死霊術士、牢を出て講釈を述べる

 二人の求めた救いはさほど時を置かず訪れた。近付く足音の地下牢に反響も軽やかに、階段を降り来たったのは一人の神官少女である。

 駆け寄り一礼して迎え入れる牢番にご苦労様ですとセイレーンもかくやの美声を投げかけて、少女フェリア・アルテナータは牢の奥、カシオンへと目を向けた。彼が別れたときと同様手鎖を巻いて鉄格子の向こうに立っているのを見て取ると、フェリアは愁眉を開いて牢番に向き直る。くたびれたように右手を顔において、心未だ定かならずという風情。


「彼を解放します」


 内心はさておいて、その指示に頷いた牢番は速やかに錠を外し、鎖を解いてカシオンを鉄格子の外へと連れ出した。先ほどまで重い鎖に縛られていた腕を奇妙に踊らせて満足の笑みを浮かべたカシオンがありがとうと礼を口にしたのは本人にとってこそ言葉通りであろうが、牢番は口に塩を詰め込まれたような居心地の悪い表情を浮かべる他はない。


「それから、先ほどは余計なことを言ってすまない。あんたは立派に職分をまっとうしている。あれは差し出口も差し出口、一つのことだけ取って随分意地の悪い物言いをした。申し訳ない」


 口の中のものが塩から胡椒に変わった。いやに神妙な、とはいえ手鎖も解かれて囚人とも言えなくなって今更媚びの一つも売るような行為にはなんの意味もない。意味の判然としない唸り声で応じることが、今の牢番にできる最善の返事である。

 ところが当のカシオンは、自らの言葉に答えた牢番のその曖昧模糊たる返答はさして気にも留めず、そうだとフェリアを振り返る。


「それで思い出したが、アルテナータ司祭。どうやら僕が邪悪な死霊術士を自称したとの話が流れているらしい。心当たりはあるだろうか?」


 これはまったく名誉に関わる話であると憤懣やるかたなしの体裁だ。ともすればカシオンのみならず化物峠ホーンテッドパス一党の名を損ねかねない由々しき事態である。邪悪な死霊術士などと、そのように知れ渡れば自ら門戸を叩く者は無法者に宿無し、凶状持ちと知れている。何らかの奸計によって事実無根の噂が流されているとするならば、果たしていかなる勢力の仕業なすものか。まだ街に来て浅いカシオンではあるが、怪物峠の一党としては師メルフィウスの時代からの所縁もある。

 だがカシオンの思案を他所に、フェリアは牢番の顔を見てこの話の出所を合点する。ここに入ったカシオンに、他の情報源もありはすまい。


「カシオン、ごめんなさい!」


 勢い諸手を開いた謝罪を口にして、フェリアは牢番に向き直った。無論、フェリア・アルテナータは清廉潔白を旨とする輝く者善神に仕える者である。カシオンがそうと名乗った訳でもなく彼の自称を改竄して語るはその信仰の許すところではない。フェリアは小さく可愛らしい咳払いを二度ほど繰り返し、


「良いですか。この方は死霊術士ですが、とは言え悪しき行いに耽溺するような人物ではなく――」


 この間、フェリアは自らがこれから口にする言葉を検めようとカシオンを盗み見た。ともあれカシオンはその視線の意図にも無頓着に、悪しき行いなど成さぬという言葉に賛意を示して頷くのみだ。


「秩序を重んじ、己の規範を貫く者である。これは輝く者の神託にも現れています」


 神託がある、と言えばたいていの場合は即ちその事物に対する保証と考えていい。死霊術士と言えば無頼にして闇黒の知識に身を浸し死者を弄び生者からは命を奪い取る外道の輩で、数少ない人倫を弁えた風を装える連中が人類の文明圏に居を定め、悪ならじと認められるものはコカトリスの歯ほども珍しい無きに等しい。だがしかし、神託がそうであると告げたのであればこの死霊術士はコカトリスの歯なのだ。


「それは……申し訳ない」


 驚きと幾ばくかの謝意を以て、牢番は頭を低くした。この行いもまた奇特なものと言えるだろう。司祭フェリアの言ありといえども速やかに非を悔いて己の過てるを、目の前の意思の疎通に難のある論客に対して認めるとは。しかしながらその言葉、惜しいことにカシオンに届きはしていない。


「待ってくれ」


 声音一つ取っても断固とした決意を伺わせ、ピンと一本立てられた指はあたかも天上より打ち下ろされる無双武神の雷の如く。


「何故、僕が死霊術士の例外であるかのような物言いをする?」

「何故ってお前」


 牢番の目に浮かぶ疑念の色もまだはっきりと形になったとは言えぬ間に、間髪入れず、意志の火を燃やすカシオンの眼差しが牢番を射貫いた。訳の分からぬ戦意は牢番を狼狽えさせ、次いで射られたフェリアもまたカシオンの出方に気勢を削がれた。


「それはつまり、死霊術士は邪悪であるという見解に立脚した発言だろう。違うか」


 違うか――無論、違わない。


「待て。いいか、我らが司祭様の宣言だ。お前に悪心無しというのは認めよう。見上げたものだ。だがな、死霊術士。俺の見たことのある数少ない死霊術士で、私は悪党ではありませんなんて厚顔無恥にも宣う輩でさえも誰一人として"死霊術士"が悪ではないなんて馬鹿なことは言わなかったぞ」


 我が意を得たりとばかりにカシオンは諸手を広げ、力強く頷いた。今の発言のどこにカシオンを支えるものがあったものか、牢番のみならずフェリアもまた困惑を禁じ得ない。しかし、カシオンがそんな二人を分からぬままに捨て置くはずもない。


「その通り、死霊術士が悪でないなどと口にすることはないだろう。何しろ善も悪も、死霊術のわざには何一つ関係ないからだ。それは各々の死霊術士たちに帰すること。かのオグルル=ハが邪悪の頂点であるように、偉大なる英雄ケント卿が秩序と善の体現者であるように、僕は中立を保ち、あんたの見た連中は悪に堕した。それだけだ」


 その語ること一々尤も、などと誰が思おうものか。フェリアと牢番の視線は交錯した。カシオンに言わせっぱなしでいいかどうか、いいや勿論良くはない。


「カシオン・ホーンテッドパス」

「なんだろう」

「あなたには助けられた恩もあります。ともにあの苦境を乗り越えもしました」

「うん?」


 何の話を向けられたものやらのフェリアのある種唐突な語りに、意図せずカシオンの返事は間の抜けたお人好しの風を出す。

 そのとぼけた顔に笑ってご破算と行けば気楽なものを、しかしフェリアは息を整え、カシオンへの難詰を並べることにした。


「最終的には善悪は個人の行いによって決まるということ、それは認めます。

 、死霊術は悪です。

 死霊術の求めるところ、つまり生命を歪め、亡骸を弄び、魂を支配する、これらの行いはすなわちを為すことです」


 それが悪でなくてなんであろう。死者を辱め、思うままにすること、即ちそれを悪とするのはいかにも真っ当な物言いだ。

 正論による指弾を受けてカシオンはぐうの音も出ない、かと思えばさにあらず。


「それはどうだろうか。まず第一に、生命を歪めるという言葉の示す範囲が明確じゃない。確かに死霊術には生命力、オド、オルゴン、プラーナ、まあ何でも良いがそう言ったものを移し替えるものや生体から抜き出すものはある。しかしこれは優れた刃が傷を為し血を流させるのと同じことだ。刃が悪と呼ばれないのと同じように、ただそれだけで悪と呼ぶことはできないだろう。

 次に亡骸だが、こちらも申し訳ないが亡骸を弄ぶという言葉の範囲と、それが悪なる行いであるという根拠を提示してもらう必要があるだろう。死体を切り開き、有効活用することにかけては医学や人体工学、錬金術においても同様の行為が行われているがどれも悪とはされないだろう。言うまでもないことだが、平時において無断で死体を利用するのは悪なる行いであると認識している。

 そして何より魂を支配すると言うことだが」


 滔々立て板に水と捲し立て演出も充分に区切った言葉の、これぞ断言いやさ託宣と言わんばかりにカシオンは自信の威風を纏わせた。


「そのような邪悪な行いを為す者は正統の死霊術士ではない」


 あまりに堂々、自信満々に宣言されたその言葉に司祭も牢番も開いた口が塞がらない。まったく閉口するとはこのことで、どこからどうそんな言葉が飛び出したものか。

 呆気に取られていたのも束の間、一言二言輝く者の聖句を小さく呟いて自らを鼓舞したフェリアはなんとか、震える口を開くに至った。


「そんな詭弁が通るわけないでしょう! 死霊を操るから死霊術なんですよ!」

「司祭様の言うとおり、死霊術の達人と言えば死者の亡魂を操ると相場が決まってるもんだ。おまえ、いくらなんでもそれは」

「何か勘違いしているようだが」


 前提条件以下の稚拙な質問をぶつけられた学究の顔で、呆れかえったカシオンは眼を細めて肩をすくめて見せた。


「死霊術の本義は死と生にまたがって存在するの力を探求することにある。なるほど、確かに失われた魂を何らかの方法で繋ぎ止めて支配下に置き、このの力によって形を保てば亡魂を操ることはできるだろう」


 それこそ言われた通り悪なる死霊術ではないかと神官も牢番も敢えて口にはしないのは、まだこの死霊術士が何を言い出したものか、突飛を一つならずやらかされるのを警戒したからでもある。


「だが、魂を繋ぎ止めるのも支配下に置くのも死霊術の正道なんかじゃない。

 "輝く者"の信徒のうちに獣化症の者セリアンスロープの集落を焼き払った一団があるという話を聞いたことは?

 先年碧潭派の武僧が師殺しを為して僧院を出奔し、各地で暴虐の限りを尽くしたという話は?

 けれど"輝く者"への信仰も、碧潭派の武僧も、どちらも彼らと同じものだとは言われないだろう。

 それと同じことだ。邪道に堕ちた魂を縛る者バインダー達が死霊術と死霊術士のすべてだと、そう口にするのは恥ずべきことだ」


 我こそ死霊術士であり我が学派こそ死霊術であるとその正統性を訴えかける言葉に些かの臆するところもなく、のみならず世の認識こそ誤りであると喝破して、とうとうこの死霊術士は二人の善良な信仰者を黙らせしめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る