人の後ろに立って急き立てる。


「……やりにくくなる」


 アネットの呟きに、状況を察したエルフが面目立たぬと俯いた。

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