死霊術士、山道にて出遭う
すっかり一夜明け、日の出から間を置かず目を覚ましたカシオン・ホーンテッドパスはまず第一に自身の覚え書きを確かめた。昨夜の出来事、
その余韻を手放しがたく、カシオンは日課を終えて食事の時に至るまで上機嫌を保ち続けた。その陽気に一人司祭フェリアは訝しみを見せたが、あえて問いを口にすることはなかった。
◇
「そろそろ出立だ」
食事が終わり、そう経たないうちに切り出すアネットに、カシオンは眉を上げた。
「もうか」
「ああ。ここの住人に尋ねた。ワイヴァーンが日中姿を現すことは多くないらしい」
「なるほど」
昨日のうちの話し合いの中ででも尋ねたか、カシオンは知らぬ話に頷いて、であれば早々に出るようにしようと軽い荷物をたぐり寄せた。今この時分からここを出れば、恐らく昼下がり程度で目的地に到着するだろう。村でも何くれと話し合いなどがあることを考えれば良い頃合いと言えよう。とは言えカシオンは依頼を受けた人間であるアネットに任せきりで、村人と細かい話をするつもりはないのだが。
「なんとなればその日のうちにここまで戻ってこれそうだ」
「可能だ。しかしそれはない」
「一応、次は明日の予定でこちらの方々には伝えています」
と、これは食後すぐに外に出ていたフェリアが戻りしな、カシオンの言葉に応じて答えたもの。この人好きのする司祭はその才を遺憾なく発揮して村の住人に敬慕を向けられていた。今にしても聖職者の日課と村人達への説法がてら村の上役に避難民のことを相談していたところである。
気遣いに欠ける傭兵隊長殿を立場あるフェリアが支えるという形で、これは思いのほか良い組み合わせと言えるだろう。カシオンもそれを他人事めいて評価して、自ずと気をよくして頷いた。
「感謝を。その予定で動こう」
「たいしたことではありません。やはりこの村の方々も気に掛けてはいたようで、少しでも早く解決して欲しいと仰っていましたよ」
「力を尽くす」
短く頷くその面差しは、元より偽りなく誠心の烈火を映している。些か過剰な熱心さは、しかし自負の強さでもあろう。それこそ功名漁りなる異名を頂戴する程度には。
しかしカシオン、その熱意に水を差すように肩をすくめ、眼差しは遠く道塞ぎの地を追いかけている。
「何にせよ、まずは灰分けの村に向かうとしよう。向こうのことが分からないままでは確かなことも言えないだろうから」
◇
逆枝を発ってしばらく、礫の多い荒れ地を進むうち晴天はますます燦々盛んに真上からの陽光をもたらして、道の歩みには疎らな緑のうちにちっぽけな地虫や地を這う獣を見るばかり。先に頃合いと見て岩陰をひさしに午餐には干し肉とビスケットに野菜の煮込みを一杯ずつ、これは瓶詰めにしてカシオンの魔法の背負い袋に入れておいたのをごく簡単に温め直して飲んだもの。
くちくなったとは言わずとも肚の底から活力沸いて、日差しを抱いて温んだ風に載せられて進む足取りも漸に確と歩調を増していく。最中、道行きの先に横倒しになった荷車が哀れに腹を見せているのに気がついて、やあと真っ先に声を上げたのはカシオンであった。
「どうやらワイヴァーンの餌場まで来てしまったようだ。ここまでそれらしいものがまったく無かったせいで、案外道を間違えているのかと不安になりもしたが」
つまらぬ諧謔の証に彼らの辿る道の先、未だ距離こそあるものの緩やかな坂の上、灰分けの村を呑んだ山辺の森の色濃い緑が鬱蒼と待ち構えている。
「行商の荷馬車か」
静かな声とは裏腹に油断なく周囲に目を向けるアネットを他所に、カシオンはのこのこと荷車に近寄ったかと思うと破れ天蓋を覗き込み、ぐるりと一周足跡を残すと肩をすくめた。
「これの持ち主は大損害だろうな」
割れ皿割れ笊ひしゃげた鍋に壊れた籠。籠には如何にもここで生あるものが貪られたと雄弁な黒ずんだ残滓が見て取れる。幸い飛竜は意地汚くも骨も残さぬマナーの持ち主らしく、腐敗した残骸が残っているわけでもない。しかしながら穴あき幌の中はすっかり荒らされて、日々の助けとなっただろう雑貨たちも今ではすっかり役立たずだ。
「山羊か豚か、それとも鶏というあたりか」
「命あっただけ儲けものだ」
アネットの見る先、荷車の
「現況を伝えた報告者のひとりだろう」
「であれば行幸です」
安堵をひとつ零して司祭はここにいない商人の無事を寿いだ。荷馬車を検分――あるいはここに牢番ルディがいれば物色と称しただろう――し終えたカシオンは些か物足りない風を醸して片眉を上げ、祝福の祈祷を口にするフェリアを他所に籠の成れの果てを小突いて見せた。
「何か分かればと思ったが、駄目だな。どうにも生物は専門外だ(化物峠の学派周辺では鉄板の冗談だが、ここでそれと分かる者はカシオンを除いては一人としていなかった)。ワイヴァーンがここで荷馬車を襲ったのは確かだろうが、その数もはっきりとは分からない。アネット、確か三頭程度はいるという口ぶりだったかな。ともあれ僕に分かるのは、ワイヴァーンが大きな獲物よりもむしろすぐに貪ることのできる獲物を選んだことだけだ」
最後に音高く成れの果てを弾くと、俄然とどめを貰った構造物は哀れ形を失った。木片の一つ二つ、降りかかるのを心外と飛び退いたカシオンは指先を払い木屑を遠ざけた。
「ともあれ、連中考え無しに食い物に飛びつくのなら屍獣を動かすという手は随分現実味が増してきたように思うが、どうだろう」
「カシオン」
「いやいや、勿論話していたように状況を見て決定されることは重々承知のうえだ。僕はただ我らが傭兵隊長殿に判断材料を提示しただけだとも。最終的にどうするかは彼女次第、そうとも。ただ物事を決める際にはできるだけ正確な情報があった方がいい。そうだろう?」
祈りを停めてじろり一瞥向けたその厳めしさに、些か身勝手な算段を咎められた気になってカシオン、潔白を証し立てんと舌を躍らせた。なんのその、最後に決めるのはアネットと口にこそ出せ、カシオンの肚の底では昨晩のやりとりもある、相手は駆け出しとはいえ魔術師の素養あるものだ、まったく己の意見が取り合われないなどということもなかろうとアネットに向けた視線に信頼も宿るというもの。
しかしたとえ昨晩のことを知らずとも、カシオンが何事か謀を持っていることくらいその目配せで察せられるというもの。よくよく身勝手はさせまいとフェリアの伺う目つきがアネットをなで回しても、傭兵隊長殿はどこ吹く風、カシオンに合わせたか思案の具合も見せながら、何事か指折り数える仕草。
「感謝する」
短く答えたその言葉で存分己の意志を告げたと言いたげに、寸刻カシオンと目を合わせたかと思うと否とも応とも言わぬうち、傭兵隊長はこくりと一度だけ頷いた。
果たして分かったかどうなのか、却って不安がったカシオンとフェリア、双方の意図は異なりながら向かう側だけは同じもの、どちらともなく顔を見合わせると、どうしたものかと当惑を鏡合わせに、しばし互いの思惑を押し合いへし合い、カシオンにしてみれば些か芳しからぬ応対に、せめてどうするつもりか伺っておきたいところ、如何にアンデッド嫌い死霊術嫌いの“輝く者”の司祭でも一度口に出したことあえてひっこめたりまではすまい。
「あー……いいだろうか。屍獣を使うかどうかは……」
「伝えた通り」
アネットの黄色く沈んだ眼が、カシオンを真ッ向から射貫いた。
「それは村の状況を確認して判断する」
それまでは如何なる理由あれ揺らがないとあからさまな、静かな確信帯びた断言だ。カシオンも思わず唸り、了承の旨を口にするのがやっとのこと、昨夜の魔術の手解きと言ってそれを翻らせることなど出来ようはずもない狷介さ。学派魔術師が理論について語るときよくこういう顔をする。
使えるかどうかではなく使うべきかどうかというやつが彼女の譲るべからざるところ。
フェリアがカシオンの後ろで身動ぎしたのもそれを察してのことであろう。
私情を挟むつもりも無いと察して、カシオンは胸中に惜しんだ。今回のこと、助けとなれば化物峠の力量のほどアネットにもより良く知られよう。叶うならばそれが学派の粋、優れた死霊術によるものであれば言うことなし、いかでかそれを諦められようか。さりとて心変わりを祈るのは悪魔の口を浚うようなもの。
仕方なし、使うなと断じられるよりは幾分良いと呑んだところで、アネットが
「飛竜だ」
なるほど日中姿を見せることは多くない。運悪く
三者の視界に見えるもの、確かに飛竜がぐんぐんと息つく間にも大きく見えて、その鱗ある翼の一打ちごとになお速く、黒竜よりもなお野蛮な大顎に牙閃かせ、どろりと食欲に濁った
「術士殿、後ろへ」
短く鋭い指示と同時ひょうひょうと音立てて放たれたのは長弓の、一息に引く手も見せぬ二つ矢の矢羽根は黒く二インチ少し。一矢は甲斐無く外れたがもう一矢は違わず飛竜の鱗を貫いてその胴体に突き立った。しかし何のその、飛竜はぐんと身体を宙に泳がせて、動かぬ獲物を嘲るように轟く唸りを高々と、なお一層の速さで以て応えた。
「用意を」
更に二射放ったが早いか、傭兵隊長は弓を投げ放ち、背負った長槍を引き抜いてその穂先を飛来する飛竜へと突きつけた。彼我は槍の幾倍の距離も隔てているが、なんの、飛竜の羽撃きはもう間もなくそれを飛び越える。
カシオンは平静に呪言をささめいて、凝った負のいのちを飛竜に纏わせた。獣はこれを覿面嫌う。己の生きる物質界に由来しない、負の領域からの、それも死に近しい一触れだからだ。はらわたの内側から熱を失って己の居場所すら定かでは無くなるような感覚。では、はたして獣に近しいほどに野蛮な飛竜はどうか? その一触れの結果に、カシオンはほくそ笑んだ。飛竜の翼が滑らかさを失い、眼には怯む色があるのを確かに見届けた故の笑みである。これは獣と同じほど、あるいはその屈強さから恐怖を学ぶこと少ないがために、或いは恐れを煽ってやるのは簡単だ。
「前は任せた。こちらは少し脅かしてみよう」
返事は無いまま二人はカシオンの前に詰めた。傭兵隊長殿は気合い充分、構えた槍は剣呑な光を湛え、飛竜の迂闊な――とは即ち二人を飛び越えてカシオンへと向かおうとするのを牽制している。余人には耐えかねるような馬ほどの体躯の飛来も、彼女らどちらにとっても恐れるべきものたり得ない。“輝く者”の愛子が聖句を朗ずるにつれて中天に輝く日輪のその白光益々昂じ、籠手のうちに握る手にも神格の助力を受けて歴戦の
迫る飛竜の横ッ面をアネットの長槍が強かに打ち付けた。鱗は堅牢小動もせずにずいと押し込む飛竜の爪を、フェリアは“輝く者”の威光刻んだ盾で打ち払い、押し込まれるまま下がった左足をそのまま更に引き下げて、ねじった体で鎚矛を叩きつける。
束の間の怯えを忘れたように、飛竜は苛立ちのまま尾を薙いだ。蛇に似た長い尾は鞭の如く唸りを上げてフェリアの足先を掠めていく。それを辛うじて躱し、フェリアは却って飛竜へと一歩詰め寄せた。と、尾の先鏃のようになった先端から赤い飛沫が振りまかれた。血か、いや違う。飛竜の尾には毒がある。カシオン知識の内からそのことを引っ張り出し僅か一歩距離を置く。この鏃を躱したのは行幸、あるいはフェリアではなくカシオンに向けられていれば危ういところだったかもしれぬ。尾は長く鋭い。たとえ二人が前に立っていたとしても、カシオンを貫かないとは言い切れない。それを察してか前の二人の動きも鈍る。気合い一声得物を振るった傭兵隊長は細かく位置取りを変えカシオンが飛竜の目を逃れるよう立ち回り、一瞥くれた司祭は変事ないかと弛まぬ警戒に余念無い。
飛竜の尾の長さを見切り、カシオンは二人から更に一歩の距離を置いた。これはともすれば、飛竜が二人を乗り越えて、或いは隙を突いてカシオンを追えば咄嗟に庇うこともままならぬ立ち位置だ。しかしカシオン、この死霊術士その程度では恐れもしない。
竜語を編んで呪言を成し、飛竜に纏わせたいのちを己に結びつけた。いまや飛竜には、カシオン・ホーンテッドパスこそが己のいのちを貪る死の大穴に感じられるだろう。生ある者であればこれを本能的に恐れずにはいられない、人呼んで《恐怖喚起》の術である。
「そいつはもうこちらには来ない」
カシオンの宣言に、のみならず飛竜は身を低くして後退った。動きは鈍く、目のみは狼狽えカシオンを探し、身体はそれを避けようとする。爪牙も尾も、今や鋭利さを失った。当然だ。飛竜はただ無我夢中、戦っているのではなく藻掻いていると言うのが相応しい。
「なるほど」
覚束ない飛竜の動きを制して、アネットの長槍がその翼を一撃した。如何なる手練れの技か、その衝撃に溺れるように飛竜の身体が大きく揺れて倒れ伏し、竜脚が虚しく空を掻いた。
亜竜の喉を震わせて、魂消るような悲鳴が鳴り渡る。
未だその牙は鋭く、爪は刃にも似て、尾の一撃あれば唯人ならずとも命を失おう。
しかしその翼は空を走ること叶わず、目は怯えを映し、口は荒く息を吐くばかり。
然程間を置かずして、司祭の慈悲の一撃が飛竜の恐怖を終わらせた。
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