吉田神社、宗忠神社

 今回は吉田神社です。

 あまり馴染みがないかもしれませんが、日本の神道界では超有名な神社でして、ひいては現在の新興宗教にも影響を与えています。


 吉田神社の始まりは平安中期859年の事で、現在の吉田神社の西側、丁度京都大学の総合人間学部キャンパスの所に、公家の藤原山陰(ふじわらのやまかげ)と言う人の邸宅があり、山陰が裏山の神楽岡に春日大社の神様を勧請して建立したのが吉田神社なのです。

 祭神は第一殿が建御賀豆知命(たけみかづちのみこと)第二殿が伊波比主命(いはいぬしのみこと)第三殿が天之子八根命(あめのこやねのみこと)第四殿が比売神(ひめがみ)と、春日大社の四柱と同じです。

 ですから、本殿の形式も春日造と言って、春日大社の本殿と同じ形をしています。

 神楽岡は吉田山とも言いますが、丁度平安京の北東で鬼門に当たる事から、山陰は鬼門封じに春日の神を勧請したと言われます。


 節分祭はこの吉田神社が発祥と言われ、鬼やらいと言う儀式を今でも節分の時に行っています。

 鬼やらいは追儺式(ついなしき)とも言い、3匹の鬼(疫神)に扮した人を、方相氏(ほうそうし)と言う四ツ目の異形の神に扮した人(大舎人、おおとねり)が追い払う行事です。

 これもまた疫病退散の祭なのです。

 本来は宮中で大晦日の行事として行われていましたが、室町時代になると宮中以外でもやられるようになりました。その最初が吉田神社と言われるのです。

 鬼を追い払う時も、最初は桃の木で作った弓で葦の矢を射て追い払っていましたが、民間行事になるとその代わりに炒り豆が使われるようになりました。

 炒り豆は魔を滅するに繋がると言う理由からです。

 柊に鰯の頭も、最初はボラの頭を使っていたみたいです。

 どちらにしろ、鬼はトゲトゲが嫌いで、魚の匂いが大嫌いらしいのです。

 ですから吉田神社の節分祭でも、屋台で鰯を焼く店が多数出ています。

 吉田神社の参道は京都大学のど真ん中ですから、節分の時は大学中が鰯の焼いた匂いで充満しているのです。


 京都の節分祭では四方参りと言う参拝の仕方をします。

 北東の吉田神社から始まり、南東の八坂神社、南西の壬生寺、北西の北野天満宮と京都の四隅を廻るのです。

 鬼は北東の吉田神社に現れて、八坂神社に逃げて行き、壬生寺にまた逃げ、最後に北野天満宮に逃れて、北野天満宮の福部社と言う末社に封じ込められるんだそうです。

 ですから四方参りの際は、北野天満宮参拝後、境内の福部社のお参りを忘れないようにしましょう。


 また、吉田神社には本殿より大事な末社が存在します。

 斎場所大元宮(さいじょうしょだいげんぐう)と言うその末社は、室町中期1484年に、吉田兼倶(よしだかねとも)と言う神官が建立しました。

 中央の八角形の本殿に虚無大元尊神(そらなきおおもとみことがみ)を中心にして、周りに八百万の神(やおよろずのかみ)である全国の式内神(しきないじん)3132座を祀って、その奥にある東神明社に天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、西神明社に豊宇氣比売神(とようけひめのかみ)を祀っています。

 即ち日本の全ての神がここに集結させられているのです。

 八角形の本殿は全国でもここだけで、八角入母屋造で茅葺屋根になっています。

 屋根飾りの前方の千木(ちぎ)は外側を尖らした内削ぎ、後方の千木は内側を尖らした外削ぎになっています。前方の勝男木(かつおぎ)は丸材を3本束ねた3つの勝男木、後方は角材を2本くっ付けた2つの勝男木です。

 そして真ん中に仏教的な宝珠を冠してあって、非常にユニークな形をしています。

 この大元宮の創建には足利義政の正室である日野富子が寄進したと言われています。


 吉田兼倶は吉田神社の神官でしたが、神社に伝わる神本仏迹(しんぽんぶっしゃく)と言う教えを真の宗教と主張して、唯一宗源神道(ゆいいつそうげんしんとう)とし、吉田神道を樹立したのです。

 吉田神道は神仏習合と言う概念、神は仏の仮の姿であると言う解釈(本地垂迹、ほんじすいじゃく)から、仏は神の仮の姿とする神本仏迹と言う考えを前面に打ち出し、陰陽道、道教、儒教を取り入れて、日本古来の惟神(かんながら)の道こそが森羅万象の根源であると説きました。

 その中心にいるのが虚無大元尊神なのです。


 こうした思想は元寇以来の神国思想から発展しており、兼倶はこうした思想を時の天皇の後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)に教示して、朝廷や幕府の信頼を得て行きました。

 そして、神祇管領長上(じんぎかんれいちょうじょう)と言う役職を得て、全国の神社を管理し、神位の授与も行いました。

 以来幕末まで全国の神社の総帥として君臨し、日本の神道形態を形作って行きました。

 明治時代に入り神仏分離令が発令されると、吉田神道も解体され、神祇管領長上もなくされ、代わりに明治政府が神道事務局を設立しました。


 吉田氏は元々、卜部氏(うらべし)から派生しています。

 卜部氏は朝廷に仕えて、亀卜(きぼく)と言う亀の甲羅を焼いて割れた形を見て吉凶を判断する占いをしていた家系です。

 平安時代に吉田神社の社家となり、苗字も吉田に変更しました。

 大元宮も元々は卜部氏の邸宅にあった物を吉田神社に移したと言われています。



 吉田神社の境内の横に、宗忠神社(むねただじんじゃ)と言う神社が存在します。

 ここは普通の神社ではなく、黒住教(くろずみきょう)と言う宗教の施設でもあります。

 黒住教とは幕末の新興宗教の1つで、黒住宗忠と言う人が、天照大御神と八百萬神を信奉して立教しました。

 宗忠は1780年に備前国(岡山県)の神職の家に生まれました。

 今村宮と言う神社の神職を継ぎましたが、1812年に両親を亡くし、自分も病気になります。

 1814年には、冬至の日の出を拝んで天照太神と同魂同体になる霊験(これを天命直授と言う)を得て、病気が完治すると言う体験をしました。

 それ以来、神人合一を説き、天命(太陽神)を中心として、人心をその分霊とする教義を唱え始めました。

 そしてここが不思議なのですが、赤木忠春と言う盲目の高弟の1人が京都で布教活動をし、1856年に吉田神社の神祇管領長上から宗忠大明神の神号をもらって神道一派に入っています。

 1862年には吉田神社の横に宗忠神社を創建し、1866年には孝明天皇が唯一認めた勅願所(自分専用の祈りの場)にもなり、公家などにも黒住教が広がって行きます。

 ただ、赤木忠春は1864年に破門されて、尊王攘夷派の志士になって翌年には死んでいます。(資料が少ないのでよく解らない)

 明治になって1872年には神道から独立し神道黒住派となり、1882には黒住教を名乗っています。


 この黒住教は、天理教と金光教とで幕末三大新宗教の1つとされています。(3つとも考え方が非常にファンタジー)

 幕末にはこうした新神道が増えた時代でした。

 今では神道十三派が形成されています。

 神道事務局から派生した「神道本局」。

 「神道修成派」。

 出雲大社から派生した「大社教」。

 富士信仰から派生した「扶桑教」と「実行教」。

 「神習教」。

 「大成教」。

 御嶽信仰の「御嶽教」ここまでは普通の神道です。

 黒住宗忠が起こした「黒住教」。

 井上正鐵(いのうえまさかね)が起こした「禊教」。

 佐野経彦が起こした「神理教」。

 赤沢文治が起こした「金光教」。

 中山みきが起こした「天理教」これらを合わせて神道十三派と言います。

 ですが、中にはおよそ神道とは言い難い宗教も含まれていますがね。


 神仏分離令のおかげで、明治から昭和にかけて新興宗教が爆発的に増えて行きました。

 こう言う現象はおそらく日本だけだと思います。

 信者が多い順に挙げていくと、日蓮正宗の法華講から派生した「創価学会」3000万人。

 仏教、キリスト教、イスラム教、ギリシャ神話、インカ神話などあらゆる宗教を融合する「幸福の科学」1100万人。

 法華経を信奉する「立正佼成会」323万人。

 日蓮正宗法華講から派生した「顕正会」150万人。

 法華経の菩薩行を実践する「霊友会」141万人。

 日蓮宗を基礎にして、明治神宮、伊勢神宮、靖国神社と関係を持つ「佛所護念会教団」129万人。

 日本神話から独自に生み出した天理王命(てんりおうのみこと)を信奉する「天理教」119万人。

 宇宙全体の神である大元霊(みおやおおかみ、だいげんれい)を信奉する「パーフェクトリバティー(PL)教団」94万人。

 涅槃経を根本にする「真如苑」90万人。

 世界真光文明教団から後継者争いで分派した「崇教真光、すうきょうまひかり」80万人。

 大山ねず命(おおやまねずのみこと)を信奉する「大山ねず命神示教会」(大山祇神、おおやまつみのかみ、とは全く関係がない)80万人。

 大本(おおもと)から派生した「世界救世教」80万人。

 霊友会から派生した「妙智会教団」70万人。

 神道、仏教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、を融合した「生長の家」60万人。

 朝鮮半島のキリスト教が日本に来た「世界基督教統一神霊協会、せかいきりすときょうとういつしんれいきょうかい」(現在は、世界平和統一家庭連合になっている)60万人。

 釈迦とキリストと北村さよが天照皇大神(宇宙絶対神)だと信じる「天照皇大神宮教」45万人。

 天地金乃神(てんちかねのかみ)と生神金光大神(いきがみこんこうだいじん)を信奉する「金光教」45万人。

 世界救世教から派生した「神慈秀明会」35万人。

 阿含経と修験道を合わせた「阿含宗本庁」35万人。

 天理教から派生した「ほんみち」17万人。

 神道にアストラル界や霊界、地獄界を取り入れた「世界真光文明教団」20万人。

 エホバの証人で有名な「ものみの塔聖書冊子協会」20万人。

 天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)を主神とし、地上天界世界(みろくの世)の実現を夢見る「大本、おおもと」17万人。

 とまあ上げるときりがないですが、他にも沢山の新興宗教が、日本にはあるとされています。

 そのほとんどは、日本だけではなくて、海外でも活動していて、信者の数は想像以上に広がっているみたいです。


 こうして見ると、日本神話と法華経を主体にしている宗教が多いと解ります。

 吉田神社が考えた神仏習合思想が、後々に明治の神仏分離令に反発する形で、この様な新興宗教が多発したんだと思います。

 まあ、ファンタジー世界はラノベだけの世界に留めておいた方がいいかもしれませんね。

 中にはオウムのようなとんでもない教団もありますから、皆さんは引っかからないように気を付けて下さい。

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