京都霊山護国神社

 今回は明治維新の英霊が祀られる京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)を紹介しましょう。

 Fateが好きな人なら、英霊と言う言葉に反応しそうですね。


 ここは知っている人も多いんじゃないでしょうか。

 坂本龍馬のお墓がある所と言えば思い付くでしょう。

 東大路通から高台寺に行く道の所に大きな石の鳥居がありますが、それも護国神社の鳥居です。

 そこから護国神社までは維新の道と言う名前が付いているほどです。


 ここの神社は特殊な神社で、最初は霊山官祭招魂社と呼ばれていました。

 この招魂社と言うのが重要なのです。

 1809年に村上都愷(むらかみくにやす)と言う人が、菊理姫神、速玉男命、事解男命の三神を祭神として霊明神社を建立し、その後、幕末の動乱で亡くなった尊王攘夷の志士が祀られるようになりました。

 1868年、明治天皇が誕生すると、明治維新で亡くなった侍たちを祀るように詔を発せられ、長州や土佐などの諸藩と公家が賛同して新しく神社を創建しました。それが霊山官祭招魂社なのです。

 そして、第二次世界大戦が始まると京都霊山護国神社に改称し、護国神社制度が制定され、全国に護国神社が建立されました。

 その1つが靖国神社なのです。

 護国神社には、日清戦争、日露戦争、日中戦争、太平洋戦争の犠牲者が英霊として祀られ、京都だけでもこれまでに祀られた英霊は73000柱以上にのぼります。


 明治維新での英霊は1356柱になります。

 主な英霊は、安政の大獄の梁川星巌、頼三樹三郎、梅田雲浜、月照。

 天誅組の変の中山忠光、吉村寅太郎。

 生野の変の平野国臣。

 蛤御門の変の久坂玄瑞、来島又兵衛、入江久一、寺島忠三郎。

 池田屋事件の吉田稔麿、宮部鼎蔵。

 近江屋事件の坂本龍馬、中岡慎太郎。他に桂小五郎と妻の幾松。

 大半が亡骸と共に墓が造られています。


 大日本帝国以降、京都の連隊は、第四師団下の第三十八連隊があり、その後、第十六師団が増設されています。

 日清戦争にも京都から派兵させていますが、この時は戦死者は出ていませんでした。

 日露戦争の二○三高地攻撃、満州事変、日中戦争、フィリピン島、トラック諸島、硫黄島に、京都から派兵され多くの戦死者が出ました。


 境内には坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像が建てられ、11月15日の命日には龍馬祭が行われて毎年沢山の人が墓参りに行列を作っています。

 坂本龍馬と中岡慎太郎、それと藤吉の亡骸は、暗殺現場の近江屋から、海援隊と龍馬を指示していた者たちが葬列を組んで当時の霊明神社まで運ばれました。

 そして木戸孝允(桂小五郎)が立派な墓を造り、自ら墓名を揮毫しています。

 

 また、側には幕末維新ミュージアム霊山歴史館が併設されています。

 昭和45年(1970)に全国に先駆けて明治維新史の専門博物館として開館しました。

 幕末維新史を倒幕派と佐幕派の双方からの視点で研究し、5000点を超える収集資料から毎回100点ほどを選んで展示されています。

 それぞれに詳しい解説がされているので、幕末好きにはよだれが出るほど大興奮のミュージアムとなっているのです。

 一度行かれてはどうでしょうか。

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