法然院、安楽寺
法然院と安楽寺は1206年に浄土宗の開祖である法然と弟子の安楽坊と住蓮坊が東山山中、丁度、大文字山(この頃はおそらく大の字はまだ無かった)の南隣の善気山の麓に法然の庵と安楽と住蓮の2人が住む庵を結んだのが始まりです。
その頃はただの草庵でしたが、法然が亡くなってからは廃れていました。
それを江戸時代の1680年頃に萬無心阿(ばんぶしんあ)と言う知恩院の第38世住職が念仏道場を建立し、今は善気山法然院萬無教寺となっています。同時に安楽と住蓮の菩提を弔うために2人の草庵も再興され、住蓮山安楽寺と名付けられました。
法然の教えと言うのは念仏を唱えて阿弥陀如来を拝めば誰でも極楽浄土に行けると言う教えでしたので、法華経を信仰の根本にしている延暦寺などの他宗派の者から反感を受けて迫害を受けるようになり、人里離れたこの地に移り住んだのです。
仏教と言うのは本来、釈迦の教えから成り立っていて、釈迦が生涯に伝えた教えの順番に華厳経、阿含経、方等経、般若経、無量義経、法華経、涅槃経とあります。
釈迦は最初に華厳経で、いきなり仏教の真理を話したものですから、周りの弟子たちは何を言っているの理解できなくて困惑しました。
そこで釈迦は阿含経、方等経、般若経と仏教の基本となる事や哲学道徳に近い教えを語っていきました。
そして釈迦は、実は今までの説法では真実は語っていませんと言いました。これが無量義経です。
そして法華経に入って釈迦は、実は私は遠い遠い遠ーーーーい過去から何度も何度も何度も求道者に生まれ変わり、その都度悟りを開いて如来になっていたのですと言いました。
すると弟子たちが動揺しだして、どういう事ですか、早く真実を教えてくださいとせがみます。
しかし釈迦は、いや、やはりこの真実は語っても理解できないでしょうから語るのをやめますと言って、この弟子の中には真実を理解できない増上慢(ぞうじょうまん、悟りを開いたと勘違いしている者)がいると言って語るのをやめました。
それでも弟子たちは教えてほしいと言い、この問答が3回続きました。
するとその間に、自分は既に悟りを開いていると勘違いしている弟子たちが釈迦の元を去っていきました。
これが五千起去(ごせんきこ)と言って、釈迦の元から約五千人の弟子たちが去って行ったシーンです。それでもまだ残った弟子は一万五千人以上いました。
それを見て初めて釈迦は真実を語り始めました。
これが法華経二十八品と言う長い経なのです。
そして釈迦が入滅する時に語った涅槃経で最後になります。
法然の教義は方等経の中の無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経の三つで、全経典の中の数%にしかなりません。
しかも釈迦は法華経の中で、法華経こそが真実であり悟りを開くための最高の法であると言っています。
しかし多くの宗派は法華経以外の所から数%だけを取り出して、これが最高の教義だと言って一つの宗派を立てているのです。
まあ入り口が何であれ、仏教全体が知りたいと言う人はすぐに気付いてくれるでしょうが。
何にせよ当時は、法然の教義が問題で迫害を受けることになるのです。
念仏を唱えて極楽往生すると言うのは、阿弥陀如来の浄土である極楽浄土に行きたいと願っているだけなのです。
浄土と言うのは全ての如来に一つの浄土、すなわち受け持っている清らかな土地(仏国土)があって、釈迦如来なら常寂光浄土、薬師如来なら瑠璃光浄土と言う具合に全ての如来に備わっているのです。
だから極楽浄土が特別と言う訳ではないのです。
法然はこの庵で元武士であった安楽坊と住蓮坊と言う弟子と暮らし、六時礼讃(ろくじらいさん)と言う一日に六回の阿弥陀礼讃を行う修行方法を考案します。
読経を歌の様に節をつけて発声する声明(しょうみょう)を取り入れて、早朝から深夜まで日に六回行う礼讃方法です。
そしてこれを美男美声で知られていた安楽坊と住蓮坊が行う事で、一躍世間の話題を生みます。
そこに後鳥羽上皇の寵愛を受けていた松虫姫と鈴虫姫(この時19歳と17歳)の姉妹が一目惚れして、後鳥羽上皇が留守の時、夜中に隠れて安楽と住蓮のもとにやって来て、浄土宗に入門すると言い出します。
最初は安楽と住蓮も考え直せと言っていましたが、最後は折れて入門を許可し、剃髪まで行ってしまいました。
ところが、京に戻ってきた後鳥羽上皇にバレて、上皇は激怒します。
安楽と住蓮は捕らえられて、安楽は六条河原で斬首、住蓮は近江国馬淵で斬首されます。
僧籍で死刑にされるのは安楽、住蓮が初めてだと言います。
専修念仏と六時礼讃も禁止され、法然と弟子の親鸞も僧籍剥奪されて、法然は讃岐に流罪、親鸞は越後直江津に流罪にされます。
松虫と鈴虫は瀬戸内生口島の光明坊と言う寺で尼となり生活しましたが、姉の松虫は35歳で死去、妹の鈴虫は45歳で死去しています。
現在の法然院と安楽寺は萬無心阿が再興した時の建物になります。
秋から冬にかけて紅葉と椿で彩られる所でもあります。
紅葉の時期でもそんなに人は多くないので隠れスポットとしてもいいんじゃないでしょうか。
法然院は何故か谷崎潤一郎はじめ、作家、学者、画家、俳人などの墓が多くある事で有名です。
特に谷崎潤一郎の墓には、側に枝垂桜が植わっていて、訪れる人が多い所です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます