知恩院
今回は知恩院(ちおんいん)を紹介しましょう。(京都の人は、ちおいん、と呼びます)
正式には華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざんちおんきょういんおおたにでら)と言います。
全国7000カ寺以上ある浄土宗の総本山です。
平安末期の1175年、浄土宗の宗祖法然さんは、修行をした比叡山の黒谷と言う所から降りた後、京都大学の東側にある吉田山に住みます。
これが幕末の新撰組結成で有名な金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)で、法然さんが比叡山の黒谷から来た事から、ここも通称で黒谷と呼ばれるようになりました。
その後すぐに、今度は祇園の近くの吉水(よしみず)と言う所に草庵を建ててそこに移って念仏道場にします。
鎌倉時代になって、法然さんの念仏は他宗からの批判が高まり、しまいには朝廷や幕府から念仏の停止命令が出て、土佐に流罪になります。
これが1207年の承元の法難と言います。
1211年、法然さんはやっと都に戻る事が許されたのですが、吉水の草庵は荒れ果てていたので、隣の青蓮院と言う他宗のお寺から大谷僧坊と言う所をもらって住持しました。
1年後の1212年、法然さんが亡くなると門弟たちがそこに廟堂を建てました。
ところが1227年、比叡山の僧兵が念仏の停止を訴えながら襲撃し、廟堂が破壊されて法然さんの遺骸を掘り起こして鴨川に流そうとしました。
この時、京都の守護だった北条時氏(ほうじょうときうじ)が争いを収めました。
これを嘉禄の法難と言います。
門弟たちは再襲撃を恐れて、京都の南西にある粟生光明寺(あおこうみょうじ)に法然さんの遺骸を移して、そこで荼毘(火葬)に付したと言われます。
粟生光明寺には遺骸を運んだ大きな石棺や、荼毘に付した遺跡がまだ残っています。
1234年、法然さんの弟子だった源智さんは大谷の廟堂を建て直し、仏殿や御影堂を建立しました。
そして法然さんを開山(そのお寺の最初の住職)にして知恩院大谷寺と名付けました。
1602年に徳川家康のお母さんが亡くなると、知恩院で葬儀が行われました。
そこから徳川家は浄土宗に帰依して、知恩院の大伽藍を整えて行く事になるのです。
しかも、後陽成天皇の第八皇子で直輔親王が家康の猶子(ゆうし、親子関係になる事)になり、良純法親王となって知恩院に入る事になります。(これ以降、知恩院は門跡寺院に列せられる)
しかし、良純法親王は幕府の待遇に不満を言い出して素行が悪くなり、甲斐国のお寺に幽閉される事になりました。
これは徳川家の朝廷に対する圧迫が原因であると思います。この頃、徳川幕府は朝廷や公家を弱体化させようと、娘を入内(じゅだい、嫁入りの事)させたりして色々なちょっかいをしていますからね。
知恩院に訪れると、まず最初に驚くのが巨大な三門です。
徳川秀忠が寄進した日本最大の三門でして、高さが24m幅が30mほどあり、左右の階段も入れると50mもあります。
三門とは三つの扉からなる門の事で、三解脱門(さんげだつもん)とも言います。
それぞれの門に意味があって、空門、無相門、無願門と言う三つの境地を通って極楽浄土に行きましょうと言う事なのです。
知恩院三門は五間三戸二重門と言う形式で、柱の間が5つあって真ん中の3つが扉になっています。
左右の階段から2階に登る事が出来て、そこには釈迦如来像と十六羅漢像が安置されています。
様式としては禅宗様式の門なのですが、なぜわざわざこんなに巨大な門を造ったかと言うと、2階に登って都を監視する役目を担っていたと言われ、そして京都の街衆に徳川の権力を見せびらかすためだと言われます。
2階からの眺望は素晴らしい物で、丁度、京都御所が目の前に見えます。
ですから、二条城と知恩院で東西から御所を監視していたのです。
それに東海道の終点に位置していますから、街道を通る人たちも監視する事が出来ます。
そして門の回りは石垣で囲われていて、まるでお城の中に迷い込んだかのようになっています。
城構えと言って、徳川幕府が有事の時に知恩院を砦として使う事を想定して造られていました。
現に北側にある黒門と言う小さい方の門を潜ると、城の通路のようにかくかく曲がっていて、壁には狭間(さま、弓矢や鉄砲で狙う穴)のような格子窓まで造られています。
三門を潜って急な石段を登ると大伽藍が姿を見せます。
この急な石段を男坂と言い、三門の南側の緩やかな坂を女坂と言います。
おそらく女坂の方は輿や馬でも通れるようになっているのでしょう。
徳川家光が寄進した御影堂(みえいどう)は大殿(だいでん)とも言いますが、木造建築では日本で十本の指に入るくらいの大きさです。
中は内陣と外陣に分かれていて、外陣は畳が敷かれていて、3000人が一度に座る事が出来ます。
内陣には法然さんの御影(木像)が安置される厨子(ずし、仏壇と思って下さい)があります。
屋根の上を眺めると左右に鬼瓦がありますが、なんと国内最大の鬼瓦らしく、高さ227㎝幅294㎝で重量が930㎏もあるんだそうです。
そこからちょっと目を移すと、瓦が積み残したような所があるんですが、これはわざと残してあるらしく、何事も完成すると下がって行く一方なので、未完成で留めておくと言う粋な計らいからそうされています。
御影堂の回りには鴬張りの回廊が巡らされていて、阿弥陀堂、庫裏、書院などに繋がっていて、まるで貴族の御屋敷のようになっています。
それもその筈で、江戸時代に入ってからは皇族方が入寺したので、その方々が住まう場所になっていました。
狩野派の襖絵や小堀遠州の庭など、絢爛豪華に設えられていて、それが今でもきっちり残されています。
知恩院には七不思議と呼ばれる物があります。
まあ、清水寺とか大寺院には必ずあるのですが。
ここ、知恩院では7つと言わず十数個あるらしいです。
全部紹介していたらきりがないので、いくつか紹介しましょう。
御影堂の東南の庇の梁に、昔の和傘が引っかかっています。
これは江戸時代の名工、左甚五郎(ひだりじんごろう)が魔除けのために置いたとか、白狐の化身で濡髪童子(ぬれがみどうじ)と言う妖怪が置いたとか言われています。
やはり傘が水に関係する事から、火災除けのために置かれたと思われます。
三門の2階には白木の棺が置かれているそうです。
この三門は五味金右衛門豊直(ごみきんうえもんとよなお)と言う大工によって造られたのですが、予算がオーバーしたため幕府から責められて夫婦して自刃し、自ら造った木像を白木の棺に入れて三門に安置したと言われています。
でも予算オーバーは口実で、本当は城郭として造られた知恩院の構造を秘密にするために殺されたと言われています。
大方丈の入口に長さ250㎝の大柄杓(おおひしゃく)が置かれています。
阿弥陀様の大きな慈悲で多くの衆生を救済するために置かれているみたいですが、なんと大坂夏の陣の時に真田十勇士の1人で三好清海入道(三好政康)と言う人が、この大柄杓で何千人もの兵士の飯を炊いたとか、しまいにはこの大柄杓で敵に立ち向かったと言う伝説があります。
黒門の前の道の真ん中に瓜生石(うりゅうせき)と言う岩石が柵で囲われている所があります。
平安時代はこの辺りも八坂神社の敷地でして、この石を割って蔓が伸びて来て、一夜にして大きな瓜が実り、牛頭天王の文字が浮かび上がって、直後に牛頭天王が降臨したと言う石だそうです。
ですから八坂神社の紋は木瓜紋(もっこうもん)別名、五瓜に唐花紋(ごかにからはなもん)なのだそうで、このせいで祇園祭の際に氏子たちはキュウリを食べないんだそうです。
これも諸説あって、本当はキュウリではなくマクワウリなのだそうです。
マクワウリの断面が八坂神社の神紋に似ている事からウリを食べないになって、キュウリは断面が葵の紋に似ているから知恩院では食べないとなって、そのうち混同されて祇園祭でキュウリは食べないになってしまったと言われています。
それから瓜生石の下には、二条城と通じる抜け穴があるともされています。
知恩院には日本で2番目の大きさの大梵鐘があります。
一番大きいのは方広寺の件で紹介した国家安康の鐘ですよね。
方広寺の鐘は80tありますが、知恩院の鐘も70tあります。
江戸時代、この鐘を吊るす鉄の輪っかの部分を、耐久力のある輪っかが造れなくて困っていました。
そんな時、刀匠の正宗と村正が偶然通りかかって、耐久力抜群の輪っかを造って去って行ったそうです。
大晦日になると、この知恩院の鐘は除夜の鐘の中継でいつもニュースに出てきますよね。
鐘は108回撞きますが、これには意味があります。
煩悩の数でして、眼、耳、鼻、舌、身、意の六根と、好、悪、平、の区別と、浄、染の区別と、前世、現世、来世の生まれ変わり、これらを掛け合わせて108になるのです。
6×3×2×3=108と言う具合です。
これはちょっと覚えるのが大変ですね。
あと、知恩院の敷地には友禅染の祖と言う、宮崎友禅斎が住んでいたと言う屋敷が再現された庭があります。
江戸時代中期、尾形光琳の画風を学んで扇に絵を描いていて、それが評判になって友禅扇と呼ばれました。
そこで着物の柄にも手を伸ばして評判になって行きます。
そして友禅染が一大ブランドになって今日まで残ったと言う事です。
ですから、友禅染の技法で糊を輪郭線に乗せて囲った内側を様々な色で染色して行く技法は、友禅さんが生まれる前からあったと言う事です。
友禅さんの図柄とこの技法が合致して、いつしかこの技法自体が友禅と呼ばれるようになりました。
長くなりましたが、特別公開の時は見る所が満載のお寺なので、ぜひ行ってみてください。
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