死霊術士、街道を西へ

 旅程は殊の外捗った。


 南の大門を出て初日は王の古道の石畳の上を辿り、次いで西への道を行く。晴れ続きの好天も幸いして馬の歩みも軽快な、すこぶる好調としか言えぬ道行きだ。


 順繰りに荷物番の馬を入れ替えて、傭兵隊長殿の巧みな扱いもあって馬の疲労も少なく、また王の古道の道中は整備された街道の甲斐あってか何やらの障害のあるでもない。


 行く先の剣呑さに引き比べて、その途上の平穏さ。二日目の昼下がりにはすっかり馬になれた風のカシオンは馬上にくつろぎ、悠々来し方と行く先を眺めて感心の声を上げた。どちらにも村の姿があり、行く手には更に新緑の木々が森を為し、その向こうにこそ村人たちの避難地となる逆枝の村があろうと思われた。


「今日だけでもう二つほど村を過ぎたというのに、もう次の村が見えてきた。随分村が多いものだ」


「そうですか? こちらは少ない方だと思いますが」


 振り返って応じたフェリアが平然告げるのを、カシオンは思案に載せて再度遠い村の影を見渡した。

 カシオンの起居した怪物峠の塔は居住地の少ない地にあって、歩いて半日に一つ、逆さに二日でもう一つと言う塩梅だ。村の大きさこそ負けず劣らず、周りに人の少ないことが幸いしてか却って化物峠近くの二箇所の方が些か規模が大きいようにも思えたが、しかしそれも村を二つも三つも合わせたような話ではない。


 今ここにある村が少ないというのであれば、まったく化物峠など地の果て辺獄の鳥羽口と言った次第。


「まあ、多寡は兎も角。これだけ村同士が近いのなら、ワイヴァーンが出向いてくる可能性もあるのでは?」


 化物峠がいかさま辺境の地らしいと胸の内に書き留めたカシオンは、しかしと疑念を述べ立てる。その疑いも宜なるかな、逆枝の村に至るその根元からワイヴァーンに堰き止められたのでは灰分けの村の助かる訳も無し。


「おそらくそれはない」


 蹄の音も軽快に、馬を寄せた馬術の巧、アネット・レイヴンヒルが短く答えた。


「森を越えれば逆枝の村のみ。ワイヴァーンの図体では森を餌場には出来ないだろう。森を越えようとすれば塒から離れすぎる」


「そんなものだろうか。飢えれば多少の無理も通しそうにも思えるが」

「あるいは。しかし」


 ついと伸ばされたアネットの指が示すものは行く手の森、更にその向こう彼方にうっすらとけぶれる大山脈。人呼んで白盾山脈、またの名を道塞ぎの山地と言うのは、かつての大王国以来その先が人類の版図に数えられたことが無い故によるもの。


「ワイヴァーンたちの本来の塒だ」


 ただ遠く隔てられたこの地からでは白盾山脈も一見矮小な、岩肌に白粉を塗ったようにしか思われぬ。それだけの距離、ワイヴァーンであっても平生から行き来をするのは容易ではない。


「連中は見通しの良いところを好む」


 つまるところ草地や灌木、あるいは疎らに樹木の生えたような光景があれば、それが絶好の餌場だという。森を抜けて灰分けの村へ向かう道行きがよく開けた、充分それに合致する様相だ。


「灰分けの村への道は連中の縄張りとなっていると考えられる。単なる不運だ」

「たまたま今ワイヴァーンが流れてきて、いついているような状態だと?」

「ええ、司祭殿。それに、ワイヴァーンが飢えて縄張りを移すとは」


 考えづらい、と傭兵隊長の眉根が寄せられる。


「ドラゴンというものは喰うときには根刮ぎ喰い、喰わないときには水の一滴でも生き延びると聞く」

「ああ、確かに真なるドラゴンであればそういうものらしい。あれは魔法の生き物だからという話だが……しかしワイヴァーンはどうかな」


 一度肯んじて、カシオンは首を傾げた。真なるドラゴン、即ち狡知に長け、その身に魔法を宿す怪物は物質界に身を置きながらもその理に従わず、超常の生命力を見せるという。いかさまアネットの表現が誇張したものとしても、巨大な竜の棲む地で他の獣が絶え果てないのも、竜が極めて僅かの食事で生きられる――あるいは岩や宝石すら彼らの食事となるからだとまことしやかに囁かれている。

 しかしたとえそうであったとしても、零落した眷属たるワイヴァーンは果たしてどうだろう。獣の如く愚かであれば、獣の如く喰わねば生きてはいけないとしてもなにもおかしな話ではない。


「ご存知ないか」

「ああ、生憎ワイヴァーンの死体はものを食べないのでね」

「なるほど」

「カシオン」


 学派一流の冗談も伝わらないとカシオン哀しげな顔を見せるも、如何にもたちの悪い冗談だ。

 アネットは気にしないものの、フェリアから身を慎むよう苦言を受けてカシオン眉尻を掻いて、


「まあ、あなたの言う通り連中が飢えから森を越えないというのであれば一安心というところだが、アネット」

「ワイヴァーンがあえて森を越える異常事態となればドーンフォートの兵が動く」


 少なくともこの辺りの村まではドーンフォートの命脈を保つ食料の供給源であると傭兵隊長は淡々と宣うた。

 然り、街の重鎮も何もみすみす街の糧を減らしたいとは思うまい。


「なるほど。要するにこの辺りは市壁の外ではあるが、それでもドーンフォートの庇護下ということか」

「そうだ」

「だとしたら、目的地は?」

「灰分けは開拓地だ」


 正しくは再開拓地だと補足したアネットは蹄の音立てて先々進むもので、カシオンの怪訝な顔に偶さか気がついたのはフェリアである。


「ああ、開拓地というのはですね、ほら、いわば一つの賭け事なわけです。利得なしで新しい居住地を起こさせようとすればドーンフォートが諸々責任を負わなければいけないんですが、そうそう目も届かない。というわけでやる気のある人間が二の足を踏まないよう、新たな村を起こす場合には落ち着くまで無税として扱うような仕組みがあるんです」

「なるほど」


 と言ってカシオンは分かったような分からぬような顔をして、何しろ化物峠の学派の塔は一本独鈷の独立勢力、法治の世話になった覚えが無い。


「ただ、その分都市としては正式に村として成立するまでは面倒を見ることはできない、と」

「つまり、防衛には自助努力を要するということかな?」

「ええ。そういうことになりますね」


 首を傾げたカシオンの、何を不思議に思うところあるのやら、思案に眉が撓まった。

「となると、開拓地と言うのは無闇と増やせるものでもないのでは」

「古地図が出回ればそうでもないのですが――」


 かつての村落の所在が知れれば、そこを拠点に古強者の腕利き達が根を下ろすこともままある。かつての地勢或いはその他の、何らかの利点あっての旧村落だ。終の棲家とするには悪くない。


 徒党を組んだ腕利きの冒険者達にとって、誰にも知られぬ地の果て暗がりの底で朽ちていくよりは遙かに上等なあがり方だろう。

 しかし都市の翼の下にある安楽を、個人ではなく村として手放し続けるのも難しい。苦労の末に切り開いた地も、維持する事が出来なければ哀れ荒野に呑まれてしまう。


「とはいえ都市の庇護下にないと言っても積極的に手を出さないだけで、全く何もしないというわけではありません」


 開拓地が求めるものがあればその仲介くらいはするのだと言う。何しろ開拓、あるいは再開拓という形で人類圏を押し広げるのは都市の望みでもあるからだ。失われた広大な版図を、その一部なりとて取り戻し、再びの繁栄を果たすこと――誰もが叶うならばとそう口にする。

 人類の橋頭堡たる開拓地は、出来ることなら存続して欲しい。しかし都市という総体が全てを管理するだけの力は無い。故に求めに応じて汎神殿や議事会影響下の腕利きとのつなぎを務めるのだ。


「なるほど、しかし僕らは」

 カシオン、首を傾げて顎を撫で。

「その開拓地からの撤退を手助けすると言うわけだな」

「そうだ」


 振り向きもせず応えた傭兵隊長の、声は低く冷厳だ。


「だが死なせるよりはずっと良い」

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