八坂神社、祇園祭

 今書いているのが7月17日で、折しも祇園祭ですから、八坂神社を紹介しましょう。


 八坂神社と言えば日本人なら誰しもが知っている祇園祭ですよね。

 では、祇園祭がどういう経緯でやられる様になったかを説明したいと思います。


 事の発端は都が平城京から長岡京に遷都される時まで遡ります。

 この時に桓武天皇は、長岡京の造営宮使(造営の責任者)に藤原種継(ふじわらのたねつぐ)と言う人を任命していたんですが、延暦4年(785)長岡京の造営中に矢で射られて殺されてしまいます。

 犯人として大伴竹良、大伴継人、佐伯高成など十数名が捕まりましたが、首謀者として桓武天皇の弟で立太子までされていた早良親王(さわらしんのう)と言う人物に当たりました。


 当然、早良親王は捕らえられます。その理由が桓武天皇に対する謀反と言う事なんです。

 当時、桓武天皇と藤原種継たちは腐敗する南都仏教から何とか逃れる政策をとっていて、その一環で長岡京への遷都を行っているのです。

 早良親王は立太子されるまで東大寺の僧侶として活動していて、立太子されてからも南都仏教と深い関わりがありました。

 そのために、南都仏教から遠ざかる政策をとっていた藤原種継を、暗殺する計画を企てたと疑われたのです。


 これには桓武天皇が自分の幼い第一皇子の安殿親王(あてしんのう)を、皇太子にしようと言う企てがあったとも言われています。


 早良親王は乙訓寺と言う所に幽閉されましたが、その後も絶食をして無実を訴えました。

 淡路島に流罪が決まって、その道中に憤死(怒り狂って死ぬ事)し、亡骸はそのまま淡路に葬られました。


 これで事は治まりません。

 この後、長岡京では疫病が流行って洪水が起こり、皇太子の安殿親王が病気になり、皇后藤原旅子、生母高野新笠、藤原乙牟漏、他にも数名が相次いで病死しました。

 これには桓武天皇も早良親王の祟りと思う様になり、延暦19年(800)祟りを恐れた桓武天皇は、早良親王に崇道天皇と言う諡号を与えて、遺体を淡路から大和に移しました。


 次の平城天皇(安殿親王)はよっぽど怖かったのか、806年、天皇に即位した時に、春日大社に崇道天皇社を建立しています。

 これは全国にある御霊神社の一つで、その中心になっている神社が京都の上御霊神社です。


 貞観5年(863)記録上最初に確認される御霊会が神泉苑(皇族専用の庭園)で開催されます。

 これは御霊会と言われて、今迄に政治の闇に葬られて憤死して行った者たちの怨霊を鎮めるために行われたお祭りで、疫病や天災が起こるのは怨霊の祟りのせいだと信じられていたため、怨霊を祀り上げて逆に天下安寧を願ってもらおうと言う試みなのです。

 その頃の日本は疫病や大地震が発生していて、日本中の人々は早良親王の祟りだと騒いでいました。

 そこで、早良親王や藤原広嗣、井上皇后など、それまでに怨霊と思われる者たちは上御霊神社に祀られました。


 御霊信仰のお祭りが、なんでスサノオを祀る八坂神社と関係があるかと言うと、この御霊会が行われる少し前に、姫路と京都で強い地震があって、かなりの犠牲者が発生しました。

 そこで姫路にある廣峯神社から牛頭天王(スサノオ)を京都に勧請(神仏を分けてもらって鎮座してもらう事)して、地震を鎮めようと言う試みがありました。

 廣峯神社は断層の端っこに建っている神社で、昔から地震を鎮める神社として知られていたんです。

 それを京都の花折断層と言う巨大断層の南端の八坂の地に鎮座させて、地震を鎮めようとしたんですね。

 昔の人も地震が断層で発生する事は理解していたのです。


 そしてそれが御霊会の時に、特別に牛頭天王の威厳で持って災害を退けてもらおうと、コラボして祭りを行ったんです。

 それはやはり、牛頭天王が大地の神であり疫病封じの神であるのが大きいと思います。

 ここで祇園御霊会と言う言い方が出てきます。


 そしてこの祭りが大々的に行われるようになったのが、貞観11年の東北貞観大地震です。この前の3.11の東北大震災と全く同じ地震です。

 この時の多大な犠牲者と、未だに続く強烈な疫病を封じるために、全国66か国から鉾を立てて持って来させ、京の都で祇園御霊会を済ませて、鴨川へ流してしまうと言うお祭りが開催されたのです。

 鉾には悪霊を引き付けると信じられていたので、鉾を持って歩かせたのです。


 その鉾がのちに山車(だし)となり、祇園祭に引き継がれていきました。

 長刀鉾の屋根の先端に付けられている薙刀が鉾の名残りです。

 今の形態になったのは室町時代と言われています。

 その頃の町衆、特に豪商が贅を尽くして山鉾を飾り立てて行きました。

 それが全盛となったのは信長と秀吉の時代です。

 傾奇者だった信長にあやかって、南蛮渡来の絨毯を飾り付けたり、山車を巨大にしたりしていきました。

 江戸時代には三井財閥の前身の越後屋(「そちも悪よのう」の越後屋かどうかは解りません)が先頭になって祇園祭を盛り立ててくれています。


 火災などでなくなって、現在では34基の山鉾が残っています。(最近復興した山鉾もあります)

 7月17日の神幸祭(前の祭さきのまつり)と7月24日の還幸祭(後の祭)に分かれて、お昼に山鉾が街中を巡行して都を清めます。夕方からは八坂神社の3基の巨大な神輿が練り歩きます。すなわち山鉾巡行は神輿が通る所を清めているのです。

 神幸祭の時の神輿は八坂神社を出て四条寺町の御旅所まで行くのですが、そこら中を練り歩いてけっきょく御旅所に納まるのは深夜2時ごろになります。

 ですから神幸祭と還神祭の時は1日中交通規制が張られているのです。





 ここで、すこし不思議に思っている人がいるのではないでしょうか。八坂神社の祭神はスサノオではなかったかと。

 実は、八坂神社と命名されたのは明治に入ってからなのです。

 それまでは祇園感神院とか祇園社と呼ばれていて、神仏習合の信仰形態だったのです。

 神仏習合とは、神社とお寺が混ざった状態の事で、祇園社の中には神社だけではなく、天台宗や法相宗のお寺が乱立していました。


 それが明治に入ると、神仏分離令と言う法律が出来て、祇園社からはお寺が立ち退かされ、名前も祇園社から八坂神社に変更させられました。

 そして祭神までもが、牛頭天王からスサノオに変えられたのです。

 まあそれでも、昔から牛頭天王とスサノオは同じものと考えられていたんですが。

 祇園社の時は、中座・牛頭天王、西座・頗梨采女(はりさいじょ)、東座・八王子です。

 今の八坂神社では、中座・素戔嗚尊、東座・櫛稲田姫命(くしなだひめみこと)、西座・八柱御子神(やはしらのみこがみ)となっています。

 西と東の鎮座の仕方も違っていますね。




 実は、京都には古代の祇園祭の形態もしっかり残されているのです。

 八坂神社の北側に、粟田神社と言う所があるのですが、この神社のお祭りが、祇園御霊会の時にしていた鉾を担いで歩き回る形態をそのまま踏襲しているのです。

 平安時代に八坂神社で一時期お祭りが出来なかった時期があったのですが、その代替えとして粟田神社で祇園御霊会をしたのが始まりみたいです。

 重さが50㎏以上で長さが8mほどある鉾を、腰紐に立てて歩きます。

 正確には剣鉾と言うのですが、先端が菱形に広がった剣の形になっていて、その剣のすぐ下の左右に鈴が取り付けてあって、歩くたびに薄い金属で出来た剣鉾が前後にしなって、鈴がシャリシャリなります。

 勘のいい人は解るでしょう。そうです、男性の物をイメージされているのです。

 今残されているのは6本の鉾ですが、現在も鉾を担いで町内を練り歩いています。

 粟田祭は10月の体育の日に行われるお祭りなので、一度見に行かれてはいかがでしょうか。



 それと追加ですが、なんと2020年12月に八坂神社の本殿が国宝になりました。

 本殿は日本で唯一無二の本殿建築だそうで、八坂造りとも言います。

 最初に小さな社が建っていて、それを覆うように屋根や廊下が増築されていき、今の大きな本殿になったと言われます。

 とても複雑な建物なのですが、江戸初期に火災で焼失し、1654年に4代将軍徳川家綱によって元の建築のままに再建されたようです。しかし祭壇の設えなどはより豪華になっています。

 そして、なんとこの本殿の真下には隠された池があると言われます。

 なぜ池の真上に本殿を建てたかと言うと、清らかな池の水で疫病を洗い清めてもらうためなのです。

 昔は疫病が頻繁に流行していましたから、そのたびに祇園社の牛頭天王に祈りを捧げていて、その都度、社を増築したと言われています。

 それほど大事な社だったんですね。

 今ではまさかコロナが大流行するなんて全世界の人々が夢にも思っていなかったでしょうが、八坂神社の御神徳を今一度信じてみるのもいいかもしれません。


 もしかしたらここ数年、祇園祭の稚児がキリスト教系の家庭から選ばれていたのが、八坂の神の立腹を招いたとか?

 考えすぎか。

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