死霊術士、路上に供あり

 日も中天に差し掛かり、抜けるような青空は吉兆と呼んで差し支えない好天を見せていた。

 正午の鐘まで今しばらく、気の早いものなら約束のために足早になってもおかしくはないが、急くほど切羽詰まったものでもない。

 切羽詰まったものでないのなら、カシオン・ホーンテッドパスは即ちその余裕に存分浴し、街路を気儘な足取りで門へと向かうばかりである。


「ああ、ほら。あまり粗略に扱わないでくれ。あんたがどうしたところで中身は無事だが、袋が破れれば事だ」


 からかうような声を向けた先は牢番で、肩から提げた物入れ袋の扱いに苦言を呈されて舌打ちを返してみせる。


「調子に乗るなよ死霊術士。誰がそんなヘマをやらかすか。魔術師おまえらに借りを作ったが最後だ」


 言葉ばかりは鋭いがそっと荷を背負い直す仕草は細やかで、さてそれだけ魔術師が恐ろしいものか、或いは根は善良なのか。


「それにしても、お前こんなものをよく平然と持ち歩けるな。大方にゃただの物入れに見えるだろうが、分かる奴が見れば一財産だぞ」


 一財産と言って、なにもカシオンの持てるものがこの袋一つに収まると嘲っているわけではなく、一辺2フィートたらずのこの鞄がその実部屋に撒き散らかしていた諸々をそっくりそのまま呑み込んでまだ余る、どころか肩に掛かる重みもその中身とはかけ離れ僅か鞄一つと少し程度のもので済ませる脅威の逸品であるからだ。


「無論それは」


 んんと咳払いし、喉を整えたカシオンは精一杯に厳粛に。


「我が師より賜った宝の一つだ」


 賜ったと大音声に、溢れかえる誇らしさのようなものはさておき、ここは街路であると思い出させるように舌打ち一つで窘められても知らぬ風に、いくらか訝しげな眼差しを向けられようが過ぎ行く余人のこと、カシオンは滔々と自慢だかなんだか分からぬ言葉を立て続けに垂れ流す。


「師匠だって金庫の奥底に後生大事に秘め隠しておいたわけじゃない。普段使いしてこそだろう。たとえどんな値打ちがあろうと正しく使うことができなければ意味は無いよ。ただ貴重であるだけが価値ではない、本質は如何に使うことができるかにある」

「分かった、分かった」


 辺り構わず一席講じはじめたカシオンの語り口に、牢番も萎びた顔でげんなりと、さても今こそ語る内容は化物峠ホーンテッドパスの学派の精神なり実践哲学だかで済んでいるものの、興が乗って一歩踏み外したが最後死霊術の正統性や聴くに堪えない屍いじりの話になって、そうなれば周囲の者にどう扱われるかは言うまでもない。


「俺が言いたいのはな、ホーンテッドパスの。目端の利く悪党に気付かれたならお前は良いカモだってことだ」

「まさか。これの価値が分かるような御仁なら、その持ち主が通り一遍の書生とは思わないだろう」

「訳の分からん理屈だな。もしそうにしたって、欲に目が眩む輩はどこにでもいるぞ」

「そもそもここらはそんなに治安が悪いものかな。塔でだってそんな不届き者はいなかったが」

「魔術師の塔で主の持ち物に手を出そうなんて、そりゃあ全面戦争だ。生きたワームの腹の中で宝石を探すのはよっぽどの馬鹿だけだろうよ」

「考えすぎだと思うが」


 疲れさえ感じさせる溜息に、カシオンへの心情は色も露わに溢れている。


「いいか、化物峠の領袖殿。唐変木の盆暗が間抜けを晒して痛い目を見る分には好きにすればいいがな、お前が下手を打てば司祭様も巻き添えだ。くれぐれも、いいかくれぐれもだ。行いには気を付けろ」

「勿論、君も敬愛する司祭様に迷惑を掛けるつもりはない。……待ってくれ、僕が唐変木の盆暗であるかのように聞こえるが」

「耳はまともだったみたいだな」

「それはどうも」


 両手を広げ、恭しく一礼見せるもわざとらしく慇懃な、牢番の冷たい一瞥を返答としてにやついた笑みを引っ込めたカシオンは、それは良いがと胸を張る。


「そうとも、あんたが僕をどう思うかはどうでもいいが、ともあれあのお嬢さんを見くびってやしないか。僕よりよほど世知長けてるし、おまけに腕も立つ」


 己が世知に疎いのを棚に上げ、いいや疎いと悟った上で任せているというつもりか、牢番はカシオンのそんな開き直った様にすこぶる不機嫌を露わにし、


「司祭様は俺達とは毛並みが違う。本人が好んで荒事に踏み込むから仕方ないが……今回のことにしても、出来れば断って欲しかったもんだ」

「なら止めれば良いだろう」

「お前な」


 牢番の舌打ちに、カシオンは一言窘めた。いかさまそうさせた原因のすることではないと、牢番は呆れて眉根を寄せる。


「お前が同行すると言い出した以上、お前が昨日賢しらに語ったとおり司祭様はお目付だ。知らん顔はできんだろうよ。あの功名漁りに怪しからん企みのひとつもあれば、無理にでも止めたろうが」


 生憎とそうではないと、口には出さずともそう知れる。


「おや、昨日は随分な語りようだったが。あれは不正確な噂だったということかな?」

「いいや、怪我人も功績も仕事への打ち込みようも本当だよ。ただ……まあ、どうも他人を嵌めてどうこうって話ではないってところでな」


 功名漁りの噂を承知のうえでフェリアが行くと決めたのであれば、それ以上の何かが無ければ止め立てもできないというのが道理だ。少なくとも死人は出していない以上、これまでのところその判断にはある程度の理があるのも確かと言えば確か。


「怪我人にしたって、そういう場合には自分の取り分を減らして治療費に当ててるって話もある。金目当てでもないとなると、どうやら本当に功名に卑しいか、それともヤバいところに突っ込まないと満足できないのか……」

「下世話な話はしないのでは?」

「お前相手に取り繕ってどうする」


 弁えろと冷たく応じ、尚も牢番は首を振る。


「何にせよ、止めるだけの理由が無い。お前、なんで功名漁りに手を貸そうと思った」


 若干の恨めしげな、その低い声に、さりとてカシオンのこの晴天に茹だった心は曇りも無い。


「勿論、頼まれたからだ」

「クソ」


 短く吐き捨てた言葉は、一概にカシオンの行いを否定もできないからか。何にせよ善行に踏み入る行いであり、議事会の求める必要な行為だ。


「澄まし顔だな。大体そればっかりでもないだろう。絆されたか誑し込まれたか、そんなところだ」

「邪推だ」

「嘘だな」

「本当だ」

「いいや嘘だ」


 束の間互いから目を背け、無言のうちに数歩行けれども嘘だと断じた牢番の、そのつれない仕草に変わりなし。笑い飛ばしたその顔は、真顔に変じ目を泳がせ、唇を突き出して、とうとう諦めた。


「まあ、彼女の頼みを受けようというのに、十全善行というわけでもない。彼女は、実に気になる人物だ」

「やっぱりな。随分肩入れしてる」


 含み笑いのその顔に、カシオンは憤然拳を振り上げ、


「あんたがどう考えているのか知らないが、あんたに笑われる筋合いはない。いいか、だいたいだな」

「お前のそういう話を逐一聞かされたくは無いな。なんにせよ……あの女に入れ込むのは止めとけ」

「入れ込むという言い方は――」


 言いかけて、カシオンは牢番の向ける方へ視線を流した。

 自然歩いた先の南の大門は既に間近にある。人の行き交う往来に、如何にも堅牢な、年月の降り積もった石壁に黒鉄すら纏った都市の象徴。安寧の内と危険の外を隔てるもの。

 その傍らに、アネット・レイヴンヒルはいた。いや、いたと言うよりもそう、眠っていた。小柄な体躯を市壁にもたせかけ、簡素な毛布をきつく巻き付けて、荷を詰めた堅そうな背負い袋を支えとして。

 いつからいるとも知れないが、彼女がまだ踏み殺されていないのは幸いだった。



 声が届いたか届かぬかのうちに、瞼開いて黄色い瞳が茫洋と、一呼吸にも満たぬ間だけ水の中に揺れる影の如く、しかし瞬きの後には夢見の澱みも拭い去られ焦点を結んだ眼がカシオンを映し出していた。


「術士殿」


 小さくヒュと響いた喘鳴は、彼女の微睡みが短いものではないことを語っている。カシオンが沈思黙考するその束の間に、アネットは毛布を丸めて荷に詰め込んだ。


「遅れたか」

「いや、そんなことはない。むしろお休みのところを邪魔したかもしれないな。とは言え、こんなところで眠るのはあまり褒められたものじゃないと思うが。なぜここに?」

「出発が正午となったので日程に変更が発生した。睡眠時間の確保にはここがいい」

「しかし路上では安眠できないだろう。それに荷の問題もある」

「どこでも眠れる質だ。人が近付けば分かるし、衛士の前で盗みを働く者もいない」


 彼女の一瞥に、大門を守る衛士は折り目正しく一礼する。


「なるほど」

「なるほどじゃないだろう。だいたい本当はあいつらが取り締まることだろうに」


 見かねた牢番の苦言にも一理ある。ほとんど浮浪者同然の振る舞いをするアネットを、本来ならば取り締まる立場にあるのが衛士だ。しかし彼らは却ってアネットに一分の敬意を見せている。

 気に食わぬと唸った牢番こそ汎神殿に籍を置く立場なら、衛士達は参事会に繋がりある身、参事会の上得意である傭兵隊長殿のちょっとした行いに便宜を図るのも仕方の無いことである。


「術士殿。こちらは?」


 訝しんだ様子のアネットに、牢番は渋い顔一つ。カシオンに荷を渡してそのまま立ち去っていれば関わり合いにならずに済んだだろうが、司祭を待とうと思い立ったのが運の尽きだ。


「ああ、彼は」


 しかし牢番を尻目に、その素性を紹介しようとしたカシオンは言いかけて首を傾げた。


「あんたと僕の間柄は一体何と言ったものかな」

「俺とお前に間柄もクソもあるか」

「それから、名前。よくよく考えれば聞いていなかったはずだ」

「呪い師に名前を教えるなってのが故郷の婆さんの口癖でな」

「なんだいそれは。今時真名術士トゥルーネイマーなんて黴臭い話だ。ほら、良いから名前を。紹介できないだろう」


 まったく胡散臭いものを見る如く、牢番はカシオンを矯めつ眇めつ、歪めた表情の奥ではどうすべきかめまぐるしく、ついには死霊術士を押しのけ自らアネットに相対した。


「俺はアルテナータ司祭の使いの者だ。ルディと呼ばれている」


 名乗って、鷹の如き眼差しがぎろりと一瞥、射殺さんばかりに。


「司祭様をよろしく頼む。功名漁り殿」


 功名漁りなどと呼ぶ名も呼ぶ名。即ちアネット・レイヴンヒルの評判も知りおいて、もしもフェリア・アルテナータ司祭に何事かあればただではおかぬと言外に脅しかけるが如くの面構え。

 しかして、アネットは平静を保ったまま牢番即ちルディを観察し、何事か悟って頷いた。


「なるほど如何にも。自分は功名漁りとも呼ばれている。既にご存知だろうがアネット・レイヴンヒルという者だ。それで、自分について知りたいことは既に確かめられただろうか」


 如何にも奇妙なその言葉に、カシオン一人が僅かに首を傾げるのみ。ルディの口元が不快に歪み、そして功名漁りの内情を嗅ぎ取らんと鼻を蠢かせる。

 無論、この司祭の信奉者は昨日のうちから功名漁りを嗅ぎ回っていたものだ。他方だからといって探りを入れていたということ、すっかり知られるほど芸の無い三下でもない。いやさそれを知っていざご注進と相成る御仁もあったものか。傭兵隊長殿の黄色い眼は据わってルディを刺している。胡乱な事を口にすればこの獣の眼の女、ただでは置かぬはこちらのことと目は口ほどにものを言う。


「ルディ?」


 沈黙を打ち破ったものは呼ばれたルディならず、カシオン・ホーンテッドパスであった。聞き置いたばかりの牢番の名を口にして、どうにも気安げな、何事あって返事もせずに唸っているのかと可笑しがるような安楽な声である。真実彼はアネット・レイヴンヒルの眼差しの狷介なるを知らず、またこれなる牢番の内心など知る由もない。


「お前に、名前を、教えたつもりは無い。死霊術士」


 鼻の頭にまで皺を寄せ、力強く語を区切ってカシオンを掣肘しようと試みても泥に杭。いかにも忌々しげに舌打ちし、渋々と彼はアネットに向き直った。


「少なくともその名に恥じぬ功績があることは分かったとも、功名漁り殿」

「願わくばその名が隊のものであって欲しいところだ」


 一体、その声に一切れの寂寞と満足感が秘められていたのには一体なんの由縁あったものか。ともあれあえて嗅ぎ回っていたことを否定せず、ひとまずは争う思議なしとの意を汲んで、アネットも些か矛を収める構えである。

 しかしその、傭兵隊長の口にした隊との一言に、牢番飲み下しかねた違和の澱。一目カシオンに投げたのは傭兵隊長の言に何かしら言うことがあってのことだが、今は機では無いと口を噤む。応じたカシオンは心なし首を傾けたものの、ルディを問い詰めるでもない。


「なるほど、牢番の彼も認めるほどの功績とは。僕などはその悟性の一端を拝見した程度だが、やはり彼女は一角の人物ということか」


 語る言葉のうち、指すところは即ちアネット・レイヴンヒルの優れた様を見たいと告げるもの。感服籠めて唸るその目はアネットの力量、持てるものを推し量る如く、何やら思案の網を投げている。暫し黙考し、ふと顔を上げたカシオン、辺りを見回し、

「そういえばレイヴンヒル殿。そろそろフェリア司祭も来るだろう。出立の準備をしておいてもいいのでは?」


 心なしか浮き足立って、声が弾むような色合いを帯びているのはつまりアネット・レイヴンヒルの働きを見るということが取りも直さず冒険行に出ることであると思い起こして、ふつふつと心の沸き立ったからに他ならない。

 馬での旅路と告げられ、またその支度はアネットが請け負ったものであるが、今ここに馬の姿はなし。

 辺りを伺う仕草のカシオンに承知したアネットは勇躍、それならばと先頭に立って厩舎に向かう。

 いそいそとその後に続こうとしたカシオンを、後ろから伸びた腕がひっ捕まえた。振り返ったカシオンの目に映るのは、ルディのどこか迷いを含む胡散顔。目だけは先を行く傭兵隊長の背を注視して、カシオンに口を寄せて聞くを憚る低い声。


「奴さんの言う隊、荒野の護りマグニフィセント・タリスマンだがな、どうも六年ほど前に消息を絶ってそれ以来何の音沙汰も無いらしい。何のつもりでそれを名乗るのかは分からんが」


 精々気を付けろとルディの忠告もありがたく、しかしカシオン、分かったとも分かっていないとも付かぬとぼけた顔でふむと唸るのみであった。

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