死霊術士、飛竜を惜しむ
しばし飛竜の尾をいじくり回し、毒腺から絞り出した赤い液体を矯めつ眇めつしていたアネットも、ようやくのことカシオンとフェリアに向き直った。
二人はワイヴァーンの亡骸を前に、喧々諤々論議に余念無い。即ちこの飛竜の死体の処遇について、あれやこれやと持論以て扱いを定めようというのだ。カシオンにしてみれば折角の飛竜、無駄に打ち棄てるよりは活用したい。しかし一方フェリアからすればこれを屍獣として操るというのは当初の約束に反すること、単なる死体として運ぶならまだしもとこう来る。しかしカシオン、自らの背負い袋の許容量を考えれば横に振らざるを得ない。見かけに不釣り合いなほどの大荷物を呑み込む魔法の逸品たる背負い袋だが限りはある。ワイヴァーンの目方を概ね弾き出したところで、どうにも袋に収まらないと結論が出る。一部だけぶつ切りにして納めるのならそれはただの生肉だ。賦活することもできないのであれば肉を運ぶ理由は無い。よって運ぶとなれば骨のみにして、それを袋に詰め込むくらいしかないのだが。
「解体に掛ける時間がありますか、カシオン・ホーンテッドパス」
飛竜は出ないという昼日中にこの大物だ。これは偶さか運が悪かったとしても、この大物から肉を外すにはどうにも時間が掛かるだろう。三人が三人ともそれ用の刃物の手持ちは無いし、そもそも手慣れているというわけでもない。なんだかんだと亜竜の鱗は厚く、肉も大層筋張っている。どれほど手間取るか、これはもう実際に試してみなければ分からない。かといって試したところで、夕闇迫る中灰分けの村への道行きはゾッとしないものになるだろう。
「しかしこれだけの資源を放置するのは罪だろう、フェリア」
カシオンの目はあくまでワイヴァーンの亡骸を惜しむもの。とは言え未練がましくも、死体をひとつまるごと使う方法と言えば、今彼らに取れる術としては
「せめて胆汁と尾の毒腺だけでも欲しいところだ。しばらく時間を掛ければなんとか切り出せると思うんだが」
「毒の扱いに知見が?」
と、首をかしげたのは傭兵隊長である。
「いや、そういうわけじゃない。ただワイヴァーンの毒といえば、なんだったかな、名のある劇毒だっただろう。何かに使えるかもしれない。使えないにしても売り物にはなるはずだ。これを運ぶのは無理でも、一部なら」
「なるほど。諦めるべきだ」
カシオンの述べるのを聞いて、アネットは言下に叩き切った。
「……何故?」
思わず面差しに不満の色が漏れ出でて、声も些かぶっきらぼうとなったのを責めることはできまい。
しかしアネット、こちらはいかにも平静そのもの。古くを読み解くように
「かつて隊に同じような了見の者がいた。毒の恐ろしさを知ったために活用しようとして、有毒の怪物を見れば毒を集めて回っていた。しかし毒を活用する前に、傷口から自分に毒が回った。腐肉喰らいの毒で二日ほど身動きも出来なかったという。あれがワイヴァーンの毒なら死んでいただろう。
毒の恐ろしさを理解して、その後迂闊に毒に手をだすことはなかった」
それでも試されるか、と問われれば流石のカシオンも怯む他は無い。幾度か目をくれ、哀れ舌を出して息絶えたワイヴァーンの濁った眼がどろりと恨めしげにカシオンを見返すのに、後ろめたさと物惜しみの心残りに責めさいなまれながらもようやくのことで頷いた。
「僕も毒を実地で体験したいわけじゃない。あなたがそう言うなら、勿論異論は無いとも、アネット殿」
「そうしてほしい。胆嚢は構わないが、解体に手慣れていなければまともな形にはなるまい」
「……ワイヴァーンの腑分けもやっておくべきだったな」
「ワイヴァーンの解体なんて、やらずに済むならその方がいいですよ」
フェリアの掣肘受けて、カシオンはワイヴァーンに背を向けた。
「あの牢番なら案外器用に解体しそうだが」
「まあ、そうですね。刃物の扱いにも慣れていますし」
嘆息して、カシオンはやれやれと
「それよりもですよ。ワイヴァーンの毒を使おうとする前に、私たちが使われた場合のことを考えるべきでしょう。先ほど、結局のところ毒の被害がなかったのは幸いでした」
と言われて、カシオン得意満面鼻高々に。
「ああ、礼には及ばない。少し脅かしたばかりのこと、獣の如きワイヴァーンには覿面だったが」
フェリアの眉間に、酸いものを誤って口に含んだような皺が寄る。
「まあ、確かに。助かったのは事実ですが」
「あれもまた我が学派のいのちを操る力の一端でね、フェリア司祭。役立つだろう?」
鼻歌でも始めるのではないかと言うほど図に乗って、カシオン己が学派の真髄たる死霊術の、その融通無碍のはたらきを自讃した。些か腑に落ちかねる風のフェリアが頷き一応の労いを口にすると、満ち足りたというように大きく頷いた。
「いえ、そこではなく――」
「ワイヴァーンの毒ならば」
フェリアが話を進めようとする矢先、アネットが一息に切り込んだ。
「神饌と耐毒薬はある。僅かには凌げる」
神饌と言えば神格に捧げられ祝福受けた食物で、信徒に饗されればそのおこぼれに預かって心身を健やかに保つ効き目があるという。所謂冒険者にとって重宝するものであることには間違いない。しかし流石に
「万が一毒を受けたなら耐えているうちに治療するしかない。司祭殿、《疫毒退散》や、あるいは《平癒》のような呪文は」
「あります。朝の祈祷の際に心が騒いだので《平癒》を」
「何かあればそれを。心臓や血管が酷く損傷するらしいので、その後何か治癒の呪文を用立ててもらいたい」
「あまりゾッとしない話だ。聞くだに御免蒙りたい」
腕をさするカシオンの、声は努めて軽いが面持ちは心底遠ざけたがって暗く、少しく頭を振って澱みを払うと剣呑剣呑と呟いた。
「無論、使わないで済む方がいい」
アネット・レイヴンヒルは静かにカシオンに肯んじた。
「想定より容易に対処はできた。だが油断はできない。避ける方針に変更はない」
眺める飛竜の亡骸はもはやただの肉の山に過ぎず、三人に深手負わすことなく斃れるに至ってはいるが、さりとて先から無害な置物だったわけではない。
「遭遇時には、術士殿。状況に応じて」
「ああ、任せていただこう。あれはまだまだ序の口だ。我が学派の術の冴え、存分に披露させて……もらいたいところだが、しかし何度もワイヴァーンに襲われると少しばかり骨折りだな。まあ、程よく」
増上慢を少しは収めたその言に、フェリアもそれでよしとばかりしみじみ頷いた。大体がところ、前に立つのは女二人。たとえ飛竜退治に力を尽くしたとしても、カシオンが胸を張ってどんと来いと宣うのも無責任。
「……次も、あのくらいならいいんですが」
溜息まじりのその呟きに、カシオンはカラカラ笑って太鼓判。
「なに、どの道生物だ。首をやられて生きてはいられない」
と、示したのは飛竜の、その首をとどめとばかり一撃したのがフェリアその人だからである。しかしフェリア、
「あなたのことです、カシオン」
「と言うと?」
「あなたの魔法、死霊術の呪文のことです。もう少し、こう……明確に何をするか説明できないんですか」
難詰されて、カシオンは腕組み唸る。
「おおよそは伝わっていたかと思うんだが……」
「あのワイヴァーンの動きが鈍ったのは分かりました。対面していればそれは分かりますが……。ただ唐突に後ろから不穏な気配が漂って、こちらは気が気ではなかったんですよ?」
フェリアの言葉に一理はあろう。とは言えカシオンが返答をまとめるより早く、フェリアはふと思いついたように人差し指を立てた。
「だいたいカシオン、あなたは地下道でだって事前に何をするか説明しようとしませんでしたよね」
フェリアの詰め寄るのに、カシオンの目は些かならず泳いで、そうだったかなと宣いながらも記憶を辿る必要さえなく確かに、碌な説明も無く《
フェリアの目に射られて、とうとうカシオンもお手上げとばかりに息を吐き、そのまま滔々論を吐き出した。
「考えてもみていただきたい。未だ起こらぬ事象をあたかも識ったかのように語るのは、それはもう占者か詐欺師だ。成し遂げたことを、それが一体何だったのかを語ることこそ賢者のあり方ではないだろうか。我が師によれば、魔術師の道は常に五分の驚きを以て為すべしと言う。必要となれば使うのであるから、たとえ仲間であっても己の手を詳らかにするにはあたらないと。……ひょっとすると、何をどうするつもりかと聞く方が誤りなのでは?」
「カシオン・ホーンテッドパス」
窘める如く名を呼ばれ、カシオンは決まり悪く顎を撫でた。フェリアも処遇をどうしたものか、目を閉ざし拳を押し当てたところにそっとアネットの手が肩へと添えられた。
「咄嗟の判断もある。正確な情報ではないのも仕方ない」
「……それはそうですね。ともあれカシオン、あまり度を外した死霊術の呪文は扱わないよう、いいですね?」
「それは勿論。僕は師譲りの良き死霊術士だ、約束は守るとも」
快く応じたカシオンの、良き死霊術士なる言葉に安全な毒ほどのそぐわぬ意味を見て取ったか軽い頭痛を感じた様子を見せたフェリアも、ふとそのおかしみに苦笑を漏らした。
見計らったそろそろ発とうとの合図を受けて、司祭と術士二人揃って荷を負った。この期に及んでカシオンの目はワイヴァーンに惜別を告げる。と、アネットがところでと切り出したのは先にカシオンが行使した呪文について。その見事な扱いで飛竜をほぼ無力化したと、言葉少なながら称讃に惜しみない。途端カシオンも満更ではなさそうにアネットの言葉を受け入れ、顔には喜色が隠れない。
「所謂恐怖を与える呪文とは、どこか違うようだった」
「良い着眼点だ。あの呪文は死霊術に深く結びついた呪文でね、即ち負のいのちの力を以て不可避なる死を感じさせ、本能的恐怖を喚起する。この本能的恐怖というのが肝でね、特にああいった獣は怯えること甚だしい。代わりに命のないからくり仕掛けや」
カシオンは首を傾け、
「本来のいのちから切り離された
「なるほど」
「然程難しくはない呪文だ。アネット殿、あの札に刻んでいたものと程度に違いはない。もし望むなら手解きさせて頂くが、どうだろう?」
一度頷いて、アネットはいささか思案顔。
「いいのだろうか?」
「もちろん、求められれば否む理由はない」
否む理由はないどころか、それを嚆矢に死霊術の何たるかを教導しゆくゆくはなどと考えているカシオンであるが、いや何もがつがつとしたところはできる限り抑えようと、今はただ師伝の魔術を広めるために伝道者の役割を果たすことへの喜びばかり、ふくふくと笑みも絶えぬ。
「では……あの呪文の効用だが、あたり一帯を怯えさせるものとは異なると考えても?」
「ああ。これはと選んだ相手にだけ影響を与えることができる。無論これは一長一短だが、特性を知って扱えば問題はない。それに優れた使い手ならば複数を影響下に置くことも出来る」
「乱戦の中でも有効だ」
「ただし恐怖をねじ伏せられるような……手練れを相手には効き目が薄い。信仰を礎にしている手合いもそうだ。相手はよくよく選ばれるよう」
嬉々として語り合うその内容は、見ようによっては
早口に語る二人の姿、いかでか悪しきものと断じられようか。精神術の中に人々の高揚を生むものがあり人の心を支配するものがあるように、死霊術のうちで見れば恐怖を掻き立てるのは人の魂を縛るものよりは遙かに穏当な部類となろう。と、納得と違和感を半々に抱えたフェリアを後ろに、ともあれ三人の旅足は軽快だ。
しかし旅の道行きは分からぬもの。
再び歩み出してから四半刻と経たずの今このときに三人の行く手を阻むのは、奇しくも同じ数の、
「――ワイヴァーンだ!」
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