死霊術士、激闘をお膳立てする

 でかい図体が真っ向当たって村を守る柵から悲鳴のような軋みがあがった。弛んだ柵の向こうで轟々と銅鑼の如き獣声響いたかと思うと、羽撃きが追従し、鱗ある生き物が地を蹴った。物見に立った村人は顔面蒼白、大弩を抱いて己を叱咤、いざ飛竜が飛び込んで来たならば迎え撃つのがその役目、とは言え泡を吹いた怪物のその目で射られりゃ手足萎えるのも仕方なし。その怖れが伝染ったわけでもなかろうが、ただ外から響く音声に、慌てて柵に走った村人は心胆冷やされるばかり。

 さて柵を乗り越えて見れば、緑野一転激戦の有様、ようく撚って編み上げた大網が化け物にそこかしこ絡みついて、如何に翼あれど空を自由にさせてたまるものかと綱引きだ。村の勇士が三人がかり、しかしいくら力を比べても、さすがは竜の眷属よ、尾を唸らせて振り回すと一人が勢い良く空を舞い、先の飛竜を真似て村の塀向けて飛び立った。かち当たりでもすればお陀仏か、良くても血を吐く様となろう、それをすんでのところで抱きとめたのはエアノールで、屈強な肉体が勢いを見事に殺し、縄の取り手を地に足つかせた。手強い飛竜は網を引きずってなおも唸る、ごぼごぼと苦しげな声は、こいつが尋常の生き物なら哀れも思召しただろうがそうは行かぬ。嘴叩きつけるのをエアノールも手伝って何とかそらしたものが、勢い良く柵に突っ込んで、裂いた隙間村人たちを睥睨するように顔をねじ込んだ、その獣の目よ!

 壁の向こうのこと、聞こえる悲鳴の喧しさ、それを遠ざけるように亜竜を睨んだ三人の、手槍を投げて鱗を突いた、流れる血、いやいや咆える怒号、呆れるほどの頑健ぶり、無理矢理に柵から頭を引っこ抜き、広がる亀裂に飛び散る木片、のたうつ体は大波紛い、人間ごときの五体で堪えきれるわけもない、体にしっかと巻き付けた網の握りが災いして、伸び切った腕は引きちぎれそうだわ、肩は外れそうだわ、胴は真っ二つになりそうだわ。

 鋭く響いた指笛の音に、はっと気付いた村長の、何事か叫んだと見ると物見の大弩がごりごりと音を立て、回るや向けるは飛竜の体、把手を握って勢い良く回して狙いをつけて、太矢が暴ッと射放たれた。柵をぶち破った野太い鏃を肩に喰らって、飛竜の絶叫聴くに堪えぬ。

 猪だの熊だのならこいつで死んだかもしれぬ、眉間にいただけば違わず往生だったろう、しかし生憎飛竜の体、肩から翼を貫かれた程度で死ぬならアネット一行の道中苦労はない。飛竜の怒りがと太い首そらして喉を震わせた。忙しなく尾が血を打って目に痛いほどの赤、致死の毒液を迸らせた、これが傷口に触れでもすれば一巻の終わりと知って村人たちも冷や汗禁じ得ない。

 更にもう一度、高く指笛響けばエアノール、一人綱を捨てた、と言って網から離れるではない、奥歯を噛み締めたかと思うと満腔怒りの形相顔貌朱に染めて、咆哮すること先の飛竜の比ではない、元々見上げるほどのその体躯、声の響くほどに膨れ上がってみえる。面もいつしか獣かオークかの凶相、目を欄と輝かせ、網を手繰って飛竜を引きずり倒して――然様、尋常ならざる膂力で飛竜を引きずり倒し、一飛でその首に取り付いた。ギョロついた竜もどきの目が睨むのも知らず、毒々しい赤の棘尾が迫るのも知らず、筋の浮かんだ豪腕が長い首に絡みついて、迸るのはエルフ語の流麗さとは雲泥の差、刺々しく耳も軋むオークの戦声、いずれの死かとの誉問い。

 果たして誰の耳にもはっきりと、あるいはその様が聞いたと信じさせたのは、エルフの雄叫び朗々と響くなか、吐ッと末期の息と共に力を失う飛竜、即ち素ッ首へし折られた音である。


「見たか。あれがワイヴァーン、今この地を苦しめるものだ。あれ一頭ではない。今に奴らがこの村を見つけ出すぞ」



 いやはや、飛竜退治の様を見せるのは、これでなかなか大変なものだ。死霊術士の人倫弁えず後先考えぬ妄言を傭兵隊長殿が良しと応じてから、3、4日は村を出て野を彷徨うろつき山に這いずって右往左往、これでも早かったとはエアノールのとなえるところ

 ろくすっぽ眠れぬ夜を過ごし、草臥れ果てて昼を過ごし、要は飛竜共の生態調査、これがまた雲を掴むような話というのも仕方ないところ、なにせ相手は飛ぶ身こちらは地を這う身というわけで、迂闊に身を晒せば先のカシオン同様蜻蛉に取られた芋虫だ。一日エアノールが飛び回ったと思うと今度は一流の野人エアノールの手を借りてあちらに隠れこちらに潜み、決められた場所で丸三日はワイヴァーンが餌取りだのに飛び回るのを見つめる羽目だ。熟睡と休養こそ活力の源と考えればカシオンは如何にも死霊術士の風上にも置けぬ凋落ぶり、ともあれ四人が四人できるだけの働きをして飛竜の見張り。そいつをエアノールの知識でまとめて連中の中でも迂闊で欲の皮の突っ張ったやつに見当を付けて、他の飛竜から離れたところ、矢やら呪文やら囮になったカシオンやら、当たらず触れず鼻先に何某かぶら下げて灰分けの村まで道案内、挙げ句村人たちとエアノールを矢面に立たせ、舞台を一つ見せたわけだ。カシオンが最後の最後に引き受けた役柄も、縁の下の力持ち、ちょいとばかり飛竜の目を眩ませて剣呑な牙やら毒針やらが見当外れを狙うようにした程度、些かつまらないと言えばつまらない。


「どうだい?」


 カシオンが身を置くのはすでに村長の家の奥で、滅多と外には出られぬのが気詰まりだがカシオンには気になる質でもない。飛竜を目の当たりにした村人たちがざわめくのを尻目に、とっととここに潜り込んだ身、外にあればわけの分からぬ疑い受けてともすれば飛竜を呼び寄せた呪い師なんどと呼ばれることもあろうと急かされて、いやはや、呼ばれるも何もそれがまた真実ほんとうだから面白い。

 村人たちの前で退治てみせたエアノールも程なく放り込まれたから、若干の窮屈も仕方ない。そんな二人の待つ場所に、アネットとフェリアの二人が訪れたのが月も昇る頃。


「上々だ」


 とアネットが言うのは、即ち飛竜を見た村人たちがどうやら逃げ出す方に舵を切っているということだ。


「当然だ。そうでなきゃ何のために面倒を押したんだか分かりやしない。まったく、僕らが駆けずり回るよりはワイヴァーンの死骸一つ用立ててくれたほうが早かっただろうに」

「カシオン・ホーンテッドパス……!」


 名を呼ぶ声もいかにも細く、いやそれがまた幽鬼の囁きにも聞こえて難詰される側には怖いらしいが、フェリア司祭の悄然とした有様は、これはまた要するに己の所業を受け止めかねているらしい。何しろ飛竜をこの村に招き寄せて、演目は飛竜殺し、下手を打てば幾人か犠牲を出してもおかしくはない。そんなことに手を貸したこと、今になって後悔しているものか、村人の治療にも思わず力が入って疲弊の度は誰よりもだ。それが却って睨む目つきにも一層加わって、不埒な言動を許すまじとカシオンに語ること雄弁だ。


「違和感があればこうはならない」


 即ちアネットの述べるところ死体操りの技は不適当。勿論そうなれば飛竜を招き寄せたどころではない、要するに死霊術士が村人たちを追い出すために黄泉還りを操って襲わせたという話になって、今度こそカシオンへの不信が燃え上がる、いやはやそれどころか血祭りにあったとしてもおかしくはない。それで満足されてしまっては逃げるの何のという話にはならない。


「あとは村長の仕事だ。そう長くは掛かるまい」


 なにせ飛竜の大暴れ、人を相手に木っ端でも蹴散らすような暴虐を間近で見たわけだ。砕けた柵も割れた塀も、そのへんの貧弱な二本足にはそうそうたやすくできる真似ではない。殊に直接網を取った村人からすれば、二度と相手は御免被るというところだろう、命あっての物種だ。


「それなら言うことなしだ。いや、だいたい村の連中が決めないのが問題だ。これは合理的な決断の後押しに過ぎない。あんまり気にするものでもないと思うが」


 最後はフェリアに向けた、慰めだか揶揄だかなんだかわからぬもので、キッと鋭い目を向けられてはカシオン知らず首をすくめるほかない。しかしその勢いも束の間、はあ、と溜息突いたのはやりきれなさ、己の不甲斐なさを嘆いたか。


「私の言葉に力があれば、こんなことしなくとも彼らは安全な場所で笑顔だったでしょうに……無力を痛感します」

「それはもう精神術の範疇だろう。そっちの方が酷くはないか?」

「何も意のままにしたかったとは言っていません」

「どうあれ。これで彼らが動くということが重要だ」


 アネットの言葉に、むっつりと黙り込んだままのエアノールが頷いた、とあってカシオンとフェリア、顔を見合わせて小さく二度ほど首を縦に振って異論なし。


「前回と同じ森の道なら、一度に何人運べるだろうか?」

「俺か。……そうだな。前回同様5人程度がいいところだ。それ以上になれば遅くなるし、何より奴らに嗅ぎつけられる恐れがある」


 水を向けられて口を開いたが、エアノールの言葉に楽観するところなし。


「嗅ぎつけられたところで、まあ一頭くらいならどうにでもなるだろう。今回もほら、村人が多少役立ったとは言えほとんどあんたが一人で仕留めたようなものだ。連中の図体なら森の中であそこまで大暴れはできないだろうし」

「戦える者ばかりではないだろう。それに、見つけたワイヴァーンが一頭だけで襲ってくるかどうか……もう、一頭だけで遮二無二襲ってくることはないだろう」

「他はもっと賢いと?」

「ああ」


 傭兵隊長に問われて、エアノールは大きく首を振ってみせた。


「俺の見たところ、他のワイヴァーンはもうすこしさかしい。連れ立って動くし、獲物を独り占めしようともしない。おそらくお前たちが最初に出会ったのもあれと同じように愚かな質だったんだろう」

「幸運だったということですね」

「その後の三頭を考えれば幸運とも言えない気がするんだが……」


 それだ、とエアノール、如何にも渋い顔。


「奴らは群れで、この辺りを餌場と定めたらしい。人の通りはすっかり少なくなっただろうが、開けた土地が良いのかもしれん。だがねぐらはこの辺りには無い。理由は知らんが、ねぐらを移さずにわざわざこの辺りまで飛んできているんだ。その行動範囲は少しずつ広がっている。……レイヴンヒル。お前が言っていたこと、あながち間違いではない」

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死霊術士《ネクロマンサー》、弟子を求めて冒険す 竹中有哉 @take_b

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