死霊術士、牢中に議論する

「いつまでここにいなければならないんだろうか……」


 重い手鎖をじゃらりと鳴らし、嘆いたカシオンが見上げるのはこの二日変わらぬ石造りの堅牢な天井だ。彼と外界とを隔てるものは鉄格子で、カシオンの後ろには一床のベッドと木桶があるのみ。すなわち一角の牢である。


 ドーンフォートと地下迷宮を繋ぐ大門に併設されたこの牢獄はそのかつての役割はともかく、今では街に騒ぎを持ち込んだ者をひととき繋ぎ止めるために使われている。

 とはいえ今ここにいるのはカシオンをおいては不機嫌な牢番が一人のみ。つまるところ、カシオンの言葉を聞くのもただ一人。


「いい加減に黙るんだな、死霊術士」


 その唯一の聴衆は、もう飽き飽きしたという顔でカシオンに沈黙を要求した。


「さもないと俺に呪いを掛けようとした咎がお前さんの罪状の一番下に付け加えられることになるぞ」

「何を言う!」


 牢番の言葉に、カシオンは手枷を鉄格子に叩きつけた。地下に殷々と響き渡る金属音に牢番のみならず原因たるカシオンまでも束の間怯み、無様を晒したとばつの悪そうな表情を見せ、照れ隠しに灰色髪をかきあげて咳払い一度で仕切り直した。


「僕があんたに呪いを掛けようとしただって? いいか、その認識はまるきり見当外れも良いところだ。他人に悪影響を与えるほどの呪い――実際に指すものが非常に不明瞭な言葉だが、とりあえずこのまま進めよう。あんたの言う呪いを我々学派魔術師が正確に行使しようと思えば音声の他に定められた所作が必要になる。ものによっては触媒もだ」


 カシオンは手鎖を掲げ、続けて牢番の後ろ、石壁にしつらえられた棚を指さした。そこには囚われ人の所持品一式が一定の規律の下に広げられている。というのはつまり、カシオンの持ち物がすべて詳らかにされているということだ。


「こうして縛り上げられている以上手と手の間は2インチを超えて離れることはないし、僕の触媒はあんたの同僚が取り上げてそこに並べた以上手元にはない。つまり、僕があんたに対して呪いを掛けることなんてできないのは明々白々だ!」


 不幸な聴き手が眉間に皺を寄せる間に、能弁な魔術師はしっかり息を整えた。


「よって僕があんたに呪いを掛けようとした事実などない。つまり、そのような罪状が付与されることなどありえない。それが正しい道理というものだ」


 死霊術士、それだけ口にすると満足げに頷いてみせる。いかほど当然の理とは言え、それを明らかに語り終えたという確信がその面に宿っている。

 しかしそれに反比例するかのように混迷を増すのが牢番の顔だ。その顔は目の前の狂人が何を得意満面語っているのか皆目見当もつかぬとこれ以上無いほどに能弁に語っている。いや、何もカシオンの語る『呪い方』というやつが分からないわけではないのだろう。分からないのはそこではないに違いない。


「おまえな」


 ようやっとのことで気力活力振り絞り、混迷混乱噛み砕いてどうにかこうにか苦り切った表情程度に納めた面を向けられて、カシオンは首を傾げて片眉を上げてみせる。さながら生徒が質問のために手を上げたのを見て、『おやおや一体何が分からなかったと言うのだろう。何もかもこんなにも明らかだというのに。ともあれ仕方が無い、どうぞ何でも聞いてくれ』と促す教師が如きの仕草である。


「自分の置かれてる立場が分かってるのか?」

「立場と言うと」

「アンデッドを街中に放った咎でここに押し込められているんだよお前は! それも自ら邪悪な死霊術士を名乗った以上、そう簡単に自由の身にはなれん」


 言われたカシオンは目を閉ざし、その顔には怪訝の色を浮かべる。牢番の彼の言葉を反芻し、唸り一つで眉を寄せ、それからそっと右手に二本の指を立てた。

 見開かれた眼は真ッ正面から牢番を射貫き、とはいえ牢番もこの務めには慣れたもの、一体どんな諂いを聞かせてくれるのかと大上段に構えてカシオンを見下ろした。


「あんたの二言にはそれぞれ間違いがある」

「あん?」


 カシオンにとっては当然至極の思考の行き先だが、牢番にとってはそうではない。呑み込みかねて漏れた言葉に意気揚々と頷いて、カシオンは持ち出された証言の瑕疵をその舌に載せる。


「まず第一にアンデッドを街に放ってなどいない。スケルトンを街に持ち込んだのは確かだが、最終的に鴉の貴婦人死女神の高司祭に引き渡している。第二に僕は邪悪な死霊術士などと名乗った覚えはない。故にあんたの言う立場というものは僕とはなんの関係もない」

 そしてこれらは、と胸を張って断言する。

「呪いについて誤解を解くこととも、なんの関係もない」


 誤りを正し、自明の帰結を導き出す。その達成感にまるきりこれで良しの体だが、しかし一方牢番はそうはいかない。

 そもそも掛け合いをすべきではない手合いというものがある。話が通じないというやつだ。牢番にとってのカシオンは紛れもなくその類に他ならない。

 だが人間、そう簡単に言葉でのやりとりを手放せるものか。一つ悪かったのは、牢番が目の前に突き出されたカシオンの意見に気を取られたことだ。


「最終的に鴉の高司祭様に引き渡そうが街に入らせたのは変わらんだろうが。それにお前の名乗りについてはアルテナータ司祭様が証言しているんだぞ」

「証言?」


 首を傾げるカシオンのその記憶のうちにはフェリアに邪悪な死霊術士を名乗った覚えもフェリアがそのように報告した覚えもない。勿論カシオンがこの牢に押し込められた後でフェリア・アルテナータ、輝く者の神官である彼女がそのような虚偽を報告したのであればそのように申し伝えられることもあるだろうが。


「いや、ないな」


 カシオンの断言はばっさり切り落とすが如し。なにもかの神官に全幅の信頼を置いているというわけではないが、さりとて無意味に偽証を口にする理由もないというカシオン一流の純朴な合理性とやらによる判断である。

 となれば牢番の言葉に誤りありと結論付けるのが妥当なところだ。とはいえ何も牢番が根も葉もない虚言を弄しているとも限らない。牢番の確信に満ちた言葉には、あえて偽りを口にしてカシオンを揶揄しようと言う意図よりもむしろくだらない言い逃れを批難する色の方が濃い。

 どちらも己の正しさを疑っていない。しかしながら当事者であるカシオンにとって自分こそが正しいということは疑いのないところ。傾げていた首を真っ直ぐまともにするまでの間に、カシオンの明晰な頭脳は一つの結論を導き出した。


「こう言ってはなんだが、詳細は確認しておいた方がいいだろう。差し出口を挟むようだが、意思疎通がうまくいっていないのでは?」


 要するに正確な情報をもらっていないのではないかねキミ、と言うわけだ。

 したり顔のその言葉に、牢番が顔を背けるのでやっとだったのも無理はない。ただ今誰より意思の疎通とやらが上手くいっていないのはカシオンなのだが、知らぬは本人ばかりなり。だがもうここまでのやりとりで牢番にもようやく分かった。この死霊術士にそれを教えようというのは赤竜に清貧を説くようなものと、牢番はそのまま眉間に皺を寄せ口を閉ざした。


 余計な口を利くのではなかったと牢番が悔いたのも宜なるかな。おおよそ留置された囚われ人たるもの、それが一時の虜囚の身の上であろうと牢番の顔色を伺うのが筋というもの。いやいや議会の商家のと何かしらを後ろ盾と心得た不心得者こそ牢番に背こうものの、カシオンはその類の人間ではなかった。よくあるまともな囚人としか見えなかったのが運の尽き。平均的囚人のつもりで少し黙らせようとしたところが、まさか滔々語り出すとは思いもつかぬことである。


 束の間、沈黙の帳が地下牢に降りた。


 あえて口を開かなければカシオンもまた余計な口を利くこともあるまいとの牢番の思惑は、少なくとも一時は企図通りとなった。

 いや、果たしてそんな思惑などあったものか。小理屈をこねればそのようにもなるだろうが、結局のところは牢番が奇人との交流を諦めただけに他ならない。

 だいいち死霊術士が口を閉ざしていられたのは束の間だ。無言を通す牢番を、遠慮会釈の欠片もない視線で上から下まで睨め回し、その隔意明らかな表情に注視したのち沈黙を破った。

「なあ、あんた」

「黙っていろ。少なくともしばらくは」

 切り返しは燕の返るが如し。舌鋒鋭く投げつけるかのような拒絶の声は、カシオンの口に上から蓋を載せに掛かる。あまりの勢いにさしものカシオンも眼を白黒、一度は言葉を呑み込んだ。

 呑み込んだはいいもののそのまま腹の中で消化はしかねるとの面持ちで、カシオンはもう一度口を開く。

「いや、その」

「頼む、しばらく静かにしてくれ。誰か降りてくるまでだ」

 一言目を口にしたかどうか、間髪を入れずに牢番の返事が飛んでくる。カシオン、これは仕方あるまいと口を噤む。元よりカシオンにもこの牢番を不快にさせる意図はない。

 カシオンがむっつりと唇を引き結んだのを見て、牢番は安堵の一息に胸を撫で下ろし、疲れを面に首を振る。


「安心しろ。この昼にも審理を終える予定だ。何にせよあと……」

 言葉を途切れさせ、天井を仰いだのは牢番自身もカシオンとの七面倒なやりとりでどれだけの暇を潰したのか定かならなかったからだ。

「1時間もあれば誰か来るだろう」


 カシオンが頷いたのを見ると牢番の肩から僅かに力も抜け、牢から少し離れた壁龕の、いささか古びてはいるものの造りの良い椅子へと腰掛けた。本来ならば椅子は牢に向けて置いておくものだが、それを軋ませながら返して向けたのはカシオンの所持品を並べた棚である。


 ようやく戻った静けさの、しかしこれでなかなか無言を貫き相知らぬふりも難しい。焦れるように互いが互いを気に掛けながら、いずれ訪れる救い即ち階上から訪れる人を待ちわびた。


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