死霊術士、才覚を見込む

 赤々照らすまじないの灯の下、カシオン・ホーンテッドパスはあくびを一つ、既に日課となって久しい呪文の編纂もそろそろ切りの時宜である。


 逆枝の村で宛がわれた空き家は心地よく、村人の心尽くしあって飯やら湯やらのよしなしごとに難渋することもなく後はただ寝るばかり。

 辿り着いたのが日の暮れかった頃合いというのもよろしく、傭兵隊長殿が代表として参事会の威光を拠り所に村の重役やら灰分けから逃れてきた者と食後の会合を設け、情報収集と前後の協議ももう終わろうというところ。


 司祭フェリアは奥の部屋に寝床を用意し、赤子の如き健やかさでとうの昔に夢の国。明日からがこの遠征の本番であって、その前にすっかり寝てしまうのはまさしく理に適った行いではあろう。


 しかし習い性の、すぐには眠れぬカシオンであった。

 所も変わって、ここしばらくでようやく馴染んだ宿とも違う不慣れさ故か編纂の手も覚束ない。借り物の机のせいか、それとも旅の疲れによるものか、どちらにせよ執着の甲斐はない。仕事道具を仕舞い込み、代わって呪文書を紐解いて各々の効能を見比べ、ワイヴァーンを相手に――あるいは相手にしないために如何なる仕込みをすれば良いかと、頭の中の亜竜と取っ組み合っているうちについうとうとと、微睡みに沈みこんでいた。


「術士殿」


 呼びかけの声に弾かれるように跳ね起き、二度三度目を擦る。知らぬ間に灯りは消え、窓からの月明かりに黄色い眼が炯々浮かび上がっている。


「休むなら奥で寝具を」

「ああ、レイヴンヒル殿。申し訳ない。いや、大丈夫、少しばかり舟を漕いだが、もう少し起きているつもりだ」


 頭よりも些か長く寝た舌も、さえずるうちに回り始めた。ひとしきり頭を振って目覚ましの、軋む体を引き延ばす。


「あなたはどうかな、レイヴンヒル殿」

「自分も、寝るには早い」


 であればと、カシオンはその手を打ち振って竜の真語を三言繋げ、灯りのまじないを囁いた。舌の呂律もすっかり意のままに、滑りもよろしく呪言を結び、瞬く間に部屋に据えられていた蝋燭が、火もないのに松明の如く光を放ちはじめた。

 常ならば灯り一つ浮かべて手元を照らす程度だが、今日は一人ではない。寝際にはお互い奥に引っ込むだろうとは言え、明かり取りに油を無駄にする必要はない。こうして灯した灯りの呪いは、半刻ほどは充分な光量を保ってくれる。


「竜語か」

「ん? ああ、我が化物峠ホーンテッドパスの学派では専ら竜語を以て魔術を扱うことになっているのでね。……と言って、いくら竜語でもワイヴァーン相手には通じないので、そこはご容赦頂きたい」

「無論、ワイヴァーンと真なる竜トゥルードラゴンを同列には語れまい」


 頷いたアネットは、しかしワイヴァーンについてはどうでも良いと言うようにカシオンの詠唱をなぞるように幾度か繰り返し、灯りを眺め、


「エルフ語も竜語も、効果の程に違いはない?」

「さて、おそらくはそうだろう。飛び抜けて効き目の良い言葉があると言うなら、学派魔術師たるもの何を措いてもその言葉の学習に血道を上げるはずだ。まああまり多くの学派について詳しいわけじゃないが、エルフ語も竜語も、どちらも使い手の腕が同じなら遜色はない」


 続けてカシオンの口からエルフ語の、先ほど竜語で並べたのと同じ意味合いの秘言が紡がれる。こちらは些かぎこちなく、思案を挟んで完成までに間があった。


「力ある言葉だとは言うが、特にこの《灯りライト》の呪いなんかは使える人間も多い。仰々しい古王国語だとか、却って共通語の呪文を唱える場合もある。司祭は朗誦を呪文代わりにしていたかな。ともあれ、詠唱の如何というのは本来何に由来してどのような機序で魔術を組み立てているかに依存して、必ずしも同じやり方を踏襲する必要は無いものと思われる」


 長広舌を揮って、ハッと気付いたカシオンの、幾分謝意を込めた目がアネットに向けられた。


「つまらない話をしてしまったかな」

「いや、ありがたい」


 言葉少なのアネットは自らの解いた荷に向かい、しばらく何事かごそごそと、然る後厚手の紙で作られた幾枚かの札を取り出した。札には各々奇怪な文字と紋様が所狭しと記されて、その並びすら一枚の絵の如し。

 片目を見開いてそっと伺うカシオンの、その札が何なのか当たりをつけて幾ばくかの興味こそあるものの、自ら尋ねるでもなく手中のものに目を落とし居眠り前の続きを再開せんと呪文書に記された暗号を目で追った。


 いいや、それも束の間。

 そっと音も無く椅子を立ち、床に並べた札をそちこち動かして何事か読み解こうと熱心なアネットを上から見下ろして、カシオンは札を覗き込んだ。


「レイヴンヒル殿」

「なにか」


 だ。札の形をしたこれは、いずれもカシオンの睨んだ通り学派魔術師が己の習い覚えた呪文を、その実践的行使を可能とするために編纂して記したものだ。幸いにしてカシオンにも馴染みのある記法で、その七割方は読み取れる。


「そういえば、魔術の手解きを受けたことがあるという話だったが」


 あくまでさりげなく、しかしカシオンの胸の内感心と驚きが半ばずつ――世に言う魔術の手解きとは、たとえそれが学派魔術師の教えを受けたものだとしても、なにやら呪文の一つなり意味も分からず刻み込んだ程度のもの。しかし引き写しとはいえ自ら呪文を編纂し、呪文書を物すとなればにわか魔法使いとは訳が違う。悟性確かと評したカシオンの目こそ確か、この傭兵隊長殿は紛れもなく魔術師の才あるもの、既にその階に足を掛けた人物である。胸中に沸き立つものを感じつつ、すわこの人物を見極めねばとカシオンの眼も僅か鋭くなった。


「ああ。専門家の前でつまらない真似を」


 しかしカシオンの心の内も知らず、言いさした魔術師見習いは並べた札を仕舞いに掛かる。


「お目汚し失礼。場所を移そう」

「いや、いや。そうするには当たらない。どうか続けていただきたい。札にしたものは初めて見たもので、僕も少し興味がある」


 初めても何も、カシオン・ホーンテッドパスが見たことのある呪文書など両の手の指にも足りないほどだ。呪文書と言えば学派魔術師にとって研究成果にして商売道具、たとえ懇意の相手だろうと、真っ当な魔術師なら同業者にだって(あるいは、同業者にこそ)見せはしないもの。

 即ち、普通ほんとうであればあまりな無体とカシオンも詰られるはずの行いであった。


「拙いものではあるが、見ていただきたい」


 しかしアネット、この魔術師としては見習いと言うにも及ばぬ素人に毛の生えたような彼女は敢えて逆らわず、それどころかカシオンの目にも札の内容がよく見えるよう大切な呪文書を広げ直してみせた。

 これもカシオンの睨んだ通り呪文はいずれも一頁、即ち駆け出しの魔術師が学ぶ第一歩である第一階梯のものばかり。ふむと唸ったカシオンに、アネットはそれからと断りを入れ、更に数葉を取り出した。


「これは自分が参考にしているものだ。こちらは見るに留めてほしい。自分の書いたものであれば書き写されても構わないが」


 書き写すに足るものがあればと控えめに付け足され、カシオンは却って当惑した。


「いや、待ってくれレイヴンヒル殿。勝手に呪文を書き写すなんて、そんなつもりはない」


 アネットの前に腰を下ろし胡座を組んだカシオンは頭を下げて丁寧に謝し、魔術師の道理に悖るような行いは決してしないと宣言した。

 続けてアネットの呪文書を指し、見たところ魔術の実践について不慣れのようだと指摘して、もし望むのであれば学ぶ手伝いをしたいと申し出た。


「術士殿、それは」

「勿論、たいしたことは出来ない。もし何か行き詰まるようなことがあればという話でね。そもそもあなたにとっては余技だろうが……」


 望まないのであれば構わないと、断りに手を振り彼方を向きかけたカシオンを、そんなことはないとアネットが引き留めた。


「感謝する。確かに術士殿の言う通り、実践には難がある。呪文書に向き合う時間も取れず、先達も無い。実のところ、これでは宝の持ち腐れだと思っていた」


 是非お願いしたいと告げられて、その存外好意的な感触にカシオンは会心の笑み。もしここに信仰確かな司祭があれば死霊術士に学ぶなどとでも窘めただろうが、生憎今は傭兵隊長と当の死霊術士のみ。


「あー……それでは、魔術を学ぶつもりはあると言うことで良いだろうか」

「勿論だ」


 死霊術士は意気揚々と、並べた札を矯めつ眇めつ、アネットの実践の腕前、その知識の程を図ろうと思案を巡らせた。

 愉快に耽るその口元か、或いは仕草か、ともあれカシオンの有様にアネットは小さく首を傾げ、


「随分楽しそうだ」


 言われたカシオンも応じるように首を傾げ、それから何とか真面目な顔を取り繕って、照れたように口元を隠す。


「そうかな。いや……うん。あなたを見ていると、どうにも妹弟子を思い出して。いや、失礼、何もあなたを軽んじているわけではないんだが」

「妹弟子」

「ああ。化物峠でも今や第二位の……はは、いや、二人ぽっちで二位も何もない。僕に代わって学派の塔を守る、よく出来た妹弟子だ。我が学派は少数精鋭でね、少なすぎて家族のようなものだが」

「……なるほど、家族」


 一拍を置いて繰り返したアネットの、身内を語る懐かしさを覆い隠さんとするカシオンへと向ける眼差しはどこか羨望を思わせる。


「ドーンフォートには長く?」

 思いついたような問いかけに、カシオンはそれがと指折り数え。

「いいや、まだ二ヶ月ほどだ。それでこうも懐かしむようではセレストに笑われる」

「……そんなことはないだろう、術士殿。あなたの妹弟子も寂しがっている」

「そうだろうか。……いや、そうだな。待たせているのは間違いない」


 ほう、と溜息を一つ。カシオンはゆるゆると首を振り、頬を引いて表情を整えた。


「いや、今は僕のことは置いておこう。まずはあなたのことだ、アネット・レイヴンヒル殿」

「むう」


 呼びかけられて、難色を見せんとばかりにアネットの喉が唸り声を響かせた。


「間怠い」

「うん?」


 その声の理由にカシオン呆気に取られ、訝しげな目つきも順々傭兵隊長殿に注ぎ、間怠いとは何のことか思いも付かぬ面構え。


「それだ。『アネット・レイヴンヒル殿』と」


 ゆっくり区切り、はっきりと強調した自らの名前を述べたところでアネットはおわかりになるかとカシオンを覗き込み、束の間思案の末の些か難しげな顔に無理解の色を見て取った。


「レイヴンヒルよりは、どうかただアネット、タリスマン、あるいは功名漁りと呼ばれたい」

「そういうものか」

「レイヴンヒルと呼ばれたくはない」

「であれば」


 提示された名をぐるり一遍脳裏に並べ立て、カシオン思案もそこそこに、荒野のマグニフィセントを抜いてただ護りタリスマンでは何が何だか分からないし、功名漁りと号して悪意が無いも難しい。


「今後はできるだけアネット殿と。しかしうっかりと呼び間違えてしまうこともある。その段にはどうかご容赦願いたい」

「無論だ」


 どうやら互いに腑に落ちて一安心。カシオンは喜色を並べ、ようやく流されかけていた目的を引っ張り出して咳払い一つ、アネットの札を系統に合わせて大まかに分け、その呪文の数々を検分する。

 アネット直筆の札にもカシオンが自家薬籠中の物としていないものがあったが、何より古い札、一綴りに要する枚数が増すほどに示す奇抜さはいや増して、カシオンとてその真髄を一朝一夕では読み解くのも難しい。久々見知らぬ魔術師の工夫に触れて、カシオンは内心揚々と、今回のことまったく奇貨と躍らせずにはいられない。


「ではいいかな。となればまずはあなたの理解と次の目標を伺いたい。そう、アネット殿。最近の覚え書きと、それから何か瞑想に使うものがあれば、それも」


 カシオンに従って書き付けを探し始めたアネットのその様子を眺めるうち、カシオンの心持ちもしばしば漫ろ歩きしてアネットの真摯な表情をなぞり、ふと、彼女が自ら口にした功名漁りの二つ名を心中に泳がせた。

 己の寄って立つものを悪し様に語る呼び名を自ら口にさせるものなど、カシオンには皆目見当も付かなかった。

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