六道珍皇寺

 次は六道珍皇寺を紹介します。

 読み方は(ろくどうちんのうじ)と言いますが、昔は(ちんこうじ)と言っていました。

 しかも山号が大椿山なので(たいちんざんろくどうちんこうじ)と言っていました。

 今となっては言いにくいですよね。


 そんな六道珍皇寺ですが、ここは何と冥界と繋がっているお寺として有名です。

 このお寺が建っている場所は、清水寺の西側に位置するのですが、この辺りは鳥辺野(とりべの)と言って平安時代から葬送の地として各地から遺体が多く運ばれた場所でした。

 葬送地に向かう道はあの世とこの世を隔てる「六道の辻」と呼ばれ、お盆の時に冥土から戻る精霊(しょうりょう)の通り道とも言われました。

 そして、その霊たちを弔うために自然と置かれた寺が六道珍皇寺なのです。


 この時代は遺体を葬送地に運ぶと、寺で法要を行ってその辺りに野晒しにする風葬が一般的でした。

 平安京ではこう言った葬送地が北の蓮台野、西の化野(あだしの)、東の鳥辺野と三ヶ所ありました。

 墓を建てられない一般市民は葬送地で風葬にされたのです。

 お金持ちは寺に墓を建てて土葬にされました。




 平安初期の事です。

 嵯峨天皇に仕える小野篁(おののたかむら)と言う公卿がいました。

 この人は頭脳明晰で武道にも長け、皇族の家庭教師なども務め、歌にも精通していました。

 身長も180㎝はあったと言われる人物で、京の都では超有名人で尊敬の的でもあり、変人としても恐れられていました。


 篁はある時、既に亡くなっていた母親が、地獄で苦しんでいる夢を見てしまいました。

 心配になった篁は、六道珍皇寺に冥界へ通じる井戸がある事を察知して駆けつけました。

 篁は近くにあった高野槙の枝のしなりを利用して井戸に入り冥界へ行きました。

 そこで閻魔大王に会って、地獄で苦しんでいる母親を極楽へ行かせるように直談判し、母親を救いました。


 これによって閻魔大王は篁を気に入って、自分の補佐役として働かせたのです。

 昼間は朝廷の役人、夜は冥界の弁護人を務めたと言います。


 この後、篁は六道珍皇寺に伽藍を寄進しています。



 そんな篁ですが、834年に遣唐副使に任命されましたが、2回も難破して失敗しています。

 難破して助かっているのも凄いですが。

 3回目の時に、自分が乗るはずだった船が遣唐大使の船として使われたのを不服に思った篁は、遣唐副使をボイコットしてしまいます。

 しかし天皇はこれに立腹し、篁を死刑にしようとしますが、友人だった藤原良相(ふじわらのよしみ)と言う人の尽力で罪を軽くしてもらい、隠岐の島流しで済みました。

 この島流しで詠んだ歌が百人一首に選ばれています。

「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海の釣舟」


 2年後には許されて、もう一度朝廷の役人になっています。




 篁の命を救ってくれた藤原良相ですが、右大臣になったものの病に罹って死んでしまいました。

 良相は判決を受けるべく閻魔大王の前に出されましたが、何とそこに篁を発見します。

 すると篁は閻魔大王に良相を生き返らせるよう頼んだのでした。

 そして良相が気付いた時には現世に戻り、病も治っていたと言います。


 篁が冥界に行った井戸は六道珍皇寺に「冥土通いの井戸」としてまだ残っています。

 この冥界に行く井戸は「死の六道」と言いまして、出てくる井戸が「生の六道」と言います。

 生の六道は他にもあって、蓮台野近くの千本閻魔堂の井戸、化野近くの生福寺(現在は嵯峨薬師寺)の井戸、それと六道珍皇寺内にある「黄泉がえりの井戸」(最近発掘された)があります。

 篁は死の六道から冥界へ行って、生の六道から現世に戻ってきました。




 ずっと「六道」と言う単語が良く出ますが、六道とは生前の行いにより振り分けられる冥界の事なのです。

 上から「天道」「人間道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」に分かれています。

 悟りを開かない限りは永遠にこの六道輪廻から逃れられないと言われています。

 悟りを開くとその上に「声聞」「縁覚」「菩薩」「如来」と言う世界があり、全部合わせて「十界」と言います。


 お盆と言う言葉もここから来ていて、盂蘭盆(うらぼん)、梵語で言うとウランバーナと言いますが、逆さ吊りからの救済と言う意味です。

 釈迦の弟子で目連尊者と言う人がいましたが、この人は神通力の使い手で、ある時に神通力で亡き母が六道のどこに行ったか調べてみると、餓鬼道に落ちていた事が解りました。

 目連は釈迦にこの事を言うと、釈迦は施餓鬼供養をするように教え、そのようにすると母は救われました。

 この施餓鬼供養が盂蘭盆会なのです。




 この寺ではお盆になると「迎え鐘」を撞く風習があります。

 お盆には精霊が冥土から戻ってくると言われ、迎え鐘を撞く事で迷う事なく帰って来てもらうのです。


 この鐘にも不思議な言い伝えがあって、昔ここの住職が1日12回、自然に音が鳴るように特別な鐘を造るよう頼みました。

 その鐘を造るには土の中に3年間埋めて祈祷しないといけません。

 しかし、住職が中国の唐に行っている間に、若い僧が待ちきれずに1年半ほどで取り出して試し撞きをしてしまいました。

 その音は唐にいる住職にも聞こえて、鐘が完成しなかった事を悟ります。

 しかし、唐にいても聞こえるくらいの鐘ならば、冥土にも響き渡るだろうと言う事で、精霊を呼び寄せられるだろうと信じられました。


 ですから六道珍皇寺では、お盆になると「お精霊さん」(おしょらいさん)と言って、迎え鐘を撞きに大勢の参拝客が詰めかけるのです。


 境内には他に閻魔像や小野篁像、地獄絵図などもありますから、一度参拝に行くのも一興でしょう。

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