死霊術士、歓迎されざる来訪

「……行ったようですね」

「そのようだ」


 語るものもいないのに、警戒まじりのその声は霧のあった中心方面から発せられていた。いいや、不可視のものを知覚してみればそうではないことは明らかだ。姿こそ見えないながら、声の源には三人、カシオン達が息を潜めてそこにある。カシオンの操る《不可視化》の呪文はその名の通り影響下にあるものの姿を不可視とする。とは言え本来は一人に使うものを、無理を押して広げた形だ。その複雑な構成を通すにはカシオンに操れる術力の器を最大限に行使する必要あって、今やカシオンは自ら出涸らしと称するほど、目を見張るほどの驚異の技は打ち止めだ。今飛竜に襲われればそれが一体でもひとたまりもあるまい、とは言い過ぎにしてもこれ以上余計な危険に首を突っ込む余裕はない。ワイヴァーンの消えた先を見送ったカシオンの、深く吐いた息一つ。


「なんだか分からないが、遠ざかってくれて助かった」

「あれは我々の来た方だ。仲間の死体でも見つけたか」

「なんだい。ワイヴァーンが弔いをするとでも?」

「おそらくは空腹のために」


 平然とした物言いと裏腹に陰惨なアネットの言葉に、フェリアの返答は呻くよう。


「そんな恐ろしい話……」

「餓えが故だ。我々でなくて良かったと考えよう」

「まああえて腐らせる手もないだろう。隣を飛ぶ仲間を襲わないだけ理性的とも言えるのでは?」

「普通同族食いは忌避され……カシオン、念のために聴きますがあなたも……?」

「僕が何だって? ああいや、勿論そんなことをするわけがない。屍を食糧にするほか無い獣と一緒にされるのは心外だ」


 精一杯渋い顔をしてみたところで、お互いに姿は見えもしない。


「まあ連中が何をどう食べるかは構わないが、もう一度連中と対面するのは勘弁願いたい。大切なのは今のうちに先を急ぐことだ。幸い大騒ぎしなければ半刻ほどはこのまま姿を隠していられる。お互い見えないのは不便だが、縄なりつかめばなんとかなるだろう」


 言いながら手探りで背負い袋を確かめて、麻のロープ(これもまた《不可視化》の影響下にあって常人には見えない)を繰り出した。おぼつかない手つきのまま三人、しばしうろうろと互いの位置を確かめ合って右往左往する様は見えるものからすれば噴飯物だ。

 それでも然程掛からぬうち、なんとか手に縄腰に縄、数珠つなぎになって、アネットを先頭に歩き出した。

 取り落とさぬようにしっかとロープを手に巻き腰に巻き、アネットの導きに従うフェリアが溜息を吐いた。


「ワイヴァーンの目を眩ませるのはいいですが、こうやって自分も見えないとなるとどうにも不便ですね」

「そうかな。僕からすればあなた方の姿が見えない方が困るところだが」

「有効ならばそれでいい」


 益体もないやりとりは、窘めるような一言で幕を閉じた。



 そうして三体のワイヴァーンの襲撃からこちら、幸いにして騒動は無いまま三人は緩やかな傾斜を進み、灰分けの村の門口まで辿り着いた。森に半ば浸食された中に、獣避けの柵と石積の塀に囲われて、一際高い物見の塔とその周囲地勢に沿って丘に埋もれるような家が点在している。どこか独特の芳香が鼻をつくのは塀と柵とに纏わり付いた蔓草に結わえられた袋が源らしく、獣避けか何か、恐らくは薬草師の類の仕事と思われた。塀には新旧の違いが目に見えて現れ、忘れ去られていたものに手が入れられたのだとありありと分かる。それと同じように物見の塔にはまだ新しい大弩が据えられて、慮外の来訪者を拒む意志を誇示するようにと見せていた。

 もう既にカシオンの呪文の効力も消え失せて、ありのまま姿を晒す三人はようよう辿り着いた目的地を前にしてようやく緊張を解く次第。昼日中にワイヴァーンの出るは珍しいとはいえ既に二度ほど出会した身の上だ、《不可視化》の護りを失った後にまたワイヴァーンが舞い戻ってもおかしくはない、どころかその辺からワームの一匹も土中から大穴開けて襲ってくるのではないかと冗談とも本気ともつかぬ不安の吐露からやれバジリスクだキマイラだ、オーガだトロルだハイドラだと小声で互いの見識を披露し合い、それらと出会さぬことを祈っての道行きであった。運の善し悪しは一概には言えぬとはいえ、災難にあえば更なる災難を警戒するのも仕方ない。

 ともあれ、村に着けば人心地つく。そうして三人が村に近付いたところで、何やら人の気配があった。鐘を叩く音がしたと思うと喧騒が聞こえ、慌ただしく人が駆けてくるのが分かる。


「そう急いて歓迎してもらわなくとも構わないと思うが」


 些か申し訳なさそうに囁いたカシオンの声に、フェリアが呆れたように溜息を吐いた。

 それに前後して、村の入り口に数人姿を現した。男ばかり三人ほど、いずれも険しい顔つきだ。ただただ歓迎のためとは誰も考えないだろう。手には各々長物を持ち、一朝事あらばそれが武器となるのは明らか。


「待て、待て」


 咎め立てるような声を投げ掛けられて、カシオンの顔に些か不満が浮かび上がる。ともあれ言葉を待つまでもなく、一行は足を止めている。声を掛けた男は何か誰何を口にしようとして、ふとその目をカシオンの腹の辺りに向けると顔を青ざめさせた。


「何だあんた、そいつは大丈夫なのか!」


 男が気にしたのはカシオンの脇腹、即ちワイヴァーンの毒針を受けた辺りである。当然のことながらカシオンの衣服にはそれと分かる穴が開き、傷口から溢れた血が外套の布地を赤黒く汚している。

 カシオンは少しばかり恥じらって、外套の汚れを見えぬよう腕で隠した。


「申し訳ない。これは今晩には修繕する予定だ」


 余裕があればカシオンのこと、師譲りの外套をそのままにはさせなかっただろうものの、流石に村までの歩みを止めて悠長に修繕をするなどとてもでは無いができる筈もない。

 とは言え見ず知らずの人間が、親切に外套に穴が開いておりますよとの指摘をしたわけでもない。無論男の心配は外套に穴を開けた際の傷の、その容態である。修繕のなんのと言われて面食らって当然だ。

 この様子では埒も明くまいとアネットが一歩前に出た。


「彼は道中ワイヴァーンの尾で刺されたが治療済みだ。我々はドーンフォート参事会より依頼を受けて助力に来た」


 張り上げた訳でも無い声が良く通る。


「我々があなた方を、この村から撤退させる」


 必要なことは告げたとばかりに口を閉ざした傭兵隊長に気圧されて、男達は何事か言い交わし、そして一人が来たときと同じように息せき切って駆け出した。



 素性を名乗って間もなく、通された一際大きな邸宅の応接室らしい部屋で主の到来を待つ間にも、些か詮索の気配がカシオン達を探るのが分かった。ともあれそれを意識した振る舞いをするのはフェリアばかり、残る二人は呆れるほどの泰然自若、血の抜けたのが残っているのかカシオンなどはふわと大欠伸あくびをする始末。


「失礼。いやはや、しかしワイヴァーンは少なくとも三頭と仰っていたが、とりあえず四頭はいたらしい」


 遠慮の無い欠伸を誤魔化すように付け加えたカシオンは、外套の穴に指を入れ、その破れた様を図るように撫で回す。修繕と言っても継ぎを当ててちくちく糸と針で繕うものでもない、呪文と魔術を以てすることだ。その範囲に収まることと、カシオン安堵とともに頷いた。


「しかし一頭、ああも簡単に倒せるなら残るが三頭だろうと四頭だろうと一頭ずつ順に片付けてしまいたいと欲も出るところだが」

「難しい」

「まあそうだ」


 短いアネットの返答に、然もありなんと肯んじるほかはない。飛竜こそ翼もて空を自在に行き来するが、人の身では同じ真似は出来ないもの。偶さか最初の一頭はアネットの巧みな足止めもあって逃げることができなかったとはいえ、後もすべてそうだとは言えまい。深追いすれば今度はどちらが命を取られるものかというのは、三頭に襲われた時の惨状を見れば運次第とするのが妥当だろう。天秤は些か向こうに傾いた形だが。


「すまない」


 と、不意に向けられた謝罪にカシオン鳩が豆鉄砲を食ったよう。アネットのその目が外套を弄るカシオンの手のあたりに向けられているのを察して、よくよく得心したように。


「あまり気にすることでもないだろう。どちらにせよ怪我は残っていないわけだし。いや、もう一度喰らえと言われたら勿論勘弁願いたいが」

「いや、自分の想定が甘かった。逆枝の村で聴取した限りでは日中はワイヴァーンは姿を見せない、乃至単独が精々だと判断した。この辺りに詳しい者と順路について再度協議する」

「想定外など良くあることだ。飛竜の考えることが分からない以上、まあ運が悪かったと言う以上に深刻に捉える意味は無い。事前情報はあれ、そこから外れないわけでもないし」


 そうだろう、と賛意を求めてフェリアを見ると、カシオンが思ったよりも些か曰く言い難い顔をして、少しばかり目を逸らし。


「そうあるものではないと思いますが……」

「そんなことはないだろう。ほら、地下道保全の話も結局コボルド達に黒竜だ」


 カシオンにしてみればドーンフォートに身を寄せて以降、少しそういった仕事をするたびにだ。

 しかし二人は中々肯んじず、どころかやんわりとカシオンの言を窘めるばかり。


「いいですか。普段からそうならどれだけの騒動が起きていると思うんですか。地下道だってここ10年ほどは問題も無かったから二人での調査だったんですよ」


 危険な調査であれば当然、それなりの人員を投入するものだ。そもそも地下道にしてもカシオンとフェリア程度には――卑しくも一つの学派を託される程度の術士と、名高い輝く者の愛子程度には――手練れた者で無ければ恐らく今頃もコボルド達は街の地下を根城にしていただろうし、黒竜の脅威も知られてすらいなかったかもしれない。


 しかしカシオンにも言い分はある。


「僕が師から伝え聞いた話をからすれば地下墳墓の調査をすれば蛇人間の陰謀にぶち当たるものだし、放棄された砦の財宝を探せば怪物に率いられた大軍勢と戦うハメになる。街を歩いていて目の前で人が死んだと思えば、その遺品を狙って悪党に狙われるものだ。それに比べれば少しばかり変なものが出てきたって」


 口元に翳されたフェリア手を受けて、カシオンは怪訝な顔をした。


「……ええと、いいですか? それは所謂武勇伝というもので、普段の話だと考えるのは無理があります」

「通常事前情報は役立つ。そう気を遣われる必要はない」

「そもそも輝く者に仕えてこの方、今回みたいな想定外なんて……そうですね。やはりこの間の黒竜騒ぎくらいです」


 はたと気付いた顔をしたフェリア、カシオンをまじまじ見る眼に些かの疑念あり。


「カシオン、あなたと行動をともにした時ばかりですよ」

「……僕が何かしたとでも?」

「そんなことは言っていませんが」


 呆れ顔に溜息一つ。


「たまにいるといいますよね、そう言う人」

「……卵に愛された者という」


 フェリアに同意するように、アネットが頷いた。卵に愛された者、即ち混乱と騒動の神格旧き卵の祝福受けたと語られるような、偶然と不合理から逃れがたき者。

 アネットのしみじみカシオンに向ける目にどこか慈しみ宿して見えるのは、どうやら彼女の知る中にもそういう類の者がいたからに他なるまい。


「自分の先代曰く、『大なり小なり騒動に巻き込まれる者は大成する星の下にある』という」


 肩に載せられた手と、力強い声にはうっかりと頷きたくなる説得力に満ちている。とはいえ、いやさお前はどういうものだと定められて受け入れていられるものか。


「待ってくれ。そんな、星だとかなんだとか――」


 と、カシオンが憤慨して声を荒げたところで、部屋の外で人気が騒いだ。床を重い靴音が叩き、この村の長が部屋へと乗り込んできた。

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