死霊術士、死者を説く
まったく死霊術士の傲慢だ。死者の心情に価値なしとは、なんたる冷血漢の
「いいかい。死者は素晴らしい。だがその心情やら思いやら、そんなものが何の役に立つ。生憎と、死者は何も為しはしない。それができるのは生者だけだ」
襟首握ったウィテルの柔毛に包まれた手を無理矢理に開かせると、すっくと立ち上がって服装整え、カシオン咳払いを一つ。
その論ずる声に、待てと険しく難ずるのはエアノールで、然様、その体躯に思わず吹き上がる蛮力を何とか押し留め、投げかけるものを声のみに抑えようと努めている。いやはや、死者を無為とする言葉などそうそう肯んじて飲み込む輩も無い、殊にエルフやら自然を本地とする者なら尚更そうだ。これなるは、いかさま祖霊に対する否定、あるいは生命流転を嘲笑う所業ではないか。
「聞くに堪えん。死者を蔑ろにするな」
これで分かったと口をつぐむことができたなら、カシオンも汎神殿で迂闊なことを口にすることもなかっただろう。かく己が道理に挑まれては、その舌を収める先もあったものではない。
「それだ。エアノール、だいたい僕は別に死者を蔑ろにしているつもりはない。元から無いものを蔑ろになんて誰にもできないことだが」
言い放ったのはいかにも冷たく、これぞ死霊術士の面目躍如、なんなら銘打って額に飾ってもいいくらいだ。
「死者は素晴らしい資源だ。だがそれ以上じゃない」
と、どうやらこれがカシオンの流儀らしい。即ち
死霊術士の学派なら、なるほどそのような考え方もあるだろう、とは言えそれを声高に、死霊術士ならぬ人々に語り聞かせること、それが悪癖であること一顧だにしていない。それが証拠に、見よ、ウィテルは頭痛をこらえるように眉間に指をおいているし、エアノールは険しい顔を一層険しく尖らせて。
「死者を敬えと言っているんだ。何が資源だ。俺たちの一部は死んだ者たちから形作られている、それを軽んずるような……」
「軽んじてなんかいないとも」
「よく言えたものだ。その言誰が信じる?」
首を傾げたカシオンの、ふむと一言合点して、横に首を振る仕草に躊躇いもない。
「信じられなかったらそれまでだ。僕としては本当のところを話すことしかできないわけだが。まあ虚言を流布するでもなければ好きにしてくれ。だいたい僕の言っていることが本当だろうがどうだろうが、この問題には関係ないだろう」
ひどく突き放したような物言いに、しかしカシオンは別に厭世家の風を見せたわけでもない。判断を迷わせる余計な言句は控えるべきかと、その程度。とは言え、その判断に迷うところなど無いはずだというのがこの死霊術士の主張と見えて、先様愚かと口にしたことは引っ込めもしない。
「変な逃げを打つもんじゃないよ、アンタ」
溜息混じりの声は、どうやら激したものの残り香も薄い。エアノールとカシオンのやり取りに、いや殊にエアノールの反応に、代わって怒りを背負わせて、束の間のうちに少しく鎮まったものと見える。老獺人の短い言葉に、カシオンは心外なとばかり顔に不満を並べ立て。
「逃げてなどいないとも。逃げる必要もない。たとえ僕が死者を重視しようが軽視しようが、死者は生者に奉仕するものというのは何一つ変わらない」
「またそれか。死者は俺たちを導くものだ、奉仕するものなど粗略に扱っていいはずがない」
「別に下に見ろと言うわけじゃない」
「でなければ何だというんだ」
「やれやれ、千日手の押し問答だな」
くたびれた風に肩を落としてカシオンの、目を閉じ目庇に指を突いて叩くのが、やれどうにも気取った様に見える。
しかし問い投げるエアノールの方もどうにも深刻さを漂わせ、口を開いていないときにはむんずと閉じたその唇の、真一文字に引き結んだ形に無闇に力も入った有様だ。
「お前の言うことは滅茶苦茶だ、死霊術士。死者とて俺たちを動かし、故に俺たちは死者を尊ぶ。それを物かなにかのように扱って、殺されたものを打ち捨てるような……畜生にも劣る」
吐き出す呼気は歯の間から絞り出すように、何かを押し込めるように、堰を切れば何が溢れ出たものか知れぬ。
ひょうと吸気の音が大仰に響き、一旦張り詰めたエアノールの体躯が、じりじりと弾ける直前の鳳仙花の趣を見せたが、それもついに口を開くとともにわずか緩んでみせた。
「俺たちは……誰も死者から逃れられないんだ。死者が生者と繋がっているように」
確信めいたものを目に浮かばせて、エアノールは小さく震える腕を抑えるように、指を組んだのは見ようによっては祈りの姿。小さく息を吐き出すと、揺れる手を足に押し付けて、努めて平静を保たんと奥歯を噛み締めた。
そこに、よせばいいのにカシオンの、それは見解が異なるとでも言いたげに指を立て。
「死者から逃れられないんじゃない。自分から死者の腕の中に飛び込んでるだけだ」
なるほど、カシオンの理屈のうちでは死者は何もしないもの、すべては生者のはたらきに過ぎないと、ある種信仰にも似た揺るがぬ理だ。
とは言えそれが通用するのは同じ理屈で動く連中ばかり、いや、これは全く、カシオンの死者を愚弄するかのような言動に、よくぞここまで堪えたもの、そこらの荒くれならとうにカシオンも話のできぬ身になっていただろう、このエルフの忍耐力善性に感謝するが良い、風切って伸びたエルフの手がカシオンの首に向かう。
幸いなるかな、その指先が掠めたのはカシオンの灰色髪の先、わずか。行幸にも掴み上げられるのを避けたのは、何もこの死霊術士が武術家はだしの身ごなしを見せたわけではなく、折よく座っていたからだ。頭上通り抜けた手にのけぞって、目を丸くし、唐突な暴挙に批難も隠さぬ。
「すぐ手がでるな。悪い癖だぞ」
「む」
言われて気付いたとばかりに、エルフの顔に浮かぶのは恥じらいと、己の不甲斐なさへの嫌悪か、そろりと手を引き戻し、その掌の、荒い肌に向ける目はどうにも言い知れぬ不安が覗く。
それが顔を跳ね上げたときには、どこか切羽詰まったような焦燥に押し出されて、カシオンの狷介さにも似た色がある。
「死者を単純なものに貶めるな、死霊術士」
「むしろあんたの方が単純化していると思うが」
エアノールの方はまた身を乗り出しているし、カシオンもまたどこに自信があるのか熊に挑む鼬の構え。一触即発、というのはつまり何かあればカシオンが組み伏せられるということだが。
「やめなあんた達!」
ウィテルの声に、まずエアノールが唇を下げて背を伸ばし、今にも飛びかからんとするばかりだった様子から、ひとまず手を引いた。
カシオンもまた、肩をすくめて手をひらひらと、何もするつもりはないという意思表示。
二人の様子を確かめて、何とか居室で無用な騒動が起きずに済んだとウィテル老、鼻を鳴らして薬研の中の薬剤を遠ざけて、不機嫌に二人を睨めつけた。
「やめだよ、やめ。いくら言っても堂々巡りさ、学派魔術師ってのはこうなんだから、まったく」
と、嘆息一つ。
「どうにも苛立ってんのはあんた一人じゃないよ、死霊術士の坊や。けどここで言い合いをしたって何にもならないよ。あたしが言えた義理じゃあないが、とにかく矛を納めな」
言えた義理じゃないとの言葉に、なるほど、確かに実力行使のはじめはウィテルだと納得の素振りを見せたカシオンは、それはそれとエアノールを伺った。
この直情のエルフは激情のあとはいつもこうなるのか、どこか消沈し、ウィテルの申し出るままこれ以上角突き合わせる気もないと見える。
「まあ信条ってやつはどうにもならないもんだがね」
と、ウィテルが言うに目はカシオンに向けられているものの、どうやら二人、いいや三人ともに向けられた言葉に他なるまい。
「それで他の連中が死者を悼むのにケチをつけるもんじゃないよ。そりゃああんたが手を突っ込んじゃいけないところだよ、坊や」
断じられ、ううむと唸ってみせたのは反省もあろうが、ともあれ一つ頷くと、未だ釈然としない風に。
「ケチを付けたつもりはなかったが、まあ、そうか。すまない」
「……老ウィテルの言う通りだ。お前の流儀も分かった。それにとやかく言う筋合いもなかった。だがお前も同じことだ」
「なるほど。……ああ、なるほど。どの学派に学ぶかは自由だものな。よし、これは僕も悪かった」
途端納得したのは、これは学派魔術士のさだめ、何しろ学派魔術士と来ては、系統が異なれば真理というやつも違って見える、果ては同じ系統を学んでも学派が異なればどっちが正しいで一悶着、場合によっては大事になりかねぬ。故に学派の長短を比べるのは危険なことと、内心己の学派が至高と思っても学派魔術士同志でそこに触れるのはご法度だ。
しかし未だ懸念残るカシオンの、そのどこか浮ついた様子にウィテルが物言いたげな目を向けるも、それを気にするカシオンではない。
唐突に口では従順頭を下げたのに、今ひとつこれで終わりとは行かないカシオンだ。学派魔術士ならぬ身で、学派のあれこれに詳しからぬエアノールも、疑念あるなら一つ二つ付け加えようと口を開いた。
「信奉するものはそれぞれ違おうと、死者に恥じぬ行いを求め……」
「ああ、そうそう、それだ」
エアノールの言葉を差し止めて、得心行ったと、思案顔も早変わり、
「蔑ろにするとか、恥じぬとか、まあなんでも良いが。やっぱりそれは後ろ向きに死に向かうのを肯定するものじゃないと思うんだが。決断もつかずに死ぬために残るのが恥でなくてなんだい。恥じないというのは存分生きることだろう。……と、うん。そういう話だ。あんたたちのその情動主義的なところはよく分からないが、僕の理解は何か間違っているだろうか? とは言え確かに、ここで言っても詮無い話か」
早口で言い追えて二人の様子を伺う死霊術士に、面倒な議論を再び吹っ掛けるというような色はない。
ウィテルとエアノールはすぐには頷けない様子だが、なるほど、そう見る向きもあろう。そもそもこの二人とて、みんなここでぐずぐずと死ぬべきだ、などとは言っていないのだ。ただ死者に拘泥する者を認めろという話に過ぎない。まったくどうにも千日手の押し問答、なにしろ答えはここにはない。
しかして死霊術士、二人が何かいうのを確かめることもなく、むしろ己の口にした内容を吟味して、何やら発見した風に。
「なるほど、なるほど。問題は決断しないことだ。そうしないと僕らもいつまでもここにいる必要があるんだな。それは御免だ。よし、それじゃあこうしよう。ここで死ぬか出ていくかを訊くんだ」
名案だと独り言ち、意気揚々、今にも扉を開けて外へと向かわんとするカシオンを、一時呆気にとられた待ったと森の司も猟兵も、慌てて制止に手を伸ばす。
然様、それではまるきり地上げの脅迫だ。当人そのつもりはなかろうが、死霊術士が、いやいや怪しげな魔法使いというだけで十分だが、それがこうもあからさまな脅迫持ちかけて、村の連中も黙ってはいられまい。
あわや死霊術士が庵の戸に触れようとしたときに、不意に扉の方から向こうに遠のいた。
見れば扉の向こう、傭兵隊長殿が、常と変わらず読めぬ顔で。
「死ぬか、出ていくか。なるほど。それも手だ」
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